2013/12/10

第140号

お断り:筆者村岡利幸の父親突然死により、原稿執筆時間が取れなかったとのことでした。そのため、インテリジェンスの裏付けや論理構成背景整理までが出来ず、詳しく説明論述するまでに至らなかったとのことです。よって、今月のメルマガで、お知らせを必ずしなければならない最低限の内容だけに限って執筆したとのことです。ご理解承りますようお願い申しあげます。(株式会社総務部)

<コンテンツ>
PM2.5 大気汚染による経済への影響
 ・いわゆるアレルギー反応である。
 ・大気汚染の防止方法、&治療法
 ・外出する場合のポイントは、
 ・大気汚染による健康被害

違法派遣・偽装請負の労働者直接雇用制度
 ・その内容が徐々に明らかになってきた。
 ・そこには、労働契約法とのカラクリがセット

頭脳労働のメカニズムの解明
 ・そのプロセスを順次説明して行くと
 ・要するに、人目を引く(感動)のではなく、
 ・それが理論的に明解なることにより、


§PM2.5 大気汚染による経済への影響
PM2.5の成分は硫酸塩である。昔、四日市喘息の公害事件があったが、同じ原因物質である。医師の間でも大気汚染による悪影響を認識している医師は多い。とにかく子供、老人に関わらず多発している。その症状は風邪やインフルエンザとは全く違う。

いわゆるアレルギー反応である。
突然鼻水が出る(花粉症とは別)、声がかすれる、なぜか息苦しい(咳を伴わない喘息)、結膜炎症状だけが発生、頭や顔の外気にさらされる(暴露・被曝)場所のかゆみ……などの症状である。最も特徴的な風邪との差異は、これらの症状がバラバラに出没するのである。風邪は鼻炎→咽喉炎→気管支炎症の順序を必ずたどる。インフルエンザも全く別の症状である。知識のない街医者はアレルギー反応自体を診断出来ない場合がある。
ところが、厚生労働省は何らの対策も行おうとしてない。一説には、あまりにも患者が多すぎて保険財政が急落悪化するからともいわれている。また、この大気汚染を防止するための最も効果的な対策グッズは医療保険の対象の製品にはないからである。アレルギー対策の投与が増加していることについて黙認状態である。少なくない医者は、それなりの機関に訴えてはいるものの、厚生労働省は全く動かない。環境省が情報提供している程度である。
http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/index-j.html
大手マスコミの一部は、この大気汚染をディーゼルエンジン排出物質だけかのような報道しているが、実態は硫酸塩である。鉛、カドミウム、ニッケルその他を含んでいる。

大気汚染の防止方法、&治療法
基本的には、放射能汚染対策と同じである。
密閉して空気清浄器を運転することで職場や自宅の内部での防止が出来る。(オゾン発生の空気清浄器は有害)。空気清浄器は、できれば吸着式の清浄器が良い。硫酸塩は水に溶けやすいので霧吹きで、汚染された室内を緩和することが出来る。ところが、ミスト状態で大陸から流れて来るPM2.5は、雨が降ったところで霧が晴れるわけではない、雨の日でも危険なので念の為。したがって外出を避けるべきなのである。

外出する場合のポイントは、
目からの侵入を防ぐために、おしゃれなゴーグルの眼鏡をかける。インフルエンザ対策もマスクよりゴーグルが重要である。外出する場合は、DS1規格のマスクでないと吸引は防げない。DS1規格のマスクは8時間から9時間の使用で目詰まりする。薬局等で販売しているからといっても、DS1規格でないものが多い。また、法外価格のようなものもある。筆者が使用しているのは、20個で1400円程度のものである。例えば、
http://www.monotaro.com/g/00210818/
少しでも横にすき間があると、その隙間からからPM2.5は侵入して来るから装着方法に注意が必要である。すなわち、よく見かけるマスクというのはインフルエンザや大気汚染にしろ、その感染や被曝防止には役立たないのである。
このPM2.5対策に効果のあるDS1規格のマスクは、そういった事情から値上がりをし続けている。(インフルエンザは別規格のマスク、むしろ防衛にはゴーグルやメガネ)。
筆者の経験からも、アレルギー物質(アレルゲン)の食物摂取を少なくするのは初期症状が現れたときだけで差支えなく、むしろ室内と外出時の暴露・被曝を防ぐのが重要なのである。

大気汚染による健康被害
鼻水や咳あるいは痒みといった症状は、大した問題ではない。労働に関係するものは、「咳のでない喘息」である。気管支の血管収縮が起こるため体全体が酸素供給不足になり日常的に疲労している事態である。もちろん、血管に支障が出ている循環器関連の病気(心不全、不整脈その他)の症状を悪化させる。これらは労働意欲減退どころか、労働能力を発揮すること自体に影響を及ぼしているのである。とりわけ頭脳を使うとか重要判断を行う労働には支障が出て来る。日本経済は今、豊かさと経済数値をセットで向上させなければならない岐路に、個別企業ごとが立たされているにも関わらず、である。
個人単位の自己防衛の時期は通り越して、今や個別企業ごとに大気汚染衛生課題にせざるを得ない事態である。


§違法派遣・偽装請負の労働者直接雇用制度
これは、昨年の10月1日から施行された労働者派遣法に定められたもので、平成27年10月1日から実施される。厚生労働省は労働者派遣事業の縮小政策を着々と進めている。のみならず経済界の中でも新しい時代を担うクリエイティブな企業は、労働者派遣システムによる事業運営には期待をしていない。単純な外注(真正なアウトソーシングを除く)、もちろん偽装請負も含めて、発注企業側は、自社の事業促進の足を引っ張られるとの認識が強い。
直接雇用制度とは、派遣先などが、一方的に、強制的に、労働者を直接採用させられる法制度のことである。
近年の厚生労働省は、昨年の8月10日の労働契約法施行の如くに、世論の高まりのないうちに法施行して、施行後に一斉大PR宣伝を行うといったものである。現在放送されている労働基準監督官のドラマもその一環である。厚生労働省の世論づくりには、NHK、フジサンケイ、読売といったところが使用されている。

その内容が徐々に明らかになってきた。
1.派遣禁止業務への派遣(建設作業、警備業、港湾荷受など)
2.派遣を禁止されている業者からの派遣(無許可無届、事業停止)
3.派遣可能期間を超えて受け入れた派遣
4.偽装請負を行って、実態は派遣となっているもの
……派遣をしているか否かは、実態で判断するから、契約書面の文言で左右されることはない。人物特定をしている場合は職業紹介だから、もとより禁止である。出向契約は教育訓練、経営指導、関連会社間の人事調整の三目的を除いて、労働者供給契約として禁止をされている。もちろん実態で判断される。職業紹介や労働者供給は職業安定法による両当事者個人への刑罰から始まっている。
平成27年10月1日からは、派遣先が派遣労働者に対して、派遣先事業所への採用を申し入れたことと扱われる。その採用申出を行っている期間は、「1年間は撤回出来ない」とされている。したがって、急きょ派遣契約その他を解約したとしても、派遣先への直接採用申し入れは、先ほどの四項目が発覚した以降は消滅しないのである。

そこには、労働契約法とのカラクリがセット
直接採用する場合の労働条件は、派遣労働者が従前働いていたときの賃金、業務、雇用期間とみなされる。ここで登場するのが労働契約法に定める有期労働契約の条項である。従前に意識的な雇用契約の短期繰り返しが行われていたとすれば、65歳までの雇用義務が派遣先に生じる。期間労働契約という理由で、社員との労働条件格差も許されないから、条件引き上げを迫られるケースが大半である。むしろ、有期労働契約を繰り返すよりも、無期労働契約に切り替えた方が、もしも個別企業が整理解雇を迫られた場合の現行判例によれば、会社の損害は少なくて済むようなカラクリが見込まれている。
すなわち、個別企業がリスクを回避しようとするならば、突然正社員が増えるといったことになる。派遣会社からすれば、突然に売り上げが激減する、大半の派遣会社が借金を抱えてダンピングに走っているさなかに。
さて、これをビジネスチャンスとみるか、損害額の縮小とみるか、この岐路により個別企業の運命は決まる。


§頭脳労働のメカニズムの解明
新商品を開発とか、芸術的商品提供とか、複雑状況下での人心掌握とか、およそこういった作業を頭脳労働と呼ぶのである。机に向かってパソコンを動かすなどは、あるいは基準に基づいて書面・文書を作成するといったものは、「脳ミソ肉体労働」にすぎない。英語の法律Lawの言葉の概念は、既に設定されて基準に基づいて判断をする程度の複雑性の薄い作業とされている、もとはラテン語から継承とのことである。

そのプロセスを順次説明して行くと
1.過去の記憶は、インテリジェンス、文化の発展・変遷の蓄積作業
2.ある程度の蓄積のもとに、目前の事実関係(事実の羅列ではない)の掌握
3.この過去と目前事実関係との結合(哲学分野では時空間を飛ぶという)
4.とりわけ時間や時期を重要視するギリシャ哲学的発想の克服
5.この訓練ができれば、結合によりイメージ(想像)の作業が容易になる
6.イメージができれば、合理一貫性でもってクリエイト(創造)が出来る
7.実験を積み重ね、事実一致性でもってマニュアル的に現物となる
8.現物となれば、製造やサービスにかかる実行技術で効率を引き上げる
……こういったプロセスでもって出来上がった商品は、供給される側にとっては、人生にとって「希望」を与えられる商品となる。日本のように、上記7番目からスタートするような「イノベーション?」もどきでは成功しないのが当たり前だ。
One 人々が継続的に殺到する商品は、「意欲・感動・希望」の要素がセットでそろっている
Two が、売れない商品は提供する側の「意欲」にすぎず、
Three 一発ものは、「意欲・感動」に留まって肝心の「希望」の要素が商品に含まれていない。

要するに、人目を引く(感動)のではなく、
「心をこめて供給した側に対して、提供された側が共感をもっている」
こういった事象は、ほぼ経営学や商品にかかるビジネス書からは読み取れるのである。この点がほぼ著作に共通しているところだ。ここで、「ほぼ」と説明したのは、詐欺や詐欺行為、脅迫やマインドコントロールにより売れる商品が現に存在しているという意味である。
……ここで重要なのは、実存主義哲学などがよく取り扱う時空間である。文化や宗教観(宗教ではない)といった過去から蓄積されて来たものを体得した場合、目前の実関係と結合させることが時空を飛ぶということである。三次元の世界が(X・Y・Z)だとすれば、時間による変化(t)が加わり、それがさらに結合connect?といった作業がなされ、これで五次元なのである。以上は、合理一貫性と事実一致性を持った論理構成であり、法則性を持った科学理論であるから、念のため。
……今回、私の家系の当主の突然死と騒動がなければ、もう少し踏み込んだ文章が書けたのであるが、出身の地元共同体の核である、私の家系の責務を再構築しなければならないから、少し時間をください。ここに述べたメカニズムを使用しての失敗は許されない。細部の細かい実験を終えて、発展的に論述説明して3月末には発表する。

それが理論的に明解なることにより、
(a)固有価値を抱える個別企業、
(b)固有価値商品提供事業、
(c)個人の固有価値を蓄積・発揮
といった場面での、失敗が一段と少なくなると考えられる。現状では、個々の方々が熾烈な努力を積み重ねている割には成果が上がらないのが実態である。ここ最近は、国内の魅力的商品が取り上げられ、日本料理も世界に打って出ることになるだろうが、その成果成功率を極端に引き上げる論理とシステムに、「頭脳労働のメカニズム」がなることは間違いがない。また、私が通う大学院の指導教授は、昨年の価格設定理論のように、また英語で国際学会に発表するようにと促すだろうけれど…。

2013/11/05

第139号

<コンテンツ>
教科書通りの売り上げ不振&経営不振が続出
 ・経営には選択ではなく、創造が問われている。
 ・「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」
 ・その社会経済のキーポイントを握る人たちは、
 ・「そもそも労働とは?」に関わる学問研究も旺盛。

ブラック企業の本質は、善悪ではなく、沈没するか否かの問題
 ・経営側が注目する本質とは何か。
 ・経営側の共通した本音は、「経営危機だから、ブラック!」
 ・ブラックとは、例えば次のような悪循環の現象
 ・現実離れした官僚の着想と失政根拠

過去は、世論を良識へと整理する事業に価値が認められたマスコミ、
 ・今、その実態は不採算・経営危機
 ・ところが、時代はICT産業革命の真っただ中、
 ・今読んでいただいている、この「総務部メルマガ」自体も、
 ・ここでも、「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」の課題


§教科書通りの売り上げ不振&経営不振が続出
今年の4月第3週から、如実に個人消費が落ち込んでいる。これは統計数値に現れることはない。足で稼いだ取材やインタビューでしか分からない。取材を怠る大手マスコミでは報道出来ないし、視聴率や媒体収益性に頭を奪われている人たちだから、ジャーナリズムからも益々遠ざかっている。
多くの個別企業に現れている、その教科書通りの実態とは、
 1.顧客の内心にまで届くような売れ筋商品を供給する意思がない。
 2.顧客ニーズをつかむマーケティングも統計は駆使するが形骸化している。
 3.顧客の内心(良心と思想)へのインタビューをタブーとするマスコミを頼りに経営を行う。
 4.よって当然のことながら、海外ともに売り上げが落ちる。
 5.在庫処分&旧来企画・旧態管理職の保身目的でダンピングをする。
 6.目前の解決を要する課題を、「内部調整」と称して隠ぺい先送りが常態化。
 7.労働では無く「労働力限定」で仕入れダンピングに走る。
 8.創造的労働とルーティン的労働に二極化する事で品質低下。
 9.ルーティン的労働の配置のズサンさと穴埋めのためコスト増加。
 10.あげくに、職業能力も意欲もない集団と化し不合理不採算=破綻。
 11.違法行為が続出して利益が賠償金に消えて行く。
 12.労働意欲に関わる労働事件への対応が一段と労働力の減少を進める。
……この大まかな順序に従って、銀行などの借金を消すためには破産申し立てが行われ、個別企業に蓄積された職業能力と労働は散々バラバラと化す。倒産を選ばない道は唯一、経営者は無能な労働者とともに個別企業と経営者心身の在庫処分だけである。

経営には選択ではなく、創造が問われている。
この夏以降は、瞬く間に経営環境が変化し、また再び変化している。アメリカの財政危機は自らTPPのあり方を根底から外してしまった。そのアメリカの財政危機は増幅されて来年2月に延期された。日本の税金と社会保険料を牛耳る官僚たちにとっての財政危機は増幅しているが、それとは違う別の道の存在をマスコミは報道しない。オリンピック歓迎の世論に押されて、全国の公共事業予算を福島原発に大量導入する方針が進められようとしている、だが放射能遮断の見通しはない。まして気候変動を迎え治山治水の公共事業の緊急性が訴えられている折でもある。
こればかりではないが、経営を取り巻く環境を整備してみると、
「それぞれの個別企業での、新時代への方向を形づくること」
……これこそが重要なのである。それは、あれかこれかの選択ではない、というより、そもそも選択する対象物がない現実なのである。
それは、選択することこそが、「人間の自由」と誤解している人たちにとっては、公私共に閉塞感そのものなのである。新時代への方向とは、=創造=することなのである。事業経営にとって創造というものへの姿勢を表現する言葉は簡単である。それは……、

「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」
の一言に尽きる。およその経営・経済学問、さらにはビジネス書に至るまで、この一言の、条件付き(制限付き)事例を執筆しているのである。この一言は、個別企業の経営を実践する人たちからすれば、意味内容を理解する助言にはなったとしても、=創造=することを手助けしてくれる水準にはない。むしろ、現実には実行が極めて難しいと思い込んでいる。
それは約500年ぶりの社会経済転換期にあって、今の段階では理論法則化されてない。だから、学校教育制度で育った人たちには応用出来ないのである。学校教育で育ったことは人類の幸福にとってはプラスではあるが、転換への妨げになることを学べなかった要素はマイナスである。日本では、地場地元や個別企業がトップエリートを育てることをしなくなった。中国でさえ地場地元がトップエリートを育て、帰郷して活躍してもらおうと未だ熱心である。ちなみに東西欧州に現存する貴族階級は、学歴は高卒以下に抑え、家庭・家族・社交の中で、いわゆる「帝王学」なるものを身に付けさせている、だから現在も社会経済のキーポイントを握っている。(ちなみに、ユダヤ人?が「牛耳っている」のではなく、これと類似した教育法なのである。)そして……、

その社会経済のキーポイントを握る人たちは、
その総てが、道を選択する行為は枝葉問題として処理し、根本と幹は=創造=することに専念をしている。その教育・自己啓発?と言われるものは、「誠の芸術教育」あるいは「楽しさの芸術のたしなみ」に依っている様子である。それは「芸術」の名を借りた現実生活からの逃避とは異なるものである。重ねてそれは、「経営とは芸術である」と思っている人たち、「人生とは芸術である(ゲーテ)」に励まされている人たち、角度を変えてみれば、産業復興と芸術の関わりを示唆したラスキンの、「人間たるには、勇敢さと愛が必要」といったふうな文学的表現が繰り返され、人々のいざというときの判断基準になり、(筆者の知るところ書物や録音録画放送が行き届き)成功体験として約150年は生き続けているのである。
生活に余裕がなくなり、すなわち、実生活の貧困、哲学の貧困、大金を回していても時間貧困、閉鎖的になり人間関係の貧困といった者たちには、今述べたような、「誠の芸術教育」あるいは「楽しさの芸術のたしなみ」に遭遇するチャンスはない。そういったチャンスに遭遇し水準が備わっているにも関わらず、差別され排除されたからこそ、自由平等や市民革命(近年の研究では社会主義革命の一部生まれ、シューペンターへの再注目)が繰り返されていると診るのが妥当なのである。
芸術(アート)は、人間の希望を芸術物を通して創造し他人に伝達するが、技巧・曲芸(パフォーマンス)は訓練そのものへの賞賛と感動にすぎないからである。技能(スキル)は、貧困状態に留まった場合の労働力(労働ではない)の個別事業ごとの職種訓練結果の範囲に留まらざるを得ない。どこの国でも個別事業を超越して通用する技能(スキル)は存在した事実はなく、技能(スキル)の評価による労働異動が政策的に成功した例はない。労働者の引き抜き、労働者を採用する判断は、“価値を作りだせそうな人物”だからである。労働組合などが基礎理論としているマルクスの見解も、技能(スキル)が労働の商品化ではないとしている。したがって、職業能力評価というのは、職業能力が向上するか否かを見極める客観的合理的資料でしかないといったことは、数百年前から肌で感じ採られてきた帝王学の一種でもあるのだ。それを筆者がICT産業革命の機器を通じて、具現化・可視化したにすぎない。(職業能力評価表の例)
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254
なお加えて、断ってはおくけれど、このようなチャンスのない人たちに、自由平等や機会均等を保障している法律や制度を、筆者は見たことがないし、もしや「存在する」と主張する人は、どうぞ現物を持ってきてほしい。

「そもそも労働とは?」に関わる学問研究も旺盛。
新しい次代に向けて、学問研究も進みつつあり、経済・経営・社会事象・心理・大脳生理その他の垣根もなくなりつつある。数十年前の学術理論が、学問的に否定され、自ずと経営や職業ノウハウの転換が進んでいる。ただ、日本は全体的に極めて遅れており、「頭の良い子は多くても、使い道のよくない子」の蔓延が、高学歴者を中心に襲いかかっている。そういった学問研究の存在も、サービスや生産の現場に持ち込める職業能力を持つ人材が、現場から外されているのだ。その人材とは高賃金リストラ対象者であり、高学歴女性労働者である。
ある実存主義哲学(精神科医とケースワーカーの大論争)を解説すれば、
ギリシャ語で言うエロスの愛の要素が強い人は、家族や家庭(妾も含む)への愛を実現するためには、他人を踏み台にすることを悪とは考えてはいない。そのエロスの愛は、現実(を重視するから実存)を観てとっての、「本来的自我」ではなく、非現実的な「本来的自己」、すなわち、「自己中心・愛の対象者への独占欲」にすぎないといった批判にさらされているのである。善悪の思想を発明した人はユダヤ人の祖先であるが、珍しく善をエロスの愛と言い換え、独占欲が満たされない場合には、突如として悪を持ち出すといった具合でもある。
ギリシャ語のアガペーの愛、この解釈は難しく博愛との表現は誤訳であり、博愛とかアガペーはキリスト教の専売ではないが、こちらの愛の要素が強い人は、周囲の人たちへの愛を、さまざまな障害を乗り越えて現実のものとしようと努める。彼らのいう愛は、最初の日本語訳は「大事にする」(15~16世紀)といった表現であった。そこには、世間体との反発・阻害・孤独の体験を繰り返すのであるが、いわゆる先に述べたような芸術的思考が共通基盤となっている。ちなみに、童話には残酷な話が含まれているから子供は興味を示し大人への教育としては重要ではあるが、童話の根底部分には芸術的思考(例えば、戒はあっても「生きる希望」はない)を設定しないと考えられる。
エロスの愛を求める人は目的・目標の存在が人生・生命の柱となりやすい。その目的・目標に向けての自他ともへの幻想に影響されやすく、すなわち、このメルマガ読者向けの現代例を挙げれば、「給料が上がれば働く意欲を増す」あるいは、「地位が上がれば管理職の能力を発揮する」といったリアルからかけ離れた着想に乗せられやすく、そういった誤解が、労働意欲や事業欲の原動力にもなっているという現象である。
が、アガペーの愛の要素が強くなるほどに芸術的思考など通して、時期・時間的結末から離脱克服するように転向が進み、社会制約とは付き合うけれども創造性が伸びるとする思考である。ただしこれらは、あくまで、ひとりの人間にはどちらの要素が強いかを論じているだけで、この二つ以外の要素も存在することを考えておくのが前提である。いずれか一つの選択を迫ることはギリシャ哲学の特徴であるが、古今東西、選択を迫れば人間は「芸術?」や「宗教?」と称して現実から逃避する精神構造であると実存主義哲学系は論説する。だとすれば、現代人にとっては占い術と同列思考などなのである。
さて哲学とは、この後に読者の貴方が、今過ごしていること、今日あすの生活から着想すべきことである。


§ブラック企業の本質は、善悪ではなく、沈没するか否かの問題
である。ブラック企業という呼び方を、どういった意味あいで誰が呼び始めたかを調べてみても分からない。日本の世間や社会(共同体)の共に広まったからこそ、マスコミが取り上げて、収益性のネタにしているのは読者も承知の通りである。厚生労働省は、徹底してブラック企業に対するマスコミ対策(その先端はNHK国営放送)をこの10月から繰り返している。厚生官僚らのブラック企業定義は、「人の使い捨て企業」である。その議論によると、人の使い捨てによる労働力(労働ではない)の無駄が日本経済再生の妨げになっている、とするものである。よって、見せしめ的労働監督行政は行うものの、個別企業がその時点での対応を誤ることがなければ、即死に持ち込まれることはなく、抵抗さえしなければ個別企業は自然死を迎える程度に加減して監督するという訳である。

経営側が注目する本質とは何か。
「ブラック企業」といったマスコミから流される言葉に、一喜一憂する人たちは、経営者も労働者も、何れは時代の波に飲み込まれて消えて行く運命と見ておいたほうが自然である。霞や霧の如くにブラック企業を話題にしても、これに対する改善・改革の方向は見えてこない。さらに、マスコミ記者の使うブラックという言葉は、そのほとんどは受け狙いである。したがって、経営側が注目する本質とは、 労働法令その他の違反行為に裏付けされた企業が、
 One. 競合他社からの訴追による受注脱落、
 Two. 社会的非難による販売・生産・サービスの減少、
 Three.ブラック判定による労働意欲の低下、
 Four. ブラック企業に陥る原因となった事業効率性の低迷
……の四つである。この四つは、経営四分野である収益性、生産性、労働意欲、事業効率性の重要問題に関わるのである。
日頃から統計資料の少ない労働者側の受け止め方の調査が、この10月31日に発表された。大手企業労働組合の集合体色彩の強いナショナルセンター、「連合」が行ったインターネット調査である。その特徴は、今までのような「連合」傘下の組合に対してのアンケート調査ではないところに、重要な意味がある。そこには、いくつかの特徴が散在する。
 (A)20代の4人に1人がブラック企業で働いていると認識、
 (B)その後にかれらの取る行動を、年代別に集計、
 (C)3割の人が仕事で健康を害していると回答、
 (D)長時間労働の「やらされ感」、
 (E)時間外未払いありの回答は35%、
 (F)長時間時間外は上司の業務管理に原因とする回答は49%、
など、興味深い結果が並ぶ。上から目線の経営側からは見えない現象をとらえ、経営にとって有益な調査結果でもある。
 労働者側の調査(10月31日)連合総研、
 第26回「勤労者の仕事と暮らしについてのアンケート」
  http://bit.ly/HxuyEp
経営側が注目する必要のある事柄は、
この調査と従来の経営側調査を総合した上で、
 (a)長時間労働と無能管理職=低賃金×利益率低下
 (b)ヒット商品の空振りと不毛な労働の繰り返しでの労働毀損
 (c)借入金の連帯保障制度と「内部調整」と称する先送り
……といった状況が、誰の頭にも浮かんで来るといった本質に迫ることが重要なのである。それは、企業の下請け協力会社傘下に至るまでの範囲で見ておく必要があり、その理由は、「下請け根性」丸出しの外注業者によって個別事業の足を引っ張られるからにほかならない。あるいは、部門単位で当該状況の発生は、優秀稼ぎ手:部門から生み出された利益を賠償金その他の支払いに瞬時にあてられ、有能な労働者の賃金や賞与が減額される事態にほかならない。

経営側の共通した本音は、「経営危機だから、ブラック!」
ヒット商品や売れ筋商品を生み出してくれる有能な労働者を確保し、今や経営を安定させ、海外展開をもしてくれる有能人材と組みたいところである。これは、大手・中堅・中小企業に至るまでの共通本音である。
ところが、この経営側本質を阻害している人たちが、今やサラリーマン行動を起こす人たちなのである。現在のサラリーマン行動は、事業主や経営幹部が対策を持て余す事実関係で、日本の各地で企業の規模を問わず続出している事態でもある。そのサラリーマン的行動とは、組織の中での保身を図り、保身に都合のよい過去の事例を強調し、「内部調整」と称して保身のために先送りし、そういった論述構成(修辞学:レトリック)を駆使するといったものを、個別事業の経営や管理よりも優先する作為又は不作為なのである。だからこそ、本来の作戦参謀である総務人事部門が、実際の調査から読み取る論理結果が重要なのである。それは、顧客に対して能動的であるべきマーケティングでも然りである。サラリーマン的行動の背景にある、労働意欲を消失させる論理構成は総て、「幻想と作り話」にほかならない。何十年も前から、「大企業病」とサラリーマン的行動の問題点が指摘されていたが、現在に至っては問題点の指摘を超え、構造的欠陥として変質し、企業の危機に対する対処能力を喪失させている。すなわち、サラリーマン的行動が、事業の縮小や崩壊を促進させ、それが事件的発生が度重なり、経営四分野である収益性、生産性、労働意欲、事業効率性を直撃しているのである。

ブラックとは、例えば次のような悪循環の現象
こういったサラリーマンは、管理職が一つの職業であるという自覚がない。「幹部」という管理職の職業を現わした名称は日本で作られた。(中国は直ちに中国語に取り入れ、「幹部」という中国共産党の独特の職業として使用している)。この職業概念が日本では消滅しかけており、むしろ、管理職は出世や保身のための道具だと認識している労働者が多いのである。おそらく原因は、借金を抱えたために、その返済を迫る金融機関や金融機関に都合のよい労働者(職業よりも帳簿数値)が、第一優先された風潮(新自由主義)としか言いようがない。
 (1)事は有能な商社と商社マンが経済活動から排除され、
 (2)技術者が干され技能者は無視され=技能や学術が技術化されず、
 (3)コストカットしか頭脳にない「脳味噌筋肉労働」がもてはやされ、
……結果、正常な資本主義的経済活動を停滞させてしまったプロセスである。
 (イ)中途採用の労働市場に職業能力を有する労働者がダブつき、
 (ロ)それを観た両親が子供の生活を心配し就職支援会社の珍説に踊らされ、
 (ハ)新卒就職市場はキツネやタヌキの演技をする子供達であふれ、
 (ニ)「脳味噌筋肉労働」の愚かさを観た若者が「非正規労働者?」を選択する、
 (ホ)サラリーマン化した個別企業の採用担当者は直属上司の保身が図られる報告書のためにタヌキやキツネの卵を採用をする、
 (ヘ)それは、日本の高度経済成長時代に個別企業が確保に努力した金の卵ではない。
……むしろ、日本的サラリーマンの職業能力であった、「企画を実現するには=、絶対に自分の企画した意見を言わない、他人の意見を披露させ、他人の批判に晒させて、結果=自分の企画を実現する」といった職業能力テクニックですらも消滅しかけている。当然、管理職の、「様々の有能な労働者をコントロールして組織的にまとめて動かすことで課業や事業を成就する」といった、根本的な職業能力概念すら消えてしまったかのように見える。そればかりか、そういった根本的な職業能力の話題を持ち出せば、金融機関の息のかかった経営幹部からリストラ対象と決め付けられる危険がある。
===リーダーシップとか統率力と称されるが==
その中身は「脳味噌筋肉労働」にほかならず、まるで戦時中の日本陸軍の尉官(少尉、中尉、大尉)を消耗品と扱った過去が思い出される現在の状況である。中途半端な教育訓練のために日本の空軍パイロットは、次々と打ち落とされ、空母から飛び立つが着陸技能が貧弱、精神論では追いつかず覚せい剤を飲ませて特攻隊(無能なのに少尉に出世させ)で出撃させた軍部官僚たちと、やっていることは同じにしか見えない。リーダーシップとか統率力などを力説する企業経営に、ブラック企業が多いのはこのためである。
===出産育児に励む女性労働者には==
各個人ごとの私設保育所=両親に子供の面倒を見てもらう=を強いられている現実が増えつつある。公立保育園政策は民間への外注化が促され、許認可保育所は補助金づけにして官僚の言いなりにさせられている。厚生労働官僚の、「まるっきり託児に限っての政策」に不安を感じて、個人私設保育に安心安全を求める母親が増加し、その不安を身をもって体験した祖母は、保育知識が無能であったとしても保育を受け持ちたい回避策である。毒舌覚悟でいえば、この女性労働者は二流であり、二流の「脳味噌筋肉労働」にならなければ自らの職業と家庭維持の経済的担保が図れないような政策に陥っていることを、厚生労働官僚たちは気づかないのである。一流の女性労働者を確保したい個別企業であっても、採用に非常な政策障害が存在、すなわち、官僚たちの政策は女性労働者の人数増加に限るものだから、家庭や子育ての質の向上や将来希望を見えなくしており、これが女性労働者の絶望感を助長しているのである。

現実離れした官僚の着想と失政根拠
こういった現象が、厚生労働省における現官僚たちの政策が、的外れである根拠のポイントである。OECDが指摘する女性労働力の活用とは、全くもって裏腹・反面である根拠もここにある。余談ではあるが、先程紹介したブラック企業その他に関連するアンケートの公表とともに、この連休中に労組ナショナルセンターの「連合」は、サラリーマンの検定(資格)好きを狙ってか、「ワークルール検定」試験を実施した。だがこれとて、私からすれば単なる批判を増長させるだけの、彼ら労働組合の失政(政権参加の姿勢や政権能力資格要素に疑問)にしか受け取れない。
ことに、重要柱の女性&非正規労働の背景には、
専業主婦が急増したのは、団塊の世代の女性らが、女性差別実態や婦人論を学びながらも、社会の現実(結婚退職違法判決:1967年住友セメント事件)を目の当たりして、家庭維持と子育てのために専業主婦に緊急避難した、そういった定説となっている現実や研究を官僚たちは無視しているのである。無視していると言えるというのは結婚退職違法判決その他をネタに男女雇用機会均等法の法案要綱を作成したと官僚自身が周知していた事実が過去に存在したからである。機会均等法の以前の、男女雇用に関して労働省内に機関が設置される前の官僚(女性)と筆者は、当時の総理府の建物の中で女性の深夜労働について協議した結果、女性深夜労働合法化&深夜労働に女性を追いやる法改正に逃避した、自らが妊娠中の女性官僚の事実関係からである。
こういった現実離れの着想+失政の原因を官僚経験者に尋ねれば、「最初は真面目でも、出世のためには保身を図る。その取引が待っている」と指摘した人がいるが、筆者が、「現在の政府の各省庁は、まるで馬賊と同様で、各馬賊の集まりである」と冗談を言ってところ、戦前を知る超高齢の学者各位に大うけ(冗談とは核心を突く滑稽さ)したところである。


§過去は、世論を良識へと整理する事業に価値が認められたマスコミ、
今、その実態は不採算・経営危機
にさらされている旧来事業の業態のもとで、こういった本質や核心を突く記事を掲載するわけにはいかない。出版事業の経営は現代、借金やサラリーマンを抱えた個別経営を強いられているから、本質や核心を突く記事や論文を掲載しても、不採算を招くリスクばかりなのである。よって、筆者も相談を受ければ、「掲載禁止」とアドバイスするのが当然である。

ところが、時代はICT産業革命の真っただ中、
その道具を使えば、差し支えは次々と解消される。ただ彼らには、紙の仕入れ業者、配達運送業者との関係を切ることが出来ない。さらに、マスコミに限らず出版業界全般に言えることではあるが、業界労働者の職業能力向上に手を抜いて来たために、安易に不採算のシワ寄せが労働条件低下に流れてしまい、悪循環を知りながらも、ジャーナリストとして手をこまぬいていた一瞬の勇気の欠落に、経営危機の原因があることを気づいていても、知らないふりから脱却出来る創造性の貧困に原因がある。

今読んでいただいている、この「総務部メルマガ」自体も、
発行数は約5,000通、何の宣伝もしていないけれど2日にひとり読者の割合で増え続けているのが特徴。そこで注意が必要なのは、筆者自身が読者数増加や有料化の誘惑に乗ってしまえば、やはり馬賊やマスコミ関係者と同じ道を歩む危険である。日ごろから、ミニ:シンクタンクもしくはジャーナリストの職業能力を向上させているからこそ、身体障害があるから肉体労働が全く出来ない境遇にあっても、おかげで私生活は楽しく安定し、芸術を取り入れさらなる職業能力向上の実験も自ら行っている。

ここでも、「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」の課題
である。その理由も、今月号の初めの方で述べた通りである。は如何なる評論家が述べようと、如何なる人も様々な貧困化(生活水準、哲学、内心、文化その他)を避けようとすることは自然である。ところが今の日本では、世界の中でもダントツに、「貧困化を我慢せよ」との説得にさらされている国民と経営者の姿が存在する。それは今の政府や官僚だけの主張とは限らない。黄昏を迎えた高齢者たちは、いま最も有利な年金生活を過ごしているが、それが減額される危機感と相まって、後進に対して人生における窮乏生活を説き、孫の世代に対して金銭をわけ与えることで、若年層の自律性や職業能力習得の阻害を生み出そうとしている。たしかにそれは、個人的な優しさが起因するのではあるが、それでは単なる与える側だけの、内心の自己満足に留まらざるを得ない。孫に、「いわゆる帝王学」を体得させ、貧困から脱却させる方法は他にも存在している。
とりあえずは、労働者の職業能力向上と、職業能力の効率的育成のための向上素質評価から始めて、今日明日の売り上げを増加させる、「方向性・戦略」が不可欠なのである。
(資料:固有価値創造システムの人間発達と教育)
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/24
戦略とは原則性をもつということであり、原則がなければリアルな柔軟性は存在し得ない、これが人類としての定石である。

2013/10/08

第138号

<コンテンツ>
雑念・雑ニュースに、踊らないことが肝心
  ・個別企業において(この場合、個人の生活も同様だが)
  ・マネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)とは、
  ・個別企業の経営とは、
仕事の方式(業態)と、生活と幸せの仕組みを変える
経済経営の学問最先端でも、ジレンマ論に転落
PM2.5の健康被害の著しい現実
そのうち、官僚が「老人殺害計画」を言い出すかも
  ★民間治療薬?サプリメントは、医学知識がなければ危険!
  ★値段が安く仕組みも簡単な便利商品は、
  ★患者や保護者への医学知識の普及も重要である。
  ★現段階での、心臓、血管、高血圧に関する、自己措置


§雑念・雑ニュースに、踊らないことが肝心
世界規模で経済の混乱が続いている。「右肩あがりの経済成長理論」に慣れ親しんでいる人にとっては、「山の頂上に上る体力もなく、足元を踏み外し転落する」といった不安な心境と考えられる。

日本でも景況感が向上したと耳にするものの、実体経済の動きが景況感に応じていない現実を見て、恐怖感が漂っている状況だ。これを、経済経営学的に見れば、単なる「マネー経済と実物経済の相反」にすぎない。したがって、最低限、冷静に物事を観ることが重要なのである。
学問とは本来、冷静さと勇敢さを傾注する時期を判断するまでに身に付けるもの(教養素質)なのであるが、その教養を深めずに比較検討してみたり、手法や学説を並べてみたりするものだから、生かじり学問の癖が身に付いてしまえば、右往左往するしか仕様がないのである。例えば、日経新聞を読めば経済経営のことが解ったような気分になるのは自然ではあるが、個別企業や生活に役立つ冷静さや勇敢さを判断する素養は益々、先細り、しぼんでしまう。
これがマイケル・サンデル(ハーバード白熱教室)の言っていた、「言説の貧困」である。彼の解説によると、「言説の貧困化とは、ひとつのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら、スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになることだ」(“これからの正義の話をしよう”早川書房p344引用)としている。だとすると、

個別企業において(この場合、個人の生活も同様だが)
いま最も重要な事柄は、実体経済を軌道に乗せて、マネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)への備えをする、受注対策である。もとより、ICT産業革命の真っただ中であるから、実体経済を軌道に乗せるということは、次のコンテンツで述べる、「仕事の方式(業態)と、生活と幸せの仕組みを変える」といったことである。

マネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)とは、
センセーショナルに聞こえるかもしれないが、この10日後(10月18日)のアメリカ財政危機が引き金になる金融不安である。元からアメリカにとっては大した外交ではないのがTPP交渉妥結であるが、延期をしてまでの米国事情なのだ。この10月の金融不安懸念は、それを回避しようとする動きの見えないところに特徴がある。日本のマスコミは、いっさい報道しないから、国内では話題にはなっていないが、そういった懸念材料の海外ニュースばかりなのだ。
ただし、既に日本国内では「貨幣資本の停滞」が起きている状態で、不動産関係も年末に向けての契約と資金回収に動いているにすぎない。消費税引き上げによる需要はプラス・マイナス=ゼロの話題なのだが、これこそ些細な事柄にすぎないのだ。三流資本主義国家である。
2008年では、リーマンショックと言われるが、その年の6月に、イギリスの金融機関が投資の撤退を宣言する異例な海外ニュースが入り、それが実行された途端にリーマンショックが生じたのである。
あくまでも懸念ではあるが、懸念すら感じることなく個別企業の経営をしているとすれば、それは企業経営や参謀(総務部門)としては失格なのである。このメルマガは詳細説明を控えるが、リーマンショックを予言した実績を持っている。

個別企業の経営とは、
「どちらにどう転んでも失敗を避ける行為を進める方針」であり、こういった方針の役目を社内にも社外にも持たなかった個別企業が、そもそも設立3年以内に倒産するor借金ダルマとなり金融資本の奴隷と化して来たのである。
読者の察しの通り、倒産すればチャレンジの希望は(日本の法制度によって)残るが、金融資本の奴隷となれば連帯保障制度その他によって“命をささげ、身を削って、貧困に付きまとわれる”生活が待っている。その悪循環は、家族や知人友人にまで広がり、賭博的経営が常となり、あげく心身の挫折に至るのである。この分析自体は、現代の社会現象を論じているにすぎない。多くの人が近視眼的になるや、これ自体が見えなくなっているのだ。
結論づければ、要はそれだけのことである。


§仕事の方式(業態)と、生活と幸せの仕組みを変える
たとえ今月の金融危機がないとしても、じわじわとマネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)が進行している。総務部メルマガ8月号(第136号、2013/08/06)で解説したように、“目先の利益が不可欠、プラス、「自らの日本文化圏と事業経済圏」”に向けて、たゆまぬ努力が肝心なのである。
http://soumubu1.blogspot.jp/2013/08/blog-post.html#07
例えが不適切かもしれないが、「体力+コツコツ努力=学力向上」は今や世界の定説となっている。所得による学力向上は眉唾物であり、この体力でさえICT機器の有効活用によって、「脳を含む肉体」消費は極端に減っているのだ。筆者の私も、長文原稿作成は音声入力だから手書きの10分の1以下の体力消耗であり、その余裕が生まれた体力でもって書籍(Webの何十倍もの情報量)を読むことが出来、十分な睡眠時間と「鍛錬」で、人生をエンジョイしているのである。
最も重要な視点は、マネー経済の破たん進行やショックを、そういった経済状況のもとで、
  イ)人々が社会に何を求め、
  ロ)いかなる人間関係を形成し、
  ハ)個別企業の経営に何を求めるか、といったことを見極め、
  ニ)その準備を個別企業が行うことなのである。
それは、手法や装置ではなく、マーケティングの兆しの発見でもある。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159
「右肩あがりの経済成長理論」の時代に、教養もなく成功を収めた人たちの抵抗は、極めて激しくなる。その人の心の内は、時間や環境変化について行くことが出来なくなったことへの自覚と恐怖心が大いに作用している。そのため、非論理的・極度感情型の言動が目立つようになり、通常考えられないような自殺行為(不祥事その他)を職場で引き起こすのである。
その救いの手段は、個別企業ごとに、「仕事の方式(業態)と、その労働者の生活と幸せの仕組み」を変えるしか対策はないのである。ただし、残念ながら日本の社会構造にそれを期待することは出来ない。
私が読者に勧める方法は、「敗軍の将、兵を語らず」の裏側であり、もちろん「語らないこと」である。


§経済経営の学問最先端でも、ジレンマ論に転落
(ア)私たちは、ミニチュアであっても、シンクタンクの仕事柄、英米や東西欧州そして北欧といった、いわゆる経済や豊かさの先進国の動向のポイントはみている。日本のマスコミや大学程度では、イギリスとアメリカの経済や経営に関する考え方が大きく違うこと、北欧が経営学ではダントツにレベルの高いこと、イタリアという国は表に経済は出さないけれどアメリカと北欧の経営学は見逃していないことなどのことを、知る由もない、だから日本の政策も限りあるのが現状である。
(イ)そういった海外の“経営に直結した学問”においては、大量生産方式というのは遠い昔のことなのである。トヨタが着目した Just in time などの方式は、リーン(無駄なぜい肉がない意味)生産方式としてアメリカの経営理論として普及したけれども、もう古くなっている。今や、顧客参加によるMssカスタマイズによる精密化を発展させて、顧客と製品と会社の結合を図る製造等イノベーションの統合といった経営に移行しつつある。
(ウ)さらにはICT産業革命により個別企業のビジネスソースが、パソコンなどからいつでも取り出せるインフラ(民間の行う公共)をよりどころとして、プロセスや共同体を重視した商品構成に移行するだろうと考えられている。おそらく、このメルマガ読者の大半は、ICT産業革命以後の話となると、ワケが分からない方が多いと思われるが、それは全く自然かつ当然のことであり、何も恥ずかしいことでも何でもない。すんなり分かるのであれば、あなたも今の仕事を辞めてシンクタンクやコンサルタントに転職した方が現実的な判断だと私も思う。
(エ)現代社会あるいは社会共同体にあっては、何らかのチームでもって仕事を進めている。ところが、そういった仕事の成果がなぜ生まれるのかが、「使用価値と交換価値」の価値論の論理では解明が付かないのである。今も花形産業であろうテレビ番組制作、看護・介護・保育といった仕事、学校教育の仕事、あらゆるイノベーションの仕事、社内社外・顧客との調整の仕事といった物は、すべての経済学者が「使用価値と交換価値」の価値論では解明出来ないとしている。高校時代に習う、需要と供給の曲線の交わりが価格だとする有名な図表理論も、あくまで価格決定理論にすぎない。価値論の論理ではない。
(オ)過日は私自身が大学院のディスカッションで、「物を販売すれば自動的に集金できる」といった事実関係は、現実には無いと説明した。「自動的に集金できる」と思っているのはサラリーマンの習慣がそう思わせているだけだと説明した。すると、大学・大学院の教授・研究者のほとんどが、驚いていた状況だった。この現実が日本の最先端経済学なのだ。が、イタリアあたりでは誰もが知っていることだし、「近江商人」の系統であれば子供の時に教えられる経済理論なのだ。
(カ)固有価値という価値の存在は、商品経済で成功した人たちは、学術理論を分からなくても知っていた。それを学術理論として気づいたのがニコラス・バーボン(火災保険会社の立案者)であり、経済社会政策に導入したのがジョン・ロックであり、合理的一貫性でもって証明したのがラスキンであり、事実一致性により立証しつつあるのは池上惇(京大名誉教授)を筆頭とする私たち研究メンバーである。
(参考資料:今の不況原因は「使用価値論」に固持し続けることにある)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/30
(キ)現代経営の矛盾点を、フィンランド生まれのY・エンゲストロームが、「ノットワークする活動理論」(新曜社、2013/06/15)でもって最新分析をしている。分析というのは、今後どうすれば良いかまでは言及出来ない限界を持っているということである。先ほど述べたような「使用価値と交換価値」では全く解明が付かない経済活動が、経済分野の豊かさを受け持っていること、その解明の付かない経済活動=仕事方法は、いわゆる大量生産方式の工業経営に技術・技能移転ができておらず、むしろ豊かさからかけ離れ財政破たんの道を歩みつつあるとしているのだ。この分析の中では、技術・技能移転を図るために、有名大手各社(トヨタも分析)の工夫事例を紹介もしているが、結果的には成功していないとの分析結果なのだ。他にも、「内部調整」との名称を使っての経営矛盾の先送り、堂々巡りを繰りかえす経営にツールと方式、対外顧客への公約を日常化しないことによる「保身社員」の激増と業績低下など、世界各地の事例を挙げている。興味があり時間の余裕のある方は、この本を読めば巷の経営学を読む必要はなくなる。けれどあまりにも難しい。
(ク)ところが、固有価値商品論を踏まえて、この本を読んでみると、分析調査資料としては極めて有用な書籍であることは間違いない。話は飛躍するかもしれないが、大量生産ができて安価に供給できる商品という物は、交換価値比率が高い固有価値商品を創り出す上での「インフラ商品」という訳である。
(ケ)すなわち、経営者や管理職としての職業能力要素である、
 A.基礎技術を現場に落としこむ技能(多様性・一回性)。
 B.事業のプロセスを短期・効果的に進める技能。
 C.人材、立地、基礎技術その他を組み合わせる技能。
の業務を遂行する上での「インフラ商品」という訳である。「インフラ商品」というのは、聞き慣れない言葉ではあるが、例えば、労働集約型事業(生産技術というよりも大量労働力と職業訓練により成り立つ事業)において、その個別企業の最大インフラとは「就業規則その他規定」のことであり、専門家に作成してもらってこそ商品となる価値が生まれる、といったものである。労働集約型の請負事業とか人材派遣業は、このインフラが機能していなければ累積赤字の増加を招くことになる。各省庁の官僚たちからすれば、「インフラが整っていれば利益が出る」との理論(この理論に間違いない)によって、赤字企業は日本社会から消え去るべきとする政策を、社会正義を全うする義務として打ち出しているのである。
(コ)筆者は、昨年夏に、固有価値商品論を踏まえての商品価格決定論(価格決定のイニシアチブの取り方)についての研究レポートを、国際文化経済学会に提出した。現実に経営に成功している個別企業の事例をチョイスした理論にも関わらず、最先端の価格決定理論として評価された。過日の大学院でのディスカッションによれば、池上惇(京大名誉教授)編集共著として、商品価値・価格・豊かさの事業経営に関して、事実一致性により立証することが計画された。これは、日本経済復活に不可欠な経営手法の確立がなされると思われる。そうなれば、重税、都道府県民・市町村民税や社会保障費用の非効率高額負担に対抗して、個々に独立した個別企業ごとに経営基盤が確立できるインフラが整備される。
(サ)数千年の歴史の定石は、「文化が変わり → 経済活動が変わり → 最後に政治が変わる」のである。政治が変われば社会が変わるというのは、議員・代議士たち特有の詭弁といっても差し支えない。


§PM2.5の健康被害の著しい現実
今まで報道されなかったPM2.5の健康への影響が、マスコミでも取り上げられるようになった。風邪や花粉症のような症状をもたらすが、炎症の状態の目視、聴診器による雑音、炎症の部位によって違いははっきり診断できる。それが出来ない医師の方が、どうも日本には多いようである。
厚生官僚は、PM2.5の健康被害の政策をまとめて各地の保健所や医師会との共同対策を行うべきところ、何らの動きも取ろうとしていない。むしろ環境省に責任を押しつけているような様子であり、環境省は各都道府県が行っている大気環境測定でお茶を濁そうとしている感もある。
PM2.5の主要な毒性物質は、三重県の四日市公害と同様の「硫酸塩といわれる物質」のである。喘息、鼻炎、結膜炎、咽頭炎、声帯炎、喉頭炎などを、独立してアレルギー症状として発症する。ディーゼルエンジンの煤と同じく不整脈を誘発するし、場合によっては心筋梗塞症状を発症する可能性が高い。ところがどの症状も感染することは無い。なお、風邪の場合は必ず、鼻炎→咽頭炎→気管支炎の経路をたどる。「お腹風邪」といった意味不明な病名が出回っているが、これは細菌又はウイルスによる腹部の炎症である。
防御の方法は、放射能汚染とほぼ同様である。
 1.外出時には、
 市販のマスクではなく、粉塵を予防する“DS1”の規格品を使用すること。
 2.結膜炎には、
 製造工場用の簡易ゴーグル(数百円)を使用する。
 3.室内を密閉、換気扇使用禁止
 空気清浄器を使用すること。普通清浄器で十分(オゾンは有害)。
 4.卵、牛乳その他、アレルギーの元(アレルゲン)
 を一時的に遮断(食べない、触れない)すること。
 5.炎症を抑える薬はステロイド剤なので、
 そういった薬には、頼らないようにすることが無難である。
 6.ところが、具体的治療しなければ、
 花粉症+喘息状態となり、通常生活が出来ない。
PM2.5の被害は、子供と老人そして循環器疾患の人に集中している様子だ。様子というのは、保健所を通じて全国調査すればよいものを厚生官僚が怠慢なので統計調査ができてないからである。花粉症に罹患する人はPM2.5は大丈夫な人が多い様子、だがこれも実態は不明である。アレルギー全般を抑える薬の投薬効果も非常に不確かである。はっきり言えることは、環境省その他が毎日発表している飛散情報で、空気がきれいなときは、窓を開放していても症状がほとんど発症しないということである。
・「大気汚染とアレルギー」の参考URL
 http://www.waghs.net/allergy/ar48.html
PM2.5の飛散は、台風その他で吹き飛ばされない限り、中国大陸から偏西風に乗って3日後である。秋から来年の春にかけて大量に襲いかかってくるので、厚生官僚に頼らなくても、自己防衛をするしかない。
・大気汚染予報URL
 http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/index-j.html
ことに、福島原発被災地域そして関東圏は、放射性物質による活性酸素増加に加えて、今述べたような呼吸器や循環器系等の疾患を誘発するだろうから、経済や生活のインフラ危機そのものである。
・大気汚染によるアレルギー疾患(過去のメルマガ記事)
 http://soumubu1.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html#01


§そのうち、官僚が「老人殺害計画」を言い出すかも
(a)消費税3%引き上げが決まったが、この財源が社会福祉に回らないことは、法律の付則条項によって決まっている。このことは、個別企業の経営や個人の生活のインフラ水準が落ち込むことを示している。ことに、職業能力や頭脳によって勝負をしなければならない日本経済にとっては打撃である。
(b)その典型的な形は健康保険に現れる。労働者本人のみならず、家族が傷病にかかれば労働はそちらに費やされるからだ。怪我や病気というものは初期段階での治療が行われれば、費用も少なく長期にわたることも防げる。そこには家庭常備薬とは違ったビタミン剤や安価医薬品投与で直ちに解消できるものは数少なくない。例えば、炎症やコレステロールの類はビタミンB群、風邪(鼻炎→咽→気管支)はビタミンCで治る。体力低下や脱力感といったものはビタミンEが有効である。こういった医薬品は極めて安価であり、初期治療段階の医薬品と併せれば高い効果を表す。
(c)ところが、ビタミン類は健康保険の給付対象から外され、なるべく高価な医薬品が投与されるのが現実である。ジェネリックといっても極端に安価な訳でもなく、患者や保護者に医学知識がなければ、益々厚生官僚の言いなりになり、病院に行く費用も工面せざるを得なくなるのだ。
(d)日本の場合、65歳以上は非労働力人口と法律等で決めているから、煩わしい高齢者問題が形式として浮上してくることになる。この65歳の年齢によって、65歳から厚生行政、それまでは労働行政と区分けをしたのは、官僚たちがそうしているからにすぎない。マスコミのほとんども、無学なのか賛成しているのか知らないけれど、官僚のしり馬に乗った論調ばかりしている。高齢者は消費ばかりする人達だと考え、あるいはそこに追いやっているからこそ、煩わしさと世代間感情問題を拡大・拡散する原因となっているにすぎない。
(e)今でも、70歳以上の患者には大手術を行わないといった政策が実施されており、明らかに間引きとしか言いようがない。「後期高年齢者?」のように意味不明な造語でことを進めようとしているけれど、マスコミの世論操作を利用して官僚が「老人殺害計画?」なるものを言い出すかもしれないのだ。
(f)もとより高年齢者というものは、「健康維持と活躍の場を与える政策」を行えば、若年層に比べて極めて高い固有価値としての職業能力をもっている。すなわち、物理的力はなくとも、「無駄な動きはなく、目前と将来を予見する能力の蓄積」が存在するのだ。あるいは、残存能力として、そういった職業能力を部分活用できる。そのように陣立て(フォーメーション)をすれば、日本全体としての社会経済復活にとっては、この資源が重要であり、これを個別企業や地域ごとでも陣立てをして分散活用できれば、世界有数の経済・豊かさ大国になり得るのである。

民間治療薬?サプリメントは、医学知識がなければ危険!
こういった物が出回っている。確かに、誰でも健康に過ごして働きたいから、PRに乗ってしまう。しかしながら、こういった民間治療薬?やサプリメントこそ、医学知識がなければ危険なのである。もちろん販売業者は、危険な事態が起こらない程度の分量を1日の消費量として表示をしている。なので飲み続けても、ほとんど効果がないといっても過言ではないのだ。サプリメントを信じて飲んでいるうちにコレステロール値が高くなるとか、血液循環が良くなるからと言ってイチョウの葉を服用したために肝臓障害を起こすとか、心臓のキツケ薬を服用したために心臓自体が負傷するとか、良くある話である。
金にならない医療は、病院の不採算
それどころか、厚生官僚のやっていることと言えば、バカでかい医療機関を設置奨励するとか、大手術の実施を奨励するとか、予算の係る政策ばかりが目立って仕方がない。病気の予防や早期処置に重点をおけば、身近な地域の医療機関も経営が安定し、それこそ社会福祉が産業や経営のインフラとして役立つのである。そのような保険点数配分に言い換えればよいだけのことである。ドクターヘリとか高性能新薬ばかりに自治体や民間業者の動きを誘導することで、官僚の政策怠慢を続けているとしか考えられない。19世紀半ば、日本では江戸時代のころイギリスに「ラスキン」という人物がいて、「孤児院を作る前に、孤児が生まれないような政策を行なえ」と啓蒙していた。こういった考え方は日本の厚生官僚には見られず、彼らの特徴は、世論から批判されそうになって初めて予算をつけるといったやり方なのだ。ついでの話だが、この「ラスキン」の着想に賛同した人たちが20世紀初頭に、イギリス労働党を創設したのである。イギリス労働党の労働とは「人間の労働を最重視する」といった理念であり、社会主義とか自然保護といったイデオロギーとは無縁であるから、念のため。

値段が安く仕組みも簡単な便利商品は、
景気の良い時代には、生産者も供給者もこぞってそれを馬鹿にする。ところが実際は、高血圧・高コレステロールを安い薬で抑えることで心臓病での死亡率は激減した。初期の心臓病治療薬は激安商品(1日分数10円の全額負担)である。日本が開発した老化防止のコエンザイムQ10の酸化型と還元型のいずれも安価商品である。活性酸素を除去する水素(H2)気体そのものはさらに激安で入手でき、抗酸化サプリのような副作用は無い。数10ccの砂糖水を夕刻に飲むだけで、夕食の食欲が減退しダイエット効果は著しい。初期の糖尿病は、カロリーコントロールの長期忍耐作戦に比べ、数ヵ月間の糖分遮断作戦で短期に治る。心ある医師と医療機関は、傷病を予防する医療行為は民間医療保険会社も歓迎するようになった。例えば、高齢者予防医療に、室内段差の解消、毛足の長いカーペット排除、高齢者の足の爪きり、心疾患患者の体重を毎日把握などである。すなわち、問題が起きる前にそれを防ぐやり方だと、長い目で見ればとても医療費が安くつく。こういった考え方は、健康医療サービスにおける固有価値商品である。だから、資金・金銭的備えを縮小できるし、提供者も需要者も豊かさを招来できる。

患者や保護者への医学知識の普及も重要である。
アメリカのER(救急救命機関)の実際の調査によると、訴える症状の中で危険度の高いものは、息苦しさ、血栓、熱、感染症といったものである。とくに重要なのは息苦しさ、肩を使い全身で呼吸しているに言い換えれば極めて危険である。めまいで後ろに倒れる場合は脳梗塞か心疾患であるが、「つまずきもしないのに尻餅をついた」といって勘違いをする老人が多い。めまいとは起立性低血圧(貧血)がほとんどで、後に転倒する特徴のある脳梗塞や心疾患の発作はめまいが現象の症状ではない。めまいで倒れた場合、最低50秒以上は動かしてはいけない。脳出血する可能性があるからだ。にも関わらず体を起こそうとする無頓着な親切者が多い。吐き気の有無を調べることは、その知識が少し広まって来た。これに比べ、危険度の低いものは、「痛み、めまい、しびれ、精神科的症状」との結果である。医学的知識がないと、出血だけでパニックに陥り、静脈か動脈からの出血さえ分からない。急性期の初期段階の症状=息苦しさ、血栓、熱、感染症の症状(心疾患、高血圧、脳梗塞、細菌・ウイルス感染)についての知識と対処法を、患者や保護者に教育訓練することは、目の前の発作状況に対処できる。それだけで、うろたえ放置するよりも具体的に救命・安全と豊かさを実現することができるのである。狭心症による胸の痛みだけで死ぬことがない。

現段階での、心臓、血管、高血圧に関する、自己措置
筆者は、今から20数年前、心臓病で2年以内に死亡する難病と言われた。でもまだ生きている。その後に、病状改善薬が再発見され、一見元気のようにはなった。でもその初期症状の兆候は医学界では証明されていない。こういったこと自体も、厚生行政の関係で検討すらされていない。個人的範囲で知識のある医師も存在はするが、探し求めても宝くじ当選よりも難しい。
そこで、それをまとめた。
その当時の予防法、今も発作予防で通用するもの、それは次の通り。こんな細かい所まで、医師が研究していないし、多くの患者も無頓着だから学説に連なりにくい。4日前にも最新心臓治療の本を読んだが、あくまでも病院に運ばれてからの話ばかりである。現実は、病院に運ばれる前や搬送途中で死亡する患者が圧倒的に多いのである。ところが、予防することで大手術も長期入院も防げるし、なによりも家計も医療予算も経済効果は高い。なお、これらの自己措置は、何人もの医師とで研究をした成果である、念のため。

【1】まずは、発作が起きる前の冷静な時に、自分で出来ることをすること。
 イ)息苦しさや痛みが生じたときに、胸より上に苦しさや痛みに変化がなければ心臓を疑う。胸より上のほかにも、首、頭、歯、両腕を含めて、個人差の症状が出る。
 ロ)痛みよりも、息苦しさが危険である。狭心症の痛みは慣れてくるし、痛みのない人も女性に多い。痛いけど狭心症で直接死んでしまうことはない。が、そのまま何ヵ月もほっておけば心筋梗塞の症状も出る。
 ハ)今問題のPM2.5(噴霧状態の硫酸塩)も不整脈や心筋梗塞症状を起こす。
 ニ)心電図、ホルター心電図で発見されれば、中程度以上に心臓病は既に進展。
 ホ)息苦しさを感じれば、自分で、左手親指の付け根を右手でもむ。痛いと要注意である。同じく、左足の裏全体を、両手親指でもむ。痛いと要注意。右足関係なし。その自己措置でもって心臓に刺激を与え、心不全状態を緊急に脱出・緩和することである。

【2】間違ってはいけないのは運動療法である。
 イ)しんどいからと言って、気晴らしであるとか軽い運動するということはもってのほかである。
 ロ)健康にも関わらず毎日朝から晩まで寝て暮らしている人物は、運動不足により確かに心不全を起こすことはあり得る話である。ところが、健康となればだれもが起き上がって動き回っているのがいったいであるから、そのような非現実的な話をする医師たちは避ける必要がある。
 ハ)心不全状態が収まっているときに、徐々に徐々に、軽い~軽いことから行う必要があるのだ。例えば、歌が好きなら、鼻歌を歌う程度から始めるようにである。
 ニ)心不全の場合は睡眠中の無呼吸を併発している可能性も高く、呼吸器系統の治療(PM2.5による呼吸不全)その他も良く調査しながら、運動療法は行う必要がある。だから運動療法は、やたらにWebや本に執筆すべきことではない、それは、未だ患者は無知な人が多いからである。

【3】寒暖の差が、突然に危機に。
 イ)外出とか、トイレやお風呂場がよく言われるが、もちろん注意である。
 ロ)一番肝心で、もっと恐いのは、冷たい空気を吸い込むことである。心臓疾患になっていれば反射防衛が出来ず、マスクをするとかマフラーで防ぐといった程度では防げない。最低ホッカイロ(酸素が少ない)などで冷たい空気を吸わないようにする方がマシである。
 ハ)ことに、夏でも冬でも、体に風があたれば心不全も起こす。エアコン・扇風機それだけでも注意が必要であり、狭心症や心不全の症状が現れる。
 ニ)そのとき、風邪もひいていないのに、胸の奥から咳が出る。重度の場合は咳が出るだけでなく、薄い茶色のタンや唾が混じっていれば、血液逆流(心不全の特徴)の症状も現れる。
 ホ)循環器専門医でも、こういったことを予防チェック出来ない医師が大多数である、説明されて納得した顔をしているが。

【4】その予防には夏冬を問わず、首にはスカーフ、
 イ)手首、足首を冷やさないことである。
 ロ)異変を感じる前の、汗が出る程度が安全、足首はレッグウォーマー、寝るとき首にタオルを巻くなどである。
 ハ)最近のファッションで、夏でもスーツの上に夏用マフラーをしているのは、心臓疾患にとっては冷房の温度調節ができるから、非常に便利なのである。

【5】心臓が疲れてくると…
 イ)運動もしてないのに足のふくらはぎがはれて痛みを感じる。
 ロ)そこまでは循環器の医者なら誰でも知っているが、その前には手の甲がはれて、既に3本の筋が見えなくなっている。心臓だけでは全身の血流を全うできていないので、体がむくんでくるのである。
 ハ)この場合の応急措置は、なぜか理由が分からないが左足の太股を、ゆっくり強めにさするように、静脈の血液を太ももから心臓に向かって送り出す方法である。
 ニ)これは自分では出来ない、心不全状態はいつ起こるか分からないから、ひとりで寝るのは危険なのである。
 ホ)冬場はとくに、布団の中でも、足のふくらはぎが、夜中突然つってしまう。この場合、身動きが取れないし、声を出せるような状態でもなく、ほぼ気絶する。
 ヘ)心臓病は寝返りが出来ないから、フワフワした血流を阻害しないベッド・布団に寝て置くのは効果がある。
 ト)心不全状態を看護するには、「愛と倫理」によるしかない。

【6】心臓、血管、高血圧により食物の調理方法
 イ)ほとんど言われてないのが調理方法や食べやすさに関することである。だれもが嫌がるのは、おいしくもなければ食べにくい、だから続かないのである。
 ロ)心臓に疾患のある人は、体がいつもしんどい状態が関係しているせいなのか、意思や孤独に強い人が多い。でも、続かないのである。
 ハ)健康で食欲のある医療関係者が、ほとんど自分では食べないような食習慣指導をしても無意味である。典型的なのは心臓病の前段階のひとつである糖尿病の食事指導である。
 ニ)そこで具体的な話と、野菜は48度以上に加熱すると、心臓に効果のある酵素がなくなるとのこと。
 ホ)野菜はぶつ切りの方が食べやすい場合があるから、おいしさの工夫をしてみる。
 ヘ)少し値段が高い野菜は、多く食べなくとも繊維質や栄養が豊富であるから経済的である。
 ト)塩分の多い汁物は禁止である。それは喉が渇くから水を飲み、この血液量の増加によって心不全状態の心臓に、さらなる負担をかけるからである。もしも水分が欲しくなれば0.3%食塩水を飲むことによって、心臓には負担がかからず、直接細胞への吸収力を高める方法である。
 チ)コエンザイムQ10(還元型)は異常に効果がある。1日90mgを4日以上服用と言われて来たが、体重1kgに対して2mgの量が正解である。体重50kgの人であれば、数回に分けて100mg以上が必要である。この方法を4日以上服用しても効果の出ない人は心臓病の直接効果が弱い。ただし、お肌は絶対奇麗になります、細胞も元気になります、顔に塗っても無関係だから騙されないように。

【7】肉類の高タンパク質の部位は有効。
 イ)肉の脂身は禁止。焼肉の油は厳禁である。
 ロ)イカ・タコ・エビ・カニは表面を熱湯や油等で消毒する程度の生で食べること。それは、生の状態ならば、コレステロールを分解する酵素が生きているからである。
 ハ)卵の黄身、いくら・筋子などの卵は、必ず生だけを食べること、いっさい加熱は危険である。(煮付ける、焼くことは、コレステロールの塊の料理)
 ニ)テレビで良く宣伝しているところの、抗酸化サプリメントは体力低下を招く。その使用方法を医学的に知らなければ、症状悪化を招きかねないのである。
 ホ)また、活性酸素を除去したければ、目の前で水素を水に溶かして飲むことしか効果はない、それならば細胞・脳内(脳間で高酸化物を除去)にも水素が侵入して活性酸素を除去できる。水素水生成器とか水素水ボトルに効果のないのは、小学生の理科でも教えていることがらだ。
 ヘ)水素反応が初期のころは副作用が出る場合があるので、水素+活性酸素=H2O、の原理と、活性酸素が滞留している脳、眼球、首筋、肩などの痛みや鼻からの出血といった知識程度は学んで置く必要がある。
 ト)それが恐くて出来ない医師も少なくないから、日本の形骸化した医療政策には愕然とする。ちなみに、筆者にも副作用が出たが3日目で収まり毎日元気に水素水を作って呑んでいる。

【8】血糖値が上がり、糖尿病になれば、ほぼ確実心臓病に至る。
 イ)初期の段階で血糖値が上がれば、米・パン・ラーメン・スパゲティなど全面禁止すればよい。
 ロ)お腹がすくなら、赤身の肉、大量の野菜でお腹を膨らませる。
 ハ)昔から実験結果は出ているが、料理方法が難しいけれど、“こんにゃく”は余分なコレステロールを吸着させる効果もあるから、角切りにしてゆでた物を用意して置くと便利である。
 ニ)まんじゅう、ケーキ、砂糖菓子は、大量に糖分量が食べられないから、さほど気にしなくても差し支えない。
 ホ)ダイエットをしたい場合は、こういった砂糖の多い菓子類とお茶程度で、満腹感を味わって、夕食を食べなければ、直ちに成功する。
 ヘ)あまりにも糖分が不足する場合は、めまい症状を通り越して手が震えてくるから、そのときこそ米・パン・ラーメン・スパゲティを、いっぱい食べて満腹すればよいだけのことである。

【9】心臓病には様々な名称がつけられている
 イ)ところが、何故その心疾患に至るかの原因はほとんどわかっていない。ほとんどの病名は症状や形を示しているにすぎない。症状事態が同じでも、病名も変更されていることがある。原因解明からの治療ができるのは相当先のことである。
 ロ)ただ共通して言えるのは、心臓は頑張るからその時点は持続するが、ホッとした瞬間に発作・停止がおこるといった特質である。
 ハ)だから、「がんばろう!」と思ったら、すぐ横になって寝ること。道路であろうが、駅の階段であろうが、その場でうずくまって難を逃れることである。
 ニ)酒・ビール・ワインなど水分の多い酒類は心臓に負担が掛かるから禁止である。
 ホ)呑みたければ、アルコール50度以上の酒類をロック・ストレートで飲むこと。間違っても水割りに薄めることは禁止である。
 ヘ)喉が渇けば0.3%食塩水で水分補給すれば心臓に負担はない。
 ト)心臓にとっては、あくまで、リラックスするための効果を期待(ほとんどの場合交感神経の高ぶりを抑える)だけであり、純度100%のアルコールに換算して20ccまでは差し支えないとする学説がある。
 チ)ことに、高齢者のアルコール摂取は、アルコール分解酵素のない人(日本人の40%)でない限り、血流や思考活動抑制効果にとって良いとされている。

以上が、おそらく最先端の自宅・自己措置と考えられる。個別企業の職場には、こういったことで健康を回復する人が、かなり多く存在すると思われるが、現実はそういった人に限って医学的には無知であったり、体のしんどさから喫煙や清涼飲料水そして過度の飲酒(水分の多い酒・ビールがほとんど)に走る人たちがほとんどなのである。
あるいは、不健康な行いを自己抑制しなければならないと努力する努力家には、体がしんどいところに短気が重なり職場や家庭でトラブルを頻発している人も少なくない。
筆者の場合、職場での接客や同僚とのトラブルが発生した場合、最初に健康診断結果を診る。実際に治療してトラブル解消した事例は幾つもある。その場合は、個別企業の安全配慮義務を果たすとして医師への受診を業務命令として発する手法を使うのである。

2013/09/10

第137号

<コンテンツ>
オリンピック開催のニュース効果
開催するのは東京都である。
世界各地の人々への奉仕が好きな日本人
ここで個別企業は、180度ひるがえって、
オリンピック開催は7年後である。
ちなみに、今のデフレ経済が延々と続く原因は、
まして、福島原発で、手形を切ってしまった。
まぼろしを追いかけるような経済政策と、その夢に期待する人たち

「いじめ嫌がらせ」の定義で、その有効なポイント
  A.その定義とは
  B.それを証明するには
  C.いくつかの有効ポイント項目
  D.浮かび上がろうとする企業にとって、叡知を集める重要な柱
9月1日から、厚労省がブラック企業摘発

【特集】価値増殖につながる職業能力の人間発達の方向と育成見通し
  ☆1.日本の学問や学校教育が効果を果たしていない。
  ☆2.“努力した人(努力原理)が望ましい”への若者意識の変化
  ☆3.自信がある職業スキル、そして、自信がある生活スキル
  ☆4.年収六百万円以上の個人が持っている、特徴的スキル
  ☆5.若年層意識の表面的トレンド(流行)
  ☆6.ICT産業革命での職業能力向上:具体的建議
  ☆7.日陰にされて来た、3つの職業能力
  ☆8.職業能力は商品価値に、どのように現れるか
  ☆9.個別企業での「共感性→希望」形成が、成功法則


§オリンピック開催のニュース効果
7年後のオリンピックは、おそらく世界における日本の地位を変える。だが、個別企業にとってオリンピック開催は売上げ集金タイムtimeにすぎない。オリンピック開催までに、個人消費や世界に通用する商品での基盤固めをしなければならない。オリンピック開催を、まともに本気にビジネスとして組み立てるには、今から7年間の投資・準備期間の末、イチカバチカで、開催前後の集金に賭けるしかない。
加えて条件は借金が前提となる
ので、世間が夢見るような事業計画は、具体的になればなるほど考えられないことになる。むしろ、目の前の国内外の需要に応えて、人をケアcareするノウハウを蓄積しておき、開催の半年前までに臨機応変にビジネス変化させるほうが、確実に利益が確保できる。
巷でこれから論議となる観光産業
だが、世界の富裕層を先頭にオリンピック前後に来日する外国人観光客を、いかに日本各地の観光開発された地域に迎え入れる文化がキーポイントである。筆者の診るところ今、着想や論議はきわめて未熟であって、日本が稼げるような受入姿勢とは言い難い。例えば、中国人観光客は増えるだろうが、今現実に起こっていることは、中古マンションを中国人が買いあさり、ホテル代わりにしようとしている。これに対する対策を考えなければ、訪米各地(シニアハウス本家本元)の外国人にまで広がってしまう。
世界先進の20ヵ国経済動向
からすれば、受け入れ箱物を撃ったところで、オリンピック開催前後は、「閑古鳥」となることが十分予見できる。そこでまた、利回り資本(金融機関とは言ってない)の餌食にされる「浮かれ者」も続出するのである。


§開催するのは東京都である。
「浮かれ者」は、いつの世も目立つものだから、日本全体が祝福されたと勘違いしている人が多い。確かに同僚や仲間に、絶好のチャンスが回って来たことは祝福である。ところが、東京都行政機関、東京都民にしても、まして他府県の個別企業や個人にとっては、そのままチャンスになるわけがない。
本質は=東京オリンピックは、
商売受けの良い「口実にすぎない」といったことなのだ。実際その具体策が考えられなければ、関西でいうアホ(関東や標準語のバカに相当)である。このアホの意味には愛嬌や可愛さが含まれているから、商売相手のカモ・ネタといった内容を指している、すなわち個別企業が具体策を実施できるかどうかなのだ。
まず、人をケアcareする提供事業のイノベーション
が必要である。人のケアcare、はるかに高度なサービスなくして訪日外国人向け商品が売れない。その評判も、オリンピック開催前に、世界に定着させる必要がある。
(参照)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242

§世界各地の人々への奉仕が好きな日本人
の良いところかもしれないが、新幹線システム、水道システム、原子力発電運転?システムなど、これを売り込むのはオリンピックといったスポーツ指向とは関係ない。こういったプラントは、短くても十数年のスパンで建設→運転→保守維持点検のプロセスをたどり、これを日本人技能者が行った末は、必然的に日本企業も日本人技能者も、「お払い箱」になることに気付いてないのである。売り込んで稼働させた次に、売り込むものがないのだ。これも関西いうアホである。あまりにも世界経済に対する無知である。米英・西欧・北欧は何らかの制度的抑えをかけ、東欧の人のたちの文化は、東欧圏(国境線とは微妙に異なる)から外へは技術を出さないというスタンスである。


§ここで個別企業は、180度ひるがえって、
450年前の交易経済方式に学び、日本文化を前面に押し出して、固有価値商品を作って成長するしかない。固有価値商品には、内需&外需(輸出産品)の供給を区別するラインはもとより存在しない。日本の約800年もかけて培われた日本文化的発想は変更や修正しようもない。110年ほど、日本の官僚制度形成から今日まで、この間に日本の借金が増え続けたという反省がないのである。
例えば、日本でもイタリアでも、
分散した地元単位(藩や自治行政)の経済を、世界大戦(日露戦争を第零世界大戦という学説もある)の以前は、当たり前であった。韓国の評判を口にする人もいるが、日本の原発技術のカスタマイズする目標だけの、もとより短期目先収益に徹する目的、だから、自動車、半導体のように疲弊を繰り返す歴史なのだ。


§オリンピック開催は7年後である。
読者のあなたは、その時7歳も年老いている。
ところが、今から数年のオリンピック開催までが、日本や地方が沈没するかどうかの瀬戸際である。今の経済状況を、「五輪を起爆剤に(デフレを)払拭したい」などといった人物がいるらしいが、経済再生政策の無策が、ポロリと心境を漏らしてしまったのかもしれない。(官僚や公務員組織に手足をモガレて、実に哀れである)。
個別企業にとっては、
7年後は日本の社会経済の地位向上に役立てるか否かだ。だが重要なのは、たった今の、個別企業の繁栄なくして社会経済、生活・個人消費の基盤も考えられないことの方だ。


§ちなみに、今のデフレ経済が延々と続く原因は、
「個人消費(内需)の回復→世界に通用する商品(日本の文化水準に基づく固有価値イノベーション商品の欠落」…が原因であることは、社会通念になりつつある。また現実は、早くそれに気がつき、体制固めができた個別企業だけが救われる、この事実である。
こういった事実関係と経済法則性を嫌がるのは、唯一保身と地位確保のための、官僚たちと(お神酒・徳利)のマスコミ関係者だけである。官僚とマスコミに持ちあげられて、「御神輿」役を徹底すれば政権は安泰であるし、政権も取ることもできる。見方を変えれば、消費税、マイナンバー制、不良債権処理の貸しはがし等は、時代遅れの業態や個別企業を、官僚たちの生き残り対策の一環として、個別企業を清算する施策とも言えるのだ、ただし、生存権や基本的人権には踏み込めないことから、憲法問題も浮上しかかっているのだが…。


§まして、福島原発で、手形を切ってしまった。
政府は(結論)は、相当の政府予算を直に投入するしかない。すなわち、一般公共事業予算や復興予算がそちらに回るから、住民サービスや地元建設業には回らないということなのだ。
その理由を列挙してみるが、
世界最大の放射能汚染地域が関東・太平洋側東北地域である。汚染実態はチェルノブイリよりも格段に深刻である。青年に達する前の甲状腺癌が続出するのは予想されている。汚染物質流出を止めると首相宣言をしても実施はこれからだ。風評被害対策=無策というのが日本行政の定番で、汚染されていない黒潮に乗った魚類の販売網整備といった単純なことすら官僚にその気がない。ここまでの事態になっても、官僚たちは民間の力を頼ろうとしない、常に下請け扱いである。また、意見が違えば現役学者を排除するし、下野(げや)した人材(学者・官僚・経世家)など、官僚の保身にとってはもってのほかと考えている。
空手形を切れば、
オリンピック開催決定といえども、第1次世界大戦中のように中止もあり得るのだ。近年では、参加を拒否する国の続出といった事態もあった。環境問題に敏感な国・国家政策をとっていなければ、大幅予算投入&客観的合理的証明ができていなければ不参加となる事態も予想される。筆者もPM2.5で健康を害しているが、まして東京の放射能微量粒子を吸い込んで活性酸素が増加してしまえば、自身の仕事その他の責任が果たせなくなるのだ。(放射能粒子、重金属粒子の吸引は、循環器障害となり、初期症状は「息苦しさ」〈息苦しさとは救急救命の重要チェックポイントのひとつ〉ある)。


§まぼろしを追いかけるような経済政策と、その夢に期待する人たち
アベノミクスの第3の矢をめぐって、ブレーンといわれる人たちの、官僚への熾烈な経済政策売り込み合戦がたけなわである。あんなイノベーション、こんなイノベーションその他、イノベーションをめぐって、学者、元官僚、経済界ブレーンが売り込みをかけている。集まってくる?税収の使い道をめぐっての論文や単行本出版がたけなわである。8月末に集計された予算希望枠は99兆円を超えた。ところが、直近税収見込みである消費税は3兆円、マイナンバー制による税金かき集めは6兆円(筆者試算)なのである。
何とか官僚の政策に取り入ろうと
上昇思考と生活安定思考にどっちつかずの、「ほとんどのブレーン」は、なりふり構わずといった様相だ。むしろ彼らの使うイノベーションという用語は、ほとんどの官僚の頭脳が硬直していることから、金銭投資又は自然科学のみを想定する限定矮小化された意味にすぎないし、官僚の受け入れ範囲での思考だからアイディアも乏しい限りである。
そんなようなことを肌で感じ、
頼りのなさを見透かす日本人が多いことから、マスコミが報道しようが、政府のPR作戦であろうが、一向に日本人は乗り気になれないのだ。カラ元気を出している個別企業は、「腹に一物、背中に荷物」じゃないけれど、多額の借金でも抱えているから、そういう境遇にあるのであろうか?
ここに来て、オリンピック夢に期待する人たち、これも哀れである。


§「いじめ嫌がらせ」の定義で、その有効なポイント
A.その定義とは
「いかなる労働者も、その権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、又は職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為を受けてはならない」
である。
B.それを証明するには
「ハラスメントとは関係ない客観的な要素によって正当化される行為であったこと」
を求める手続きを進める方法だ。
C.いくつかの有効ポイント項目
この定義に基づく方法を実際にいくつかの業種で導入してみた。すると、有効なポイント項目が明確になったのである。
(1)「いじめ嫌がらせ」を、被害を受けた者の感覚を重視せずとも判断ができること
(2)こういった行為の奥に内在している、「いじめ嫌がらせ」の意思の有無が判断しやすいこと。
(3)「OJTその他で教育をする上で不可欠」といった錯誤や詭弁(罪逃れ)の封じ込めになること。
(4)使用者と同僚ともに、「いじめ嫌がらせ」の制御したかどうかを問うことになっていること。
(5)なによりも、防止をすることで、徹底した職業能力向上へのベクトルが働くこと。
……いじめ嫌がらせ問題は、
女性問題と同様に、労使対決の範囲ではない。したがって、有効な定義と客観的合理的な解明手続は、労使双方に受け入れられる。中には、刑法に定める犯罪行為と、こういったハラスメント(いじめ嫌がらせ)の区別が付かない加害者も存在する。例えば、わいせつ行為とセクハラ行為を同一内容と考えているケースである。
もともと、この定義の開発・制定はフランスの労働法典、刑法典、公務員規定を、厚生労働省シンクタンクが翻訳したものである(Business Laber Trend6/2013)。
「いじめ嫌がらせ」の対策といったものは、後退・衰退のライフサイクルにある企業では、さほど、こういった対策の使い道はなく、与えられて損害賠償を払いたくないといった目的に行われるにすぎない。
D.浮かび上がろうとする企業にとって、叡知を集める重要な柱
ところが、まだまだ日本の先が明るくない経済環境のもとで、競合他社のやっていない作戦で、切り開いて受注獲得を進めるには、個々人の職業能力の向上が不可欠のであるが、その社内土壌を個別事業内に形成する主要な対策なのである。声が大きいことや体力あるといった社員が職場を仕切る傾向にあれば、安定成長する堅実経営は望めず、そういった社員の損害額を周囲の者が負担しなければならなくなる。そこでの摩擦、すなわち業務改善・改革に向かおうとするときに、この、「いじめ嫌がらせ」が発生するのである。会社の金を食い潰して、楽に金銭収入を得ようとする管理職や労働者の間にあっては、実に、「いじめ嫌がらせ」の事件は発生しないのである。


§9月1日から、厚労省がブラック企業摘発
その特徴は、(調査し、経験から推定できること)
1.36協定、サービス残業、うつ病多発、パワハラ多発の監督署記録を柱に摘発。
2.件数は、とにかく4000事業所を摘発、都道府県割り当て、悪質DATAの程度差を問わず。
3.雇用人員増加、未払い賃金支払い、長時間労働の非集中化(即ち、財源のかからない個人消費増・内需拡大=厚労省官僚の労働経済政策でもある)。
4.主体は労働基準監督。4000摘発準備は8月中に概ね終わっており、最終確定の訪問も8月中におこなった模様。
5.全国一斉無料相談とは、労働者向けのみならず、事業所への配慮(改善・是正するなら今のうち、チャンスを与える)の意味も有る。
6.マスコミのニュースむけの会見は、「若者の使い捨て」を、キャッチコピーとしているが、これは度外視したほうが妥当(マスコミ対策)であり、本命は、経済対策や景気対策を優先する世論に対して、先手を打って労働基準法の徹底を促すことが狙いだ。
△▼厚生労働省▼△
若者の「使い捨て」が疑われる企業等への取組を強化
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=189997


【特集】価値増殖につながる職業能力の人間発達の方向と育成見通し
1.日本の学問や学校教育が効果を果たしていない。
職業能力あるいは生活能力に、現時点日本の学問や学校教育が効果を果たしていない。調査結果が厚生労働省のシンクタンク(労働政策研究研修機構)から提供されている。なお、効果を果たしていない原因は、教育ツール(理論と方式)の未熟さと、教員の個々の生徒に対応できる職業能力の未熟さにあると思われる。
このシンクタンクは2年前、「第6回勤労生活に関する調査」を行った。また、ほぼ同時期に重ねて厚生労働省能力開発局は、職業や生活のスキル・職業意識についての調査を行った。それによると、どのような人が社会的地位や経済的豊かさを得るのが望ましいかという分配の原理について、10年ほど前から意識変化が起こっている。なお、(労働政策研究機構:2013年7月号ビジネスデーバートレンドに掲載。ここでのスキルといった用語は、技能とも言えない曖昧概念と思われる)。※しかしながら、このシンクタンクは、ジョブ(job)型社員制度を提唱し、厚労省の政策理念展開をしているのか、この調査結果は、その裏付けでもない。

2.“努力した人(努力原理)が望ましい”への若者意識の変化
“実績をあげた人(実績原理)”から“努力した人(努力原理)が望ましい”への変化である。
ことに20代は2008年のリーマンショック後に努力原理の支持率が高まっている。また、目指すべき社会のあり方も、貧富差が少ない平等社会への支持は減り、意欲や能力に応じた自由競争社会の支持率が増えつつある。
ここでも2008年のリーマンショック以降20代男性の自由競争の意識変化が現われている。同じく、失業に対する恐怖感が高まり、「賃金やヤリガイ」は二の次とする傾向が強くなっている。

3.自信がある職業スキル、そして、自信がある生活スキル
一方、自信がある職業スキルは、「人の話を聞くこと」、「書類を読むこと」、「人と共同で作業すること」が上位である。
自信がある生活スキルになると、「人との約束を守る」、「社会人としての約束を守る」、「あいさつをする」となっている。
厚労省らは、何を考えているのか知らないが、こんなものは、スキルでもなんでもない。義務教育の範囲である。ひょっとすれば、職業や生活の基盤となる基礎力の水準が落ち込むとか、抜け落ち人物の多発を物語っているのかもしれない。

4.年収六百万円以上の個人が持っている、特徴的スキル
この生活スキルを個人の年収との関係で情報加工しているが、年収六百万円以上になると、急激に、「困難にあってもあきらめない」、「ビジネスマナーを理解している」、「自分の能力を正確に把握する」、「人と交渉する」といった項目の回答率が急上昇しているのである。
加えて、学校で学んだことや学生時代の習得が職業生活やキャリアには、役に立っていないとの明瞭な回答結果だ。

5.若年層意識の表面的トレンド(流行)
この調査結果から一概に断定することは極めて危険ではあるが、表面的トレンド(流行)としては、「職業能力を向上させるとか生活基盤を固める」といった意識が若年層になること極めて弱い、あるいは否定する意識が強い傾向にあると思われる。
もとより職業能力向上や生活基盤といったものは、
イ)心に目的(内心)をもち、
ロ)精神的に気持ちを維持し、
ハ)技能テクニックの腕(手仕事)が磨かれることにより、
ニ)この順序で以て、共同体関係の中で育成されるしかない。
それは歴史的・文化的事実であって、たとえ芸術性領域の仕事においても孤独と手練手管で成功した者は存在しないのだ。
とりわけ、規模の大小を問わず共同体関係における「共感」する作用(いわゆる、「心がこもる」など)は、経済や社会に根本的影響を与えている。それは、共鳴(指導者が鐘をたたくと鳴り響くといった概念)ではない。
論理構成(いわゆる理屈)や通貨金銭尺度(いわゆる拝金主義)は促進要件とブレーキ要件にはなるが、経済や社会の発展要件は共同体関係における「共感」のみである。もちろん、「職業能力を向上するとか生活基盤を固めること」への基本的な具体性動機となっている。確かに、二流の人材は、収入さえ手に入るのなら職業は選ばないし、家族の支えで初めて力が発揮できるのは事実であり、究極は(子育てを親にさせるなどの)女性労働者に近年増え続けている。
要するに、職業能力向上・生活基盤無しに、商品の価値増殖による、「共感」作用の無い所に、社会・経済の発展的活動は無い。好評な商品(固有価値商品)は、「意欲・感動・希望」の3つがセットになった「共感」がにじみ出るのであって、そういった商品価値が無ければ債務累積(借金返済不能)に走るのは自然の成り行きなのだ。

6.ICT産業革命での職業能力向上:具体的建議
公共教育機関も民間教育機関も、学校や資格制度における「起業教育」が、職業能力向上心の気持ち、いわゆる精神力を維持するには不可欠である。ことに、投下資本をもとにした机上経営計画においては分業を念頭においているから、個人に対する「起業教育」を排除する。むしろ、職業的自律を、個人のリスクや恐怖として「感動的・感情的」に認識させることに偏らざるを得ない。この偏りが原因して能力低下が発生し、能力低下の末の依存心を上昇をさせて来たことは間違いがない。それが江戸時代以来の日本での職業教育の事実である。それは、日本のみならず大手企業になるほどに、経営管理方針がリスク回避に大きく偏るとか、「生き残り」とか「存続」の概念のもとでの思索(いわゆる、「思い」など)へと集中されることとなった。もちろん、それは技術的職業能力の柱となっている「洞察・学術・法則性」といった能力を否定する、端的に言えば、生命維持意欲とリスクや恐怖の感動的・感情的回避でしかない。たとえば、コダック社は、自前の大学を持っていたにも関わらず、商品判断を誤り、かつ軌道修正も出来なかった。

7.日陰にされて来た、3つの職業能力
職人や社員等いかなる呼称を与えようが、今までの学校・企業教育においては、職業能力として全般的には次の3つが欠落している。
イ)技術を現場に落とし込む技能(多様性・一回生)、それを後進に理解させる技能
ロ)開発のプロセスを短期・効果的に進める技能、時間調整する技能
ハ)原材料、素材、基礎技術を組み合わせる技能、それを時間変化に柔軟対処する技能
これらは学術解明されると技術になる、解明されていないから、「属人的」と片づけられたり、教育プロセスからはずされて来た。
加えて、こういった職業能力を経営に落とし込むには、イ)~ハ)を一体的に扱わないとイノベーション効果が現われない。

8.職業能力は商品価値に、どのように現れるか
表面やプロセスの現象から見れば、この3つの職業能力の実績は、時として、従来の使用価値商品に新しく価値増殖(付加価値)されたように見える。それは、暗黙知、コンテクスト、キュレーションなどと呼ばれて来た。ところが、価値増殖したかに見えても価値は商品価格に転換出来なかった。むしろ、利回り目的資本が投下されていることが引き金となって、「小難しい論理すら紛らわしい」と短絡的になり、価格転換出来ていないこと自身が(借金や不良債権と言い換えられ)隠蔽されている。また、実態として商品付加価値論の範疇には、詐欺行為や事故隠し(化粧品や自動車など)を含むこととなり、利益の蓄積が出来ない実態である。
要するに、付加価値論といった意味不明な価値ではなく、価値増殖するには固有価値商品として共同体関係(ICTネットワークを含む)での「共感性→希望」の形成が不可欠なのである。この結論も、さまざまな発芽として紹介される優良商品やその事業に含まれる事実からである。しかしながら、発芽的な事実が学術的に解明されていないから、その多くは世間話に終わってしまっている。よって、次の課題は、組織的に広範囲に多様に、共同体関係(ICTネットワークを含む)での「共感性→希望」の形成が、あらゆる現場で成されるのかの一点に絞られる。
ただし、今日まで、その課題の解決策を、「公共=行政が担う」と主張する意見があるが、そういった判断は学問的ミスである。さらに、「啓蒙された優秀な購買者の存在」を、固有価値商品の需要尺度だとする主張も、事実に反し学問的ミスである。
今や、有名な某大手スーパーでも、そういった「学問的ミス」に気がつかずに、売れ行きが急落し経営が傾きつつある時代なのだ。

9.個別企業での「共感性→希望」形成が、成功法則
今述べた、組織的に広範囲に多様に展開・形成する実例は、世界的に現われ、そこには商品交換がサービス(服務)を伴うことが理論認識されている。それはテレビ等でも実例紹介されている。筆者も教育産業、保育産業、介護産業、住居産業その他で、実際手掛けている。繰り返すが、学術的な解明がないから、やはり発芽とか世間話の領域にすぎない。
そこで提起する。
(ア)誰でも、常に沢山を学びたいけれど、教えられるのは嫌いなのだ。
(イ)現場の毎日ミーティング、作業計画の事前発表
が作業現場では不可欠である。あくまで「共感性→希望」の形成が不可欠である。現実は、労働の最前線であるポジション=労働力切り売りの下請化や非正規労働では実施されていない。むしろ、素人は仕切りたがり、素人が仕切ると商品劣化させているのが実態だ。大手企業始め投資資本をもとにした投資型事業の没落原因のひとつがこれである。これを抜きに、「イノベーション」を競っても、結末はやはり借金や不良債権なのである。そんな結末の仕事に携わる者の生活も、借金や不良債権でしかない。
(ウ)職場や職場周辺の出来事分析を実施する。
これにより職業向上心の気持ち・精神力が養われる。学者、インテリ、理論家といえども職業能力向上の精神力は、既に現場と新事例に向き合っていなければ養えるものではない。とりわけ、人をケアcareするサービス事業にあっては、その刻々変化するサービス源泉を供給側全員が共有しなければならない。事業方針を説明され→それを理解し→商品に結びつけた(マニュアル方式)で持って、今日の個別企業経営が成り立つものではない。需要と供給の間には、提供と受容のサービスが欠かせなくなっている時代であり、これを円滑に進めるには出来事分析の繰り返し(場合によっては蒸し返し)によらなければ、商品交換(販売現象)の成り立たない時代なのだ。精密さを競ってカスタマイズする時代は、遠い昔のことである。
(エ)ユーモア(冗談は厳禁)を啓発・活発化させる
ことにより共感作用(心をこめて)が展開・形成する。冗談は物事の核心をずらせてしまう。ユーモアは、内心(良心と思想)に関わる表現である。需要と供給の間には、「共感性→希望」の形成が不可欠であるから、職業の現場では、「その眼差しと仕草」が可決なのである。(注意:縦型組織であるコンビネーションと、横型ネットワークのアソシエーションでは方法が異なる)。
(オ)本人分析による職業能力の絶対評価表
の実施とか、同僚や受益者からの信頼を明確にする作業、この地道な作業は個人や組織に蓄積される、とりわけ高度な職業能力向上に欠かせない。そういった労働意欲の根源は、名誉、権力、物欲を充足させることではない。又、そのための金銭欲でもない。やはり「共感性→希望」の形成なのであり、有能な人物ほど仕事にユーモアと笑顔が生まれるのである。
(参照)創造性(芸術性)の育成と鍛錬のポイント
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246
この(ア)~(オ)の順序を維持しての実施が原則である。通常、組織が劣化すると順序正反対のモーメントによる支配が横行する。すなわち上位下達に力はいるのだが、実態はそれすらが頓挫する。だが、どれかひとつを職場の共感と共に部分実施することさえ忘れなければ、一過性変化は現れるのも事実だ。

2013/08/06

第136号

<コンテンツ>
マーケティングじゃなく、顧客の希望先取り商品が決めて
   =「固有価値商品」と言われるものは、「意欲・感動・希望」
   =世間話ではなく経済や経営の学問的裏付ける視点
   =大手企業の選択肢は、自業自得なのだ。
アベノミクス、仕切っているのは、やっぱり霞が関財務党
あなたと、そして同時に日本経済を復活させるには
目先の利益が不可欠、プラス、「自らの日本文化圏と事業経済圏」を、
    【とりわけ重要な視点は】
    【よって、個別企業においては】

人をケアcareする仕事の、採算割れ&労働者の定着しない理由
 【介護や保育の事業場での具体的改革の方法】
  1.職場共同体内で交わされる対話
  2.事業場内での出来事の分析
  3.ユーモアの奨励
  4.作業指導及びスタッフの増員
  5.労働意欲に影響すること
  6.女性労働は、現状不可欠な存在

=研究事例=親族介護者に賃金を自治体が支給(フィンランド)


§マーケティングじゃなく、顧客の希望先取り商品が決めて
これを提供する企業は、この5年から10年は続くとされる経済成長低下の中でも、いわゆる豊かさと成長の確保が出来る。その根本的理由は顧客の望むもの、とりわけ顧客の希望を考える姿勢を保ちながら経営をするからである。それは、現代風に変質した「マーケティング」ではない。すなわち、顧客のニーズとか、顧客の購買意欲とか、顧客の感動を呼び込むといったようなものとは次元が違う。現に、いくつもの中堅・中小企業では実行され、それなりの堅実経営が行われている。しかしながら、大手企業や惰性で動いている企業では、口を開けば「マーケティング」などと称して、時代の根本的変化に対応しようとしていない。その顕著な現われが、先ほど述べたような顧客ニーズ、購買意欲、顧客感動といった言葉を使用することで、ごまかしを温存している実態なのである。

「固有価値商品」と言われるものは、「意欲・感動・希望」
この三つがそろってこそ、特に「希望」とセットになってこそ成り立つ。売れない商品、息の短い商品、コマーシャルだけで売れていない商品というものは、概ねマーケティングに力を入れ、肝心の「希望」といった視点が欠落しているものばかりである。ただ、現代風に変質したマーケティングというものは、少なからず捏造データの集まりであるから、それを見抜けなければ経営陣の一員としては元も子もない。事実、拝金主義的マーケティング業者の経営のコツは、発注担当者の上司の喜ぶ資料を捏造することにあるからで、これはマーケティング業界の通念である。読者の中には、そこまでマーケティングを全面否定しなくともとの論戦もあるだろうが、捏造に目をつむったとしても所詮は、今まで拾いきれなかったところの顧客を探すにすぎず、顧客から寄って来る(固有価値商品の特徴である顧客との連携こと)はあり得ないのである。予算達成とか上司の顔色ばかりで仕事をするサラリーマンには、「顧客から寄って来る商品」は考えられない着想なのである。着想がないならば、例えば、客単価データとして、伝票ごとに満足度、男女人数、来店時間帯、支払者の年齢層を書き込みためておく、このデータを満足度とリピート回数をキー項目にしてICT処理すれば、変化の兆しを観るポイントが判明し、だから季節ごとに変わる客層の変化の予想が可能となり、固定客の確保・増加&時流・風流客の確保にも役立つ方法もある。だが実際は、着想がない=何も対策を考えないのか現場における現実である。ところが、それだけのことで、時代の変化や波に乗った経営をすることは出来ないのである。こういった方針概要は、どの業種・職種でも言えることであるが、肝心なのは顧客の方から寄って来ていただくには、何を言っても「インタビューと顧客の気持ちを見つける」ことが大切なのである。昔流のたとえでいえば、昔、西武百貨店の外商員だけが、土日を休日にしたことで、外商の売り上げを図った時期があった。大手中小を問わず、その多くは、「老化した人の努力は過去を呼び戻す」の類である、だからそこにチャンスもある。

世間話ではなく経済や経営の学問的裏付ける視点
から説明すれば、顧客ニーズ、購買意欲、顧客感動といったテーマは、使用価値商品そのものの範疇に属するのである。いかように情熱を込めて語りかけたとしても消費者には足下と思惑が見えてしまうのであり、買った後で消費者には空しさが残る。空しさが残ればリピート消費者が発生するわけはない。大手企業をはじめ借金を積み重ねて資本回転させている企業ならば、金融機関(事実上の株主)から投資と利回り成績を監視される立場にあるから、金融機関に対する机上論理を繰り返して使用価値商品を作らざるを得ない(いわゆる経営計画)のである。若しくは、偏った経済理論だけ学んだので使用価値商品しか知らない者もいる。その使用価値商品の最たるものが、箱物公共事業である。いくら飾りたて、いくら異議を説いても、「虚しさ」が存在しているのは、ここに原因がある。たとえ画一的社会保障制度において、それに携わる公務員が現場の実状に合わせて利用者の「希望」を組み入れようと努力したところで限界があるのも然りである。だから、公立の教員は真面目がゆえに時間が無くなり、慢性疲労に陥り、思考停止になり悪循環を引き起こすのが例である。まして外郭団体や民営外注(アウトソーシングとは異質)にしてしまえば、分業の美名を掲げて労働をパートPart化するだけで、利用者の「希望」に対応する人員配置をすることはない、それをすれば出血サービスになるからだ。

大手企業の選択肢は、自業自得なのだ。
それは大手企業が現在広範囲に保持している、凡そ陳腐化した技術・技能を、人材とともに、残るは海外に持って行こうとする選択肢しかないのである。ないしは、イノベーションと称して、その実、あわよくば大手多国籍外資企業に「技術」を売ろうというものである。したがって、そのグローバル人材の育成というのは、筋肉や脳味噌の肉体労働範囲の何物でもない。前号のメルマガでも述べたように、ICT機械化の遅れている国々へ進出・人材を派遣すれば、しばらくの間は商売が成り立つであろうといった苦肉の策、明日は考えないのである。すなわち、新しい時代に向けて、
一、構想力(例えば、仕事の段取りや効率化を進めるICT活用能力)
二、創造力(例えば、それまでに存在しなかった希望を提供する商品発明力)
といった能力の育成方針は、大手企業には見当たらない。もっとも所詮は、そういった能力のない人に研究が任され、そういった能力のない人の行う研究内容でなければ、大手企業の中では採用される余地がない状態であることも確かではあるが。
それどころか世界経済はにあっては、「企業はサービスの提供によって競争する時代であり、これらは単一のサービスや製品によって競争のスタートラインには立てない」なのである。この現実を無視して、大手企業をはじめ多くの企業は、サービス提供業務自体を下請けや外注に回しているのだ。先ほど述べたように、分業の美名を掲げて労働の一部を労働力としてパートPart化された部分だけ活用しているのである。もちろんこれは、本来的なアウトソーシングとは無縁でもある。


§アベノミクス、仕切っているのは、やっぱり霞が関財務党
夏真っ盛りに入り、主な業界団体は関係省庁に対して、「本省詣で」の真っ盛りである。集めた税金を、業界や個々大手企業に回してもらえるよう「根回し」をするのが6月から8月中旬(今年は選挙のために遅れた)まで、9月になれば本省官僚たちはヒアリングと称して予算方針大枠の「地ならし」を行ない、後は年末に向けて邁進、その後に族議員たちの調整のために「復活折衝」といった具合なのである。
ところが今年は世界的経済危機その他のために、順調よく事が進まないのである。
霞が関財務党の言いなりになる政権が安定?したものだから、すなわち、何のかんの言っても、議員も業界団体も政府にすり寄って来るだろうと足元を見透かされているわけだから、選挙期間終盤から、霞が関財務党は、各党選挙公約を実態として反古にしつつあった。某内閣官房参与は(7月19日午前:経団連フォーラム講演)消費税再検討をいち早く主張し、その理由として潜在的GDP成長率は1~2%であって、今1月~3月期の4.1%は瞬間風速とアベノミクスに反論をし始めた。加えて潜在成長率を上回るインフレ目標達成(第一の矢)は、インフレ税(大衆課税)の形を取る増税そのものだと批判する。さらに、財政出動(第二の矢)は景気回復に役立たないと言い切る。成長戦略(第三の矢)についても政府がいちいち口出しをするなと指摘し、規制改革(ほぼ官僚権限内)を進めるべきと、はっきり「政府の関与を少なくして行くこと」を言い切っているのである。この某内閣官房参与はここまでアベノミクスに踏み込み・批判をしても、総理大臣に首にはされていない。所詮、総理大臣が操り人形であることは否めない。労働問題に掛かる、重要な予断をこの内閣官房参与は述べている、「日本の能力ある女性がさらに労働市場に参入することが重要である」と。
そうこうしているうちに、先日は官房長官が失業率の低下や有効求人倍率の上昇を、得意げに発表する始末であるが、その数字上昇の背景は非正規職員への切り替えによる、労働の一部を労働力としてパートPart化している結果なのである。本人はアメリカ経済指標のトレンドを利用して「雇用情勢」の好転とでも言いたいのであろうが。今日、製造業の設備投資が回復していないことが発表もされた。


§あなたと、そして同時に日本経済を復活させるには
この7月は、筆者にとって、この上なく落胆・呆れた月であった。もとより政治・選挙というものは嫌いである。今回は特に、一応は知っておかなければと思って静観していたけれど、総ての政党が、「国民からの税金の集金方法」並びに、「集めた税金と借金の使い道(取らぬ狸の皮算用)」に終始していた。日本の経済を豊かにするとか成長させるといった具体策は何もない、若しくは言い訳程度の話でしかなかった。自民・共産・みんな、この三党は官僚や公務員に足がかりをもっているのだが、総ての政党が現在の官僚機構に頼ろうとする政策ばかりであった。日本経済の復活、日本文化を活かした世界進出といった、「国民が希望をもって明日から生きよう」といった政策は、一通り流し読みをしたが、その気配すら見当たらなかった。
世界をおしなべて、先進国若しくはその仲間入りをしそうな国においては、いざというときに、いわゆる職業官僚には頼らない。かの社会主義国の各国はスターリンなどによって官僚主義がはびこることにはなったものの、国内の圧力団体(1980年当時は各国共産党やその青年団体(日本は民青)その他)によって官僚政権はつぶされてしまった。あまり目立ちはしないが、いわゆる西側諸国でも同様の動きが生まれており、EU統合はその典型的な事例である。「官僚使いこなす」と評論する輩も多いが、官僚用語すら理解出来ずに何をかいわんや!である。
=結論=
自ら自身そして日本復活を志す人々が、「自らの日本文化圏と事業経済圏」を、自らで造り上げることがキーポイントになりつつある。なりつつあるというのは、未熟さのゆえに失敗の招来も多いということである。例えばヨーロッパでは、戦前からEU統合の構想が盛んであったが、同時に西ヨーロッパ各地では地域ごとに経済圏を形成し、その要として地域通貨も発行、インフレや重税の経済政策に対抗して豊かさを築いていった。日本で議論されている「道州制」とは中身は違った。ドイツではヒットラーがこれを弾圧した。フランスではヒットラーの傀儡政権であるビシー政府がドイツ軍の手を借りて弾圧した。イタリアではローマカトリックがムッソリーニを祭り上げ弾圧を図ろうとしたが、各地の地域政府(もとよりイタリアは統一国家ではなかった)はドイツに対するレジスタンスを行ない現在に至る地域基盤の豊かさ追及経済を形づくっている。だから、それぞれEU危機とは関係なく、それなりに国民は豊かな生活を送っているのである。
日本の場合は残念ながら、明治維新直後に地租改正や学校教育に対する暴動が全国頻発したが、日本独特の官僚システムに押さえられてしまった。戦後においても、単なる反発や批判勢力といった行動は、日本独自の官僚システムにあっては、その「型」を吸収し、都合の良い道具に仕上げることに長けている。地域経済再開発や地域街づくりの多くが、日本官僚システムの誘惑でもって変質し、地場産業そのものが衰退をたどっている事例が少なくないのも否めない。だが、官僚以上に意思と知恵が強い個別企業や地域は、結構豊かに暮らしているのも事実である。
多くの人たちが起業をする、だが、職業資格教育とともに起業のための教育を受けたわけでもないから失敗の確率が極めて高い。自らの手持ち資金がなくなるから、NPO団体を造ることを考えて、これまた否応なく日本官僚システムの誘惑に取り組まざるを得なくなるのだ。官僚も解っていて起業教育をさせない。
とは言っても官僚の政策によって、日本は太平洋方面工業地帯若しくは大都市では経済成長といった概念であるならば確かに発展してきた。日本の社会保障制度も某野党や某労働組合ブレーンの意見を官僚が取り入れ、現在の「型」を作り上げた。ところが結果は形骸化し、地方、過疎地、高齢者、女性、子供たちについては豊かさは下り坂の一方であったし、その豊かさが金銭に転換されて、官僚による「株式会社日本」といった経済成長の資金に使われたことは否めないのである。ところが、この十数年の日本官僚による拝金主義と利回り優先資本(これをアメリカひいきの従属官僚という人もいる)によって、日本経済は世界から見向きもされなくなった。まだまだ転落しつつある。日本経済に掛かる事の本質と大局から見れば、これが妥当な考えであることは否めない。


§目先の利益が不可欠、プラス、「自らの日本文化圏と事業経済圏」を、
これを自らで造り上げることが重要な時期にきた。消費税の動きが微妙だが、今の通貨供給を増やした政策は、インフレによる大衆課税を招いてしまった。それは、現状をおしなべてみると、1人当たり20%割程度の増税換算(ただし偏って現れるから、低所得者層には無縁)である。2016年から施行されるマイナンバー制による増税は、筆者の概算では6兆円の収益(高校生や主婦のパートからも所得税と社会保険料を徴収)となる。近ごろは少子化対策も政府は言わなくなった、それは人口を減らす方針に転換したからだ。高齢者・子育て両親を問わず無知・弱虫から切り捨て(短命政策)の段階に入っているのは明白なのだ。加えて、その切り捨て対象となっている個別企業や個人には、目先の細かい利益を追求しないといった特徴をはらんでいるのである。
それでも生きるとは何か、そのための対策は、目先の売り上げ向上も含めて次のURLを推奨する。
=人間重視:固有価値商品の提供と事業運営=
http://netclerk.net/WebShomotsu/

【とりわけ重要な視点は】
その長い短いとの労働時間を問わず、「労働力」の仕入れを避けることである。すなわち、より有能な「労働」を仕入れ(職業能力評価表)、その人物の労働価値を常に増殖させ、それを売上げ、生産性、労働意欲、効率の経営四要素に結びつけることである。「労働力」とは、たしかに経済活動・生活を分業するからこそ豊かさと発展は築いた。ところが、「労働力」を利用するということは分業ではなく部分(パーツ)労働なのである。したがって、消費者・顧客の求める商品を追及する目的だから、ものづくり・活用普及・人のケアcareといった何れの作業工程においても、「労働力」という部分(Part)労働では価値の実現や増殖が出来る道理がないのである。すなわち、道理がなければ誠意をもって働く人は皆無であるから、作業完結するわけがない。(海外の優良企業の例を見ても)「労働」による事業構成メンバーのチームワークが不可欠な時代になっているわけだ。よって、部分(パーツ)労働を寄せ集めたコンビネーションでは売れないどころか投資効率が極端に悪くなるのも自然である。(当然のこととして金融機関が融資出来るわけがない)。

【よって、個別企業においては】
本来の分業を事業構成メンバーの「労働」をアソシエーションAssociationとして組むことが決め手なのだ。上位から下へ達する形がコンビ(Combination)であるが、この労働組織で提供出来る品物は海外生産の分業物程度なので現在日本では売り物にはならないのだ。あなたの会社の固有価値、働いているあなた自身の固有価値として価値増殖すれば採算は安定する。これがアソシエイツ(Associate)すなわち、チーム連携結合なのである。コンビネーション労働組織におけるアイディアと批判の時代は過ぎた。combination労働組織が崩壊したのなら、association労働組織を設置整備することが個別企業再生の時代であるということだ。
「自らの日本文化圏と事業経済圏づくり」を合言葉に、ICT産業革命を活用することで、その豊かさと成長を相互享受する関係を造ることである。
そのためには、日本文化とは物品・物質のイメージではなく、日本人の持つ能力を発揮して創造性と芸術性の息吹を吹き込むことなのである。そういった方向でのICT機器を活用したICT産業革命の担い手(それはあなた)によって、産業や職種の具体的企画・研究と実行・成功事例を集積・アソシエイツ(Associate)しながら、個別企業を成長させることが出来るのである。(例えば今回、介護・保育産業の企画研究を本メルマガ掲載)。


§人をケアcareする仕事の、採算割れ&労働者の定着しない理由
イ)保育所を増設しても、保育士が集まらない、保育士が数年のうちに退職し資格があっても復職しない、保育所の経営は総じて四苦八苦である。介護においても、就職難を背景に介護士は増加傾向にはあるが、きわめて離職が激しく、社会保障予算を注ぎ込んでも好転する見通しが立っていない。すなわち、労働力投入量に対して、成果や実績が上がっていない、若しくは成果や実績を評価されない職業が、介護・保育の仕事である。労働力投入量に対して、成果や実績が上がらないから賃金も低くなる、これが経済学原理だ。おそらく、職業教育についても同様のことが言えるだろうと推察しているし、介護も保育も起業基礎教育をしないから産業水準劣化が生じていると思われるが、この当たりは現在研究中である。

ロ)とりわけ、介護・保育といった仕事を、使用価値商品として無理矢理決めつけ、予算組みを行い机上計画の実行でもって金銭補助を行うものだから、実際現場では様々な不具合が、あえて生まれる。必要不可欠な業務が制限されるとか、労働者の賃金に反映されないとか、机上計画組織の運営経費に資金と労働が流用されるといった不採算を引き起こしていることは否めない事実である。こういった方法を鵜呑みにして、使用価値商品として現実離れした机上計画に固執する民間経営施設も同様の事態を引き起こしている。したがって、現状での民営化をしたところで問題の解決には全くならないばかりか、採算割れした部分を、肝心のケアする側の労働者の賃金カットで補えというのが、現在の潮流であるから、事態はいっそう悪循環を起こすことになる。

ハ)厚生労働省の官僚たちには、こういった悪循環事実をアピールし、予算を獲得して事業規模を拡大、同時に厚生官僚の予算と権限拡大に邁進するばかりと言わざるを得ない。マスコミも厚生官僚の報道機関への悪循環発表を鵜呑みにしているようで、不採算や予算増の必要性アピールに終始している始末である。確かに、現場の問題点を厚生労働省の事業政策に反映させる統治能力を持った団体が存在しないから、現場における改善策は手薄にならざるを得ない。介護や保育の労働者を組織する労働組合は、職業能力に関する論理展開がきわめて弱く、抽象論や信仰論に近い。事業者はそれなりに団体が組織されているが、助成金をもらう立場であるから抜本的意見を述べるわけにいかず、時の政権に尻尾を振らざるを得ない。

ニ)根本的な原因は、先ほども述べたような「予算組みを行い机上計画の実行」にある。そのために、介護や保育に従事する労働者が使用価値商品として扱われ、実態把握を無視して厚生労働省規制をかけていると言わざるを得ないのだ。規制緩和(改革)といっても、使用価値商品の典型である箱物に厚生労働省はかかわるだけである。

ホ)こういった事は、「人をケアcareする固有価値商品の考え方」と比較対照すれば一目瞭然に解明できることなのだ。
(参照)「人をケアcareする」サービスのイノベーション
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
その固有価値商品の理論とは次のものである。それは現場実態を重視する理論である。悪循環事実を並べ立てる、あるいは目先対処ではない。
(参照)固有価値商品
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/11

ヘ)では、介護や保育の現場で、最も重要なものについて改善・改革を考えてみる。それは、労働方法(価値増殖)と、労働者確保(定着&復職)に尽きる。厚生労働省のように、これらを「労働力」(マルクス:使用価値論)で規制するのではなく、「労働」の固有価値商品として価値増殖する概念でとらえれば、解決策が鮮明に見いだされる。今から紹介する方法例は、既に介護や保育の現場で成功している事例であり、福祉先進国が近年の経済危機の中を乗り越えて来た事例でもある。

ト)非言語的な意思疎通が大きく幅を持っている介護や保育の現場であるから、表情の表出や解釈については、おおむね一貫一致しているから、すぐさま活用できる方法である。おおむねというのは、心理学での研究が済まされているのだが、「どのような感情をいつどれだけ他者に示すなど感情を表出するルールが文化的に異なっている」といった話だとの意味である。したがって、日本と外国の差異を持ち出しての抽象論ではなく、国内・行政区内での地域間格差・地域コミュニティーへの配慮が、むしろ極めて重要ということなのだ。

【介護や保育の事業場での具体的改革の方法】
1.職場共同体内で交わされる対話
……毎日のミーティングで、事業場の「人をケアcareする」計画を立てることである。計画が原則的であれば柔軟性は高い。ここに予算組み&実行といった机上計画との差異が生まれる。不要な仕事や無駄な作業を排除する方向に動く。多くの事業場は、施設としての責任と実行を、労働者個人の資質や職業能力に転嫁するものだから混乱を招来する。そのために、未熟練労働者に精神的圧迫が加わる(事故対応、保護者との摩擦など、そして退職)とか、作業の未熟さによる体力消耗(慢性疲労、腰痛等慢性疾患、作業の時間外処理など、そして復職拒否)とか、これにまつわる欠員補充や人員配置の悪循環招来を、益々激しくさせているのだ。日本では、保育士の仕事を離れた人は、85万人も存在すると言われ、その現場への復帰率は1%程度と言われる。だが、こういった難題は、北欧のみならずイギリスなどでも解決をしてきたし、もちろん財政課題もクリアしている、
と言うよりも本質は財源問題ではなかったのだ。(官僚は財源問題にしたがる)。

2.事業場内での出来事の分析
……これは、「人をケアcareする」職業能力での、先ほど述べた「感情を表出するルール」の地域内研究・年齢層研究・作業充実のための基礎情報と資料共有である。現業部門であるから、この出来事分析を行うことで労働者が具体的に学習して、職業能力として整理し、他の労働者の経験や過去の経験を、現在の労働者の職業能力に上積みすることである。固有価値商品としての労働は、その出来事分析によって労働の価値増殖をする。半面、厚生労働省などが主張する「労働力」(使用価値商品)であれば、熟練・未熟練に関係なく労働時間の長さで判断しようとするのである。現場と財政が乖離(かいり)するのは当然のことである。したがって、熟練労働者の賃金を引き上げる事業費用の配分が出来ない中、意味も考えずに賃金問題を考えるから益々困惑・破たんせざるを得ない。介護・保育に係る労働は、工場生産又は出張建築作業ではないのだから、労働者が熟練を積むことで長期間にわたって労働を提供できる環境整備の一環として、出来事分析をとらえ、好循環を形成する必要があるのだ。そして、労働条件の向上は、あくまで職業能力向上と結びついている道筋なのである。また、現状の社会保障制度としての助成金を受け取っている場合は、ヨーロッパのように介護・保育に係る労働者は政府に対してのみ賃金引き上げ要求を行うべき(労組も現実対応して改めるべき)なのだ。こういった事を施設の使用者は未熟練労働者に、はっきりと説明・解説すれば理解されるのに、お茶を濁したり、食事会や慰安旅行で慰めようとするから、労働者に疑われたり不満が蓄積されたりするのである。

3.ユーモアの奨励
……ユーモアは事の本質を突いて事実を分析することから生まれる。その場での対処作業の工夫や問題把握につながる。反対に、冗談は事の本質に関連していても見当違いを表現してしまうから禁止すべきなのである。このことで、介護や保育の作業改善と職業能力向上のチャンスを増加させるのである。アイディアとか新作業方法といった発展は、ユーモアあふれる明るい職場環境であるからこそ生まれている、これは「人をケアcareする」職業以外でも同様である。ケアを受ける人たちの需要(感覚も含め)が、労働環境・生活環境・住宅環境によって今後も変遷していくことからすれば、アイディアとか新作業方法の日常開発は不可欠なのだ。刑務所のような介護施設とか孤児院感覚の保育所は、未だ現存するが、定員割れであるとかトラブル頻発を発生させている。それは、昔ながらというよりもカルト的宗教観が影響してユーモアを悪と見なしている施設に多い。

4.作業指導及びスタッフの増員
……介護や保育においては、とにかく労働者の職業能力向上が施設経営安定のカギである。ところが、未熟練労働者が圧倒的に多い実状からすると、半年程度は計画的な目的的な作業指導が必要である。その作業指導で余裕を作って、その上で労働者の安定的出勤とか年次有給休暇消化、ミーティングや出来事分析の所定時間内実施を進めることである。好循環はこのようにしてもたらされる。

5.労働意欲に影響すること
……あくまでも労働意欲は結果論なのだ。職業能力の評価を受けること、及び保護者・親族・同僚から信頼して仕事を任せてもらうことが、労働意欲に影響する。役職に就けて労働意欲が向上する人物は「人をケアcareする」職業には不適切である。「子供好き」は、よく確かめておかないと猥褻行為常習者(事件は物語る)であることが多い。カルト的宗教観は労働意欲旺盛と勘違いされやすいが、猥褻と暴行と隠蔽を含む可能性が高い。
よって、有能な人物は必要であるから、採用時点から絶対評価の職業能力評価表(次のURL参照)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254
でもって、介護や保育の労働者の職業能力(とくに教育の結果が出るか否か)を把握する必要がある。あえて看護士や心理カウンセラーを採用する必要はなく、介護とか保育の専門性を(職業分野は全く違うから)職業能力として身に付けさせることが重要なのである。採用段階にはさほど問題にはならないが、職業能力が向上しない場合、その多くの労働者は退職するか後輩に対する「いじめ嫌がらせ」に走ることとなる。それは、自分よりも有能な人物が、自分の在職にとって代わることへの不安から、自分の子分に後輩を閉じ込めようとする仕事確保の利己心からである。彼女彼らは、人の批判をすることで自分の存在をアピールして賃金・仕事確保を目論むから、職業能力評価や仕事信頼度合いなどの事実には関係がない存在だ。こういった彼女彼らを施設の使用者は、生み出せないように前述した4項目を実施するのが理想である。が、現実は理想通りではないから、したがって、他人と能力を比較する(相対評価)のではなく、先ほど例示したような絶対評価の職業能力表が必要なのである。加えて、就業規則上の解雇理由を裏付ける、協調性・規律性のチェックリスト(次のURL参照)が不可欠なのである。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/265
「いじめ嫌がらせ」の定義は、
「いかなる労働者も、その権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、または職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為を受けてはならない」であり、経営側に対して、「ハラスメントとは関係ない客観的な要素によって正当化される行為であったこと」の証明義務なのである。

6.女性労働は、現状不可欠な存在
……中高年女性の場合も、短大卒・大卒は比較的多く、リーダーシップの素質もあることから、教育訓練を施すことで現状から一歩でも高い水準で仕事を任せられる人材を確保することは重要である。とりわけ介護事業にあっては、ケアを受ける人たちとの年齢差があれば、日本人特有の、「一瞬の感情表出(一瞬本音が出て後に微笑む習慣)」が見分けられないので、中高年女性の人生経験熟練が必要となるのである。また、女性の多くは金銭以外の労働意欲(女性は作業内外の人物からの評価を重要視する特徴がある)を重視して、女性労働者の働きがいや生きがいを(35歳前後で採用・継続雇用し)65歳程度まで確保するための創意工夫といったものが重要となってくる。
重要であるから、別の角度からのポイントを、念のため整理すると、
イ)仕事そのものが楽しいこと(共同体意識とかやりがいある仕事意識)
ロ)仕事の達成感があること(自己計画性と自己コントロール)
ハ)プライベートが充実していること……の3つである。

これらは、「労働力」の予算配分における、補助や「ガス抜き」といった官僚的目的で行えば裏目に出る。常日頃マスコミの報道する、小中学校の義務教育現場の現状を思い起こせば、裏目に出る行為の結末も予見できる。
今月のメルマガで後に紹介する、フィンランドの親族介護の事例は、あなたにとって、大いに発想の転換を促す。介護や保育の職業未熟状態や職業能力向上過程で、従事する労働者が、それを負担と誤解と受け入れる場合を考える、とうつ病などの精神疾患も予見しなければならない。このような精神疾患に関しては、イギリスの介護現場では、介護労働者が自ら担当範囲の介護計画(自己計画性と自己コントロール)を作成し、ケアマネージャーは援助を求められたときだけ、従事する労働者にアドバイスするといった形式に切り替えたことで、(労働密度は高くなったが)おおむね解消されたとの報告がなされている。採用する場合は職業柄、根っから明るい人物を採用することに越したことはないが、厚生労働省が机上計画で発案した労働力使用価値論では、人間は疎外され精神疾患に陥っても不思議ではない。これが経済・経営学で言うところの人間疎外論なのだが、「企業はサービスの提供によって競争する時代であり、これらは単一のサービスや製品によって競争のスタートラインには立てない」といった意味でも、他の業種にも共通する事柄が多い。


=研究事例=親族介護者に賃金を自治体が支給(フィンランド)
One 北欧型福祉国家として知られるフィンランドでは、専業親族介護なら為替換算9万円余/月、普段の仕事との兼業介護なら為替換算5万円弱/月を、自治体が支払っている。親族とは、日本の親族イメージにプラス近しい友人も含まれる。
Two 賃金をもらって介護をする人は、配偶者が多く、子供が親を介護する考え方は少ない。(日本でも、その傾向だが、そのことで介護制度不全をおこしている)。すなわち、介護はフィンランド国家の責任として、家族に義務を負わせない制度を行っている。(親の介護をしたい人はできる)。賃金も支払うから、介護労働の教育訓練も家族に行う。
Three フィンランド親族介護協会の方針も、親族介護者には、家族本人が望めばそれをする権利があることを認知させることが基盤となっている。介護としての義務を親族が持つことはいっさいない。あくまでも、倫理感と愛情の中で選択されることがベースであるとしている。
Four 加えて、高齢者の介護責任はフィンランド国家にあることが明文化された上での制度であることから、インフォーマルな親族介護者の存在を可視化すると同時に、家族・支援・権利といった概念そのものの曖昧さを浮かび上がらせ、不都合・不具合な社会慣習や従来宗教への問いかけともなっている。
Five そこまでして、フィンランドでは、企業の現役戦力、有能女性の確保、職業教育投資の回収と、これらを徹底していることもうかがえる。日本のように、親族や他人に押し付けて、次に家族運命論であきらめさせて、現役労働者の職業希望(働くほうが能力発揮・高収入)を失わせることには、フィンランドの場合は歯止めをかけようとしている。あくまで正面から積極解決しているようにうかがわれる。すなわち、フィンランドは国民の職業能力水準差で海外への経済戦略をすすめているのだ。日本のように、人への投資を長年にわたり行わなかったことから、結局は衰退しつつある経済とは正反対である。日本のマスコミや厚生官僚は、老老介護とか、財政難とか、問題点や悪循環ばかり提起して、敢えてそこから先へ進むことを行わない。よって日本では、具体的な解決案提起や研究紹介をしないのが常である、所詮、予算を獲得して事業規模を拡大、同時に厚生官僚の予算と権限拡大がにじみ出ているから、信用もされない、信頼などあり得ない。
Six フィンランドの高齢者やサービス目的は「人々ができる限り住み慣れた自分の家や地域で自立して生活することを可能にすること」としているのである。「75歳以上の高齢者の90%以上が在宅で独立して、あるいは社会・保健医療サービスを利用することによって、あるいは親族や近隣の支援によって生活してゆけること」を具体的目標として打ち出している。
Seven 「他職種人材資源の持つ能力の利用を新しい形で行うことも改革の行使である。こうして現在の人材資源によっても、施設やサービス構造改革することで、質の高いサービスを提供することができるもと考える。良く計画され、指導された施設であれば、現在のマンパワー規模によってもなるべく長い期間、例えばこれから10年間にわたっても増大するサービス事業に対処できるはずである。(1992年フィンランド社会保険省報告書)」。
Eight こういった流れの中から、近年、フィンランドは財政的困難を抱える中で、親族介護者に対する支援が現実介護の現場から必要とされ、賃金を支給することと抱き合わせで施策しているのである。家庭内の親族介護者に対して、フィンランドの方法は、ひとりひとりのケアワーカーの能力を向上させながら、構造変化に応じた合理的な専門的職業労働者の(親族介護者も含む)配置を行うというものである。
Nine 加えて、フィンランドの自治体単位で、アウトソーシングが進められ、その受け皿として専門資格者の集団が存在している。もとより職業資格取得の教育において、起業についてのカリキュラムが含まれている。例えばその教育内容は、起業の形態、起業にあたり必要となる財務計画の作成実務・融資申し込み方法、小規模自営業に関する税制優遇に関する知識などとしており、将来、その専門領域を生かして独立するための基礎教育としている。日常的な職業能力向上は、職場共同体内で交わされる対話、出来事の分析、ユーモア、作業指導及びスタッフの増員といった場面で、また労働意欲や仕事のサポート向上に貢献するということが分析され、各地の介護従事者にまで普及されている。また、労働意欲には加えて、評価を受けることや、あるいは親族や他のスタッフから信頼して仕事を任せてもらうことも影響しているとしている。この発想の転換こそが経済危機や福祉財政危機を乗り越えたポイントである。
Ten なお、2008年教育省も、「職業基礎資格の改正原則について」において、「すべての資格に、起業家能力や起業家コンピテンスに関係する職業的技能要求が資格の部分の目標に含まれているなり別途の資格の部分として含まれていなければならない。起業家能力はそれぞれの基礎資格に少なくとも5クレジットの名目的単位数程度を資格の性格に沿った形で含ませるものとする」としている。
Eleven これは日本の厚生官僚の、センセーショナルな事実をアピールし、予算を獲得して事業規模を拡大、同時に予算と権限拡大に邁進するばかりの発想とは大きく異なっている。
Twelve ちなみにフィンランド(概して北欧)では、政策の柱は官僚的な色彩が強い(ただし日本の厚生官僚とは異質であり官僚職の保身は許されない)とされている。そのためか、本流の介護制度を柱としているが、親族介護者賃金支給は傍系施策であって、予防的家庭訪問、予防介護、介護人材養成、ケアワーカーの労働環境など、高齢者福祉の示唆に富む現実対応が目立っている。例えば、予防的家庭訪問は、公的サービスを利用していない75歳から90歳の在宅高齢者の家庭に、年2回、訓練された看護・医療系スタッフが訪問インタビューを行い、医学的・身体機能的な面ばかりでなく社会関係なども含めた総合的な観点からニーズ把握行うことがしだいに義務化されている。「老い」の医療化・バイオ医学的な「老い」の概念とは、あれこれの痛みを訴えたり、病気に罹る側面が強調される事態や心理側面をネガティブなものとして位置づけ意味させている。社会文化的な「老い」の概念では、色々の老い方があることが強調され、ここでは老いの持っているメリットやリソースを浮かび上がらせる概念といった視点である。
Thirteen 次のURLを読めば、「フィンランドの高齢者ケア」の要点がつかめる。
http://homepage3.nifty.com/caring/caregiver_sasatani.pdf
「フィンランドの高齢者ケア」の書籍のURL
http://www.akashi.co.jp/book/b109875.html

2013/07/09

第135号

<コンテンツ>
ICT産業革命の真っ最中を忘れている日本
  要するに現時点の本質を見ることが、重要課題なのだ
  その、ICT産業革命の真っただ中、その意味は
  ICT機械化から免れる職業能力は、二つだけしかない。
  そんな労働力を、個別企業が計画的に確保するには
  だからといって、構想力または創造力とは万能ではない
  所詮キャリア、すなわち、これを整理・準備したところで
  「同じ賃金を支払うなら、より有能な人物を確保する」の原則
いじめ嫌がらせ事件の急増は、何を意味するか?
    【件数増加の理由には】
    【創造的解決を選択すること、打たれようとする社会的解決策】
    ☆=個別企業の推奨対策=☆
携帯やスマホと、所定外労働時間
      【労働契約法や労働基準法の解釈】
      【個人のICT機器そのものの使用料やレンタル条件】
      【トラブル回避のアプリ(通話機能)の存在】
事例紹介:「ソメスサドル」
     未来へと良い品物を提供:固有価値商品を創る会社



§ICT産業革命の真っ最中を忘れている日本
参議院選挙の真っただ中、さも目先に追われ選挙戦を戦う人たちではあるが、こういったときこそ、日本国中が忘れている事柄の議論をしてもよさそうである。世界から見捨てられた日本の製造業にあって、なけなしの税収の使い道や再配分をめぐっての話ばかり。日本経済復活の道筋を提起しているような話はどの政党からも聞こえてこない。むしろ、日本経済復活とは相容れない短絡的主張ばかりが目立っている。
巷の議論を観るに、
まるで高校生の試験問題の回答を探すような議論ばかりである。個別企業の経営にとって重要なのは、他の企業がやっていないような価値を生産して、他の企業が進出していないところに供給することに尽きる。だから、「試験問題の回答」の中には、経営管理や事業展開のアイディアも手法も存在しないのである。マスコミや政治家の誘導もあって、不毛な泥沼論議に終始明け暮れている。

要するに現時点の本質を見ることが、重要課題なのだ
日本がICT産業革命の真っ最中にあることを忘れている。これを忘れて議論していることが問題なのだ。もしかすれば、素人向けに規制緩和や既得権といった用語を使用しているのかもしれないが、規制緩和や既得権、まして富の再配分といった論戦よりも、ICT産業革命は、はるかに進行している。ICT産業革命により、経済・社会その他の価値概念と価値を生み出す方式が変化しているのである。
過日の日銀発表によれば、この数ヵ月間で通貨供給量は18.5%も伸びたのだが、企業への融資は2.1%しか伸びていないというものだ。すなわち、銀行の金庫の中に供給された通貨が滞留しているのである。日本経済の主力である民間には回っていない。ただ銀行は通貨を保有するだけでは不採算金融機関と金融庁に判断されるから、またもや金融投機に走らざるを得ない状況ということだ。これがインフレターゲットの結果である。挙げ句には、投機で金もうけした人たちが、ぜいたく品を買うから消費者物価は上がるかも?と、150年以上も前に否定されている論理を持ちだす始末である。たぶん彼らは、国民を馬鹿だと思ってるんでしょうね。
さらに、7月21日以降に金融庁から出される予定の通達によって、不良債権になりそうな融資の回収(一般的には貸しはがしという)が始まる予定なのである。そういった議論がバラまかれ、多くの人たちは右往左往、全く持って創造性のない話なのだ。

その、ICT産業革命の真っただ中、その意味は
今や職業能力の中の、技術・技能において中途半端なものの順に、その労働はICT機器に代替されつつある。だとしても原理原則は、価値を生み出すには、人間が労働をしてこそ、初めて実現するのである。ICT産業革命により、労働の指揮と分配の方法が変わりつつあるという訳だ。
最初の産業革命は、エネルギーを自然から取り出して人間の労働に置き換えた。蒸気機関が工場ごとに設置出来るような技術開発が、現実的意味での産業革命の姿だった。その蒸気や水などでタービンを回してエネルギーを取り出していることは、原子力発電をはじめ今も変わりがない。次の段階は、電気によってエネルギーを多種多様な機械や道具に伝達することであった。電気を使うことによって機械、家電製品に動力を伝えた。今や機械にベルトをつないで動力伝達することは珍しくなった。そして現在は、ICT(インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー)でもって人間の技能の代替が進んでいる。その技能とは、エネルギーの省力化の方向であり、発電などのより分散的(地元発電や家庭発電など)な姿になりつつある。石油やガスの化石燃料による動力(自動車など)も、今後は再生クリーンエネルギーの方向に収斂する可能性が高い。そしてやはり電気である。

ICT機械化から免れる職業能力は、二つだけしかない。
第一:仕事の段取りや効率化を進めるための構想力に関する能力
第二:それまでに存在しなかった商品を生むところの創造力に関する能力
である。(現在その理論的裏付けを整理しつつあり、詳しくは9月メルマガに発表)。
差し当たり、
構想力又は創造力その他の付随能力(付随能力があって、関連しながら構想・創造は可能となる)を育成するには、
1.まずは、その素地を持っている人物を発見すること
2.過去事例を論理的に説明した上で、体験・事例習得を短期に行う
3.実際の個別事業に、その人物を投入することで育成を図ることである。
構想力や創造力の原理原則は、個別事業単位ごとにしか技能(スキル)教育が出来ないということだ。また、究極的構想力の結果に生み出されるのは芸術性と言われているが、その領域は技能ではなくてアートArtの世界である。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

そんな労働力を、個別企業が計画的に確保するには
有能人物を確保する順序は、その企業の目的にあった水準以上の人物を探し出し、確保する方法しかない。ただし、ICT産業革命で、経済・社会その他の価値概念と価値を生み出す方式が変化していることから、何をもって有能な人物なのかを考えることである。…これこそが、実は不平等を排除する適切育成であり、汎用的均等教育とは区別するべき必要がある。
今流行している、「有能」といった概念は、「無能」に転換すると覚悟しておいた方が良い。巷の耳触りよい、「全く経験のない人物を採用し、真っ白い状態に仕事を植え付ける」といった方式は、全くの間違いである。人間の構想力(芸術性も含め)が発揮される最低条件は、頭の良さではなく、「勇敢であり愛である」と、イギリスビクトリア時代のジョン・ラスキンという人物は、王族やジェントルマンとレディに説いて回って、当時のイギリス社会に影響を与えた。その後は世界中でマニュアル教育(テーラーシステムやソ連のНОТノット)が世界の大量生産の基盤となったから、ICT産業革命に期待される有能さの発見は、過去の歴史的には見当たらなかった。
そういった意味で、今回開発した職業能力評価表は、有能な人物を確保するための構想力などを七つの能力に分解し、それを具体的に測定するものになっている。(そういった意味では、発明の領域と評価された)。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254
既に導入した企業では好評であり、具体的に人物発見に驚くべき効果をあげている。七つの能力ごとに能力段階が示されているので、本人も上司も能力育成の道筋が見える。導入した個別企業にあっては、労働力の採用確保の方向に変化をもたらしつつあり、業務改善・新商品開発の基礎集団を形成しつつあるのだ。すなわち、それが収益と利益確保に役立っているのだ。
確かに、個人が、先に述べたような仕事のICT機械化されようとしている技術・技能に対して、学習意欲を持つことが可能とか、事業化するにあたっては困難極まりない。むしろ、それを個人でやり遂げられる人物は、ほとんどが変人と誤解され、何万人かに一人が天才と見なされるのである。一般の労働者は、ICT機械化を導入されることが予測される場合に、自発的な学習意欲が生まれることがない。反対に危機感をもって拒絶反応を示すだけである、これは歴史的事実からもいえることである。そのためには、現実的に役立つ教育訓練から始める必要がある。
大手企業のように、社外教育を事実上遮断し、社内OJT教育に重点矛先を向ける(社内の多数者はそれを望む)風潮では、その集団は滅亡の道である。ことに大手企業は資金源は潤沢であったが、管理職はゼネラリスト、すなわち素人レベルの管理職である。確かに中堅企業の管理職に比べ頭は良いのかもしれないが、頭の使い道は良いとは言えない。
そこで、現場段階での当面の教育訓練ポイントは次の通りだ。緊急課題は、労働意欲と収益性の経営要素である。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/248

先ほど述べた、技能ではなくてアートArtの領域のための教育・訓練を整理し、個別企業で導入しやすくしたものが次の内容である。現在、筆者も理論研究と体験を繰り返すことで改善を進めている最中だ。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

だからといって、構想力または創造力とは万能ではない
構想力または創造力によって生み出されるもの総てが、経済・社会その他の価値概念と物品価値増殖を果たすことはない。通貨・証券や利権を確保するために、構想力または創造力が使われる場合には物品価値は逓減消滅する。この物品価値が逓減消滅していけば、経済の総需要が落ち込むことに反論する識者は存在しない。巷では、「金利が上がれば、その分は価値となる」との迷信を信じている人は少なくないが、上がる金利は、必ず下がるのであり、売り逃げして通貨と交換出来ても、その作業は他の富を消耗しているから、純増としての価値を享受されることはない…よくよく考えてみる必要がある。(例えばことわざ、「棺桶に金を入れては逝けない」がヒント)。
そのように仕事=労働(これこそ労働力に限定されない)がICT機械化されようとしていることに対して、経済政策・経営管理手法が全くといっていいほど追いついていないのが現状である。ことに大手企業にあっては、中堅・中小企業よりもその拒絶反応が強い。その理由は、現在の大手企業が抱える労働者の失職が目に見えているから、急速に水ぶくれした組織であって学習・研究蓄積がないからである。したがって、プライドが生命線のサラリーマンともなれば、なおさら拒絶意識が強くなっていくのである。

所詮キャリア、すなわち、これを整理・準備したところで
【第1の特徴】
そういったキャリア人物は実際の事業には投入出来るわけがない。その意味で、厚生労働省が現在行っている政策(キャリア関連)は、民間個別企業では使い物にならないのである。一種の資格制度でステイタスは保障されるかもしれないが、民間事業現場での物品価値増殖には資することはあり得ない。国家資格その他で、ステイタスを基に、資格者団体が形成されているが、「潜在的失業者集団&旧式ギルド」の様相を帯びるばかりで、知的熟練的貧困者層を形成している。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/240
社会全体からみれば、「依頼者に対する仕事の拒否権」というものがポイントで、この権利を持たない資格者業務は、巷にあふれる出来高制労働者としか概念規定のしようがないのである。労働省シンクタンクもその考えで施策しているし、例えば「顧問」といった社会通念は崩れ去っている。

【第2の特徴】
「人をケアcareするサービス」は、サービスを受ける年代によって事業に特徴があるから、サービス提供者は同年代若しくは極めて良き理解者でもって、その年代に合わせた、「お金には代えられないほど大切な提供サービス」を必要とするのである。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
商品提供の内容が整わなければ、如何なる商品も交換される率が低下する。だから、総需要を増加するには固有価値を帯びざるを得ない。が、表面的に固有価値を帯びたような仕草だけでは、固有価値商品にはならない。どういうことかと言うと、固有価値の要素である、「意欲・感動・希望」のうち、生産者の都合で希望が欠落している状態が、表面的に固有価値を帯びたような仕草ということである。

【第3の特徴】
現在、ハローワークや民間職業紹介会社の行っていることは、離職前の前個別企業において培われたキャリアなるものを整理・準備しているにすぎない。すなわち過去のキャリアは、新しく就職する個別企業で通用する確率は微々たるものといった、何十年も前から明確な転職前提条件が生かされていないのだ。それは、一つの企業の社歴が長いほど、そのキャリアは転換が難しい。業務改善を進めている企業からすれば、同業他社の悪性キャリアは排除しなければ、初歩的日常の業務に悪影響を及ぼすことは、成長企業なら末端社員でも自覚していることだ。百歩譲っても、多種多様なキャリアをもつ場合のみ、ここでいう構想力または創造力に刺激が加えられるだけのことである。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/244
肝心なことは、少ないながらも構想力または創造力があり、新たに就職した個別事業のキャリアが伸ばせるかどうかということなのだ。

「同じ賃金を支払うなら、より有能な人物を確保する」の原則
個別事業を行う側からすれば、この意思は正当なのである。これは、現憲法にも保障された権利であり、公共の福祉に適うことはもちろんである。官僚その他に意味不明な理屈でもって、今までのように基本的な権利を抑圧される必要もないのである。日本では明治維新の初期を除けば、官僚による統制経済(戦後は社会主義経済理論を密かに採用)の連続であった。ことに、基本的人権とは、誰もが文化的な生活を確保されることから始まることを忘れてはいけない。多数決でも家族の要望でもボランティアと称するものでも、基本的人権は抑圧してはならないのである。経営者の「文化的生活&活躍による豊かな生活」は、世界の近代国家が保障している権利であるが、この日本においては江戸幕府や統制経済により、およそ200年の間にわたり抑圧されてきたのである。


§いじめ嫌がらせ事件の急増は、何を意味するか?
都道府県労働局に寄せられる、個人単位の労働紛争(個別労働紛争)は、平成24年度は、それまでの解雇事件に代わり、相談件数のトップが「いじめ嫌がらせ」になった。数値情報は厚生労働省の公表通りであるが、今回はこの動きについて解説する。
相談件数は、そのほとんどが労働基準監督署に訪問した相談、すなわち監督署に「何とかしてほしい」といった労働者の行動を、労働局に書類を回してカウントした集計である。確かに厚生労働省は、裁判所や法曹界が労働事件処理を裁判所で済ませようとする動きに対抗して、監督署の人的動員力をかけて、行政指導や紛争調整委員会のあっせん作業で解決を図ろうとしており、その相談件数稼ぎは否めない。だがそれ以上に、いじめ嫌がらせ件数の数値の急増は、解雇事件を追い抜いてしまった事態なのである。
また、裁判所の労働審判では、いじめ嫌がらせの解決が制度的には難しいことも事実である。加えて、労働審判の裁判官は、頭ごなしに金銭の「示談」を迫り「裁判上の和解」を強引に進めて裁判件数を減らそうとしている。
しかし、筆者の30年以上に及ぶ現場の経験からすれば、労働基準監督署に駆け込む行為は、直属上司に対するレジスタンスの意味合いが強い。経営者に対する戦いを決意する労働者は、必ず労働組合に駆け込むのである。

【件数増加の理由には】
結論的に筆者が考える背景は、ICT機器の使用によって、
 A.中途半端な技能では効率的な仕事が不能であること、
 B.中途半端な技能ならばICT機器が仕事の代替をしそうな雰囲気であること、
 C.定形繰り返し業務がICT機器に取って代られ技能者が内にだぶついていること
 D.そして、人件費や予算に対する効率的な業務ができていないこと、
などが考えられる。ある面では、うつ病などの精神疾患の増加と理由が共通しているかもしれない。
根本的な解決の視点は、ICT機器あるいはICT機器を使って事業運営する体制の根本となる教育訓練が不十分なところに置くとするのが妥当である。解決の道筋を示さず、現象面や問題点を論っていても、事態は収まらない。そのほとんどの現象面は、上司や部下や同僚同士のグチの言い合いにすぎない。グチしか思考しない程度の職業教育しか出てこなかったのである。
したがって、いじめ嫌がらせを行う者は、
  One 技能力の低い上司、
  Two 技能力の低い女性の「お局」、
  Three 先輩風を吹かせる無能力者
に集中している。すなわち、無能力者が、能力のある者に自分の立場や席を取られないために、正当な根拠もなく力ずくで排除しようとする動きなのである。事実、いじめ嫌がらせが横行する事業所は、経営課題に4ポイント(収益性・生産性・労働意欲・効率性)の低下を招いて、経営破たんの道を歩んで来た。筆者はそれを、まのあたり目前で見ており、いじめ嫌がらせが経営者の気持ちに反したとしても、いじめ嫌がらせの横行する実態に、具体的政策メスを入れなければ、経営破たんに至ったものばかりであった。もちろん、つぶれた企業の経営者の話なんか誰も聴かないから、原因分析が困難になるのは仕方がないことではあるが…。

【創造的解決を選択すること、打たれようとする社会的解決策】
あまりにも急激な、「いじめ嫌がらせ」事件の駆け込みに対しては、個別企業各々が根本基盤から解決するしかない。それが、場当たり的・事後処理的対策もとれば、経営破たんを招く。それを既に如実に示しているのはヨーロッパである。各国の研究成果の紹介はこの際省略するけれど、ヨーロッパの先進主要各国の国家的課題となっているのだ。アメリカの場合は事情が異なり、「早めに経営破たん実行する」の経済文化であるから、チームワークが保たれない事業組織は自動的に解散(廃業)させているので、あくまで表面に出ていないだけのことである。(ICT機器から取り残された労働者の社会問題としては現われている)。
ところが、日本企業の場合は、アメリカのような、「早めに経営破たん実行」の経営管理方式をとれば、労働者が集まらないから、ヨーロッパ系企業に似ているように思える雰囲気が、実際は素人目には安定雇用に似ていると見えるだけなのだが。
典型的なヨーロッパ事例はフランスにあるから少し紹介する。フランスの文化を日本人が理解するのは極めて困難ではあるが、いじめ嫌がらせを、労働法典、刑法典、公務員規定に、「モラルハラスメント」との概念で解決を図ろうとしている。
その労働法典の定義は、
「いかなる労働者も、その権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、または職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為を受けてはならない」
となっている。そして経営側に対して、
「ハラスメントとは関係ない客観的な要素によって正当化される行為であったこと」
を証明するよう義務づけているのである。(労働省シンクタンクのBusiness Laber Trend 6/2013)
おそらく筆者の研究と経験から予測すると、厚生労働省が、今後は紆余曲折があるだろうが、このフランスの方向を着地点として法律整備(社会的解決策)を打つことが考えられる。そのような労働行政を行い改善されない企業は切り捨てるであろう。法曹界も、法律的定義と社会正義(=原則は自由平等)を掲げている以上、その方向に流れることも間違いない。日本国の政府自体も、派手にはPRしていないが、「いじめ嫌がらせ」の防止は、既に表明している。さて肝心の経済界となると、“大手企業の人事担当者は、厚生労働省になびく”から、いじめ嫌がらせの「防止の雰囲気」をかもし出すであろう。すなわち、「いじめ嫌がらせ」の対応策は、社会現象として考えているのではなく、経済問題・労働力政策として位置付けているということなのだ。

☆=個別企業の推奨対策=☆
個別企業は、資金というよりも、より有能な人物を集め、ICT機器を扱える資質である創造力・構想力を養う教育を実施し、1.労働意欲、2.効率、3.収益性、4.生産性の順序でもって、経営管理の水準を向上すること、その具体策をとることが戦略・戦術の要となるのである。この場合大手企業組織は、組織自体が戦略・戦術の足を引っ張り、組織自体が具体策を実施出来なくなる要因となっている、それはある意味、自然であり自明の理である。


§携帯やスマホと、所定外労働時間
ICT産業革命が進行している中、携帯やスマホそしてタブレット(ICT機器)が開発され、何処にいても仕事ができるようになってきた。ところが、この使用時間帯について時間外労働(賃金支払い)などの問題がクローズアップされつつある。労働基準法や労働契約法その他の経済法令を入念に検討すれば次のようになる。
【労働契約法や労働基準法の解釈】
(1)所定労働時間内に、ICT機器を使用して業務にあたることは問題がない。
(2)むしろ、ICT機器を利用して時間短縮を図り、単調な繰り返し定形作業の削減につながる。
(3)問題になるのは所定労働時間外でのICT機器使用であり、時間外手当を必要とする。
(4)作業場所に関わらず指示または作業した時間に限定して、時間外労働となる。
(5)部下から上司に電話をかけようと、時間外であれば、その通話時間の割増手当が必要となる。
(6)勝手に部下が時間外に仕事をして、上司が黙認すれば、作業時間も割増手当が必要となる。
(7)時間外を禁止するには、明確に告知や書面通達をする必要がある、その通達で割増手当の支払拒絶ができる。
(8)もちろん、部下が大量の時間外労働、居残り作業、自宅作業をしたとしても、同様に支払を拒否できる。
(9)時間外に、ICT機器への応対をするかどうかは、個々人との労働契約、すなわち、より良い条件に因ることとなる。
(10)「常時持ち歩き対応するように」とのICT機器の応対を指示すれば、持ち歩きの全間が労働時間となる。
(11)まさか、「1回の通話もなかったではないか」との言い分は法律上通用しない。
(12)すなわち、法律では、それを待機時間・手間時間と定め、賃金支払いを義務づけている。
(13)仮にそういったICT機器の活用方法を合法化すべきだと主張しても、100年後でも実現不能だ。

【個人のICT機器そのものの使用料やレンタル条件】
会社がICT機器を支給せずに、個人の携帯やスマホそしてタブレットで業務を進めているケースが多く見られる。ところが、こういった場合は、所定労働時間内であっても、使用者の指揮命令の範囲内(難しく言えば個別企業の統治権)には含まれない。すなわち、そのことで大損害を会社が被っても会社は賠償請求することが出来ないのである。日常茶飯事の良くあるケースで、例えば取引先に有利な契約を部下が内密に行ったとしても、追求することが困難になるのだ。追求が出来なければ、労働契約法によって懲戒や解雇処分は無効である。法律にいう無効という意味は賃金も賞与も減らせられないという意味だ。数年前に公務員がパソコン情報を漏らしたとして問題となったが、当時は個人のパソコンを役所が持ち込ませていたため、大事件になったけれども一切の処分を役所は出来なかった。これが個人のICT機器を無料で仕事に使おうとする時のリスクである。フォーマルには生産性や効率を求め、インフォーマルには利益の氾濫・洪水を放置する、経営管理の未熟さである。
その現実的打開策は、個別企業とICT個人機器を持つ労働者の間でレンタル契約を締結することしかない。それは、1ヵ月につきレンタル料1,000円程度でも十分なのである。そのようにしてICT機器の使用権を、個別企業が持つことしかないのである。通信料金の負担が増えつつあるから、トラブルも増加傾向にある。すなわち、経営管理のインフォーマル側面に、保水ダム建設をすることだ。

【トラブル回避のアプリ(通話機能)の存在】
例えば、個人のICT機器でも、個人用と会社用を区別して、会社用の明細と請求を個別企業に振り分けてくれるアプリ(通話機能)がある。それは、河川に堤防を築き&川底を深くする治水作業である。次のようなアプリは、通話料金も他社より低価格のようである。
(参考紹介)http://www.fusioncom.co.jp/houjin/keitai_use/
こういった場合でも、個人とのICT機器のレンタル契約は前提かつ必要である。ただし、NTTのように法人切り替えアプリ料金をとっている場合は、レンタル料にアプリ料金を加算する義務が個別企業にはある。
何十年も前から、上司は部下に対して、「電話代ぐらい、たいしたことない」と気軽に話すケースが多いが、他の目的・目論みでもない限り、労働者は悪印象を持っている。それは、通話料の金銭額の問題と受け取らずに、上司や経営者の人間性に対する嫌悪の問題なのである。こういった日頃の嫌悪が労使トラブルの先入観となって現れるのだ。筆者は労使紛争のあっせん代理人でもあるが、先入観の修復の困難さをつくづく感じる。それは、「細かい約束を守らない人物は信用がない」とのことわざの通りである。加えて、これが中小零細企業に横行し、労働者の協力を得られないがために企業発展しない要因ともなっているのだ。
話は余談だが、この「法人通話切り替え機能」をフュージョンは、約10年前から開発し機能提供しているそうだが、筆者からすればマーケティングの弱さを感じる。もとより通信事業と言うのは、国家や経済活動の根幹を支えるものであるから、物理的機能とともに法令をはじめとする社会的機能をマーケティングの柱に考える必要があるのだ。インドや中南米でノキアは数億台の携帯を出荷しているが、スマホの不要な地域ではダントツであることは間違いなく、それは次に紹介するようなマーケティングの基本と水準の高さによるものなのだ。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159

§事例紹介:「ソメスサドル」
未来へと良い品物を提供:固有価値商品を創る会社


その会社の名前は「ソメスサドル」、日本で唯一の馬具メーカーである。その技術と技能によって牛皮の鞄や小物も製造し、それが長く利用できるようにと専門修理部門も持っている。ここまでの案内だけでも、日本では珍しい会社であることが分かる。
http://www.somes.co.jp/about/concept/index.html
この会社は北海道砂川市に拠点がある。ちょうど札幌と旭川の中間地点とのことだ。その創業は昭和39年なのだが、この地域の石炭採掘産業が突然終焉したことがあって、地元の雇用確保の目的も持って設立された。北海道では多くの農耕馬が使われていたが、その馬具職人を集め、創業当初より、「世界に売って出よう」との意気込みがあったとのことである。現在およそ60人の従業員のうち6人がパート、あとは正社員である。また家庭内職と称する地元に部分的に仕事を出しているとのことだ。とはいっても、3~4名のチームが仕掛りから完成までの一貫過程にわたって作業をしている。とにかく日本唯一の馬具メーカーであるから職人の引き抜きもヘッドハンティングもないとのこと、むしろ地元の高校生を採用して育てている、育てるしかないとの話であった。印象に残ったのは、社長いわく、どうしても仕事ばかりだと社員の視野が狭くなるので、「社会の話をし、社会の接点を持つよう」にしているといった点だ。
北海道の馬具メーカーといっても、資材の仕入れはすべて東京で行っているとのことで、「ものづくり」に徹している姿勢である。その技術・技能のポイントは馬に乗るサドル(鞍)づくりにある。革製品用ミシンなど主要な工作機械はドイツやイタリア製とのことだ。乗馬用のサドル(鞍)は主に日本人向け、競馬用のサドル(鞍)は国内70%のシエア、そして品質の良さでイタリアやフランスにも出荷している。
とりわけヨーロッパならば、「馬」に対する文化が異なり、何百年もの地元の馬具職人のヨーロッパ市場にも関わらず、そこに食い込む能力を持っているということだ。その日本文化というか、ヨーロッパ市場に食い込む能力というか、その点をたずねてみると、社長の語る趣旨はこうであった。近頃は熟年層が乗馬をするけれど、馬の動きは微妙であるから振り落とされる場合が多く、落馬で鎖骨を折る事故が多い。そこで落馬防止用に乗馬用サドル(鞍)を開発したというのだ。サドル(鞍)にまたがったとき、「ひざより下を安定させること」で、不意の馬の動きに対処できるらしいのだ。こういった発想は「馬の文化」であるヨーロッパにはないと、これが社長の話であった。そこで、「日本文化を目に見え触れるように見せないといけないのですね」と私が念を押し、社長はその通りと答えた。また、洞爺湖サミットのときに、内側を漆加工した牛革鞄(アイヌの紋様を生かした加工)を各国首脳夫妻のお土産用に納品、好評を得たそうだが、こういった発想も然りと社長は話す。そういった仕事への意欲が、ヨーロッパ馬具職人のステイタスをも突き崩すポイントだろうと私は感じた。ヨーロッパの職人たちがICTを大いに活用している点について感ずるところを聞いたところ、社長は一言、「ユーザーとの距離感」と答えた、実に物事の本質を社長はついている。とにかく社長が冒頭に発した言葉、「(馬具メーカー)他社がどのような仕事のやり方をしているのか知らない」と言い放つところにも現われているのだ。
この会社では、馬具を製造する技術で、牛皮カバーに合わせたパソコン(価格は70万円ほど)を作ったそうだ。木材エキスで牛皮のなめしもすることから相性の良い木製家具のシート部分の革張りも行っている。これらの作業は、サドル(鞍)の丸みを帯びた綺麗なライン形状を作る技術技能の転用とのこと。もちろん、宮内庁の馬車を引く馬の馬具も一手に引受納品しているそうだ。そしてここ数年にわたり鞄の修理を引き受けることを業務に加え、その専任者も複数配置して、親子代々にわたる鞄利用の需要に応えている。社長の話をまとめると、「いつも使うこと」が長持ちであり、生きている皮革の重要な保湿やケアを行なえる」との趣旨である。新しい鞄に買い換えてくれとは言わないのである。
この土日も地元で、皮革製品のワークショップを400人規模で行ったらしい。社員が、「にわかインストラクター」になるそうだ。年に何回か「馬の日」といったイベントも地元の人といっしょに行っている。「具体的なことをしてネットワークができることが一番」と、社長は数多くの試練を踏み超えた雰囲気で語りかけた。インタビューで私は圧倒されてばかりだったから、何か社長の役に立つことはないかなと…、「よい商品には固有価値というのがあり、これを今流行の経済学者は否定したから、よい商品が出来ず、日本は没落したのです」と言うしかなかった。
すなわち、北海道の寒冷地で、突然産業が亡くなり、「なにも無いところから労働で世界に打って出る」、ここに込められた「意欲・感動・希望」に優る産業基盤は世界有数のものに間違いないということである。
(2013年6月13日:講演&インタビュー むらおか)

2013/06/04

第134号

<コンテンツ>
アベノミクス、天気予報に曇り?ゲリラ豪雨も
 【日本市場の株安の引き金は】
 【世界の地下金融の動向】
 【論理構成の弱すぎるアベノミクス】
 【マイナンバー制の税収は6兆円?】
 【中小企業の信用不安は夏から】
OECDは、日本に対し提言(事実上の勧告)
サラリーマンから能力を抜いた賃金体系の真実
内閣府:税制調査会 タブーその2 「消費税」


§アベノミクス、天気予報に曇り?ゲリラ豪雨も
この4月から6月の、政府統計による経済数値が良好であれば、政府は10月の閣議決定で、来年度の4月1日からの消費税8%を導入することが出来るとしている。財務官僚=「霞が関党」の言いなりになって、ひたすら延命策を歩み続ける人たちの考えていることである。
そのためのアベノミクスと花火を打ち上げたものの、案の定ここに来て雲行きが怪しい。先月、この5月末の日銀マネタリーベースは約159兆円、この2ヵ月で9%増加させている。ところが、これによる物価高が確認できないのだ。敏感な商品なら動くはずにもかかわらず、物価高原因は円安によるものばかり。

【日本市場の株安の引き金は】
日本政府の国債利率が上昇してしまい、これが日本市場の株安を招いた。そもそも国債の9割は民間銀行が日銀から買わされている。政府と銀行関係者が会合を持ったが、その後に株安である。世界規模のファンドが日本株を売り、それを政府が手引きして買い戻しているのは一目瞭然である。だが、ことは強気の日銀総裁の話には留まらない。もとより意味不明なインフレ・ターゲット(短期政策的にインフレ目標を達成)といった論理が崩れてきているからだ。本日昼も政府期待の株価は1万3千円半ば、円は100円を切る円高である。
そもそも、インフレ政策というものは、経済学(一応、中学までには教えている)においては大衆課税のための手段である。その方法として生まれたインフレ政策は、その国の産業を政府が誘導するためにも使われたものである。すなわち国内のタンス預金(家のタンスに貯金すること)などの現金で自家保有している資産の効力を、物価引き上げによって一挙に目減りさせようという納税政策なのだ。「インフレになれば借金が減る」といった理屈で、今日まで中堅・主要企業が産業政策に誘導されたことは間違いない。
だがそのプラス面は昔話で、今やそれでは誰もが経済成長すらせず、潤いも失ってしまっているのは事実だ。

【世界の地下金融の動向】
どれだけ有頂天になってアベノミクス踊りに参加してみても、次の情報を聞けば、踊りも止まってしまうであろう。
それは、EUが地下金融の金融取引(世界の投機資金の主体)を把握しようとする動きを見せただけでスイスの銀行預金が他国(極東アジア諸国)に移動しているとの情報である。加えて重要なのが…それだけではない。
冷や汗が出るような情報はイギリスから
タックスヘイブン(税金天国)の島国を批判しだしたことである。カリブ海その他に浮かぶタックスヘイブン島国は、元はイギリスの植民地である。この島国の企業?に支払ったとされる金銭のほとんどがアメリカ企業の隠し財産となっていることは誰もが知っている。この資金がタックスヘイブン島国から流出しているとの情報である。発見したのはイギリス陸軍のMI6(映画にもなっている情報機関)のようだ。先ほど述べた日本市場の株安からすると、日本には流れてきていないのは確かである。その投資先は、アメリカ本国でもない…。

【論理構成の弱すぎるアベノミクス】
アベノミクスを擁護する学識者たちは、口をそろえて、「○○が出来さえすれば…」といった条件付きで、アベノミクスによる経済政策の成功を論じているばかりである。出来なければどうするのかとの問いには、論理的に答えることはなく、感情的!に「やらなければどうする?」となる応答ばかりである。また、TVに顔を出すのは金融や証券業界ヒモつきのコメンテーターばかりである。「こういう経済政策を採ろう」といった論議は皆無に近い。何本の矢なのか知らないけれど、所詮は前政権からの官僚の描いた政策である。反対意見のほとんども、政策の不十分さを暴露する程度のもので、抜本的着想すら見受けられない貧弱さである…。彼らには国際的視野やICT産業革命からの視点はない。
筆者の経済対策はこちらだ、たいした財政出動はいらないし、中堅・中小企業は個別でも出来る。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/30

【マイナンバー制の税収は6兆円?】
いよいよ平成28年1月1日から導入される。高校生のアルバイト、主婦のパート、Wワーク(2ヵ所以上で働く)の収入にまで、所得税5%、住民税10%、社会保険料が掛かって来る制度が出来上がる。個別企業の番号は個人情報ではないから保護されない、すなわち逆算・追跡可能となる。
このマイナンバー制で、社会保険料とは別に年間6兆円の税収を見込んでいると言われる。中堅中小企業の税負担の不公平さを無視して、IT機器による増税は、美辞麗句を並べたてたとしても経済・生活に影響を与える。日本の場合、 600年ほど前からの商品経済、明治以降の自由・平等さに欠ける資本主義経済を概観しながら述べると、紙幣(江戸時代の藩札)が発行されると、「紙幣を受け取る人々は、労働せざるを得なくなる」のである。そして、それを徹底して税収に結びつけようとするために、国民全員に番号をつける、「マイナンバー制」である。ヨーロッパその他とは地域通貨とか生活用品確保手段が日本は異なっている。
その点をよく見ないで、議論をすることはきわめて危険だ。マイナンバー制で利益を得る財務官僚たちの論点に対して、これほどまでに「静寂」な状態は、あまりにも今の日本人はコンビネーション(タテからの組織運営)に慣れきっているのかもしれない。
ヨーロッパ流の論議をするならば、商品市場がコンビネーション運営に傾くと粗悪品の増加を招く、すなわち価値生産の少ない労働の横行を容認しようという社会形成ではないのか?
日本流っぽい例え話、「高校生や主婦の片手間の、お小遣い稼ぎ、そこまでやるのか?」である、それは価値生産とはいえない半人前の仕事に過ぎないから。
……という議論なのである。分かりやすい例え話に変えれば、高級・安全品には「遊び」のメカニズムが含まれている、ということなのだ。

【中小企業の信用不安は夏から】
金融円滑化法により30~40万の中小企業が倒産を回避したと、政府はしている。この3月31日で期限切れになったが、4~6月の経済指標に影響が出ないよう、参院選挙(7月21日?)直後に金融庁通達(貸しはがし?や債権整理可能)が出ることになっている。今は下準備中で、「事業計画書」の作成がポイントと金融機関は言っている。参院選後の金融庁通達の直後に金融機関が一斉に動き出すことも忘れてはならない。
その流れで起る現象は、
  A 現在もそうだが、目立たぬよう休眠する企業が増加
  B 参院選以降に倒産をかける企業が出て信用不安の高まり
  C これにより連鎖倒産や仕入れ・売り上げの相手方企業が消滅
  D 大手企業は利益を逃さぬよう1年間の計画の上に破産をかける
…まだまだ個人消費に関わる中小零細企業の市場は少なくない。
そして、事実上の中堅・中小企業の株主は銀行である(金融庁も認めるところ)の、現実課題なのだ。
とにかく、4~6月の経済指標が重要だとしているのだ。


§OECDは、日本に対し提言(事実上の勧告)
を出している。OECDは、日本政府や「何本かの矢?」よりも、グローバル政策を進める視点であり、4月24日事務総長は経団連と懇談している。主な提言(事実上の勧告)は次の4つである。
1)日本が国を開き対日投資を受け入れること。
…(むらおかコメント)日本の競争力強化につながるのは明らかである。ところが、これをしてしまうと日本政府の官僚たち、財務官僚も経産官僚も権力がなくなるので、彼らは嫌がっている。
2)農業改革。稲作を除く活力分野の野菜、花、果物は高収益であり、競争力強化に向けて農地集約や生産調整制度の廃止。
…(むらおかコメント)非常に有望な海外市場に日本の農業が進出することは、買う側の海外も大勢はほぼ出来上がりつつある。ところが農業系を基盤とする議員たち、農水省官僚が、次世代の利権を創造しようと時間稼ぎをしているのが現状である。この時間稼ぎが日本にとっては致命傷なのである。TPPより先行できるFTAや日EUとの交渉が遅すぎて、この貿易実害は大きい。アメリカの手を借りて官僚が時間稼ぎをしている姿がTPPなのである。
3)研究開発とその閉鎖的な体制の見直し。
…(むらおかコメント)OECDの指摘は、日本の研究開発投資は大きいが、生産性が低く投資に見合っていないとしている。日本企業の閉鎖的体制とは、外国人を雇っても、絶対に日本人の指揮命令下に置いていることである。また海外からの研究開発投資は受け入れない。特に、エネルギーをはじめ重厚長大産業系の大手企業は、官僚と結びついて、国策だの何だかんだ言って徹底拒否をしている。
4)ICTイノベーションの活用。特に人口過疎地が多く高齢化が進む日本の特徴を指摘。
…(むらおかコメント)日本の官僚が進めてきた政策は、人口過疎地を増加させることを覚悟した上での東京:首都集中化であった。また、平成の大合併と言われる地方行政機関の統合整理は人口過疎地増加そのものの覚悟であった。OECDは、ICTを活用して高齢者(65歳以上の年金受給者)、女性、若者の人的資源活用には、過疎地拡大・都市人口の増大がマイナス要因としている。
OECDからすれば、日本の実態経済が回復しないのは目に見えているから、毎度のように提言(事実上の勧告)を行ったのである。OECDに対抗して日本の官僚たちや官僚たちが選んだ学者が何を反論しようと、世界経済はどこ吹く風なのである。そう、読者のあなたは気づいたと思うが、アベノミクスに対してOECDは、事実上の方向転換を勧告しているのだ。日本に外国人投資家が関心を寄せないのは、こういった筋からの納得性も存在する。
ところが、OECDの世界経済情勢や提言にかかわって、本家本元の少なからずの学識者たちは、「グローバル基準による、競争原理とか人物能力評価の物差しだけで、社会の総てが上手く行くわけではない」との意見を、徹底して繰り返している。(哲学者)マイケル・サンデル教授も、そのひとりだ、それはなにを意味するのか?…。


§サラリーマンから能力を抜いた賃金体系の真実
それは、様々な名称や仕組みを持つのかもしれないが、運用原理を「拝金主義」で行った賃金体系=拝金型賃金体系にある。その体系は解説をするよりも、次の図を見た方が早い。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/252
すなわち、年功序列型、職能資格型、職務給型、成果主義型と、様々に賃金体系の着ている着物は異なっても、サラリーマンの意欲を金銭に向けさせる原理に特徴がある。
では、金銭意欲を否定したサラリーマンはどうなったのか? 大手企業ではリストラの候補者としてリストアップされ、子会社出向、独立起業、中小企業へ再就職の道をたどって行った。
そのあげくが、大手企業の「体たらく」である。この日本経済復活とは無縁となってしまった「体たらく」の大手企業に、安定第一、高額収入第一の新入社員が入社したところで、先輩の能力を超えるわけがない。しかも、東京大学のある研究者によると、通信N社も食品A社も、OJT教育が中心で社外教育軽視のはなはだしいことが発表されている。もとより日本の労働者は職業性が薄く、すなわち職業能力が蓄積されておらず、自認するほどの職業意識の持ち合わせもない。1980年代後半のバブル経済到来とその崩壊以後、職業と職業能力を軽視する「拝金主義」が流行したために、職業能力の欠如は意識されず、当然のこととして中身のある教育を受ける意欲も激減した。はっきり言えることは、本当の意味での教育や教養がなければ、如何なる職業能力も向上するわけがないことだ。
筆者の伯父は、電産型賃金(年功序列の原型)をまとめた。それは、当時の電力会社(日本発送電株式会社)と各地配電会社(北海道~九州)をまとめて、水力発電から火力発電への切り替えをするための職業能力向上を狙っていた。それは、GHQが火力発電を否定し、日本の賃金を職務給で良いとした経済政策に対抗ものであった。この電産型賃金は、後に金融機関各社に導入されることとなり、年功序列型賃金という名前でもって全産業に広まった。さらに、その素地もない中小企業でも年功序列は理想的な賃金とされた。
次に、筆者が人事・賃金関連のコンサルティング手法を享受した恩師は、日本で初めて職能資格制度を導入した人物である。学者ではなく現場のコンサルタント、名前は滝沢算織である。その初めての導入企業は、大阪の国光製鋼だ。導入の要素は若手社員の生活安定と意欲向上を裏付ける若年賃金引き上げの必要性があった。硬直した労働組合幹部(当時:全国金属)に支配されていた労働組合の存在する企業でこそ、職能資格制度とその賃金体系が、若手をはじめとした職業能力向上の意欲を裏付けるものとなった。ある意味、そういった労働組合の無かった企業は、如何なる着物の賃金体系を着ていても、中身が旧態依然であったことから職業能力は高いとは言えず、その産業全般の生産性も高くはなかった。しかしながら要は、それでも米ソ対立のおかげで日本経済は、のんびりと潤っていたのである。
その次に到来したのが、1980年代後半のバブル経済到来とその崩壊以後の、「拝金型賃金体系」なのである。日本人は、それまでの社会教育制度が不十分であったことから、社会人になってから学習することは少なかったのだが、拝金型賃金が日本国中で広がるとともに、学校を出てから学習や勉強をすることが全く無くなった。そして、気がついてみれば、大手企業やその系列の造る日本商品は相手にされず、日本の労働・職業能力は地に落ちる一方となっている。
よって結論、
だからこそ中堅・中小企業は職業能力を向上させれば、日本国内ならば同業他社との競争で浮かび上がれるし、その職業能力が海外販売(決して進出するだけではない)に結びついて行くことになるのだ。有能な者にとって、中堅・中小企業は活躍の場なのである。その最初の教育とは、次の類である、これなら日常で出来る。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/248


§内閣府:税制調査会 タブーその2 「消費税」
消費税論議は、ヨーロッパが引き合いに出される。今回はドイツ19%の場合を考えてみる。前回のイギリス同様、ドイツの様々な社会制度・経済構造まで見ておく必要があるにも関わらず、マスコミも含め、やはり研究不足である。
消費税に相当する税金は、事実上免税品目、軽減税率7%、標準税率19%となっている。
☆免税品目:
教育費(大学まで学費は無料)郵便料金、住宅賃貸費、金融など。
学校の教科書・教材は無料、学校の共通カバン・制服・靴・体操服は無い。
医療費の自己負担ほぼ無く、医療保険で保障し…保険料は所得の14%弱(日本は10%ほど)、介護保険は1.7%(制度が違い計算不能)、出産も医療費扱+国の出産補助(中絶は少なく、シングルも生活も普通)。医療費の一部自己負担も総収入の2%を超えた額は戻ってくる。日本のように、医者と薬局を比べる必要は無い。
☆軽減税率:7%
食糧品、子供服、靴、公共輸送運賃、電気・水道代、家庭用燃料(石炭は非課税)、省エネ機器、住宅、チャイルドシート、書籍(立ち読み、座り読みが多く、その後に購入)、映画館等。
☆標準税率:19%
その他の品物。だが、外食費のレストランは19%だが立ち食いはテイクアウトとなり7%、DVDは19%だが映画館は7%。
☆ガソリン税:約60%(経済全般の流通・交通や公共輸送政策の違い)
……決定的違いは、ドイツの賃金は、国・地方政府が職種・水準ごとに決めている。(日本のように会社と本人の契約交渉では決めない)。現在の最低賃金は、日本円に換算すると、約1050円/時間である。なので、消費税の一律%では論議できない。
また、ドイツでは、リサイクル(ガラス瓶、ペットボトル、袋、靴、中古品は別売り=何度も使用すること)が庶民生活では定着しており、その分商品購入価格も安い。むしろ、電化製品、衣類、家具、自動車、中古住宅などは長持ちする商品が多く、中古品流通市場が発達している。日本のように多くの商品を新品に頼る社会ではないのだ。
物を大切にするからドイツのような税制になったのか、こういった税制なので物を大切にするのか、何れが先かは不明である。というよりも、そういった社会構造と消費構造をドイツは形成しているのである。すなわち、標準税率19%といっても、日本での商品購入を頭に浮かべての課税とは異なる。すなわち、よくよく考えてみると、一般庶民の生活に、消費税使用目的も含め、それほど消費税が影響を与えているようには考えられない。
……このように一歩踏み込んだ内容は、消費税論議の中では公表されない。内閣府:税制調査会も大手マスコミも、こういった海外の例を紹介することに意味があるにもかかわらず…。今年の4月から6月の政府経済指標で経済成長が確認されれば、10月の閣議決定を経て来年度からの消費税8%導入が図られるわけだが…。
(追加論議)
加えて、ドイツは旧マルク相場に比べユーロ相場によって外国為替が安く換算されるから、これによる利益は計り知れない。(そこで、イタリアやスペインなどの財政危機をドイツが救うのは当然との主張が浮上・存在している)。日本もだから「円安へ誘導…」との話だと、ただただ滑稽としか言いようが無い。為替相場は消費税導入の前提だし、そっちは経済政策だといって消費税導入とは別物の議論だと言い切るのは不自然である。

2013/05/07

第133号

<コンテンツ>
大気汚染によるアレルギー疾患
  =医師数人と意見交換・論議した結果=
  =厚生省系官僚は昔から=
益々、インフレ?政策が加速
  A.株価の操作、インフレPRに踊っている人たちは、
  B.政府の海外遊説による売り込みも、
  C.大手企業は、しかたなく…
  D.国内不動産会社は、
内閣府:税制調査会の「消費税」タブー
実体経済で、個別企業が伸びるには
  ・あなたの固有価値を重視する人間発達と能力評価
  ・職業能力評価表(固有価値焦点の絶対評価)の例
  =低賃金の如くの安価な労働とは=


§大気汚染によるアレルギー疾患
とうとう筆者も、このアレルギーとなった。4月27日、はっきりと医師に診断された。
このため声帯が炎症を起こし、声が出せず、まだ正常な声が出ない状況は11日目である。耳鼻咽喉科の通念からすれば5日ほどで治るところ、他のアレルギー症状(結膜炎、鼻炎)まで発症している。しかも、周辺では体力の弱そうな人からアレルギー症状の続発である。これは筆者の大阪中心部の話だ。東京のマスコミ関係者は取材しないからニュースにならないと、九州の方も嘆いていた。
次のURLは、参考になる。
「大気汚染とアレルギー」
 http://www.waghs.net/allergy/ar48.html
大気汚染予報(偏西風により中国沿岸から3日で到着)
 http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/index-j.html

=医師数人と意見交換・論議した結果=
1.大気汚染によるアレルギー要素が全員に蓄積されつつある
2.そこに添加物の多い食物摂取がアレルギー症状の引き金
 (筆者の場合、数ヵ月ぶりのワインの翌朝から発声不可)
3.大気汚染物質が次々と飛来し続けていることが危機的環境
4.別の疾患を持つ高齢者、ダイエット中の女性など低体力者が危険
……対抗策としては、
「アレルギーを引き起こす添加物食品、牛乳その他、アレルゲン(抗原)関連食品、大気汚染物質を避けること」といった具体策である。
少し具体的エピソード的に説明すると
イ)筆者もそうだが、花粉症やアレルギーになったことのないような人に続発している現象がある。
ロ)大気汚染によって、添加物食品の多めの摂取により突然発症する。
ハ)ことに(放射能汚染と同じく)窓を解放することや換気扇は危険行為そのもの、大気汚染物質は通常の空気清浄器ではなかなか除去が難しい。
ニ)加えて、それまで牛乳など全く大丈夫だった人が、アレルゲン(抗原)関連食品を食べるとアレルギー症状は長引く。
ホ)鼻炎などは、長引けば鼻汁ばかりか出血に至る。医師の予防意識は弱い。
ヘ)そして、ステロイド剤の塗布や投薬に頼ることは危険極まりない。
ト)とにかく、出来る限りアレルゲン(抗原)を防御することである。
チ)大気汚染の粉塵などを社内や屋内に持ち込まない努力。
リ)ほぼ放射能粉塵の対策と同じである。大気汚染物質からの防衛。
ヌ)外出時の一般市販マスクは、網目が広くスキマがあるから効果はない。
よって、個別企業の対策も必要となっているわけだ。

=厚生省系官僚は昔から=、
エイズ、豚インフルエンザ、うつ病その他、「正確な把握が困難」との口実で、危険情報すら出したことがなかった。そのため、とても多くの人は被害を被っている。彼ら厚生官僚からすれば、満70歳以上は積極治療医療を行わないこととしている。その上に、こまめな治療をしたがらない人物は、「この際、大気汚染アレルギーで生命短縮!」させて、将来の発症単位患者の高額医療費発生を未然に消し去って行きたいのだろうか?
日本の官僚たちは、
公表することと、自分や自分の家族の行動パターンは別である。(原発事故で未だ家族を東京近郊の外に住まわせている官僚も多い)。このメルマガは、豚インフル、うつ病、心臓疾患など、いち早く、【個別企業の対策】をレポートしてきた。毎回、厚生省系の官僚が対策発表するころには、近似内容だが手遅れもはなはだしい。とくに、個別企業内の対策となれば、法的解釈も絡み、管理実務無知だから出したことが無い。労働省系の官僚に、職場の安全衛生対策とすべきところ、官僚の縄張り争いである。
そして、今回は大気汚染アレルギーである。
このレポート可能な理由は、私ども総務部の顧客連携と現場インタビューの洞察能力にほかならない。
官僚が危険情報すら出さないは、官僚機構の「政策能力の高さ」といった美辞麗句よりも、国民支配欲である。訴訟を恐れているのではなく、「話題にされることを恐れ」ているのだ。日本は、世界での地位が落ち込み続けているが、日本文化の水準も官僚により堕落させられている。


§益々、インフレ?政策が加速
その裏での実態経済は、今年に入ってからの低迷と、4月に入ってからの消費急落で、さらにデフレが強まっている。
A.株価の操作、インフレPRに踊っている人たちは、
命運や夢をかけてカラ元気を出している。経済の歴史を見ようとしていない。むしろ、踊って資産をなくす人が多発するのが歴史であった。「手っ取り早く富裕には、金持ち相手より、貧乏人からカスメ取った方が早い」といった経済原則を否定する、経済学者の思いついた「デフレ脱却」PLANに、そもそもの原因がある。(だからこそ筆者は、別対策が現実的と主張)。
B.政府の海外遊説による売り込みも、
農業その他の中堅・中小企業産品の全国的事業化は、遅きに失した感がある。それは、個別企業の体力(特に財務ではなく、新商品『固有価値商品』の開発能力)をつけてこなかった、官僚たちの政策失態が現状だからである。そこへ、7月参院選直後から始まる、金融機関の一斉貸しはがしで倒産・休業が増え、個別企業の取引相手や仕入れに変化が生まれるにも関わらず、だからだ。
これからは、中堅・中小企業が単独でイノベーションをした方が早い。
「C章 固有価値の質量増強イノベーションの進め方」
【固有価値商品の開発・提供】
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22
C.大手企業は、しかたなく…
こういった開発能力が、自らの企業組織にはないことが判っているから、直に海外進出を狙っていると分析するのが正当である。素材産業、資源エネルギー分野を除いて、一斉に社員を海外に出すことでしか、細々ながらの生命維持しかないのである。海外でも、日本企業はEUの技術や資金力の攻撃にさらされている。事実上の、旧態依然の技術とマーケティングで、中堅社員を海外に出稼ぎさせているにすぎない。したがって、意欲を海外に行く社員こそ、不正常な経営感覚といった現象が生じている。「日立のV字回復」に対して、日立の元社員が一言、「新幹線の次の商品はなんですか?」と、その本質をついた。すなわち、新幹線システムを海外に売っても、そのシステムを改良改革能力がないのだ。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/30
D.国内不動産会社は、
その多くが8月12日までの銀行決済を期限に、夢に踊る小金持ちへの売り込みで必死だ。不動産会社にとっては千載一遇のチャンスであるから、マンションや住宅建設が好調なのだ。インフレを信じて夢に踊る人たちがジョーカーのカードを引こうが知ったことではないという風に。当社(総務部)の近辺は地震にも大丈夫な地盤の大阪中心部。ここでもワンルームマンションの建設ラッシュである。既にワンルームですら空家が多いにも関わらず、交通の便と「駅から10分」とのうたい文句で、東京や埼玉の投資家ばかりが、10部屋~15部屋とまとめ買いをしている。おかげで街並みは荒廃、町内会でも議論になっている、中古マンションの空の「巣」は入居・復元が難しいからだ。


§内閣府:税制調査会の「消費税」タブー
消費税論議は、ヨーロッパが引き合いに出される。「20%程度当たり前」との議論である。ところが、本来はその国の様々な社会制度・経済構造まで見ておく必要があるにも関わらず、マスコミも含め沈黙である。
例えばイギリスの場合は、
消費税に相当する税金は、免税品目、ゼロ税率、軽減税率、標準税率となっている。
☆免税品目:医療費、教育費、郵便料金など
☆ゼロ税率:食糧品、書籍、子供服・靴、公共輸送運賃など
☆軽減税率:(5%)電気代、家庭用燃料、省エネ機器、住宅改装、チャイルドシート等
☆標準税率:(20%)その他の品物。外食費(昔から家庭料理の習慣)
☆ガソリン税:(67%)(経済全般の流通・交通や公共輸送政策の違い)
☆博物館・美術館は、基本的に入場無料(全額公費負担)おまけは観光客急増。
☆医療費は基本的に無料。妊娠出産費用は全額公費負担(病院に「会計」がない)
……イギリスでの消費税にまつわる商品開発の面白話。
消費税に相当する税金の導入とともに、ミニスカートが大流行。その訳は、ミニスカートはゼロ税率子供服だと定められたからである。生活文化型商品の反応は速い。
…日本の大手マスコミは、こういった議論を紹介することに意味がある。
にもかかわらず、新聞業界の消費税率の取引疑惑、読売新聞の財務官僚天下り受け入れが実態である。


§実体経済で、個別企業が伸びるには
誰もが、デフレの深刻化していることを、肌で感じて知っている。給与の手取りは4月から(社会保険料増など)減った。衣食住の生活物質の値下がりが続くけれど、それでも消費する生活余裕がないのが実態である。
「インフレ気分」は、それもこれも、財務官僚と手先の人たちが、消費税の実施のための統計数値がほしいためのパフォーマンスと分析するのが正解だ。
そこで、個別企業は、有能な社員を残し、高い採算の取れる業務改善を一気に進めることが、明るい希望がある事業の存在を決める。

あなたの固有価値を重視する人間発達と能力評価
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/250

職業能力評価表(固有価値焦点の絶対評価)の例
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254

【戦後、繊維業界飛躍の背景
 ……繊維産業は、高度成長期の重厚長大産業政策の対象外だった】
過日、昭和29年の「近江絹糸の人権労働争議」のインタビューをした。
主力の彦根工場の組合長朝倉克己さん(当時19歳)から、ご存命で争議に至った背景の内実話を聞いた。当時は映画館のニュースで映像が新聞・ラジオで、会社と組合の争議の様子が毎日流された。戦前の奉公制度に固執して、中学卒の青年たちを工場内の寄宿舎に閉じ込め、外部との接触を遮断していた近江絹糸であった。裕福でないから定時制高校に通えるとの希望を持った、地方からの青年が大半であった。会社は外部との接触を断つため手紙を検閲、労働基準監督署が工場事務所から押収した手紙の数は約3000通(社員数12,000人)。青少年は離職率も高く、繊維労働者は日本の最底辺労働者だった。
争議は、ゼンセン(全繊)同盟と近江絹糸の対決の形。労働省の調査結果によると現在の米価換算で、組合の闘争資金は21億円(食堂を閉鎖による食糧支援を除く)、会社経費37億円。海員組合と全日通の近江絹糸製品輸送拒否ストライキを、船舶各社・日本通運も容認。仏教を強制していたため、仏教会は会社を批判。繊維業界も近江絹糸を非難。
 http://goo.gl/dBXMQ
その争議を通して朝倉克己さん(当時19歳)は、「賃上げや労働条件はゼンセン同盟がやってくれる。現場の我々は、高校と短大設立を要求して労使で学園委員会を作った」と、この点を一番に強調した。朝倉克己さんが言うには、「地方から出てきた私たちは、ただ勉強がしたかった」と、誰にも知恵を付けてもらわずに考えたそうだ。それで、社内の身分差別もなくなったそうで、高級官僚や学者、各界ブレーンも出たとのこと。
繊維各社は、こぞって、
この近江絹糸の工場内の文部省認可の高校と短大を真似して、中卒女性労働者を採用することに業界として成功した。これによって、政府の高度成長期の重厚長大産業政策の最中でも、繊維業界は飛躍の基盤を作ることができた。

……そこから、筆者が思うには……、
これを契機に繊維業界の労働者は、教育水準が引き上げられた。各社本社は大学出身者が多かったものの、それまでは、工場は中学卒で作業方針が理解できない。女子中卒の離職率は激しいから有能な人物は定着せず、経営方針が実施出来なかった。ちなみに、実に繊維産業の技術は化学であった。「この種の社会貢献」こそが、日本の繊維産業を支えたばかりか、繊維からの事業転換を成功させる基盤となった。
(現代に必要なOJT教育とは)
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/248

=低賃金の如くの安価な労働とは=
「様々な障害を労働過程に抱え、努力・尽力の割には小さな結果しか無いもの」である。
したがって、安価な労働による個別企業は、生産性が低く事業主以下報酬は低い。
そこに教育がなされていなければ、労働過程の障害を取り除くことも出来ず、生産性は低いままである。よって、同じ賃金額を支払うのであれば、教育水準の高い労働者を集め、労働過程の障害を解決すれば、利益水準が上昇することになる。
この経済理論に基づいて、世界で初めて(受勲した財政学者の京大名誉教授の弁)、個別企業の経済・経営学としての拙書が、次のWeb書物である。

「D章 日本経済を豊かに再生するための人間発達と教育」
【固有価値を創造するシステム形成】
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/24
【コミュニュケーション力編】(表現力)
 http://www.soumubu.jp/appli/fb01/
【仕事実行力編】(実行力)
 http://www.soumubu.jp/appli/fb02/
【仕事能力アップ力編】(知識習得力)
 http://www.soumubu.jp/appli/fb03/