2006/03/06

第47号

職業用語にはノウハウがある。今は、時代と経済の大きな変わり目であるから、使用する用語の概念に注目が集まってきている。
同じ漢字(チャイニーズキャラクター)であっても、時代や用いる目的によって意味が異なる。とりわけ、業界用語とその持つ意味は、その業界の専門的な職業ノウハウを凝縮した概念である。便利ではあるが使い道を間違うと大失敗を引き起こしてしまう。人事総務部門にも、相当多くのノウハウが含められている。
例えば…役所に提出する書類も、申請、申立、届出と、意味も作業内容も異なる。「申請」とは、法令に基づき行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。「申立」とは項目を明示して申出て、その項目についての認否、可否、有無などの対応や行政処分をすることを予想してのものをいう。「届出」とは、一定の事項の通知をする行為(申請を除く)で、法令により直接に当該通知が義務づけられているものをいう。
また、労働紛争分野における「和解」の考え方は、戦後日本に制度導入されたもので(Reconciliation)の概念が強く、もっぱら妥協の前提となる紛争当事者双方の主張・意見・意思などを、取り成す者が聞き取る等し→その過程において、代替措置からはじまり将来措置に及ぶまでの、当事者間の自発自覚的妥協形成をすることを意味する。同じ労働紛争分野の「調停」(導入された概念=Mediation)は、もっぱらとりなす(調停)者が聞き取り→共通点を発見して取り成し妥協を図るシステムで、調停成立にはある程度の「取引の要素」も含まれるので和解とは性格を異にする。和議、和睦は調停の段階である。法律面では、「民法上の和解」に和解や調停に加え示談も含まれる。裁判での和解は「訴訟上の和解」であるから、民法上の和解とは意味が異なる。だから、それぞれ和解と言っても、それに至る方法からもが、異なるのである。
あるいは、賃金体系の用語であれば、次の通りとなる。日給月給(出勤日数X日額)の賃金形態は、1日単位の仕事で、ほぼ毎日出勤して作業をする労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。月給制(月額?欠勤分を控除)は、出勤するのは当然だが、それにもまして、1日単位ではなく、1年、5年、10年とノウハウの蓄積をして熟練度を発揮してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。完全月給制(欠勤控除無し)は、出勤や時間にとらわれず、社会科学・人文科学・自然科学での技術の向上を期待し、ノウハウの蓄積と発揮を繰り返してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。時間給(就労時間X時間給)は、出勤が日によっても週によっても異なり、またシフトも異なり、反面さまざまな融通をきかせざるを得ないところの人たちのために使用される賃金体系とその呼び名ある。業務の態様や遂行体制から、時間給制の導入が必要にもかかわらず、賃金制度選択ミスで月給制をベースに賃金計算を行えば、日々の不合理が積み重なる(所定時間外?)だけでなく、賃金締め切り日には矛盾(法定休日?)が集積、それは労働基準法上の時間外割増賃金支払い義務(2年に遡る賃金不払い)となる。素人の選択ミスが、自覚のない労基法違反を積み重ねることとなり、さらに事業方針との不合理を生むのである。もちろん、ひとつの事業所に、時間給制、日給月給制、月給制、完全月給制の人たちが混ざり合っていても、今どきは、その方が効率的なのである。総務人事部門は、「餅屋は餅屋」、その専門家なのである。


戦後ずっと日本の経済は、供給が需要を上回っていたので、問題は供給サイドではなく需要サイドにある。この基盤に不良債権が積み上がったので、これが平成恐慌の原因であった。不良債権処理が一段落ついたとしても、そういった状態で供給側重視の規制緩和を進めれば、需要サイドがそのままなので景気は良くならない。むしろ、今の政策はデフレ圧力を強め景気を悪化させている。供給側が物を作っても売れないから、ますます価格破壊せざるを得ない。
事実、今までの構造改革とは「口先」だけだったから、日本経済のデフレは強まり平成恐慌は尾を引いている。ちなみに、昭和大恐慌の当時には、供給と需要のバランスを変える経済政策が行われた。科学的管理法(テーラーシステム)の大々的導入や大正ロマン時代に庶民があこがれた商品の普及、これにより恐慌から8年後の昭和12年には恐慌から完全脱出した。(ただし、日中戦争と戦争継続のため、贅沢禁止令もこの年に施行)。
おまけに、今の政府の経済政策が金融や株にばかり目を向けたために、肝心の経済の豊かさ分野に手をつけようとしないから、需要サイドがそのままなのだ。政府の経済中枢が、「改革の旗手?」は株式分割と粉飾決算の「金融詐欺師」だったことすらが、見抜けなかった。実はライブドアのホリエモンの手法がアメリカでは20年間で75件もの合併を繰り返し業界大手になったワールドコムの手法と酷似していたのだ。それは経済金融担当学者大臣の恐慌脱出作戦?に振り回されていたからだ。なぜ、こんなにお粗末なのかの原因のひとつに、在日アメリカ商工会議所の影が見え隠れしているとのストーリーも浮かび上がってきている。
さらにくわえて、日本経済も回復しつつあるかに見えるが、これも、政府が超緊縮政策と名のる財政支出と増税を同時に行いたいがための、「口から出まかせ」の色合い(統計の取り方)が見えてきた。ここが日銀の動向を見るポイントである。多くのエコノミストが指摘するように景気は本格的な回復にはほど遠い。雇用情勢改善?有効求人倍率が1.00になったというが、内実はパートなど非正規労働者に対する求人増によるものである。しかもこれが著しい地域格差の拡大を伴い北海道、東北、四国、九州、沖縄には地域社会の崩壊をもたらす厳しい失業情勢とのこと。厚生労働省は、全国7つの失業多発地域に、特別の失業対策を行うとの意向を、最近、持たざるを得なくなった。
確かに、日本政府の無力をよそに、海外市場のおかげで、それなりに回復できた部分もあった。ところが、国際経済環境も激変してきており、今まで日本の景気回復を支えてきたアジア経済が、最近は日本を素通りするようになった。日本の貿易収支の黒字は急速に縮小に向かっている。これまでのような輸出拡大によって国内景気が支えるという状況ではない。すでに多くの外資系金融機関はアジアの拠点を、治安の悪化した東京から香港・シンガポールに移している。日本の大手多国籍企業もニューヨークの本社移転を常に念頭においているのである。
だとすると、個別企業が地に足のついた事業を行うには、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供、これを世界に向けて多国籍展開することが大切との結論になる。幸いなことに、そのための基盤となる文化や労働力は、日本国内に存在するので、この成長路線に乗るための人材確保とノウハウ確立が、人事総務部門の重要な仕事となるのである。


人間関係動向調査のいくつかを見てみると、最近の職場内における、それなりの特徴が見受けられる。
仕事をする上では、小グループながらも「仲間思考で和気あいあいと進めたい」との職業観念が強く、それなりに職場の人間関係形成には成功している人が多い。これが満足感を高めている要因となっている。その背景には、日本での高校・大学の教育は、そのほとんどが一般従業員教育で、専門職業教育をしてこなかったところにある。したがって、学校とほぼ同様に、良好な職場人間関係形成を阻害する人(能力は無視)たちは排除される。表面に見える現象はゆるやかな仲間意識の強さだが、本質はそこにはない。
そして、この職場人間関係重視だから、多数の人たちは個別企業の事業活動の基盤にはなりえず、事業活動強化の経営方針を打ち出したとしても、この職場人間関係の土台の上にしか成り立たないのである。だから、もともと「新商品を思いついても事業展開ノウハウがなければ事業は成功しない」のであるが、この職場人間関係と衝突する確率の高くなるものが「利益率の高い新商品や事業展開」であるから、総務人事部門の尽力を必要とするのである。
さらにまた、お題目を唱える程度の年俸制や成果主義も、このような職場人間関係の土台に乗る内容部分は有効だが、有能なフロンティアははじき出される。とくに経営管理、商品開発、研究開発の部門の中枢人材には特別対策をとらなければ、見た目「こぼれ落ち」ている。だから、どのような名称の人事政策を流行させるかはともかく、個別企業内での職場人間関係の程度によって事業展開は制限され、中枢人材の特別対策の度合いには、厳重注視が必要となるのだ。
ところで、多くの人が職場人間関係を重視するのだが、統計の上からの判断では、一部の中枢を除き、賃金や処遇などでは満足感をもっていない労働者が多い。このため、土壌としてはハングリー精神を発揮しやすい。が、人間関係を重視なので根気強く仕事をする傾向は薄い。ところが、いわゆる「家庭生活」は全般に満足度が高いので、根気のないところに加え、ハングリー精神もやわらいで、これがまた職場での「波風も立たない程の無風の業務成績」に結びついていると思われる。だから小規模一発主義の行動パターンが目立つことになる。
日本の個別企業は、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供を至上命令として、この体制を個別企業で作り上げるしかないので、ここにも、人事総務部門の大きな役割が待っている。仲間意識の強い現象が表面に漂っているので錯覚しやすいが、くれぐれも、集団主義や組織主義の時代の手法は、そのすべてがマイナス効果となる。