2015/03/10

第155号:時代の転換点、如何に翻弄されない様にするか!

今月のテーマ:「時代の転換点、如何に翻弄されない様にするか!」
<コンテンツ>
流通通貨増量で株価上昇、インフレ傾向だが実態は不景気
その不景気に対抗する個人と個別企業の経営対策は、
利益事業が不採算事業に変質=
   隠れていた第3番目のケース(発見とその対策理論)

経済の厳しい現実への妥協の末は=
   不道徳・精神的物質的貧困の姿

中国が源の大気汚染は=
   経済戦争さながら…にも関わらず……



§流通通貨増量で株価上昇、インフレ傾向だが実態は不景気
世界経済は、世界を駆け巡る金融資本が破たんに向かっていることを前提に、いかに金融危機を先送りするかが焦点となっている。この金融危機先送りの経済対策が世界規模で効果を果たしているが、必ず金融危機が来る。何度か金融危機を繰り返し、今後30~35年間は金融資本の破たんによる、彼らの言う不況が続くのである。
この3月から経済の主力となっている先進国すべてが、流通通貨数量の増加政策に転じたから、株価上昇などの名目経済は放っておいても数字だけ成長するのである。水ぶくれの運動不足で足腰が弱るようなものである。この先週末からも円安に傾いている。
巷や素人は、こんな事態だからこそ余裕資金を株などの金融商品に投資して、今のうちに資産増を図ろうと…勘違いするのである。だが、よほどの理論経済学に通じてもない限り暴落前に売り逃げることはできず、金融危機不良債権の穴埋めに浪費されるだけのことである。ところが、金融商品や投機的不動産などの商品に関わっている人にとっては金融危機なのであるが、ここはよく考えて、暴落した後に活躍する物事や商品などに投資しておくことが正解なのであり、これを説くことこそ本来の経済学なのである。


§その不景気に対抗する個人と個別企業の経営対策は、
【まず個人的なところから、】
イ)身体的健康と精神的健康を維持する社会人間関係、
ロ)暴落後に発揮出来る労働能力の受け皿を作る、
ハ)より長持ちする耐久消費財の確保、
ニ)衣食住関連商品は蓄積、
ホ)住宅ローンは住宅ごとなどの借金返済といったことである。
近代から現代に至り経済を成長させた原動力は労働能力であり、その労働能力の分配と指揮命令が具体的な価値創造源泉であるからだ。
その意味で個人の健康は生活に参加出来ることを基準に予防的健康手段に重点を置き、治療的健康手段は緊急時限定的な方向に持って行くとか、現在の企業運営や産業構造を前提とした労働能力や資格は取りやめて、如何なる事業形態にも応用出来る労働能力の分配と指揮命令システムをイメージしておくことである。とりわけ次世代教育は切迫している。
【次に、個別企業にあっては、】
組織的に労働能力の束(個別の単位事業)を運営するわけだから、
1.不採算部門は終息のレールに乗せること、
2.自社の強みが発揮出来る商品や事業に絞り込むこと、
3.そして、この自社の強みに意義を感じない顧客との取引をやめること、
4.業界の常識(皆やっていること)と自社の習慣を批判的に見てみること、
5.やらねばならない事は、中途半端にならないよう、確実な範囲でやり遂げること、
6.その上で、個別企業としての資産(人・もの・カネ・情報・ノウハウ)を残して行くことである。
……こういった個人や個別企業の自衛と希望の対策を、本来は国家機関や地方自治体が応援することこそが重要である。すなわち行政機関は、その情報提供やノウハウ教授することの方が効果的なのである。
その姿勢も必ず、(誰が見ても明快に分かる形として)
A.「当事者たるNPO」とか「当事者たるNGO」に対して、
B.長々しい趣旨説明とか思惑の説明は一切やめて、
C.助成制度と債権発行程度にとどめるべきなのだ。
★★★だが現実は、
口を出したがり保身を図る影をちらつかせるから、行政は敬遠され、特定人物だけが行政に擦り寄って行く結果を生み出しているのである。
社会保険の適用拡大、マイナンバー制、労働基準法の運用、ハローワークの求人不受理(労基法など違反指導)、保育所増設といった政策のベクトルは、そのすべてが官僚と官僚的行政機構の温存に向かっている。だからこそ、民間は心底協力していないし、結果、これら大概の行政施策は末端で空回りを起こしている。
★福祉国家といわれる国の経験に、(北欧諸国は既に改革している)
・法令規則と適法性を優先強力実施したがために、
・福祉受け手の体験や許容から政府の政策施策が分離してしまい、
・家族関係・老いることの定義、教育にまで(自殺者問題も含め)
悪い影響を及ぼした、との教訓があるのだ。ところが、日本の厚生官僚たちはどこ吹く風で、もっぱら財源蓄積に猪突猛進しているのだ。


§利益事業が不採算事業に変質=
  隠れていた第3番目のケース(発見とその対策理論

これから述べる第1と第2のケースは、巷の経営理論や素人の思いつき若しくは金融機関が安易に口にする経営や業務の改善策である。ところが、いまの日本に必要なのは第3番目のケースである。それは日本の経済社会が、米ソ対立とか米中対立のために国際的に経済成長が支えられて来た時代には、思いもつかない経営手法の分野なのだから。

【第1のケース…】
単位事業が惰性で運営されたために費用がかかっている。
最初の受注時点では、粗利益や見込み経常利益が存在したが、徐々に徐々に何かと理由をつけて経費が増加するばかりで、業務改善による効率化や機械化が進まなかった。そのため知らないうちに単位売り上げを超える費用を抱え込むきっかけに気がつかなかったため、現実が不採算となっている。
☆彡改善=仕入方法や業務の流れを変える、あるいは労働力構成を変えることで無駄な経費を削減し、その無駄と判断されたものはオプションの新商品として販売を試みる。こういった手法は、巷のビジネス書に掲載されているし、そのまま実行しても、抵抗勢力が少ないから問題はない。むしろ、若手の管理職候補の社員に切り盛りさせておいても差支えはない。

【第2のケース…】
受注計算の設計が間違っていたから目論見が外れている。
もとより赤字覚悟で受注したものだが、現在もその理由が必要なのかどうかが判明していない。そのため、月単位の赤字額などを吸収する先の持って行きようがなく目論みが外れている。
☆彡改善=相手方から契約を打ち切ってもらうように働きかける営業誘引を徹底する。人材の配置転換を進め運営費用を抑えの中で取引量を縮小する。それなりの受注能力があっての受注ではなかったから、とにかく撤退するしかないのである。ただし、レベルの高い管理職ともなれば、発注者の道徳的責任の有無を確かめた上で、第1のケースの手法も織り込んで黒字転換させるケースは少なくない。

【第3番目のケース…】
事業主と運営部門との利益が相反している。
その不採算部門に係る社内の利益代表者(その部門の管理職)と事業主との利益計画が相反してしまっている。
その部門の売上金の分配目的が、客先のためというよりも部門運営となっていることが見え隠れしている。
「部門の組織維持が客先の利益である!」といったような論理が展開され、低い労働水準並びに労働力の浪費が目立っている。
……「企業経営にあってはならない事態だ!」と、硬直した受け止め方をしてしまうと、その重荷に事業主は耐えかねて、強硬な実力行使に至ってしまうケースが多い。そこで総務部門が中身を紐(ヒモ)解き改善手法を提起することが重要なのだ。
☆彡改善=その事業部門を分社もしくは、その利益代表者への暖簾(のれん)分けを行い、全体事業から切り離す。その部門の人員入れ替えとか労働力構成の変更を行うと派閥争いが起こり、場合によっては労働争議を装う社内挙げての抵抗運動となる。労働組合法を準用して公的機関に問題を持ち込まれることも自然の成り行きだ。
こういった事態を、欧米流の経営管理にあっては予想すらしない論理で成り立っているから、対処を失敗する企業が続出している、異口同音に「理論や理屈に間違いはないはず!」と語っているが、所詮話は感情論ばかり…。
ことに30年不況を迎え
経営や事業システムを切り替える場合、この第3のケースに気がつかず旧来からの、削減といった通り一遍の手法しか知らないわけだから、事件や混乱が社内で起きるのは当然である。それは経営者家族、それまでの利害関係者、株主や出資者といった人間関係をも崩壊させる。且つ、社内利益代表者らの過去の成功体験に基づく自律を抑圧する形となれば、彼らの生活基盤をかけて集団的に事業主に立ち向かう事を構える。それは、人類の歴史的裏打ちされた自然の成り行き(日本の伝統的経営手法が指摘していること)なのである。
一方(話の飛んでいない経営環境のこと)、
今通常国会に提出予定しているマイナンバー法の改正により、2018年から預金情報とか社会保障制度の資力調査といった名目で個人情報までを把握し、それをもとに個別企業の人件費にまで官僚行政が介入して来ることが予定されている。例えば、「企業ぐるみの空出張や空残業」の利点は活用することが難しくなる。この第3番目のケースに対応する改善には、こういった要素が、皮肉的な話だが社員の賛同を呼ぶことになるかもしれない、こういった倫理観論議を呼びそうなテーマ自体は、あくまで官僚たちの保身と権力基盤優先の政策が生み出したものである。
★貧乏人を作るのは貧乏人である、
★女性を差別するのは女性である、
★管理社会を作るのは管理職である
…実体制度はこのようにして形成されている。世間体と人目をすべての人間関係の判断基準とした中世社会から脱却するために、自由平等(いわゆる社会正義)を主張した「百科全書派(近世フランス)」たちの思想基盤は、ICT産業革命の時代にも通用するのかもしれない。「百科全書派」のディドロの問答型小説、「運命論者ジャックとその主人」の細かい描写は面白い。
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02758


§経済の厳しい現実への妥協の末は=
  不道徳・精神的物質的貧困の姿

経済学者のアマルティア・センが興味深いことを生々しく表現している、それを箇条書きするとこうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3

センは、貧困と不景気にさらされたインドの現状分析が潜在的意識にあるのかもしれないが、現在日本が歩もうとしている社会を投影しているようだ。このような不道徳と精神的物質的貧困に対して、個別企業が飲み込まれて崩壊して行くのか、それとも個別企業が地獄から脱出するかのイメージは、あなたの経営管理の念頭から避けて事業を運営出来るものではない。(カッコ内は日本での状況…)
★★★最下層
極貧によって施しを求める境遇に転落する人。(生活保護に滞留)
★★下層一般
何らの財も持たず、生活ギリギリの地点で、かろうじて命をつなぐ労働者。(ワーキングプアへの道)
★中間層に見えるが…
昼夜にわたり暇なく働き詰めで過労に陥っている召使い状態。(身動きの採れないサラリーマン人生)
★★★★貧困を支える極貧女性群
抑圧と隷属に馴れ、その役割と運命に妥協している妻。(社会参加できない中高年女性)
そしてセンは、“アキラメから、自らを運命に甘んじさせるために、人々が自らの欲望をあきらめてしまう。”と、運命論者に行き着くことになると指摘している。
だとすると(ここからは筆者の意見)、
こういった不道徳と精神的物質的貧困が広がれば、個別企業の経営は足を引っ張られ、それが経済や社会の改革や進展に真っ向から対立することにもなるのだ。たとえ、そうなりたくない人たち=いわゆる人徳の持ち主であっても、自らを甘んじさせる(不毛な精神論)だけでは、どうしても「人徳を捨てきれないが故に穏健的態度や順応的態度」に、不本意ながらも陥る。ところが、精神論はそこそこに、自他共に不道徳と精神的物質的貧困に陥らないための具体策!を手掛ける方法があるのだ。
………それは、“自信ある行動”をすることであり、
自他共に“自信ある行動を支える”ことから始まる。
そもそも、「自信」とは行動するなかで生まれて来る認識であるが、それが成功体験の源でもある。
次の3つの行動パターンは自信のある人々には共通している。
(1)他者の必要や欲求に敏感、あるいは敏感となろうとするパターン(好奇心に類するかも)
(2)他者の様々な状況を向上させようとするパターン(愛情のひとつの形かも)
(3)逆境でも屈しない行動パターン(気まぐれ気分を制御する鍛練、それとも変り者かも)
………加えて当座は、
自らを運命に甘んじさせない具体的方法とか、他者を誉めて道徳的世界をちょっぴりイメージする行動が、こういったことならばICT機器のおかげで=FacebookやTwitter=でも出来る。人間とは、社会の人間関係でこそ自己創造も可能となるから、あなたは自律を果たし→他者の自信ある行動を支えることになるのである。(他人の批判ばかりで自己の存在をアッピールする人物は、野蛮となり様々な能力低下に陥り、刹那と落胆に陥るとのことは、哲学的に証明されている)。
☆☆その結果、
“自信ある行動”と“自信ある行動を支える”数量に比例することも、およそ理論経済学では立証されている。
(『必要の論理』p.78~、2014年翻訳、剄草書房、…は難解な書籍だが企業実務に有効)
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b183255.html


§中国が源の大気汚染は=
  経済戦争さながら…にも関わらず……

PM2.5等の大気汚染による日本の労働能力と経済損失は大変な事態である。
日本は中国との経済戦争で毒ガスをまかれているも同じ、
あまりにも量が多いから毒ガス兵器と直感できないだけのことである。
ここでも官僚たちは国民の健康被害を防衛するよりも、とりわけ軍事官僚の地位と兵器パフォーマンスに予算を集中させている。(戦争中日本はアヘンを満州で大量栽培、中国全土にアヘンを大量供給して中国軍や民間の健康を疲弊させた上で、陸軍部隊を投入した歴史がある)。
★汚染物質排出源への道徳的責任をはっきりさせないことには、
あげく中国は日本に対して、「汚染除去:脱硫装置その他を無償で提供せよ」との経済的妥協を迫って来るだろう。これに対し、日本の官僚たちは金銭的解決でもって自らの保身を図るといった本末転倒な政策になりかねない。両国の道徳的責任のなさである。アメリカ経済は中国製粗雑商品の輸入で経済救済されている事実関係があるから、太平洋対岸の火事の如くに、極東の汚染物質被害国への支援見通しはない。
★PM2.5の健康への影響留意点は…、
呼吸器不全や心臓疾患に既往症のある人に影響が多いと、未だ官僚たちは過少な言説を繰り返しているが、子供と高齢者だけでなく一般成人にも影響が甚大であることが分かってきている。エイズ然り、豚インフルエンザ然りであった。
a.緑の野山も見た目とは違って汚染されている。
b.花粉症はシーズン疾病(disease)だが、PM2.5は通年傷病(illness)である。
c.PM2.5は、いわゆるミスト状態、雨が降ってもキリが晴れないのと同様。
d.根本的なPM2.5の空気清浄は特殊な取り消し除去方法を要する。
e.だがミスト状態だから、エアコンの空回しでも効果があるとの説がある。
f.外出時にはDS1規格のマスクで密閉しないと入り込む。
g.花粉症などとは症状は異なり、症状は重篤である。
h.粒子が細かいため、咳が出ない喘息を発症する。
i.放置すれば呼吸器から皮膚、そして呼吸器から動脈血管へと障害は広まる。
……その主要なPM2.5原因は中国大陸から偏西風にのって来る大気汚染である。
http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/so4_gpv.html
★ところが、やっと環境省が国内の汚染排出規制の掛け声だけは言い出し始めたが、いっこうに中国大陸の主要原因への道徳的責任には言及しない。
★治療法は花粉症などのアレルギー疾患も有効ではあるが、あまりにも大量な汚染であるから予防的健康政策が必要であるにも関わらず、インフルエンザ対策に比べればまだまだ低レベルである。
★ことにPM2.5の喘息は自覚症状が出ないから、
全身疲労感が広がり労働意欲の喪失となる。血管への影響は硫酸塩の化合物ともいわれているが医学的にはっきり分からない。いずれにしても、“PM2.5”の傷病(illness)に焦点を絞っての対応を避けるものだから、予防や治療が進まないのである。確かに、一部の医学会や一部の測定データは流れているが、最大データ情報量を持つ国や自治体が、健康予防や治療システムを促進していないことには問題があり、これは国の重過失である。
筆者もわずかながらも、“PM2.5インテリジェンス”をFacebookで集中しつつある。
https://www.facebook.com/groups/1538949383052476/?fref=ts
★「貧乏と病気は同時にやって来る」。
といった歴史的に打ち立てられた概念は、あくまでも、まだ大気汚染のない時代のことである。昨年末に予防的健康の視点から文明が生み出した危険度の高い「12のリスク因子」をハーバードの医学大学院準教授が発表したが、そこでは一般的な病気の概念を覆した。その因子は=
…高血圧、喫煙、アルコール、家庭の空気汚染、果物をあまり食べない、肥満、高血糖、低体重、大気汚染、運動不足、塩分とりすぎ、ナッツをあまり食べない…である。ここにも空気汚染が2つ含まれているのである。(書籍紹介WEB)
http://ashita-seikatsu.jp/blogs/39462
ややもすると文化水準の低い国では、道徳的権利は、理性よりも個人的問題だ!とか、文化的選好だ!と決めつけられやすい。だが、大気汚染や家庭の空気汚染(シックハウスや調理器具)は汚染物質を排出する者の道徳的責任であることは、ここでも一目瞭然である。