2008/04/08

第72号

世界が経験する戦後初の金融危機
が、とうとうやってきた。日本だけの戦後ではバブル経済崩壊であったのだが、バブル経済を作り出し大蔵官僚が後始末から逃げたところに、中堅中小企業にとっては、平成恐慌となってしまったのであった。発振元のアメリカも、サブプライムローンに手を出さざるを得なかった経済戦略が存在したからと、冷静に見ておく必要がある。サブプライムローンが緑豊かな樹木の葉っぱと考えられていたところ、実は、黄色く枯れ虫食いでもあったのだ。このようなまがいものの葉っぱは、幹が腐っていたのである。
回復がどのように、何時頃なされるのかは、専門家の間でも分からない。
ところが、経済学からすれば、「アメリカドルの基軸通貨が揺らいで、信用不安が起きてしまった」と、幹に問題があったそれだけのことである。
では、今後の世界経済はどうなるのか、これもよくよく歴史を踏まえて考えれば、そうむずかしい予測でもない。

アメリカ経済圏…
アメリカドルの基軸通貨の役割を必死で守り、世界で生産される商品を為替レートでコントロールして、国際貿易を通じることでの経済を成り立たせようとする。そのためには、軍事力と大手多国籍資本の展開が必要となってくる。トヨタ、キヤノン、ソニーも、どうぞアメリカ国籍にいらっしゃいという訳だ。

ユーロ経済圏…
生活と生産の中心として、健全な経済発展をユーロ圏内でつくりあげようとする。ヨーロッパで戦争破壊がなければ経済は順調に進み、環境を経済に取りいれれば、さらなる経済資源となり、生活と生産が豊かに向上するというもの。アメリカ系多国籍企業に比べれば、きわめて知的レベルの高い事業展開を行うと自信をもっており、社会から非難されるような無謀なことはしない。世界中の経営管理手法を研究し、徹底して人材育成教育を行っている。ちなみに、トルコのように人種差別を行っている国を、人種差別がユーロ内経済秩序を破壊するとしてEUには加盟させないのだ。

ブリックスなど発展途上国…
中国、ロシア、インド、ブラジルなど農業、工業を発展させようとする戦略である。もう数10年すればアフリカ諸国がブリックスに入って来る。見ての通り、アメリカ経済圏やユーロ経済圏から続々と、資本や製品が投入され、これからの経済発展が見込まれるといったところだ。

さて、日本経済は、この三つのそれぞれに、
いろいろな業態でもって進出することになる。多国籍展開をしなければならない大手企業となれば、アメリカあたりに本社を移転させて、為替レートのコントロールのもとに世界中に事業展開することになる。高付加価値製品を武器にするならばブリックスに工場進出するか、Made in Japan の超高付加価値商品を日本から直接販売することとなる。
高水準サービスの提供をするならば、世界の金持ちを日本に呼び寄せ、さながら東のジパングとか、東の彼方の蓬莱島といったところだ。(スキーツアー、日本食、雪景色、緑や紅葉はサービスの重要資源、ギャンブルでは集客力がない)。ちなみに、EUの交流自由化は、ヒト、モノ、カネに加えて、サービスの四分野としている。
そこで、日本経済発展の方向性を裏付けるもの
これが、日本文化に基盤を持つ文化経済なのだ。日本独自の文化であるがゆえに、世界には類を見ない高水準の商品を供給することができるのだ。
とりわけ、企画・製造をした後、
日本の厳しい消費者(日本文化)に認知されて育成されるという訳だ。
その底流には、教養に重きをおいた(社会での)教育が行われて来たことであり、
こういった日本の文化経済の水準がある限り、日本国内の豊かさといったものは、ほぼ後退するどころか、前に進んでいくことは間違いなさそうなのである。生産価格が安いからとか、見た目は同じといった商品哲学で、なんでも海外で生産するとすれば、日本の技術や技能を衰退し、社会教育の基盤さえ衰退し、世界に進出する重要ポイントとなる文化経済も衰退しかねない。
一説には、日本の国民総生産は500兆円、これが今から始まる金融危機を経て10数年後には、300兆円まで落ち込むとのことである。300兆円というのは、パリ、ベルリンとまでは行かないが、今のヨーロッパなみの生活水準である。200兆円というのは、一般庶民や中堅中小企業には、さほど関係無い国民所得とみて良い。すなわち多国籍展開をしている大手の売り上げが国外に出てしまうことと、大型公共建設事業が無くなるといったところなのである。
とはいっても、中堅中小企業といえども、多国籍に向けて直接間接に展開をすることは間違いない。昔は、海外赴任といえばエリート管理職、今や海外単身赴任が管理職どころか監督職にまでおよび、経営能力水準の低い企業であれば、「名ばかり管理職?」にまで波及することも間違いない。たぶん、技術者は世界を行脚するが、技能者は国内にとどまる。日本の大手多国籍企業…もとより中東オイルマネー資本には及びもつかないことを忘れてはならない。
この金融危機の後の国内の事業展開?
に向けて、総務人事部門は今から準備をしておく必要があるのだ。とりわけ日本独自の文化に育まれた職務遂行能力や労働能力を、如何に標準化しノウハウ蓄積をするかが重要となって来る。(文化経済学の研究から)属人的といわれているノウハウ蓄積も科学的に解明されたことから後輩に伝達教授することも容易となり、IT技術を使えば膨大な質量も可能となる。これを日本社会全体で如何に実行・完成させるかが重要となるのだ。スウェーデン(実は精密武器の輸出国)は40歳過ぎの工作機械技能者に数年かけてSE教育を職業安定所が行っているが、これは大いに参考になりそうだ。今日本で騒ぎとなっている、子供の頃から英語を習って国際人(海外赴任で働く?)になりましょうといった珍奇・非現実的な教育論議とは、まるっきり次元が違う。
では、何からはじめるのか?
つい先日の発表によると、日本の労働者は約5000万人、そのうちの33.5%が非正規労働者とのことである。非正規労働者の中の77%が年収200万円未満とのことである。こういう統計数値だからという訳ではないのだが、日本の文化経済を支えるには、結果論として無理があることも事実だ。これを聞くと、一般素人は個別企業の管理職も労働組合も政府官僚も、「正社員を増加させれば何とかなる!」との発想するのだが、世界や日本の歴史の中で、そういったことはまったくない。むしろ、正社員!正社員!と主張することで思考停止を招いてしまい倒産・脱落となってしまうのが社会の現実である。まずは、今おろそかにされているOJTの基本、「やってみせて、言ってみて、やらせてみせて、出来たところをほめて、人を育てる!」に尽きるのである。
この土台のうえに、今流行の教育訓練が行われて初めて効果が発生して来たのが歴史である。これは自由経済のみならず社会主義経済でも共通であったし、差別や人権に問題のあった国では失敗をしたのが歴史であった。中国(人権無視)、インド(差別制度)の事例は、人口量の割には経済成長しない典型事例である。歴史が証明していることは、一般素人の思考とは正反対に、労働力の教育訓練から始めることが大切で、個別企業から独自に行ない、社会がそれを支えてくれる文化が必要であるということだ。
金融危機を克服し発展する、この順序は文化が変わり→経済が変わり→政治が変わるのであって、これが科学的法則なのである。
これは個別企業の事業展開においても同じことで、総務人事部門が活躍して文化が変わることに一役を買うことが大切なのである。
3月31日夜のNHK特集、「名ばかり管理職」を見て、ビジュアルに発見したことは、出演していた経営者の経営管理能力水準は、単なる監督職、すなわち経営者の能力も無ければ管理職能力もない事業主であったのだ。たぶん、学問的科学的裏付けのないビジネスコンサルタントや社会保険労務士が、この事業主の周りをうろついているとの憶測をしてしまうのは、果たして無謀な判断なのだろうか?


労働契約法の解説(出向)
労働契約法第14条には、「使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向命令が、その必要性、対象労働者の選定にかかる事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする。」とされている。
さて、非常に誤解の多い部分は、
「出向を命ずることができる場合」の内容解釈。出向とは、在籍出向であっても移籍出向であっても、現在の雇用契約に加えて、新たに出向先との雇用契約が結ばれることには変わりがないことから、やはり、「申し込みと承諾の意思の合致」が新たな出向先との間で必要になるのである。したがって、出向元、出向先、労働者本人の三者での、出向期間、出向中の地位、人や労働条件の協定が不可欠なのだ。とりわけ労働者本人の同意が存在して初めて、「出向を命ずることができる場合」となるわけである。三者協定書などで、こういった三者契約の裏付けがなされていない場合には、職安法第44条に違反する労働者供給に該当すると判断されても仕方がない。それは、三者がそろわず、個々に三つの契約がかわされたとすると、支配従属関係の存在が疑われるからだ。
本人同意のいらない出向を命じる場合には、
新日鉄事件(最高裁第二小法廷、平成15年4月18日)の判例によると、グループ会社の間でもって、いわゆる同一労働条件などの就業規則が整備されている場合であれば、グループ人事本部などが設けられており、この部署から出向を命じることができるとの解釈になる。すなわち、グループ会社間で、そのような就業規則などの整備とか出向規定を完備している場合であれば、本人の同意を得る必要はない。ただし、社会通念の人事異動の如く、グループの各会社を渡り歩く実態は、出向制度(規定)とは関係ないものとみなされる。
そもそも出向というのは、
資本関係のある関連会社での雇用安定のための人事調整、
関係会社への経営指導・技術指導、
関係会社での教育訓練をする・されることが目的、
これらのいずれかに該当しなければ、職業安定法第44条の労働者供給に該当し、契約交渉に当たった個人が会社を差し置いて、優先して罰することになっている。
とりわけ、労働契約法に出向が定められたからといって、この文面さえ守っておれば合法的であるといった認識は誤りなのである。知識偏重であり形式主義なのである。
なお、「権利を濫用したもの」とは、民法の一般規定とは異なり裁判官が独自判断するとの意味ではない。必要性、選定事情、その他事情について個々に要件事実の正否の判断を行うことで、権利の濫用を結論付けるという意味であって、労働契約法独自の解釈を行うことになっている。そして、「無効」とは、もとより無かったものとして取り扱うとの意味であり、雇用継続や賃金支払いはそのまま維持されるという解釈となっているのだ。