2013/08/06

第136号

<コンテンツ>
マーケティングじゃなく、顧客の希望先取り商品が決めて
   =「固有価値商品」と言われるものは、「意欲・感動・希望」
   =世間話ではなく経済や経営の学問的裏付ける視点
   =大手企業の選択肢は、自業自得なのだ。
アベノミクス、仕切っているのは、やっぱり霞が関財務党
あなたと、そして同時に日本経済を復活させるには
目先の利益が不可欠、プラス、「自らの日本文化圏と事業経済圏」を、
    【とりわけ重要な視点は】
    【よって、個別企業においては】

人をケアcareする仕事の、採算割れ&労働者の定着しない理由
 【介護や保育の事業場での具体的改革の方法】
  1.職場共同体内で交わされる対話
  2.事業場内での出来事の分析
  3.ユーモアの奨励
  4.作業指導及びスタッフの増員
  5.労働意欲に影響すること
  6.女性労働は、現状不可欠な存在

=研究事例=親族介護者に賃金を自治体が支給(フィンランド)


§マーケティングじゃなく、顧客の希望先取り商品が決めて
これを提供する企業は、この5年から10年は続くとされる経済成長低下の中でも、いわゆる豊かさと成長の確保が出来る。その根本的理由は顧客の望むもの、とりわけ顧客の希望を考える姿勢を保ちながら経営をするからである。それは、現代風に変質した「マーケティング」ではない。すなわち、顧客のニーズとか、顧客の購買意欲とか、顧客の感動を呼び込むといったようなものとは次元が違う。現に、いくつもの中堅・中小企業では実行され、それなりの堅実経営が行われている。しかしながら、大手企業や惰性で動いている企業では、口を開けば「マーケティング」などと称して、時代の根本的変化に対応しようとしていない。その顕著な現われが、先ほど述べたような顧客ニーズ、購買意欲、顧客感動といった言葉を使用することで、ごまかしを温存している実態なのである。

「固有価値商品」と言われるものは、「意欲・感動・希望」
この三つがそろってこそ、特に「希望」とセットになってこそ成り立つ。売れない商品、息の短い商品、コマーシャルだけで売れていない商品というものは、概ねマーケティングに力を入れ、肝心の「希望」といった視点が欠落しているものばかりである。ただ、現代風に変質したマーケティングというものは、少なからず捏造データの集まりであるから、それを見抜けなければ経営陣の一員としては元も子もない。事実、拝金主義的マーケティング業者の経営のコツは、発注担当者の上司の喜ぶ資料を捏造することにあるからで、これはマーケティング業界の通念である。読者の中には、そこまでマーケティングを全面否定しなくともとの論戦もあるだろうが、捏造に目をつむったとしても所詮は、今まで拾いきれなかったところの顧客を探すにすぎず、顧客から寄って来る(固有価値商品の特徴である顧客との連携こと)はあり得ないのである。予算達成とか上司の顔色ばかりで仕事をするサラリーマンには、「顧客から寄って来る商品」は考えられない着想なのである。着想がないならば、例えば、客単価データとして、伝票ごとに満足度、男女人数、来店時間帯、支払者の年齢層を書き込みためておく、このデータを満足度とリピート回数をキー項目にしてICT処理すれば、変化の兆しを観るポイントが判明し、だから季節ごとに変わる客層の変化の予想が可能となり、固定客の確保・増加&時流・風流客の確保にも役立つ方法もある。だが実際は、着想がない=何も対策を考えないのか現場における現実である。ところが、それだけのことで、時代の変化や波に乗った経営をすることは出来ないのである。こういった方針概要は、どの業種・職種でも言えることであるが、肝心なのは顧客の方から寄って来ていただくには、何を言っても「インタビューと顧客の気持ちを見つける」ことが大切なのである。昔流のたとえでいえば、昔、西武百貨店の外商員だけが、土日を休日にしたことで、外商の売り上げを図った時期があった。大手中小を問わず、その多くは、「老化した人の努力は過去を呼び戻す」の類である、だからそこにチャンスもある。

世間話ではなく経済や経営の学問的裏付ける視点
から説明すれば、顧客ニーズ、購買意欲、顧客感動といったテーマは、使用価値商品そのものの範疇に属するのである。いかように情熱を込めて語りかけたとしても消費者には足下と思惑が見えてしまうのであり、買った後で消費者には空しさが残る。空しさが残ればリピート消費者が発生するわけはない。大手企業をはじめ借金を積み重ねて資本回転させている企業ならば、金融機関(事実上の株主)から投資と利回り成績を監視される立場にあるから、金融機関に対する机上論理を繰り返して使用価値商品を作らざるを得ない(いわゆる経営計画)のである。若しくは、偏った経済理論だけ学んだので使用価値商品しか知らない者もいる。その使用価値商品の最たるものが、箱物公共事業である。いくら飾りたて、いくら異議を説いても、「虚しさ」が存在しているのは、ここに原因がある。たとえ画一的社会保障制度において、それに携わる公務員が現場の実状に合わせて利用者の「希望」を組み入れようと努力したところで限界があるのも然りである。だから、公立の教員は真面目がゆえに時間が無くなり、慢性疲労に陥り、思考停止になり悪循環を引き起こすのが例である。まして外郭団体や民営外注(アウトソーシングとは異質)にしてしまえば、分業の美名を掲げて労働をパートPart化するだけで、利用者の「希望」に対応する人員配置をすることはない、それをすれば出血サービスになるからだ。

大手企業の選択肢は、自業自得なのだ。
それは大手企業が現在広範囲に保持している、凡そ陳腐化した技術・技能を、人材とともに、残るは海外に持って行こうとする選択肢しかないのである。ないしは、イノベーションと称して、その実、あわよくば大手多国籍外資企業に「技術」を売ろうというものである。したがって、そのグローバル人材の育成というのは、筋肉や脳味噌の肉体労働範囲の何物でもない。前号のメルマガでも述べたように、ICT機械化の遅れている国々へ進出・人材を派遣すれば、しばらくの間は商売が成り立つであろうといった苦肉の策、明日は考えないのである。すなわち、新しい時代に向けて、
一、構想力(例えば、仕事の段取りや効率化を進めるICT活用能力)
二、創造力(例えば、それまでに存在しなかった希望を提供する商品発明力)
といった能力の育成方針は、大手企業には見当たらない。もっとも所詮は、そういった能力のない人に研究が任され、そういった能力のない人の行う研究内容でなければ、大手企業の中では採用される余地がない状態であることも確かではあるが。
それどころか世界経済はにあっては、「企業はサービスの提供によって競争する時代であり、これらは単一のサービスや製品によって競争のスタートラインには立てない」なのである。この現実を無視して、大手企業をはじめ多くの企業は、サービス提供業務自体を下請けや外注に回しているのだ。先ほど述べたように、分業の美名を掲げて労働の一部を労働力としてパートPart化された部分だけ活用しているのである。もちろんこれは、本来的なアウトソーシングとは無縁でもある。


§アベノミクス、仕切っているのは、やっぱり霞が関財務党
夏真っ盛りに入り、主な業界団体は関係省庁に対して、「本省詣で」の真っ盛りである。集めた税金を、業界や個々大手企業に回してもらえるよう「根回し」をするのが6月から8月中旬(今年は選挙のために遅れた)まで、9月になれば本省官僚たちはヒアリングと称して予算方針大枠の「地ならし」を行ない、後は年末に向けて邁進、その後に族議員たちの調整のために「復活折衝」といった具合なのである。
ところが今年は世界的経済危機その他のために、順調よく事が進まないのである。
霞が関財務党の言いなりになる政権が安定?したものだから、すなわち、何のかんの言っても、議員も業界団体も政府にすり寄って来るだろうと足元を見透かされているわけだから、選挙期間終盤から、霞が関財務党は、各党選挙公約を実態として反古にしつつあった。某内閣官房参与は(7月19日午前:経団連フォーラム講演)消費税再検討をいち早く主張し、その理由として潜在的GDP成長率は1~2%であって、今1月~3月期の4.1%は瞬間風速とアベノミクスに反論をし始めた。加えて潜在成長率を上回るインフレ目標達成(第一の矢)は、インフレ税(大衆課税)の形を取る増税そのものだと批判する。さらに、財政出動(第二の矢)は景気回復に役立たないと言い切る。成長戦略(第三の矢)についても政府がいちいち口出しをするなと指摘し、規制改革(ほぼ官僚権限内)を進めるべきと、はっきり「政府の関与を少なくして行くこと」を言い切っているのである。この某内閣官房参与はここまでアベノミクスに踏み込み・批判をしても、総理大臣に首にはされていない。所詮、総理大臣が操り人形であることは否めない。労働問題に掛かる、重要な予断をこの内閣官房参与は述べている、「日本の能力ある女性がさらに労働市場に参入することが重要である」と。
そうこうしているうちに、先日は官房長官が失業率の低下や有効求人倍率の上昇を、得意げに発表する始末であるが、その数字上昇の背景は非正規職員への切り替えによる、労働の一部を労働力としてパートPart化している結果なのである。本人はアメリカ経済指標のトレンドを利用して「雇用情勢」の好転とでも言いたいのであろうが。今日、製造業の設備投資が回復していないことが発表もされた。


§あなたと、そして同時に日本経済を復活させるには
この7月は、筆者にとって、この上なく落胆・呆れた月であった。もとより政治・選挙というものは嫌いである。今回は特に、一応は知っておかなければと思って静観していたけれど、総ての政党が、「国民からの税金の集金方法」並びに、「集めた税金と借金の使い道(取らぬ狸の皮算用)」に終始していた。日本の経済を豊かにするとか成長させるといった具体策は何もない、若しくは言い訳程度の話でしかなかった。自民・共産・みんな、この三党は官僚や公務員に足がかりをもっているのだが、総ての政党が現在の官僚機構に頼ろうとする政策ばかりであった。日本経済の復活、日本文化を活かした世界進出といった、「国民が希望をもって明日から生きよう」といった政策は、一通り流し読みをしたが、その気配すら見当たらなかった。
世界をおしなべて、先進国若しくはその仲間入りをしそうな国においては、いざというときに、いわゆる職業官僚には頼らない。かの社会主義国の各国はスターリンなどによって官僚主義がはびこることにはなったものの、国内の圧力団体(1980年当時は各国共産党やその青年団体(日本は民青)その他)によって官僚政権はつぶされてしまった。あまり目立ちはしないが、いわゆる西側諸国でも同様の動きが生まれており、EU統合はその典型的な事例である。「官僚使いこなす」と評論する輩も多いが、官僚用語すら理解出来ずに何をかいわんや!である。
=結論=
自ら自身そして日本復活を志す人々が、「自らの日本文化圏と事業経済圏」を、自らで造り上げることがキーポイントになりつつある。なりつつあるというのは、未熟さのゆえに失敗の招来も多いということである。例えばヨーロッパでは、戦前からEU統合の構想が盛んであったが、同時に西ヨーロッパ各地では地域ごとに経済圏を形成し、その要として地域通貨も発行、インフレや重税の経済政策に対抗して豊かさを築いていった。日本で議論されている「道州制」とは中身は違った。ドイツではヒットラーがこれを弾圧した。フランスではヒットラーの傀儡政権であるビシー政府がドイツ軍の手を借りて弾圧した。イタリアではローマカトリックがムッソリーニを祭り上げ弾圧を図ろうとしたが、各地の地域政府(もとよりイタリアは統一国家ではなかった)はドイツに対するレジスタンスを行ない現在に至る地域基盤の豊かさ追及経済を形づくっている。だから、それぞれEU危機とは関係なく、それなりに国民は豊かな生活を送っているのである。
日本の場合は残念ながら、明治維新直後に地租改正や学校教育に対する暴動が全国頻発したが、日本独特の官僚システムに押さえられてしまった。戦後においても、単なる反発や批判勢力といった行動は、日本独自の官僚システムにあっては、その「型」を吸収し、都合の良い道具に仕上げることに長けている。地域経済再開発や地域街づくりの多くが、日本官僚システムの誘惑でもって変質し、地場産業そのものが衰退をたどっている事例が少なくないのも否めない。だが、官僚以上に意思と知恵が強い個別企業や地域は、結構豊かに暮らしているのも事実である。
多くの人たちが起業をする、だが、職業資格教育とともに起業のための教育を受けたわけでもないから失敗の確率が極めて高い。自らの手持ち資金がなくなるから、NPO団体を造ることを考えて、これまた否応なく日本官僚システムの誘惑に取り組まざるを得なくなるのだ。官僚も解っていて起業教育をさせない。
とは言っても官僚の政策によって、日本は太平洋方面工業地帯若しくは大都市では経済成長といった概念であるならば確かに発展してきた。日本の社会保障制度も某野党や某労働組合ブレーンの意見を官僚が取り入れ、現在の「型」を作り上げた。ところが結果は形骸化し、地方、過疎地、高齢者、女性、子供たちについては豊かさは下り坂の一方であったし、その豊かさが金銭に転換されて、官僚による「株式会社日本」といった経済成長の資金に使われたことは否めないのである。ところが、この十数年の日本官僚による拝金主義と利回り優先資本(これをアメリカひいきの従属官僚という人もいる)によって、日本経済は世界から見向きもされなくなった。まだまだ転落しつつある。日本経済に掛かる事の本質と大局から見れば、これが妥当な考えであることは否めない。


§目先の利益が不可欠、プラス、「自らの日本文化圏と事業経済圏」を、
これを自らで造り上げることが重要な時期にきた。消費税の動きが微妙だが、今の通貨供給を増やした政策は、インフレによる大衆課税を招いてしまった。それは、現状をおしなべてみると、1人当たり20%割程度の増税換算(ただし偏って現れるから、低所得者層には無縁)である。2016年から施行されるマイナンバー制による増税は、筆者の概算では6兆円の収益(高校生や主婦のパートからも所得税と社会保険料を徴収)となる。近ごろは少子化対策も政府は言わなくなった、それは人口を減らす方針に転換したからだ。高齢者・子育て両親を問わず無知・弱虫から切り捨て(短命政策)の段階に入っているのは明白なのだ。加えて、その切り捨て対象となっている個別企業や個人には、目先の細かい利益を追求しないといった特徴をはらんでいるのである。
それでも生きるとは何か、そのための対策は、目先の売り上げ向上も含めて次のURLを推奨する。
=人間重視:固有価値商品の提供と事業運営=
http://netclerk.net/WebShomotsu/

【とりわけ重要な視点は】
その長い短いとの労働時間を問わず、「労働力」の仕入れを避けることである。すなわち、より有能な「労働」を仕入れ(職業能力評価表)、その人物の労働価値を常に増殖させ、それを売上げ、生産性、労働意欲、効率の経営四要素に結びつけることである。「労働力」とは、たしかに経済活動・生活を分業するからこそ豊かさと発展は築いた。ところが、「労働力」を利用するということは分業ではなく部分(パーツ)労働なのである。したがって、消費者・顧客の求める商品を追及する目的だから、ものづくり・活用普及・人のケアcareといった何れの作業工程においても、「労働力」という部分(Part)労働では価値の実現や増殖が出来る道理がないのである。すなわち、道理がなければ誠意をもって働く人は皆無であるから、作業完結するわけがない。(海外の優良企業の例を見ても)「労働」による事業構成メンバーのチームワークが不可欠な時代になっているわけだ。よって、部分(パーツ)労働を寄せ集めたコンビネーションでは売れないどころか投資効率が極端に悪くなるのも自然である。(当然のこととして金融機関が融資出来るわけがない)。

【よって、個別企業においては】
本来の分業を事業構成メンバーの「労働」をアソシエーションAssociationとして組むことが決め手なのだ。上位から下へ達する形がコンビ(Combination)であるが、この労働組織で提供出来る品物は海外生産の分業物程度なので現在日本では売り物にはならないのだ。あなたの会社の固有価値、働いているあなた自身の固有価値として価値増殖すれば採算は安定する。これがアソシエイツ(Associate)すなわち、チーム連携結合なのである。コンビネーション労働組織におけるアイディアと批判の時代は過ぎた。combination労働組織が崩壊したのなら、association労働組織を設置整備することが個別企業再生の時代であるということだ。
「自らの日本文化圏と事業経済圏づくり」を合言葉に、ICT産業革命を活用することで、その豊かさと成長を相互享受する関係を造ることである。
そのためには、日本文化とは物品・物質のイメージではなく、日本人の持つ能力を発揮して創造性と芸術性の息吹を吹き込むことなのである。そういった方向でのICT機器を活用したICT産業革命の担い手(それはあなた)によって、産業や職種の具体的企画・研究と実行・成功事例を集積・アソシエイツ(Associate)しながら、個別企業を成長させることが出来るのである。(例えば今回、介護・保育産業の企画研究を本メルマガ掲載)。


§人をケアcareする仕事の、採算割れ&労働者の定着しない理由
イ)保育所を増設しても、保育士が集まらない、保育士が数年のうちに退職し資格があっても復職しない、保育所の経営は総じて四苦八苦である。介護においても、就職難を背景に介護士は増加傾向にはあるが、きわめて離職が激しく、社会保障予算を注ぎ込んでも好転する見通しが立っていない。すなわち、労働力投入量に対して、成果や実績が上がっていない、若しくは成果や実績を評価されない職業が、介護・保育の仕事である。労働力投入量に対して、成果や実績が上がらないから賃金も低くなる、これが経済学原理だ。おそらく、職業教育についても同様のことが言えるだろうと推察しているし、介護も保育も起業基礎教育をしないから産業水準劣化が生じていると思われるが、この当たりは現在研究中である。

ロ)とりわけ、介護・保育といった仕事を、使用価値商品として無理矢理決めつけ、予算組みを行い机上計画の実行でもって金銭補助を行うものだから、実際現場では様々な不具合が、あえて生まれる。必要不可欠な業務が制限されるとか、労働者の賃金に反映されないとか、机上計画組織の運営経費に資金と労働が流用されるといった不採算を引き起こしていることは否めない事実である。こういった方法を鵜呑みにして、使用価値商品として現実離れした机上計画に固執する民間経営施設も同様の事態を引き起こしている。したがって、現状での民営化をしたところで問題の解決には全くならないばかりか、採算割れした部分を、肝心のケアする側の労働者の賃金カットで補えというのが、現在の潮流であるから、事態はいっそう悪循環を起こすことになる。

ハ)厚生労働省の官僚たちには、こういった悪循環事実をアピールし、予算を獲得して事業規模を拡大、同時に厚生官僚の予算と権限拡大に邁進するばかりと言わざるを得ない。マスコミも厚生官僚の報道機関への悪循環発表を鵜呑みにしているようで、不採算や予算増の必要性アピールに終始している始末である。確かに、現場の問題点を厚生労働省の事業政策に反映させる統治能力を持った団体が存在しないから、現場における改善策は手薄にならざるを得ない。介護や保育の労働者を組織する労働組合は、職業能力に関する論理展開がきわめて弱く、抽象論や信仰論に近い。事業者はそれなりに団体が組織されているが、助成金をもらう立場であるから抜本的意見を述べるわけにいかず、時の政権に尻尾を振らざるを得ない。

ニ)根本的な原因は、先ほども述べたような「予算組みを行い机上計画の実行」にある。そのために、介護や保育に従事する労働者が使用価値商品として扱われ、実態把握を無視して厚生労働省規制をかけていると言わざるを得ないのだ。規制緩和(改革)といっても、使用価値商品の典型である箱物に厚生労働省はかかわるだけである。

ホ)こういった事は、「人をケアcareする固有価値商品の考え方」と比較対照すれば一目瞭然に解明できることなのだ。
(参照)「人をケアcareする」サービスのイノベーション
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
その固有価値商品の理論とは次のものである。それは現場実態を重視する理論である。悪循環事実を並べ立てる、あるいは目先対処ではない。
(参照)固有価値商品
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/11

ヘ)では、介護や保育の現場で、最も重要なものについて改善・改革を考えてみる。それは、労働方法(価値増殖)と、労働者確保(定着&復職)に尽きる。厚生労働省のように、これらを「労働力」(マルクス:使用価値論)で規制するのではなく、「労働」の固有価値商品として価値増殖する概念でとらえれば、解決策が鮮明に見いだされる。今から紹介する方法例は、既に介護や保育の現場で成功している事例であり、福祉先進国が近年の経済危機の中を乗り越えて来た事例でもある。

ト)非言語的な意思疎通が大きく幅を持っている介護や保育の現場であるから、表情の表出や解釈については、おおむね一貫一致しているから、すぐさま活用できる方法である。おおむねというのは、心理学での研究が済まされているのだが、「どのような感情をいつどれだけ他者に示すなど感情を表出するルールが文化的に異なっている」といった話だとの意味である。したがって、日本と外国の差異を持ち出しての抽象論ではなく、国内・行政区内での地域間格差・地域コミュニティーへの配慮が、むしろ極めて重要ということなのだ。

【介護や保育の事業場での具体的改革の方法】
1.職場共同体内で交わされる対話
……毎日のミーティングで、事業場の「人をケアcareする」計画を立てることである。計画が原則的であれば柔軟性は高い。ここに予算組み&実行といった机上計画との差異が生まれる。不要な仕事や無駄な作業を排除する方向に動く。多くの事業場は、施設としての責任と実行を、労働者個人の資質や職業能力に転嫁するものだから混乱を招来する。そのために、未熟練労働者に精神的圧迫が加わる(事故対応、保護者との摩擦など、そして退職)とか、作業の未熟さによる体力消耗(慢性疲労、腰痛等慢性疾患、作業の時間外処理など、そして復職拒否)とか、これにまつわる欠員補充や人員配置の悪循環招来を、益々激しくさせているのだ。日本では、保育士の仕事を離れた人は、85万人も存在すると言われ、その現場への復帰率は1%程度と言われる。だが、こういった難題は、北欧のみならずイギリスなどでも解決をしてきたし、もちろん財政課題もクリアしている、
と言うよりも本質は財源問題ではなかったのだ。(官僚は財源問題にしたがる)。

2.事業場内での出来事の分析
……これは、「人をケアcareする」職業能力での、先ほど述べた「感情を表出するルール」の地域内研究・年齢層研究・作業充実のための基礎情報と資料共有である。現業部門であるから、この出来事分析を行うことで労働者が具体的に学習して、職業能力として整理し、他の労働者の経験や過去の経験を、現在の労働者の職業能力に上積みすることである。固有価値商品としての労働は、その出来事分析によって労働の価値増殖をする。半面、厚生労働省などが主張する「労働力」(使用価値商品)であれば、熟練・未熟練に関係なく労働時間の長さで判断しようとするのである。現場と財政が乖離(かいり)するのは当然のことである。したがって、熟練労働者の賃金を引き上げる事業費用の配分が出来ない中、意味も考えずに賃金問題を考えるから益々困惑・破たんせざるを得ない。介護・保育に係る労働は、工場生産又は出張建築作業ではないのだから、労働者が熟練を積むことで長期間にわたって労働を提供できる環境整備の一環として、出来事分析をとらえ、好循環を形成する必要があるのだ。そして、労働条件の向上は、あくまで職業能力向上と結びついている道筋なのである。また、現状の社会保障制度としての助成金を受け取っている場合は、ヨーロッパのように介護・保育に係る労働者は政府に対してのみ賃金引き上げ要求を行うべき(労組も現実対応して改めるべき)なのだ。こういった事を施設の使用者は未熟練労働者に、はっきりと説明・解説すれば理解されるのに、お茶を濁したり、食事会や慰安旅行で慰めようとするから、労働者に疑われたり不満が蓄積されたりするのである。

3.ユーモアの奨励
……ユーモアは事の本質を突いて事実を分析することから生まれる。その場での対処作業の工夫や問題把握につながる。反対に、冗談は事の本質に関連していても見当違いを表現してしまうから禁止すべきなのである。このことで、介護や保育の作業改善と職業能力向上のチャンスを増加させるのである。アイディアとか新作業方法といった発展は、ユーモアあふれる明るい職場環境であるからこそ生まれている、これは「人をケアcareする」職業以外でも同様である。ケアを受ける人たちの需要(感覚も含め)が、労働環境・生活環境・住宅環境によって今後も変遷していくことからすれば、アイディアとか新作業方法の日常開発は不可欠なのだ。刑務所のような介護施設とか孤児院感覚の保育所は、未だ現存するが、定員割れであるとかトラブル頻発を発生させている。それは、昔ながらというよりもカルト的宗教観が影響してユーモアを悪と見なしている施設に多い。

4.作業指導及びスタッフの増員
……介護や保育においては、とにかく労働者の職業能力向上が施設経営安定のカギである。ところが、未熟練労働者が圧倒的に多い実状からすると、半年程度は計画的な目的的な作業指導が必要である。その作業指導で余裕を作って、その上で労働者の安定的出勤とか年次有給休暇消化、ミーティングや出来事分析の所定時間内実施を進めることである。好循環はこのようにしてもたらされる。

5.労働意欲に影響すること
……あくまでも労働意欲は結果論なのだ。職業能力の評価を受けること、及び保護者・親族・同僚から信頼して仕事を任せてもらうことが、労働意欲に影響する。役職に就けて労働意欲が向上する人物は「人をケアcareする」職業には不適切である。「子供好き」は、よく確かめておかないと猥褻行為常習者(事件は物語る)であることが多い。カルト的宗教観は労働意欲旺盛と勘違いされやすいが、猥褻と暴行と隠蔽を含む可能性が高い。
よって、有能な人物は必要であるから、採用時点から絶対評価の職業能力評価表(次のURL参照)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254
でもって、介護や保育の労働者の職業能力(とくに教育の結果が出るか否か)を把握する必要がある。あえて看護士や心理カウンセラーを採用する必要はなく、介護とか保育の専門性を(職業分野は全く違うから)職業能力として身に付けさせることが重要なのである。採用段階にはさほど問題にはならないが、職業能力が向上しない場合、その多くの労働者は退職するか後輩に対する「いじめ嫌がらせ」に走ることとなる。それは、自分よりも有能な人物が、自分の在職にとって代わることへの不安から、自分の子分に後輩を閉じ込めようとする仕事確保の利己心からである。彼女彼らは、人の批判をすることで自分の存在をアピールして賃金・仕事確保を目論むから、職業能力評価や仕事信頼度合いなどの事実には関係がない存在だ。こういった彼女彼らを施設の使用者は、生み出せないように前述した4項目を実施するのが理想である。が、現実は理想通りではないから、したがって、他人と能力を比較する(相対評価)のではなく、先ほど例示したような絶対評価の職業能力表が必要なのである。加えて、就業規則上の解雇理由を裏付ける、協調性・規律性のチェックリスト(次のURL参照)が不可欠なのである。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/265
「いじめ嫌がらせ」の定義は、
「いかなる労働者も、その権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、または職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為を受けてはならない」であり、経営側に対して、「ハラスメントとは関係ない客観的な要素によって正当化される行為であったこと」の証明義務なのである。

6.女性労働は、現状不可欠な存在
……中高年女性の場合も、短大卒・大卒は比較的多く、リーダーシップの素質もあることから、教育訓練を施すことで現状から一歩でも高い水準で仕事を任せられる人材を確保することは重要である。とりわけ介護事業にあっては、ケアを受ける人たちとの年齢差があれば、日本人特有の、「一瞬の感情表出(一瞬本音が出て後に微笑む習慣)」が見分けられないので、中高年女性の人生経験熟練が必要となるのである。また、女性の多くは金銭以外の労働意欲(女性は作業内外の人物からの評価を重要視する特徴がある)を重視して、女性労働者の働きがいや生きがいを(35歳前後で採用・継続雇用し)65歳程度まで確保するための創意工夫といったものが重要となってくる。
重要であるから、別の角度からのポイントを、念のため整理すると、
イ)仕事そのものが楽しいこと(共同体意識とかやりがいある仕事意識)
ロ)仕事の達成感があること(自己計画性と自己コントロール)
ハ)プライベートが充実していること……の3つである。

これらは、「労働力」の予算配分における、補助や「ガス抜き」といった官僚的目的で行えば裏目に出る。常日頃マスコミの報道する、小中学校の義務教育現場の現状を思い起こせば、裏目に出る行為の結末も予見できる。
今月のメルマガで後に紹介する、フィンランドの親族介護の事例は、あなたにとって、大いに発想の転換を促す。介護や保育の職業未熟状態や職業能力向上過程で、従事する労働者が、それを負担と誤解と受け入れる場合を考える、とうつ病などの精神疾患も予見しなければならない。このような精神疾患に関しては、イギリスの介護現場では、介護労働者が自ら担当範囲の介護計画(自己計画性と自己コントロール)を作成し、ケアマネージャーは援助を求められたときだけ、従事する労働者にアドバイスするといった形式に切り替えたことで、(労働密度は高くなったが)おおむね解消されたとの報告がなされている。採用する場合は職業柄、根っから明るい人物を採用することに越したことはないが、厚生労働省が机上計画で発案した労働力使用価値論では、人間は疎外され精神疾患に陥っても不思議ではない。これが経済・経営学で言うところの人間疎外論なのだが、「企業はサービスの提供によって競争する時代であり、これらは単一のサービスや製品によって競争のスタートラインには立てない」といった意味でも、他の業種にも共通する事柄が多い。


=研究事例=親族介護者に賃金を自治体が支給(フィンランド)
One 北欧型福祉国家として知られるフィンランドでは、専業親族介護なら為替換算9万円余/月、普段の仕事との兼業介護なら為替換算5万円弱/月を、自治体が支払っている。親族とは、日本の親族イメージにプラス近しい友人も含まれる。
Two 賃金をもらって介護をする人は、配偶者が多く、子供が親を介護する考え方は少ない。(日本でも、その傾向だが、そのことで介護制度不全をおこしている)。すなわち、介護はフィンランド国家の責任として、家族に義務を負わせない制度を行っている。(親の介護をしたい人はできる)。賃金も支払うから、介護労働の教育訓練も家族に行う。
Three フィンランド親族介護協会の方針も、親族介護者には、家族本人が望めばそれをする権利があることを認知させることが基盤となっている。介護としての義務を親族が持つことはいっさいない。あくまでも、倫理感と愛情の中で選択されることがベースであるとしている。
Four 加えて、高齢者の介護責任はフィンランド国家にあることが明文化された上での制度であることから、インフォーマルな親族介護者の存在を可視化すると同時に、家族・支援・権利といった概念そのものの曖昧さを浮かび上がらせ、不都合・不具合な社会慣習や従来宗教への問いかけともなっている。
Five そこまでして、フィンランドでは、企業の現役戦力、有能女性の確保、職業教育投資の回収と、これらを徹底していることもうかがえる。日本のように、親族や他人に押し付けて、次に家族運命論であきらめさせて、現役労働者の職業希望(働くほうが能力発揮・高収入)を失わせることには、フィンランドの場合は歯止めをかけようとしている。あくまで正面から積極解決しているようにうかがわれる。すなわち、フィンランドは国民の職業能力水準差で海外への経済戦略をすすめているのだ。日本のように、人への投資を長年にわたり行わなかったことから、結局は衰退しつつある経済とは正反対である。日本のマスコミや厚生官僚は、老老介護とか、財政難とか、問題点や悪循環ばかり提起して、敢えてそこから先へ進むことを行わない。よって日本では、具体的な解決案提起や研究紹介をしないのが常である、所詮、予算を獲得して事業規模を拡大、同時に厚生官僚の予算と権限拡大がにじみ出ているから、信用もされない、信頼などあり得ない。
Six フィンランドの高齢者やサービス目的は「人々ができる限り住み慣れた自分の家や地域で自立して生活することを可能にすること」としているのである。「75歳以上の高齢者の90%以上が在宅で独立して、あるいは社会・保健医療サービスを利用することによって、あるいは親族や近隣の支援によって生活してゆけること」を具体的目標として打ち出している。
Seven 「他職種人材資源の持つ能力の利用を新しい形で行うことも改革の行使である。こうして現在の人材資源によっても、施設やサービス構造改革することで、質の高いサービスを提供することができるもと考える。良く計画され、指導された施設であれば、現在のマンパワー規模によってもなるべく長い期間、例えばこれから10年間にわたっても増大するサービス事業に対処できるはずである。(1992年フィンランド社会保険省報告書)」。
Eight こういった流れの中から、近年、フィンランドは財政的困難を抱える中で、親族介護者に対する支援が現実介護の現場から必要とされ、賃金を支給することと抱き合わせで施策しているのである。家庭内の親族介護者に対して、フィンランドの方法は、ひとりひとりのケアワーカーの能力を向上させながら、構造変化に応じた合理的な専門的職業労働者の(親族介護者も含む)配置を行うというものである。
Nine 加えて、フィンランドの自治体単位で、アウトソーシングが進められ、その受け皿として専門資格者の集団が存在している。もとより職業資格取得の教育において、起業についてのカリキュラムが含まれている。例えばその教育内容は、起業の形態、起業にあたり必要となる財務計画の作成実務・融資申し込み方法、小規模自営業に関する税制優遇に関する知識などとしており、将来、その専門領域を生かして独立するための基礎教育としている。日常的な職業能力向上は、職場共同体内で交わされる対話、出来事の分析、ユーモア、作業指導及びスタッフの増員といった場面で、また労働意欲や仕事のサポート向上に貢献するということが分析され、各地の介護従事者にまで普及されている。また、労働意欲には加えて、評価を受けることや、あるいは親族や他のスタッフから信頼して仕事を任せてもらうことも影響しているとしている。この発想の転換こそが経済危機や福祉財政危機を乗り越えたポイントである。
Ten なお、2008年教育省も、「職業基礎資格の改正原則について」において、「すべての資格に、起業家能力や起業家コンピテンスに関係する職業的技能要求が資格の部分の目標に含まれているなり別途の資格の部分として含まれていなければならない。起業家能力はそれぞれの基礎資格に少なくとも5クレジットの名目的単位数程度を資格の性格に沿った形で含ませるものとする」としている。
Eleven これは日本の厚生官僚の、センセーショナルな事実をアピールし、予算を獲得して事業規模を拡大、同時に予算と権限拡大に邁進するばかりの発想とは大きく異なっている。
Twelve ちなみにフィンランド(概して北欧)では、政策の柱は官僚的な色彩が強い(ただし日本の厚生官僚とは異質であり官僚職の保身は許されない)とされている。そのためか、本流の介護制度を柱としているが、親族介護者賃金支給は傍系施策であって、予防的家庭訪問、予防介護、介護人材養成、ケアワーカーの労働環境など、高齢者福祉の示唆に富む現実対応が目立っている。例えば、予防的家庭訪問は、公的サービスを利用していない75歳から90歳の在宅高齢者の家庭に、年2回、訓練された看護・医療系スタッフが訪問インタビューを行い、医学的・身体機能的な面ばかりでなく社会関係なども含めた総合的な観点からニーズ把握行うことがしだいに義務化されている。「老い」の医療化・バイオ医学的な「老い」の概念とは、あれこれの痛みを訴えたり、病気に罹る側面が強調される事態や心理側面をネガティブなものとして位置づけ意味させている。社会文化的な「老い」の概念では、色々の老い方があることが強調され、ここでは老いの持っているメリットやリソースを浮かび上がらせる概念といった視点である。
Thirteen 次のURLを読めば、「フィンランドの高齢者ケア」の要点がつかめる。
http://homepage3.nifty.com/caring/caregiver_sasatani.pdf
「フィンランドの高齢者ケア」の書籍のURL
http://www.akashi.co.jp/book/b109875.html