2006/10/10

第54号

偽装請負事件が、ほぼ連日報道され、ここにきて大きな話題となっている。新聞などのマスコミ報道が踏み込んでいない、人事総務部門の専門領域インテリジェンスを提供する。
今回、一挙に表舞台に出て来た「クリスタルグループ」とは、昭和61年当時は「綜合サービス」という名前の京都市南区で営業していた会社が、事実、七変化している企業体なのである。昭和61年労働者派遣法施行の際に、派遣事業許可手続きの依頼方が私にあったが、その仕事を断った企業である。当時から京都七条職業安定所管内でも内偵が進んでおり問題視されていた企業。オーナーのH氏は滋賀県の長者番付で一番である。ただし、滋賀県や京都だからと言っても近江商人とは関係がないようだ。昨年3月東京地裁判決で、ニコン熊谷事件、ネクスターという会社とニコン両方の業務請負や労働者派遣での安全配慮義務の責任が言い渡され、衝撃の走った事件の、このネクスターもクリスタルグループである。
クリスタルグループに限らず、この類の業務請負業者の受注トークは、「ややこしいことは、ウチがやります」と言って、発注責任者にすりよってくるので、ついつい誘惑に乗ってしまい、腐れ縁ができてしまうといったところだ。昭和48年、昭和55年、バブル崩壊を通じての生産部門における重要な経営課題は、如何に下請け企業との縁を断ち切るかであった。工場閉鎖をしてまでも腐れ縁を断ち切るリストラが相次いだ。このような日本経済の教訓が、発注企業の資材課あたりの現場末端では、教訓として生かされていないことも、今回の偽装請負事件は表している。業務請負会社に発注企業から社員を出向させる手法も昭和61年当時から誰もが知っていたものであるが、出向目的が経営管理や教育訓練に限定されることのみならず、業務請負会社の経営戦略に丸々乗ってしまって腐れ縁ができることを懸念して、産業構造の合理性から発注側が敬遠した対策でもあった。
ところで、今回一連の偽装請負事件の背景を見るときには、平成16年3月に製造業の労働者派遣が部分解禁になった時点から約2年半の出来事であることを見落としてはならない。厚生労働省の計画としては、平成19年3月から製造業の労働者派遣を全面解禁するに当たって、それまでにどうしても悪質業者を叩いておく必要があったとみた方が良い。平成16年の部分解禁に伴う法改正を研究した専門家の間では、3年以内にいずれかの企業が「血祭り」にあげられることは予測されていた。こういった場合に、最も悪質な発注企業と受注企業が、その対象にされやすいのだが、やはり社会で納得性の高い企業が選ばれたと言える。
確かに、民間大手企業や国交省までに調査が入っていることからしても、全労連系の大掛かりな内部告発運動が起こされているようだ。しかしながら、その人たちが言うような格差反対闘争の影響を受けて、この時期に厚生労働省が動いたわけではない。全労連系の民間労組は、次々と職場の目前の身近な事件を大々的に取り上げて行く方針に、昨年から闘争方針大転換を打ち出しているので、今後もこの傾向は続くと見た方が良い。
労働法の専門分野からの検討も必要だ。マスコミのニュース記事だけでは、企業内対策に具体性が持てない。製造部門に限らず、今回取りざたされる業態は、労働者派遣事業許可、業務請負、偽装請負(実態は労働者派遣)、偽装派遣(実態は労務供給、偽装請負と間違う人もいる)、業とする出向(労務供給に該当)に分類される。人事総務部門はこの違いを現場に徹底しておく必要がある。無知が故に「御社に迷惑がかからないようにしますから」とささやかれ持ち上げられ、いざとなれば法的責任を取らされたといったところも、今回の事件の特徴である。業としない労働者派遣であれば、たとえ数千人規模だろうと事業許可を受ける必要は無い。業としない出向だと確信しても多人数となれば違法性は免れない。請負派遣の区分の大臣告示を研究すれば、相当の専門家でない限りますます複雑怪奇になってくるのが当然なのだ。労働分野扱い可能の弁護士は、労使合わせて100人程度と推定されるが、その中で職業安定分野となれば滅多と存在しないのも現実である。が、キーポイントは「進捗管理をどの会社の社員が行っているか?」のチェック項目に尽きるのだ。このキーポイントは厚生労働省もわかっているが、政策的に表だって表明していない。
脱法行為と違法行為は異なる。脱法行為とは表面や外形的には禁止行為に当たらないが、禁止を免れる目的で行われ実質的な内容は、違反している行為である。違法行為とは法秩序からみて是認されない行為で、法律上の制裁を課せられる行為が典型である。とりわけ脱法行為として、問題とされるのは社会合理性(その一部に違法性阻却事由も含む)の有無である。すなわち、労働力需給に関わる事業においては、その地方において事実上の労働力需給機能を運営することで、労働者と企業の双方に雇用不安解消や適材適所の能力配置に資するなどの効果を与えているかどうかである。いくら雇用機会や労働力需給に関わる美辞麗句を並べたとしても、その実結果が、コストダウンや格差構造にしか現れてなければ、その業務請負会社の社会合理性を誰もが認めるわけがない。「発注側資材担当者」も業務請負側営業担当者も、胸を張って、良心に基づいて、「社会の役に立っている。」と言えない事情がある限りは、脱法行為と判断されるのは時間の問題なのである。平成9年の職安法と労働者派遣法の改正より後は、「行き着くところまで脱法行為を繰り返すさ!」と豪語する業務請負会社が急増したが、今回一連の偽装請負事件に巻き込まれた人たちは、この類の業務請負会社にからまれていた結果である。この類の「魔の手」が現業現場に襲いかかってきても、赤ちょうちんで一杯でも飲まされようものなら現場の資材担当者たちには気付きようがないので、人事総務部門の役割はきわめて重要なのだ。


社会保険庁解体後の新組織の形態について、民間会社とする方針を自民党が固めたとの報道が10月1日に走った。同日から、社会保険(健康保険と厚生年金セットの同時手続き)の加入・喪失、新規適用、諸給付に関係する添付書類の種類が全国統一された。
そもそも各々の社会保険事務所によって異なる添付書類が存在していたこと自体が、制度としての不思議であった。地元地域の雇用不安を解消するための保険である雇用保険とは目的が違う社会保険であるので、社会保険事務所ごとの適用運営に差異のあることは不合理な話である。十数年前までは使用する用紙が東京と大阪で異なっていたぐらいであった。さらに健康保険組合に至っては都道府県管轄かつ運営独自色も強いので、健保組合となれば、事実上別方式となっているのである。本質は添付書類や届け出用紙が異なっているのではなく、社会保険の運用自体が微妙に異なっているという法治国家ではあるまじき実態であり、結局は個々の事業所が程よく振り回され被害も受けているのだ。
社会保険事務所は、何かにつけ末端職員に至るまで、法治国家という意識やコンプライアンス感覚が非常に薄い。昔から社会保険運営族?の方針が、著しく法律に違反さえしなければ問題がないと認識しているのではないかと考えられる事例が次々と発生し続けているのだ。社会保険は強制適用となっているが、保険加入・新規適用に手を抜いているのは行政監察の指摘のとおりである。給付もまたしかりで、再審査請求に持ち込まれ社会保険事務所が正され解決するケースも後を絶たない。
このような社会保険の体質は戦前から引き継がれているものだから、民間の感覚からすれば、なぜ書類ひとつ統一出来ないのかといったところである。社会保険業務のコンピューター処理も民間の感覚からすれば、極めてずさん状態と思わざるを得ない状態だ。ところが、ここにきての添付書類の種類統一は、いよいよ社会保険庁解体?が動く兆しと判断できるのだ。
これだけのことでもマスコミ報道からは予想すらも出来ないのだが、引き続くどんでん返しが待っている。社会保険の職員の中には、「社会保険に都合の悪いことを書けばニュースソースを流さない」と強気の発言をする者も存在するくらいにマスコミが蚊帳の外に置かれているのは間違いない。そこで、信頼できる消息筋からのインテリジェンス。現在の社会保険改革の走行実態は、社会保険運営族?の論理パターンを借りると、民営化しようが解体しようが、政府が保険者として手放さないものは、(1)保険料の調定、(2)保険料の徴収、(3)保険給付請求の受理、(4)保険給付の決定であり、その手段として被保険者の権利義務確定業務に、引き続き社会保険運営族が直接携わるというものだ。すでに、このような方針は言葉を変えて、社会保険庁の関係団体には、お知らせ済みなのである。…したがって、民営化とか解体といっても、要はルーティンワークをただアウトソーシングするにしかすぎないのだ。加えて、規制改革・民営化と称する動きから判るように、官僚や公務員が民間に出向いて株式会社を作る手法が、その実主流なのだから、幾度ものどんでん返しが仕掛けられているのだ。現役の社会保険官僚にとっては、ちょっと痛かゆい程度の民営化・解体!ではあるものの、社会保険労務士という子飼いの制度すら蚊帳の外扱いにしてまでもの右往左往には、社会保険官僚の並々ならぬ決意がうかがえる。