2023/08/08

第256号

今月はIntelligence情報は休載とする。
それは、この数百年にはない激変の中で、あまりにも激烈な“守旧派と時代の現実派”のつばぜり合いが激しく、一寸先が闇であり、よって、様々な論述をする材料と裏付けが整理出来るには至らない事情からである。単なるInformation情報程度を羅列して流すというわけにはいかない。このメルマガは、インフォメーションではなくインテリジェンスIntelligenceを貫いている、これが取り柄であり、だからこそ、読者の参考や判断の役に立つからだ。
加えて筆者は、7月13日から原因不明の発熱が続いた。国も自治体も検査をして追求し治療する保険体制を崩壊させてしまっている。そこで、自力で発熱を抑えた(体力のあるうちに毎日何度も44℃のお風呂に入り、暑い最中も暑いスープを飲み)、結果、何らかのウイルスによる発熱を封じ込めた。だが、頭痛が激しいから、判断力も低下したのか“鎮痛解熱剤=カロナール”を服用してしまって、逆に発熱した。その時の製薬会社の注意書きには、いわゆる薬剤の危険情報は無かった。だが、カロナールは昨年の4月ごろからの厚労省による危険情報の行政指導が今年の1月に出されていた事も後で知った。筆者が調べるに、この“解熱鎮痛剤カロナール”について、数十のネットや論文を当ってみたが、安全性とか効力に根拠が見当たらなかった。加えて、“カロナール”が、いかにして服用者の脳機能を停止させるのかの効用が分かっていないと言っている。おかげで筆者も脳幹梗塞発症しての回復以来の、記憶力とか認知関連機能の7割ほどが欠落した。もちろん肝臓障害も残ったままで、1回2時間点滴を行い続けている。調べる中で、COVID-19流行のたびに、「開業医による初動の治療を行わず、最も危険な解熱鎮痛剤(カロナールなど)を処方したことで、死者や重傷者が増えた」とする医師らのYouTubeや論文を何十件も発見した。すなわち当時、保健所に振ってCOVID-19被害拡大をさせたと論説しているのだ。相当調べて、脳記憶障害は回復しつつあるが、カロナールの危険な副作用(根拠のない安全神話)は収まる見通しがない。

聴く耳のある人は聞いてください。
頭脳停止でも、経済経営について語らなければならないことは次のとおりだ。
学者や評論家の机上の話ではなく、遺産や軍資金に関係なく、何百年も続く、いわゆる“良家(近江商人の末裔)の教育”を受けたことからの、何百年も事業を続かせる“良家”にとっては、常識的な話である。筆者も仕事柄、半世紀以上も経済とか経営の研究をしている。けれど、近江商人の研究は、近江商人からすれば外部者ばかりで、大学その他の図書館を軒並み調べてみても、近江商人内部の体験のある研究者は私以外には見つからない。そこで、今回思い切って、今年の年末までに迎える“社会や地域が崩壊する傾向”に対処する具体策を執筆することにした。緊急性があり、ほとんどメモのようなものに近いけれど、こういった何百年も続いている“良家の柱といった教育”は存在しているのだ。散財する根拠のない近江商人に係る造り話とは違う。滋賀県東部のすべてが近江商人ではない(“西部”系は近江商人ではない)。「天秤棒を担ぐ」近江商人のエピソードはありもしない作り話だ。ここに示す“良家の教育”とは、極めて実践的であり、今日の金融資本経済の崩壊により引き起こされる、“お家騒動とか家族の分裂”といったものまでをも包括し対応している。身近な経済の中で、家庭と事業や職場とが分離されて思考される習慣とは異なる世界である。だから、劇的な時代変化に遭遇しても強い。=すなわち、労働能力全般のうち“労働力”といったものだけを扱うに限ること(商品取引)を前提した習慣と異なるのである。その考え方の基本を築いたマルクス(本職はジャーナリスト)の理論を長期にわたって見直してこなかった、巷の経済・経営の学者の責任は極めて重い。所詮学者は、労働全般能力とか事業経営の体験などが、そもそも無いのだから仕方がないことかもしれないが。
自己中心主義者(以下:自己中者)は、家族であっても本性から、手の平返しとか、持ち逃げ行為は、もとより勝ちだと、思っている。 “良家の教育”を受けた者は、
『みんなが良くなる策は何かないものか(今で言うイノベーションのひとつ)』と、これを、生まれてから死ぬまでの当然の責務だと思うくらいに代々教わる。それはまた、如何に“人的資源を組織的に蓄積するか”に通じているのだ。
自己中者は、その本性にある意思を持った行動によって、自ずと周囲の人が離れ、家族からも距離を置かれ孤独になる。そういった自己中者の清算方式だ。

下世話な底辺で“いわゆる良家の教育”といったものを受けていなければ、本性は自己中心主義者であり、何かにつけて家族知人を問わず、他人を罠にかけている。
近江商人末裔には、実際にそんな人物が存在する。だから、見に行って、会いに行くと、歴然と違いが解る事となる。TVや小説の作り話で、自己中者が、如何に踊らされているかが解る。その一見と体験で、自己中者の“罠と行動”を見抜くことが出来る。これを見たことがなければ、そちらもこちらもの、どんな世界であっても理解は出来ない。
如何に良家の躾(しつけ)やしきたりを、知っていても、にわか仕立ての“花嫁修業”とか“外見を理屈や口先”で取り繕うばかりの能力者だ。男女そして高齢者とか人格者を問わず、手のひらを返し突如本性むき出しにする。自己中者は根が“半グレ”だから、金銭がらみとなると、突然露になる。 “いわゆる良家の教育”や良家の躾といったものは、貧富の差による有無ではない。むしろ近所地域を巻き込んだ“精神的な余裕の有無”といったものである。男女や年齢を問わず、箸(はし)の上げ下ろしから、下駄(げた)を揃え、戸の開け閉めに至る立ち居振る舞いにまで至る。
戦前戦後を通して、ナチス(ドイツとかウクライナ)そして日本の右翼の実態は、今日で言う“半グレ”であった。 自己中者=“半グレ”だから、発見次第に、良家からは清算し、『みんなが良くなる策を乱されないことだ』。

【参考事例1】
近江商人の発祥は未だにわからない。海外から移住してきた末裔にほぼ間違いは無いとされる。そこでは、いわゆる“良家の教育”といったものが、孫子(まごこ)に至り行われていた。幼少からの教育責任は当主であって親ではない。そういった体験を持つ末裔は、今や団塊の世代をはるかに超えている。近江商人の商いの基本は、「世間よし。買い手よし。売り手よし。」である。丁稚や手代向けの当時のマニュアル本には、その反対の事(売り手よし、買い手よし、世間よし)といったものがあるが、それらの解説は、全く体験もなく数多くの古文書を読んだ研究をしていない学者の勘違いである。そういった中で、近江商人の地域では自己中者が排除されることとなる。そこに貧富の差とか身分の差は無い。だから近江商人は、従業員を出身地の地方に求めたのだ。そこには、そういった文化があるかどうかの重要課題であり、経営全般に関わるからだ。

【参考事例2】
“いわゆる良家の教育”に似通ったものが、20世紀初頭から戦後に至るまで、実に、その時代を担った結社や経営者集団の中核人物の道徳や倫理における判断基準の如くに用いられていた。仕事柄筆者は様々な結社や集団の群れの柱を研究した。要するに、“良家の躾(しつけ)”に似通ったものが、組織の幹部や管理職に求められていた。国によって異なるが、幹部などの箸(はし)の上げ下ろしから立ち居振る舞いに至るというものだ。それは驚くことに、20世紀初頭のソ連のボルシェヴィキ(レーニンやスターリン)にも、中国八路軍(人民解放軍の前身)の文献(毛沢東)にまで存在していた。戦前の日本にも存在したようだが、どうも大きな社会組織に適応されたような文献は見当たらなかった。こういった“歴史の柱“を、知らなければ、今からでも見に行けば良い。くどいようだが、少なくとも自己中者かどうかは判断できる。それは、あなたの知的財産になる。経済などの大転換にあっては、自己中者は必ず清算される。