2014/10/07

第150号

<コンテンツ>
利権の食い合い錯綜で「漁夫の利」しか稼げない勢力
年末に向けて増加するとみられる労働事件
 ☆労働事件の激化要素は3つある。
 ☆企業の就業規則不備を労働側弁護士が突く手口
 ☆増加傾向にあるのがハラスメント関係事件
個々人の労働能力を陳腐化させない、個別企業の決定打とは何か
 ・共通具体策1
  専門性、創造性、信頼性の能力を個々人の身に付けさせる方法である。
 ・共通具体策2
  何のために働くのか、何のために生きているのかとの課題提起
 ・共通具体策3
  労働意欲、労働効率、アイディア創造性のコントロール(制御と管理)
 ・共通具体策4
  刻々と変化する現代社会に内在する、変化の波を読み取ること


§利権の食い合い錯綜で「漁夫の利」しか稼げない勢力
なぜ、日本経済や個別企業の多くが衰退傾向に向かっているのか、その答えは簡単である。すなわち、日本国内の労働者の労働能力が陳腐化若しくは能力低下を起こしているためである。それは、ものづくりの能力から世界の隅々に売り込みに出かける能力すべてにわたってである。
当座の経済成長のために通貨の大量発行その他の金融政策を進めたものの、円安が進行しすぎて輸入価格が高騰、株価を買い支えしても、全くもって結果は冴えず、いよいよ金融政策の行き詰まりが見えてきた。ここにきて霞が関財務党は大手マスコミでもって、消費税引き上げ問題の世論を浮揚させている。イノベーションだの観光立国だの農林水産資源だの、まるで思いつきのように次々と様々な話題をマスコミが提供するものの、肝心な国内労働者の労働力が陳腐化していることで、その金融政策の効果は空回りすらしていない実態なのである。他の先進諸国と比べて、インドやウクライナといった「与信管理不透明国」に向けてばかりの日本売り込み報道が目立っている。くどいようだけれども、日本企業の中国撤退に因縁を付けられて賠償請求されている日本企業の保護はされてもいない。
挙げ句には、昨夜もNHKスペシャルで放映していたが、防衛省が武器の売り込みを世界展開しているという。その放送からはアメリカとの武器交易の促進目的がうかがえたのだが、実は積極的に日本に接近して来たのはフランスとイスラエルとのこと。この2国は武器製造技術については超世界レベルであることから、日本から日本製武器を幾つか見本として購入すれば即刻分解して、フランス産やイスラエル産の武器新製品を売り出すことは当たり前のことである。
大手マスコミその他の記事にある、「デフレ脱却」とか「日本再興」といった枕詞を額面通りに受け取るようでは、今や経営者や管理者としては失格である。耳障りの善し悪しに関係なく、陳腐化した労働能力の持ち主の労働者にとって、「デフレ脱却」とか「日本再興」の言葉は、単なる安心感と言い訳をもたらす号令にしかすぎないのである。政府系シンクタンクですら、「大手企業の新卒採用者は実行力があっても想像力がない」とか、「日本の全要素生産性が伸びていないのは教育訓練の機会に恵まれない労働者増加が一因だ」とまで、はっきり指摘されているのが日本の事態なのだ。
だからこそ、
IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルドは、9月12日に経団連主催・日本政府共催のフォーラムの基調講演で、日本政府が進めようとしている女性対策について、事実上の痛烈批判を行った。その内容は、「課税単位を世帯から個人に変えるなど経済政策や法制度の改革、企業文化の転換」が必要な取り組みと提案したことである。日本政府首相の冒頭あいさつに対して、真っ向から異なる政策ポイントを示したのだ。もちろん、厚生労働省が進めようとしている出産育児・介護医療・年金制度といった事柄では「経済政策や法制度の改革、企業文化の転換」には及びもつかないという内容のものだ。
こういったことがテレビやマスコミで報道されないのは、
今の利権に「あぐらをかきたい」人物にとっては、マスコミ関係者も含めて様々な報道がなされることで利権を失うからといったことが単純な理由である。現在日本で、それなりに研究された信条やイデオロギーで報道がなされているケースが少ないのも、また然りである。


§年末に向けて増加するとみられる労働事件
経済成長低迷と経済豊かさの後退が進んだとしても、きわめて多くの国民は、せいぜい文句をつぶやく程度である。霞が関財務党は、そのことを良く知っているから民間個別企業の経営実態を無視して短時間労働者への社会保険適応を進めるばかりか、いよいよマイナンバー制度を社会保障給付の効率化と称して介護医療費の削減政策も打ち出して来た。日本円通貨での決済を続ければ益々個人消費が落ち込むことは目に見えている。財政赤字と言っても、年金国債(相続税対象外:利息年1回支払いのようなもの)を発行推進(ただ霞が関財務党の基盤が崩壊)すれば1,000兆円の借金は解消できる、公共事業政府とはそういうものである。にも関わらず、ことさら通貨金銭にかかわる経済政策ばかりを進めていれば、それは社会も個別企業内も、「金、金、金!」の思考パターンに止めのないことは間違いない。まして、社会システムで解決可能にも関わらず、必要もない財政赤字の借金返済という恫喝を国民にかけ続け解決を放棄すれは、一般人は希望や意欲など削がれてしまうのが当然である。

労働事件の激化要素は3つある。
1.政府の賃上げ放言に、それとは無関係な有期労働契約者が反発するレジスタンス
2.労災事故の危険予見性論(新しい法定法理)による、非効率事業への法的直撃
3.トラブルを悪用して特技・国家資格を活かそうとする弁護士や労組役員の存在
である。そしてこの3つの要素共に経済・金銭とは別の根源的理由が影響している。
それを巷では感情・人格・人権・意思疎通・人間関係といった現象面を見ただけの種類に名称をつけて、あれこれ議論しているにすぎない。挙げ句、(あまりにも名称や分別種類が多くなってしまったことから)、どんぶり勘定で、「個人のコミュニケーション能力の有無」と曲解しようとする人も多い。事件化を受ける会社側は、「なぜ大した利益もないのに事件を起こすのだろう?」と経済的視点で考えがちであるが、労働者は金銭の持ち出しさえなければ経済的利益のために、あえて事件化しようとするわけではない。
陳腐化した労働能力で事業を回そうとする企業(=ブラック企業の要因)の多くは、昨年の労働契約法改正に伴う社内制度変更が進められていないのが現状である。ここでの非正規労働者のレジスタンスに狙いを定めて、労働系に限らず少なくない弁護士(弁護士の生活の収入低下&借金増)が仕事と生活の場を求める傾向にあることだ。とりあえず貧困ビジネスとしての動向は、消費者金融利息過払といった誘惑フレーズでの弁護士・司法書士の手続き報酬荒稼ぎである。それは次々とCMが流されているところを診ると「顧客?」に不足はないようである。

企業の就業規則不備を労働側弁護士が突く手口
だが確実に、労働事件の激化といった動向は厚生労働省主催のパネルディスカッションでも大きな話題となっている。ところが、一般的に言って労働側の弁護士たちは、経営側の弁護士に比べて学問的にも立証技術的にも有能であることから、労働契約法を持ち出されると敗訴若しくは和解金支払いの道しか残らない使用者側の実態なのである。就業規則を作成していても十分に周知していなければ無効となる。また、協調性や規律性のチェックフォーマット欠如といった曖昧な(好き嫌い)判断をはじめ、普通解雇規定が具体的に整備され、労働契約ともに労働者に周知されていなければ敗訴する確率は極めて高くなる。
もちろん厚生労働省も労働政策として非効率企業やダンピング企業を国内から排斥したいわけだから、労働事件の増加を見越して労働契約法の周知を進めるのである。コミュニティーユニオンと言われる労働組合は、その多くが法理論に弱いから勢力数や事件確率からすればトラブルは少ないものの、当たれば企業の損害賠償額は少なくない。5年ほど前までは、労働者が受け取る賠償額が50万円程度を超えなければ事件化しないとする若者も多かったが、今や十数万円をめぐるトラブルも増えている。加えて最悪なのは、会社側がビジネス手数料優先の経営側弁護士の餌食になって、事件の長期化、決着の先延ばし、裁判官と共に会社へ和解を強迫的に迫るなどして「弁護士労働時間」を削減し弁護士業務利益率向上を図る傾向にあることだ。
加えて最悪なのは労働事件を引き受けている殆どの弁護士が、ペーパーライセンスに毛が生えている程度か、経営側弁護士はビジネス優先に目がたくらんでいる実態が殆どである。国家基盤の政策的見地からすれば、それほどに弁護士という職業が、「司法制度の担い手であり、司法の質と維持につき特別の責任を職業」とは成っていない現実であるから、事業主や労働者の自由平等を擁護するといった理念が、弁護士業務の柱にしていないところからくる現実(巷で弁護士職業のビジネス化と表現)なのである。
弁護士や労組役員たちに、トラブルを悪用しようとする者が後を絶たないのは、近年新設された労働審判制度の運営実態も関係している。労働裁判の迅速化を大義名分としたこととは裏腹に、この制度の実態は、解雇問題ともなれば、「6ヵ月程度の解決金」が相場であるとの意味不明な和解を労使双方に持ちかけるなどして裁判所決着をつけようとするところにある。実に、使用者側には敗訴の可能性があると脅かしをかけ、労働者側には専門用語と自己責任を使って本人にあきらめさせようとする裁判官が後をたたないことである。会社側弁護士は裁判官に盾突くわけにはいかないし、労働者はあきらめながらも半年分の賃金で手を打たされるのである。ただし、労働者側に労働事件専門弁護士が付いた場合には、弁護士報酬は別として、解決金での和解だとしても常用雇用であれば1千万円は超えるし、非正規であっても100万円を下回ることは無い。こういった労働事件の決着情報すら流れない訳だから、トラブルを悪用しようとする者にとって国家資格の有無を問わず、言い放題かつやり放題の荒稼ぎ市場となっており、特に企業が狙われることになるのだ。

増加傾向にあるのがハラスメント関係事件
労災事故に至らないまでものパワーハラスメントその他の様々なハラスメント事件増加である。この場合、ハラスメントの立証方法としてメンタルヘルス不調の診断書の有無が決定的に重要な意味を持つ。
ところが最近、労働契約法の安全配慮義務の解釈は事業主の配慮義務が前提であって、使用者側がメンタルヘルス不調を見逃したことでは弁解はできないとする判例(最高裁26/3/24東芝事件)が出され、その「新しい法定法理法」である。もちろん、この判例前後には各地の裁判所では、労働契約法の安全配慮義務の管理を怠った企業側が次々と敗訴している。加えて、労働問題は学術学問論理と異なっていることもあって、労働基準法や労働契約法の脱法行為に対する判例や裁判例が重なり合って相次いでいるのである。
そういった裁判官の判断に共通している事柄は、個別企業の非効率事業における管理システム形骸化&制御装置・措置の欠落といった企業側不備を指摘している点である。とにかくハラスメントにまつわる事件が続発していること、労災事件や労災事故でもハラスメントが関連する精神疾患が急増していることは確かである。


§個々人の労働能力を陳腐化させない、個別企業の決定打とは何か
(雇用者数や受け皿、個別企業の打開策決定打は前回メルマガ参照)
現代社会の実態からすれば、労働者というものの存在を曖昧にして制度やシステムは語れない。ひとつの企業への専属制を問うことなく労働契約法が適用されることは、世間ではあまり知られていない。労働基準法は企業に専属している労働者を対象としているが、見落とされがちな問題=理不尽・ダンピング・公序良俗に反する事行為といった事業行為を行う事業主の規制をしている点の存在だ。要するに、労働者を雇うということは、使用者と労働者が「何らかの労働成果と定められた報酬」について契約することに尽きるのである。それをアレコレと論じていても、社会構造は労働契約として扱われるのが今の経営環境なのである。なのに、日本においては、管理者も現業労働者もサラリーマン化してしまえば行政機関や専門業者を信用し切ってしまい、その言葉巧みさが見抜けなくなってしまう程度に労働能力が陳腐化していることにある。
それは、経団連の行った新卒採用アンケート(660社回答)の結果を見ても、採用選考にあたって重視した要素がコミュニケーション能力82.8%、主体性61.1%、チャレンジ精神52.9%が、全体の50%を上回っている実態なのだ。そもそもの経営幹部やイノベーション牽引者に不可欠な能力は次の3つだが、専門性13.1%、創造性12.6%、信頼性12.3%となっており、このアンケート結果には、その先行きの絶望さが現われている。
このアンケートひとつ見ても、大手企業の労働者が「上意下達」型に偏り切っていることが示されており、
イ)確かに実行力はあるが予算が付かない限り働かない、
ロ)創造性とは無縁な仕事しか思いつかない、
ハ)限りなく重箱の隅をつつくような作業に費やす業態に大手企業が陥る。
といったことは歴然としている。
では、先ほどのアンケート項目の専門性、創造性、信頼性の能力が高い労働者は、もともと大手企業にいたにも関わらず、現在どうなっているのかと言えば、およそ20年前から大手企業の多くでは窓際に追いやられるかリストラ対象とされたのである。そしてその多くは未だ活躍のステージには戻れていないのが現実である。

共通具体策1
専門性、創造性、信頼性の能力を個々人の身に付けさせる方法である。
コミュニケーション能力と称する曖昧かつ不安を煽るような話は、この3つの能力の無さを表すものである。日本の「能」とい伝統芸術を編み出した世阿弥は(原文解説はさておいて)、
「悩み事があったら、まずよく寝る。困ったことがあったら、1週間はほっておく」
そして、「ことを決断したら、一晩よく眠って、もう一度起きてから考える」
という意味のことを言っている。そう、これだけで、この3つの能力を醸成・熟成させる訓練ができる。うつ病や人格障害系精神疾患も相当防げることになる。ICT機器を使うがICT機器を活用できない人物には、専門性、創造性、信頼性が極めて欠けている。増して欠落したこの3つの能力をインターネットに頼る性癖だから、実行力・指導力・統率力といった企業活動に必要な能力がことごとく衰退して行くシナリオなである。
さて、その後に初めて経営幹部候補者には、書籍・文献を読ませることである。ただし、受験勉強の訓練ばかり受けていると、他人の話を鵜呑みにしてしまうので、個別企業に群がってくる「言葉巧みな人材」に引っかかる若者ばかりである。あるいは自己啓発の意味理解を錯覚して本屋に通い、巷で流行させるがための目的で執筆された「自己啓発本」を買いあさり、自己満足に陥って協調性や論理性を益々欠落させてしまう。
あらゆる書籍・文献から「物事を学ぶ」ノウハウとは、
それが書かれた時代背景や必要性を把握した上で、筆者の「言いたかったこと」&「その証明技術技能」を見て行くことである。このノウハウを備えていれば何かを学び、無駄な学びは避けることができるのだが、無いものだから何を勉強しても評論家ぶって仕事の邪魔にしかならない。ついでの話であるが、宗教は異なっても道徳は同じであるから如何なる宗教系書籍もよいことが書いてあるので、その時代背景や必要性を把握しながら読み進まないと、およそが「カルト宗教集団」の手先と化すのである。
現在の日本で、現代世間で有能と言われている人物は、「文章を要約することに長けている」との自信をもっているが、それこそが専門性、創造性、信頼性の能力を萎えさせていることに気づけないのである。学校のテストの答案の様にしか報告書の書けない人物であっても、まだマシな従業員といったほどの実態なのだ。それは、ゆとり世代前の30~40歳代に集中している。
これらのノウハウは、直に物事の体得者からインタビューする場合でも同様のことがいえる。
(参考資料…脳科学の知見から働き方を考える「読む、書く、話す。」の重要性)
http://www.nira.or.jp/outgoing/vision/entry/n131218_720.html

共通具体策2
何のために働くのか、何のために生きているのかとの課題提起
を個別企業ごとに説くことである。個別企業は公共機関ではないから、「人それぞれには考え方や目標がバラバラである。」……なんてなことを言っていれば、=会社の経営戦略・戦術・アクションプランまで、「人それぞれである」と説明しているようなものだ。社是社訓は、そのほぼすべてが企業創業時のものであるから、これからの日本が置かれる経済環境に適応するわけがない。
特に、日本で根本的に誤解されている事柄を2つ挙げて置く。
ひとつ目の誤解は:
ヨーロッパでは、自由平等の概念が成立する以前の時代に、個人の人徳の確立が前提となっていた。その人徳とは=自らの生活の豊かさを確保=した上での事柄(人徳)とされていた。だから、自由平等とは生活豊かさ概念なのである。…といったことが日本では研究されていないのだ。そんなこともあってか、ばかげた宗教や道徳論を商売のネタにする輩が発生する。論語に至っては古事記や日本書紀よりも未熟な哲学(生き方・宗教観)であることすら知る人は少ない。
2つ目の誤解は:
フランス市民革命に出てくるスローガン、「自由、平等、博愛」の概念である。自由・平等を考えるときの前提は先ほど述べたが、博愛との日本語への翻訳が間違っていた。欧米の「愛する」という概念は日本には存在しなかったから、中世当時は「大事にする」という日本の言葉をポルトガルの宣教師たちは戦国時代に使用した。ところが、「愛する」という概念と形態は世界各地に多種多様にある。すなわち、「愛」という図形キャラクターを個々ばらばらに連想するから混乱するだけであり、その時代や国の現行社会制度の1歩先の良心から連想すれば混乱は防げるし、より多種多様な「愛」を理解できるのである。
よって、話を本題に戻して、博愛とは「同胞愛」とか「目的を共にする友情愛」と、その当時でも翻訳されるべきものであった。ここから先は、「本当にそうなの?」という貴方自身が確かめる方が納得するだろう。
話を進めて、だからフランス流の考え方は、「植民地差別が厳しい」のは当然、「法律を知らない貴方が悪い」といった理屈にもなるのである。で、当のフランスは現行結婚制度が、生活の豊かさを阻害し少子化も招くとして、別枠結婚制度を新設したと考えるのは妥当だ。カトリックの国だからとかロマンスの国だとか、ほぼ揶揄と同等な議論は日本独特の下世話な会話であることがわかる。
すなわち、日本のように、「自由平等の正義をとるか、自分自身の生活を守るか、そのいずれかを悩む?」といった、そのような愚問はグローバルな基準では考えないのだ。
(筆者「=人が生命を生きるとは何か=」…人間は金銭や生活のために生きてはいない)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/26

共通具体策3
労働意欲、労働効率、アイディア創造性のコントロール(制御と管理)
脳の働きや脳科学の研究によって、いわゆる「やる気」というものが簡単な仕組みであることが解明されてきた(詳しくは今年の春のメルマガにも掲載)。例えば、人間の行動をつかさどる「意欲・感動・希望」、これは個別企業の商品開発の柱(固有価値商品論)でもあるのだが。
意欲=
脊椎動物に共通する頭脳の働きで、血液中の糖分が低下すれば食欲が起こり、血液中のナトリウムNa濃度が高くなれば水が欲しくなる。
◇1.空腹感を覚えたときに高濃度ブドウ糖液を少量ずつ飲めばダイエットができる。
◇2.高い塩分食事をして水を大量に飲めば血圧が上がって元気な感覚を覚えるが病気になる。その反対のことが、夕方に疲労感を覚えるのは血圧低下が原因であるから0.3%食塩水をコップに1~2杯飲めば元気になって栄養ドリンクの必要はなくなる。0.3%食塩水は貧血現象?にも有効であるが、そもそも貧血という病気はない。
◇3.空腹や疲労は意思決定者の寛大さを損なう(コロンビア大学研究より)
◇4.労働意欲について言えば、気晴らしの感動や将来の希望よりも、就労直後の食欲や清涼飲料(ビールなども含め)に期待する行動の方が、当座意欲への影響が強い。
◇5.風邪といわれる病気は存在しないのだが、医師などが風邪と称するのは鼻炎→咽喉炎→気管支炎といったもの、その初動治療は鼻炎の段階で0.45%食塩水で鼻の中を洗えば痛くないので、雑菌ともども排出され風邪を防ぐことができる。
◇6、大気汚染のPM2.5は風邪の病状進行順番とは異なり、それぞれの個所を直撃するのが特徴である。PM2.5の除去は、エアコンの空回しだけでも清浄効果はある。とにかく、元気に働いてくれる意欲が肝心なのである。
感動=
人間が感動するという気持ちの認識は脳内のドーパミン分泌作用である。
◇1.太陽の光を浴びることで分泌は促進される。太陽でなくとも室内が明るい状況を保つだけでも人間は感動を覚えて仕事をするのである。感動を覚えれば楽しくなってくるから、当座の仕事もそれなりに促進されるわけである。お肌が気になる人の紫外線対策の決定打は透明UVサングラスであることもあまり知られていない。ドーパミンが大量異常に分泌されると統合失調症となるが、太陽光が原因で統合失調症になることはない。
◇2.節電といって蛍光灯を減らすのは感動的仕事をストップさせるものである。消費財の小売販売は照明が決定的な要素を持つ。夜の公園も水銀灯が輝けば少年防犯対策になっている。薄暗い場所で仕事をさせるのは賃金コスト効率の不採算である。
希望=
人間は希望があるから様々な行動を活発に行おうとする。「この会社にいても将来がない」と思えば働くわけがない。現実に若者を採用する場合、「楽しい異性が居なさそう」となれば求人採用活動に影響が出るのは何十年も前からの定石である。そこで人間が持つ希望というのは多種多様であり次々進化していくから、いかに頭脳において希望をつかさどる左右の前頭葉の血流を活発にさせるかが決定的となるのである。巷では右脳とか左脳とかの話題が多いが、右脳や左脳がそれぞれ単独で働くのではなく左右の血流が活発化して相互総合的に働くことが解明されている。さて、いくつかの方法は解明されてはいるが、まだまだ希望についての決定打となるものは、脳の働きや脳科学の研究分かっていない。個別企業でとりあえず着手できることと言えば…。
◇1.音楽を聴くと、集中力や意味処理、運動機能、感情処理関連する左脳と右脳の領域が活発化される(ヘルシンキ大学研究から)
◇2.音楽の好みの一部は性格の特徴を反映している可能性が高く、その影響は支持する政党の選択にも影響(アメリカの音楽データ会社から)……だとすれば、比較的単純な事務作業や定型的事務作業に従事する場合は、各自がヘッドホンを掛け、自ら用意した好きな曲を聞きながら作業すれば効率がよくなるという訳であり、室内全域に流すBGMは作業の非効率を誘発していることとなる。
◇3.事業の経営方針を説明して、様々に場所を変え方法を変えてディスカッションすることは専門性、創造性、信頼性を柱としている固有価値商品を扱う企業では不可欠となる。事実、そういった方法で活躍し利益率が高い企業の事例は数多い。午後の喫茶コーナーまで作る会社もある。
◇4.日本の大手企業の多くでは今更、専門性、創造性、信頼性を柱とする土壌が崩壊しているから、経営方針を説明しても効果が期待できない。むしろ大手企業では労働時間大幅削減による家庭その他の個人的ストレス発散でもって定型業務を進め、むしろ労働者の希望に頼って業務を進めることは避けた方が良いのだ。よって、そこでの労使紛議は必要コストと割り切るしかない。
◇5.不満を発散させる対策(気晴らし)はストレスを伴うから希望にはつながらない、むしろ癒される行事に積極的に取り組むことで希望をつかさどる左右の前頭葉と血流を活発にさせるようだ。その意味で、誠にボランティアが好きな人には、癒される行動となるわけだ。……ただ、それにまつわる具体的行為や品物は世界中の人が探し回っているけれど、そんな大発見そのものの存在に、今は夢をかけるしかない。
◇6.とはいっても、とりあえずは経営環境を分析して、他企業よりも他国よりもドラスチックに打ち出せば…希望は叶うのである。
(筆者が楽しみながら研究する……脳の活性と癒しの文化(体験型)芸術産業事例)
http://www.youtube.com/watch?v=xB5QrOfxTRQ
(そのチラシも簡単、お客様の個性を引き出せるのがプロの仕事と割り切って)。
http://www.projectcinq.com/blog_musicsalon20141030/

共通具体策4
刻々と変化する現代社会に内在する、変化の波を読み取ること
決定的変化の流れを作り出しているのが、インターネットやICT機器を用いることでの、ICT産業革命である。古代・中世=材木、石材、梃子(てこ)の原理と車輪程度の機械しかなかった時代は略奪経済であった。金属、蒸気機関、時計などが投下資本経済(資本主義)であり、そして今やコンピュータは資源エネルギーや人間の能率・能力・技術に劇的変化を与えている。例え話を挙げてICT産業革命の真っただ中の激変時期を説明するとすれば…。それは、人間関係の在り方、結婚の在り方、出産の在り方、家族の在り方、高年齢生活の在り方その他の全般にわたって、つい先日の常識(みんながしていること)とは異なる事態が、インターネットやICT機器によってひき起こされている現実=世界産業革命である。そこでその具体策とは……。

1.会社の経営方針や経営計画を策定するにしても、
当初はコンピュータ活用により、諸効率の無駄を排除する利点が認識されたが、現在では個別企業の製造・サービス・販売現場に経営方針を適合させると、限りなく「解」のない事態に陥るジレンマとなっている。ICT機器を使いこなせないと一面では目移りする情報の取捨選択能力が退化して実行力・想像力共に消滅してしまう、いわゆる口先人間となる。他面では部下の実行力・想像力の消滅をまのあたりにしてICT機器の使用拒絶が生じ、こちらでは時代的な退化と「お払い箱」を生じてしまうのである。実行力・想像力の消滅は30~40代の男性労働者に多い(誰も統計を取らない)ことは、労働問題の専門家としては肌で感じられる。「1/3」とか「1/0」の計算が、コンピュータや電卓ではできない。すなわち経営とは想像・創造・構想といった一連の作業を伴うが、ICT機器から飛び出してくるインフォメーションをいくら積み重ねて見ても役には立たない。
まだまだ圧倒的多くのインテリジェンスは未だ書籍や体得者の長話の中に有益なものが存在し、せいぜいインタビュー先がICT機器で調べることができる程度なのである。それでも昔に比べればICT機器によって効率が比較的に高くなったのだが、取捨選択能力の持ち合わせ自体がなければ、実行力・想像力共に消滅の一途である。だからこそ先ほど述べた、「悩み事があったら、まずよく寝る。困ったことがあったら、1週間はほっておく」といった訓練から始めさせるしかないのだ。

2.商品開発、経営組織運営、マーケット調査その他に至っては、
従来からのでも末端従業員や顧客との関係が繰り広げられる現場では、さらに限りなく「解」のない事態に陥っていると見た方が妥当なのである。昔流の方針や通達を出せば出すほどジレンマに陥る。そのせいか昔流の基本原則を踏まえないものだから尚更末端現場では混乱が起こっている。またその基本原則である商業やマーケットの組織化(オルガナイズ)の現役が数少ないから学ぶことすらが難しいのである。挙げ句、この現象を見て従来の経営学をことごとく否定することをセールストークにしているコンサルタントまでが現れる混乱ぶりである。解決の要諦は基本原則を踏まえた経営学手法に向けて次々とICT機器による分析から出て来た(事実の羅列ではない)事実関係を理論化して組み入れることである。どうもそれは、歴史が繰り返している通り、商品・経営・市場の次世代理論はアカデミック学者には着想がなさそうだ。

3.日常的に流れる、「その背景に何らの意図や意味を持たない」言語やフレーズ
これが、ICT機器から飛び出して来た瞬間の我流解釈で物事を判断させないようにする訓練が重要である。メディア制作者からすれば、読者や視聴者がどのような受け止め方をするのかを操作することはきわめて簡単なことである。それがICT機器により大量安価で行えるから、「1匹のカモが引っ掛かった!」だけで成り立つといった邪心が随所に生まれるのである。専門性、創造性、信頼性とは無縁な環境に育った人物が、ICT機器の奥底にある邪心を見抜けるわけがない。だからといって、こういった邪心を規制しようとしても、ICT機器を遮断するわけにはいかないから、これを誰ひとりとして規制することはできないのである。むしろ、規制が出来たとしても規制範囲内の労働者はICT産業革命の中で、生命自体が消え去る集団でしかない。
電話取引が主流だった時代には、思わぬ勘違いや行き違いに対応する手段として、大型取引をする際は電話での無駄話をあえて話し込む方法を使っていた。ところが、現在ではほぼ通用しない。構想企画書やミーティングでの説明といったことも、専門性、創造性、信頼性とは無縁な環境に育った人物は聴いてもいない。そこで、「相手方がどのように受け止めるかを考慮する必要がある?」といった論理が湧いてくるのだが、これこそ専門性、創造性、信頼性を益々能力劣化させることになる。その結果現在は、新たな形骸の「思わぬ勘違いや行き違い」が続出していて、非効率不経済な事態が各所で続出している。
……ここでの「解」は、文化芸術と経済活動や豊かさの結合した水準をICT機器が媒介して解決するとしか言えないであろう。(これでは、読者の貴方にはいったい著者が何を言っているのか分からない)。ところで、そういった「解」は具体的に社会に目に見えるものとして出回らなければ理解されることはない。
(ICT機器があったからこそ、可能性がでてきたレストランや音楽芸術産業)
http://www.youtube.com/watch?v=xB5QrOfxTRQ
……そう、便利なもの&生産者本位の物が売れる時代は過ぎ去っているのだ。