2009/01/06

第81号

<コンテンツ>
(総務部メールマガジン)恐慌関連バックナンバー案内
「8万5千人失業」の作り話
現代社会制度の崩壊は、道理ある識者の誰しもが
昨年末から約3年間、経済急落、
もう一つの身近な例、「規律社会から管理社会へ」

裁判員制度の具体的な影響
テレビや新聞で話題になっていたような事柄は
当の裁判官たちは、圧倒的に反対が多い。

解説・労働契約法:不利益変更
実務では、解釈や運用の基礎となる理解が難解な部分
「就業規則優先か?労働契約優先か?」
有名となった最初の裁判は、「秋北バス事件」
労働契約法では、不利益変更の基準を、
歴史的論争の展開を知った上で、
似非専門家は、「本人の同意を得ています!」と


¶(総務部メールマガジン)恐慌関連バックナンバー案内
第76号(2008/8/5発行)
 今年秋からの金融危機は、
 フィンランドの基礎教育システムを研究
第77号(2008/9/9発行)
 個別企業をとりまく、経済・経営・労働市場
 筆者の「占い」は次のとおりだ。
第78号(2008/10/7発行)
 恐慌の防衛策
 金融危機が恐慌に至った
 不渡りで一番恐いのは
 担保を捨て、無借金経営の覚悟 ほか
第79号(2008/11/4発行)
 株価暴落は、いつ下げ止まるのか
 81年前の昭和大恐慌のような状況?
 昭和大恐慌から実体経済が立ち直ったのは
 資源のない日本経済にあっては
 個別企業での、もう少し具体的な話 ほか
第80号(2008/12/9発行)
 一挙に人員削減・整理解雇が! 年末までに100万人が失職!
 そこで個別企業で、何をどうすればよいのか
 政府でしか出来ない雇用対策、本当の公共事業とは ほか


¶「8万5千人失業」の作り話
が一人歩きをしている。厚生労働省発表は、「沖縄の15人」のみ?といったように、調査方法に瑕疵・欠陥があるのは一目瞭然のようだ。そもそもマスコミが、この調査自体が「非正規労働者の雇止め等の状況」に限定したものであり、「全国の労働局及び公共職業安定が12月19日時点で把握できたもの」であるとの注意書きを報道していないところに、作り話と受け取らざるを得ない根拠がある。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/12/dl/h1226-8a.pdf
確かに、正式な統計資料を見ることも大切だが、今時点たとえば、建設業の就業者数が約500万人であったところ、昨秋からの工事激減や失職状況を見れば、年末までに全体で100万人が失職したことは間違い無いと、専門家のコメントを報道すべきである。政府発表:85,012人の数字のみ報道するのでは、ジャーナリストどころか、ただの通信員にも至らない。


¶現代社会制度の崩壊は、道理ある識者の誰しもが
認めることとなった。今や、政府、企業、労組その他各種団体の事業運営に携わる人たちの誰もが、立場により表現を工夫はするものの、現行制度を維持するための前提が崩れてしまった!ことを認めているのだ。
この前、社会制度が崩壊した昭和大恐慌の当時は、「長引く不景気」と報道され大恐慌とは言わなかった。その後の歴史と学問は、これを「昭和大恐慌」と位置付け、当時の分析と反省を行った。昨年末からの金融危機から、これに続く不況について、世界大恐慌とは、なかなか言いたがらない人たちも数多く存在する。
アメリカ大統領選挙で、オバマ候補の当選が決まった途端、日本のマスコミやテレビに出演する評論家たちは、一斉に新自由主義の批判を始めた。新春をまたがりテレビ討論会などでは、新自由主義を賞賛していた学者たちも、よくよく観れば、手のひらを返すように新自由主義の弁明を繰り返すようになった。マスコミから干されていた評論家たちも、再び登場して来ることとなった。
ところで、経済学者や社会学者の間では、有名な哲学者カント、国富論のアダム・スミス、社会契約論のジョン・ロックの名前が、今日になって浮かび上がってきている。この人たちは、現代社会の文化・経済・政治、それぞれ学問的基盤の形成を遂げた人たちだ。が、現在、論議の的となっているのは、今まで教科書で習ってきた概念や認識を覆しかねない、新たな研究成果を浮かび上がらせているのである。決して、アダム・スミスを新自由主義経済の元祖と誤認した有名人物の類の珍説でもなければ、従来認識の復活を訴える原理主義の類ではない。現代社会基盤の文化・経済・政治が前提としていた背景、これが崩壊していることを学者たちは分析し、次の社会基盤への準備を始めているのである。


¶昨年末から約3年間、経済急落、
これは間違いない。道理や合理的判断をする経済学者であるほど、経済回復矢印が上向く時点が3年から5年へと延期をしている。(ただし、肝心の個別企業にあっては、人目や世間体を気にせず、大胆正確に手を打てば、もちろんのこと、約3年で回復させることができることに間違いはない)。民主主義政府の対応からは無理からぬことではあるが、心配や不安が加わるものの、経済対策が上滑りするより被害が少ない。
その根拠は、哲学的?かもしれないが、次の通りだ。
経済学とは、「誰もが豊かさが追及できるようにするには、どうすればよいか?」を科学的に分析する学問である。「一方で儲かる者がいて、他方で損する者がいる!」とは迷信そのものなのである。そもそも、経済理論は100通りほど在ると考えて差し支えない。たとえば経済専門のNK新聞といっても、およそ100分の3程度の経済理論だけで編集されているから、さほど役立たないと評価されるのである。ましてこの新聞社の記者は文学部出身者が圧倒的で、まるで「読者好評の経済文学&各種経済指標の通信項目」が毎日発行されていると断定する学者もいるくらいだ。もとより、かの話題の金融工学と称するものも、場末の経済理論であって、戦争ビジネスを回避させた平和論?なのかもしれないが、まともに信じるに値する理論なんかではない。
時流経済学の欠点を簡単な例で説明すると、
:個別企業であっても、様々な事業方針を立てるにあたって、今日明日、この3ヵ月、この6ヵ月、この3年間、この10年といった具合に時期を考えて、「理論と実践(現実)を識別」しながら策定することが基本パターンとなるのである。ところが、テレビ出演目的なのか、政府審議会に選ばれたいのか、「一時的、短期、長期」といった近代経済学での「政策と時期のマッチ&バランス」をも無視して、規制緩和や経済政策原理を力説し、常に口を開けば幻想の「危機感」をあおり、抽象的に「市場原理に任せる」とする類がほとんどで、まともに信じるに値する経済理論ではないのである。


¶もう一つの身近な例、「規律社会から管理社会へ」
といった理論の「見直し」が始まっている。身近に話すと、規律社会とは要するに、規則を定め、自ら善悪の判断を個人にさせることによって、規律を重んじる社会のことである。管理社会とは、ITを含め情報テクノロジーで、仕事や日常生活に管理の網の目を張り巡らせれば、効率的に運営できると想定した社会のことである。「見直し」のポイントは、今では当たり前のことではあるが、当時は頭脳明晰に反論することは難しく、回りは反論する人を理解できなかった。その中身は、
1.個人の規律や訓練が完成した上で、初めて管理社会が到来することを忘れていた
2.管理の網の目から、こぼれ出る人物が多く、この個人が社会基盤を揺るがす
3.近代以降の自由平等の原則を忘れて、管理社会=封建的支配と勘違いした
といったものだ。現場から遊離したエリートでは気づきにくいのも当然であった。こうやって「管理社会」を誤って認識したために、労働力需給、労働能力育成、次世代労働力生産(学校教育他など)の方向性を誤ってしまったのが現状であると言っても過言ではない。その背景には、今話題の金融資本主義(その萌芽は、著者が以前説明した「利回り資本」や、ヒルファディングの金融資本論とはちょっと違う)が追いかけた、単なる拝金主義・市場経済理論の影があるのだ。
「経済学を学ぶことは、似非経済学者にだまされないことである」と言われる由縁なのでもある。



¶裁判員制度の具体的な影響
について、単なる制度説明では、実態が分からない。最高裁のホームページは次々と追加更新されるが、ますます読みづらい。そこで、経営管理や人事労務に与える影響の本質をつかみやすいよう、前提となるポイント解説を試みる。
「裁判員候補者名簿」に、あなたの名前が掲載される場合は、毎年12月ごろに通知される。掲載されれば、くじ引きで担当事件が決まり、第1回公判期日6週間前に呼出状が来る。郵便調査票はあなたの都合を優先するものではない。裁判員候補者になったことを、インターネットなどで言触らすことは禁止されているが、あくまでも被告関係者からあなたを守るためのものである。だから、妻、子供(口が固いこと)、上司、同僚(口が固いこと)、友人に話すことは差支えないのだ。
裁判員候補者といえども、身分は裁判所臨時職員、この職務を妨害すれば、労働基準法第7条により「公務執行妨害」として、上司は懲役6ヵ月・罰金30万円、会社は罰金30万円となるかもしれないのだ。さて、あなたに呼出が来たときに、単に仕事が忙しいとか、ずる休みしたときには過料10万円となるかも。裁判員の職務は無報酬、ただし経済的損失を補てんする国家賠償との日当・交通費・宿泊費が支給される。損害賠償だから、所得税がかからないからと言って喜んでいる場合ではない。その日の賃金を会社は支払う義務は無い。そうすると、身近なイメージとしては、(人を殺す組織に組み込むから)徴兵制のようなものだという人がいるが、それはその通り。
本人の希望は一切聞き入れられないのだ。裁判に支障が出ることを未然に防ぐ程度の様々な配慮がされるだけだ。要約すればこんなところなのである。


¶テレビや新聞で話題になっていたような事柄は
裁判員制度導入では無視されているようだ。司法改革の導入背景は、検察官の就職希望者がほとんどいない実態、並んで刑事事件第一審での事実認定に手間暇を食っている実状を一挙に解決しようと、「ヨーロッパ:参審制」と「米英:陪審制」の都合のよいトコ取りといったもの、これが、関係者の共通認識なのだ。だから、現在の刑事裁判で横行している、裁判官・検事・弁護士の談合判決、無意味な長時間証人尋問、裁判官の居眠りや内職、最高裁の顔色をうかがう判決などは改善されて行くとして歓迎ムードは強い。確かに、誰もが被告とならざるを得ないことや社会秩序維持のキーに関わることであるから、総論としては賛成の声は多いが、実施その他の各論となれば反対意見も根強い。
裁判員制度の対象となる事件の実態は、介護や看護疲れの親殺し・子殺し、婚姻届を出していないだけの夫婦間の殺人などといった、加害者と被害者が親戚である事件が多いのだ。テレビのワイドショーでおなじみのような加害者が他人の凶悪犯罪は数少ない。なので、裁判員職務は、「真面目に悩む」こととなり、それが3日から5日間続き、最後に判決言い渡しに立ち会わされることから、精神的圧迫は極めて強いのである。自分の意見を述べさせられるなどの評議を適度にサボるとか、嫌気がさしてズルして休むことはできないから、憲法18条の「苦役からの自由」に反するとする意見は根強いのだ。裁判員候補者に選ばれたならば、すぐさま訴訟を起こすと予定をしている人も少なくない。果たしてこれが事業活動に影響を及ぼさないと本当に言えるのか。疑問である。うつ病を罹患すれば公務災害扱ではあるが、それでは、個別企業が済ますことができる問題ではない。


¶当の裁判官たちは、圧倒的に反対が多い。
裁判官の職業は国家に対して物申す立場になく、それを厳格にわきまえているからこそ裁判官の職業に就くことが許されている者であることに因って、公には発言しない。が、その反対とする中心意見は、裁判員の守秘が多すぎること、裁判は真実を見定めることで多数決ではないこと、裁判員に苦役を課すことになるなどとしており、そのことで憲法76条3項、「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職務を行ないひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」を守ることができなくなると言っているのだ。
これに対して、国民からすれば、不思議な理解できない手法が最高裁事務総局から打ち出されつつある。法廷で被告を弁護士の前に座らせていたものを、弁護士と同列の机の前に座らせることとなった。被告のネクタイは首吊り自殺を図るとして禁止されていたのだが、被告がノーネクタイであれば裁判員が偏見を持つとして、バネ付フック式ネクタイをつけさせるとのこと。被告が逃亡ができないように、履物をサンダルとしていたのだが、これも裁判員が偏見を持つとして、前から見れば革靴・後から見ればサンダルという風な改善サンダルを用意する。とのこと。
結局のところ、まるで判決理由のように長い文章で最高裁事務総局から説明がなされるのではあるが、どうも「苦役であること」は間違いなさそうだし、裁判所は事業活動への影響も考えた事はなさそうだし、何につけても裁判所と裁判官の都合だけで進められそうなのである。慣れない裁判員職務、これのリフレッシュ休暇や費用すらも考えているつもりもなさそうだ。



¶解説・労働契約法:不利益変更
(第7条~第11条関係)(第12条・第13条関係)
労働契約の不利益変更について、さまざまな変更条件が明記されている。要約すると
(1)就業規則の改訂による不利益変更には、就業規則の周知が前提
(2)就業規則を上回っていた労働契約条件は、
  新就業規則で改訂を行っても、その部分は変更不可
(3)就業規則を改訂して不利益変更をする場合には、
  労働者への「合意納得義務」が求められ、
  6項目(周知、不利益程度、必要性、社会相当性、交渉経過、合理性)
  にわたる、変更の有効:無効の判断基準が示されている。
ただし、労働組合(個人加盟の組合含む)は特別扱い、労働協約の締結行為があれば、社会通念上相当とされる範囲内である限り、不利益変更だとしても変更は容易であり、労働協約優先のオールマイティ性の原則を貫いている。
次に、
就業規則が効力を発するための条件が定められている。(第11条関係)
(ア)労働基準法に定める必要事項の記載
(イ)合法的に選出された労働者の過半数代表者の意見聴取
(ウ)労働基準監督署への届出と受理
の三項目が済まされていない限りは、事実上就業規則としての体をなさなくなった。
とりわけ、従来は周知さえすれば、労働基準監督署への届出を遅滞していても、就業規則の効力そのものに影響はないとされる扱いの判例法理が存在したが、労働条件に関わる部分については、適正な手続が欠落していれば、「改訂した就業規則」としては使い物にならないと定め(法定法理)られた。いわゆる近時代を反映した「手続主義の法のパラダイム」を定着させることとなった。厚生労働省の通達では、この辺を曖昧にする経営側への配慮をしているが、労働審判や裁判ともなれば、先ほどのア~ウの項目が第10条に定める合理的かどうかの判断基準となることは言うまでもない。
加えて、
労働契約や就業規則あるいは労働協約の優先順位も定められた。
従来からの諸説氾濫によって → 間違った判断が社会保険労務士や弁護士の一部で流布されていたが、これに終止符を打つことになった。すなわち、
(イ)労働基準法や労働契約法などの法律に反する労働条件は無効
(ロ)就業規則の労働条件を下回る労働契約は無効
(ハ)就業規則の労働条件を上回る労働契約は有効
(ニ)就業規則や労働契約よりも労働協約(労働組合との契約)が優先する
といったものである。


¶実務では、解釈や運用の基礎となる理解が難解な部分
が、この労働条件の不利益変更である。そこへ、似非法律家などからの判例や解釈論を持ち込まれると、真偽のほどは遠のき、正常な判断基準まで悩まされてしまうこととなる。また、そういったことをテクニックとして、クライアントを煙にまこうとする似非専門家も国家資格の肩書を利用して近寄って来るから要注意である。
そこで、個別企業の実務において、これを解き明かす2つのヒントがある。
第一は、法律家と言われる法曹三者(裁判官、検事、弁護士)、プラス大学の法学部教授・准教授と言われる人たちには、法令が国会で決議され施行されたからには、憲法に基づいて法律の解釈論議をする以上の物事は、職業としては扱わないといった鉄則の存在だ。
第二は、とりわけ労働法は、社会共同体の維持を保つための妥協の産物であり、刻々と激変する個別企業の実情にあっては、「労働者の労働意欲⇔経営管理における経済性」との間に、秩序の折り合いをつける紛争解決手段に過ぎないのだ。


¶「就業規則優先か?労働契約優先か?」
少し専門的な解説をすれば、就業規則に記載してある規範や秩序でもって、自由平等のためには職場内を統制することに重きをおく考え方が就業規則優先(就業規則法理)、これに対して自由対等な立場で労働契約を結んでいることが前提であることから、本人の同意がなければ、ことごとく拒否できるとするのが労働契約法理。この両者は、どちらが理想かと何十年間も議論し、裁判所でも争われ続けられているところなのだが、なかなか結論が出ないところに、労働契約法は、今回のひとつの具体的仲裁的な法廷法理を提起したのだ。(自由平等に反することは、もとより否定されているから、典型的に労働契約法で否定されている)。
一例をあげると、自分が知らないうちに、就業規則変更によって退職金規定がダウンされた場合、労働者は知らなかったし、期待をしていたことから、退職金ダウンが無効となるのが労働契約法理である。では、説明してあれば良かったのか、払えない事情があれば良かったのか、就業規則変更手続に不備があったのか、などなどの疑問や会社の手抜かりをめぐって労働事件としての訴訟が提起されていた。こういった疑問や会社の手抜かりをクリアしさえすれば、職場内秩序の維持のためには就業規則の変更を優先させることが必要ではないかとするのが就業規則法理である。


¶有名となった最初の裁判は、「秋北バス事件」
就業規則優先か?労働契約優先か?といった裁判は、数多くが定年制導入をきっかけに、労働者側と会社側の対決・争議となって争われた。就業規則法理か労働契約法理かの判断として、最初に有名となった裁判は、キリタンポと比内鶏で有名な秋田県大館市の「秋北バス事件」である。S32秋田地裁仮処分決定、S37秋田地裁、S39仙台高裁と、次々に労働契約法理が認められていった。この判決が当時、60年安保で華やかな日本全国の労働組合運動に利用されて行ったのである。ところが、昭和43年12月25日に最高裁判所大法廷が、労働契約法理支持の少数意見を付帯して、「就業規則法理」の初めての判例を言い渡したことで、この時点から「規則か契約か?の大論戦」となったのである。
この秋北バス事件そのものは、ほとんど秋田県北部の地元で知られることはなかった。昭和18年4月1日に戦争遂行のため、「秋北乗合自動車株式会社」に13業者を統合させられた怨念が残っているかもしれない、当時の経営陣と役員待遇であった者との定年をめぐる争いであった。裁判に秋北バス労働組合が関与した事実もない。したがって筆者の2回にわたる現地取材は困難を伴った(取材詳細をご希望の方はメールで連絡を)。今日からすると、合理性の事実認定には疑問の残る判例でもあった。
この後、大曲農協事件(最高裁昭和63年2月16日)、第四銀行事件(最高裁平成9年2月28日)、みちのく銀行事件(最高裁平成12年9月7日)、フジ興産事件(最高裁平成15年10月10日)などの、労働運動側の一連の反撃ともいえる労働契約法理論争の展開となっていったのである。
この秋北バス事件後の歴史的展開は、似非専門家あるいは法律家でも専門分野を異に人物を見分けるチェック・ポイントである。


¶労働契約法では、不利益変更の基準を、
とりあえず具体的に、こういった判例論争の展開を踏まえて定められた。不利益の程度、必要性、就業規則の内容(社会のこと)相当性、交渉状況、就業規則変更事情をチェックしてみて、道理が通っている(これを法律用語で合理性と称す)上であれば、就業規則を優先させようとの決着を、国会において見たのである。したがって、上記チェック項目の欠落とか道理が通らない説明であれば、不利益変更は無効とされる。無効とはもとより無かったこととする意味で、元通りの退職金や賃金などを支払わなければならないことになる。
さて、そうだとすれば、個別企業の側からすれば、安易な思いつきではなく、代替措置や将来措置が具体的であり、かつ従業員またはその代表らとの交渉を行ない、誠実な対応に徹して、就業規則改訂を実施さえすれば、不利益変更は十分可能であるということであれば問題はないとのことなのである。ただし、これらに事業計画、敗者復活や努力実現の可能性、独断偏向の排除などの措置が付随し、交渉経過については、誠実説明義務ではなく合意納得性が要求されることから、(専門家の力を借りるなどして)大規模に実施しても良いことなのだ。加えて、形式主義に陥らないように注意しなければならない。それは、形式の陰に信義則、権利濫用、公序良俗のポイントが欠落するからだ。信義則の原則とは、簡単にいえば、ウソ、だまし、抜け駆け、ペテンにかけることを指し、一般的に形式主義を見破るポイントは、この信義則でのチェックと言われている。(ちなみに公務員には民法の信義則の適用はないから、労働基準監督官などの公務員社会の例え話に乗るのは危険)。


¶歴史的論争の展開を知った上で、
先ほどの、解き明かす2つのヒントを参考にすれば、個別企業での個別な事例であっても、無理せず対処する道が開けて来るのである。ここでいう無理せずとは、例えていえば、昨年末の「I自動車」「Nディーゼル」、デジカメの「K」といったところは、整理解雇4要件(最新動向:整理解雇4要素説は時流から消滅したことに注意)と不備と思えるが、そういった場合の個別企業側の敗訴と労働争議を覚悟する必要がないという意味である。昨年秋以来、プロの専門家は整理解雇の通告アドバイスを数多く行っているが、その個別企業なりに整理解雇4要件その他合理性を措置することで、未だ予定外の解雇紛争を引き起こすことはないのである。もちろん、措置することにより労働側弁護士や労働組合からの反撃、凶悪事件の引き金を直接引くこと(K工業)などにもならないのだ。


¶似非専門家は、「本人の同意を得ています!」と
いった形式主義を主張?アドバイス?する。ところが、これは詭弁もしくはあなたを誘惑する類なのだ。退職金規定があっても、「本人から請求がなければ払わなくてもよい」と、いわゆるアンフェア・トリートメント(不公正な取扱い)をアドバイスする多国籍金融会社に至っては、TVのごとく火事場泥棒である。グローバル社会の負の部分に対抗するため、また、現代の紛争解決潮流のひとつである、「手続主義の法パラダイム」(公正や正義というよりも、変更手続のプロセスを重視する時代的潮流)を逆手にとって、さも問題がないかのように「形式や手続きを踏んでいますから!」を理由に、不正を強制する行為に対しても、労働契約法の第7条~第13条で規制をかけることとなっているのだ。