2013/07/09

第135号

<コンテンツ>
ICT産業革命の真っ最中を忘れている日本
  要するに現時点の本質を見ることが、重要課題なのだ
  その、ICT産業革命の真っただ中、その意味は
  ICT機械化から免れる職業能力は、二つだけしかない。
  そんな労働力を、個別企業が計画的に確保するには
  だからといって、構想力または創造力とは万能ではない
  所詮キャリア、すなわち、これを整理・準備したところで
  「同じ賃金を支払うなら、より有能な人物を確保する」の原則
いじめ嫌がらせ事件の急増は、何を意味するか?
    【件数増加の理由には】
    【創造的解決を選択すること、打たれようとする社会的解決策】
    ☆=個別企業の推奨対策=☆
携帯やスマホと、所定外労働時間
      【労働契約法や労働基準法の解釈】
      【個人のICT機器そのものの使用料やレンタル条件】
      【トラブル回避のアプリ(通話機能)の存在】
事例紹介:「ソメスサドル」
     未来へと良い品物を提供:固有価値商品を創る会社



§ICT産業革命の真っ最中を忘れている日本
参議院選挙の真っただ中、さも目先に追われ選挙戦を戦う人たちではあるが、こういったときこそ、日本国中が忘れている事柄の議論をしてもよさそうである。世界から見捨てられた日本の製造業にあって、なけなしの税収の使い道や再配分をめぐっての話ばかり。日本経済復活の道筋を提起しているような話はどの政党からも聞こえてこない。むしろ、日本経済復活とは相容れない短絡的主張ばかりが目立っている。
巷の議論を観るに、
まるで高校生の試験問題の回答を探すような議論ばかりである。個別企業の経営にとって重要なのは、他の企業がやっていないような価値を生産して、他の企業が進出していないところに供給することに尽きる。だから、「試験問題の回答」の中には、経営管理や事業展開のアイディアも手法も存在しないのである。マスコミや政治家の誘導もあって、不毛な泥沼論議に終始明け暮れている。

要するに現時点の本質を見ることが、重要課題なのだ
日本がICT産業革命の真っ最中にあることを忘れている。これを忘れて議論していることが問題なのだ。もしかすれば、素人向けに規制緩和や既得権といった用語を使用しているのかもしれないが、規制緩和や既得権、まして富の再配分といった論戦よりも、ICT産業革命は、はるかに進行している。ICT産業革命により、経済・社会その他の価値概念と価値を生み出す方式が変化しているのである。
過日の日銀発表によれば、この数ヵ月間で通貨供給量は18.5%も伸びたのだが、企業への融資は2.1%しか伸びていないというものだ。すなわち、銀行の金庫の中に供給された通貨が滞留しているのである。日本経済の主力である民間には回っていない。ただ銀行は通貨を保有するだけでは不採算金融機関と金融庁に判断されるから、またもや金融投機に走らざるを得ない状況ということだ。これがインフレターゲットの結果である。挙げ句には、投機で金もうけした人たちが、ぜいたく品を買うから消費者物価は上がるかも?と、150年以上も前に否定されている論理を持ちだす始末である。たぶん彼らは、国民を馬鹿だと思ってるんでしょうね。
さらに、7月21日以降に金融庁から出される予定の通達によって、不良債権になりそうな融資の回収(一般的には貸しはがしという)が始まる予定なのである。そういった議論がバラまかれ、多くの人たちは右往左往、全く持って創造性のない話なのだ。

その、ICT産業革命の真っただ中、その意味は
今や職業能力の中の、技術・技能において中途半端なものの順に、その労働はICT機器に代替されつつある。だとしても原理原則は、価値を生み出すには、人間が労働をしてこそ、初めて実現するのである。ICT産業革命により、労働の指揮と分配の方法が変わりつつあるという訳だ。
最初の産業革命は、エネルギーを自然から取り出して人間の労働に置き換えた。蒸気機関が工場ごとに設置出来るような技術開発が、現実的意味での産業革命の姿だった。その蒸気や水などでタービンを回してエネルギーを取り出していることは、原子力発電をはじめ今も変わりがない。次の段階は、電気によってエネルギーを多種多様な機械や道具に伝達することであった。電気を使うことによって機械、家電製品に動力を伝えた。今や機械にベルトをつないで動力伝達することは珍しくなった。そして現在は、ICT(インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー)でもって人間の技能の代替が進んでいる。その技能とは、エネルギーの省力化の方向であり、発電などのより分散的(地元発電や家庭発電など)な姿になりつつある。石油やガスの化石燃料による動力(自動車など)も、今後は再生クリーンエネルギーの方向に収斂する可能性が高い。そしてやはり電気である。

ICT機械化から免れる職業能力は、二つだけしかない。
第一:仕事の段取りや効率化を進めるための構想力に関する能力
第二:それまでに存在しなかった商品を生むところの創造力に関する能力
である。(現在その理論的裏付けを整理しつつあり、詳しくは9月メルマガに発表)。
差し当たり、
構想力又は創造力その他の付随能力(付随能力があって、関連しながら構想・創造は可能となる)を育成するには、
1.まずは、その素地を持っている人物を発見すること
2.過去事例を論理的に説明した上で、体験・事例習得を短期に行う
3.実際の個別事業に、その人物を投入することで育成を図ることである。
構想力や創造力の原理原則は、個別事業単位ごとにしか技能(スキル)教育が出来ないということだ。また、究極的構想力の結果に生み出されるのは芸術性と言われているが、その領域は技能ではなくてアートArtの世界である。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

そんな労働力を、個別企業が計画的に確保するには
有能人物を確保する順序は、その企業の目的にあった水準以上の人物を探し出し、確保する方法しかない。ただし、ICT産業革命で、経済・社会その他の価値概念と価値を生み出す方式が変化していることから、何をもって有能な人物なのかを考えることである。…これこそが、実は不平等を排除する適切育成であり、汎用的均等教育とは区別するべき必要がある。
今流行している、「有能」といった概念は、「無能」に転換すると覚悟しておいた方が良い。巷の耳触りよい、「全く経験のない人物を採用し、真っ白い状態に仕事を植え付ける」といった方式は、全くの間違いである。人間の構想力(芸術性も含め)が発揮される最低条件は、頭の良さではなく、「勇敢であり愛である」と、イギリスビクトリア時代のジョン・ラスキンという人物は、王族やジェントルマンとレディに説いて回って、当時のイギリス社会に影響を与えた。その後は世界中でマニュアル教育(テーラーシステムやソ連のНОТノット)が世界の大量生産の基盤となったから、ICT産業革命に期待される有能さの発見は、過去の歴史的には見当たらなかった。
そういった意味で、今回開発した職業能力評価表は、有能な人物を確保するための構想力などを七つの能力に分解し、それを具体的に測定するものになっている。(そういった意味では、発明の領域と評価された)。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254
既に導入した企業では好評であり、具体的に人物発見に驚くべき効果をあげている。七つの能力ごとに能力段階が示されているので、本人も上司も能力育成の道筋が見える。導入した個別企業にあっては、労働力の採用確保の方向に変化をもたらしつつあり、業務改善・新商品開発の基礎集団を形成しつつあるのだ。すなわち、それが収益と利益確保に役立っているのだ。
確かに、個人が、先に述べたような仕事のICT機械化されようとしている技術・技能に対して、学習意欲を持つことが可能とか、事業化するにあたっては困難極まりない。むしろ、それを個人でやり遂げられる人物は、ほとんどが変人と誤解され、何万人かに一人が天才と見なされるのである。一般の労働者は、ICT機械化を導入されることが予測される場合に、自発的な学習意欲が生まれることがない。反対に危機感をもって拒絶反応を示すだけである、これは歴史的事実からもいえることである。そのためには、現実的に役立つ教育訓練から始める必要がある。
大手企業のように、社外教育を事実上遮断し、社内OJT教育に重点矛先を向ける(社内の多数者はそれを望む)風潮では、その集団は滅亡の道である。ことに大手企業は資金源は潤沢であったが、管理職はゼネラリスト、すなわち素人レベルの管理職である。確かに中堅企業の管理職に比べ頭は良いのかもしれないが、頭の使い道は良いとは言えない。
そこで、現場段階での当面の教育訓練ポイントは次の通りだ。緊急課題は、労働意欲と収益性の経営要素である。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/248

先ほど述べた、技能ではなくてアートArtの領域のための教育・訓練を整理し、個別企業で導入しやすくしたものが次の内容である。現在、筆者も理論研究と体験を繰り返すことで改善を進めている最中だ。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

だからといって、構想力または創造力とは万能ではない
構想力または創造力によって生み出されるもの総てが、経済・社会その他の価値概念と物品価値増殖を果たすことはない。通貨・証券や利権を確保するために、構想力または創造力が使われる場合には物品価値は逓減消滅する。この物品価値が逓減消滅していけば、経済の総需要が落ち込むことに反論する識者は存在しない。巷では、「金利が上がれば、その分は価値となる」との迷信を信じている人は少なくないが、上がる金利は、必ず下がるのであり、売り逃げして通貨と交換出来ても、その作業は他の富を消耗しているから、純増としての価値を享受されることはない…よくよく考えてみる必要がある。(例えばことわざ、「棺桶に金を入れては逝けない」がヒント)。
そのように仕事=労働(これこそ労働力に限定されない)がICT機械化されようとしていることに対して、経済政策・経営管理手法が全くといっていいほど追いついていないのが現状である。ことに大手企業にあっては、中堅・中小企業よりもその拒絶反応が強い。その理由は、現在の大手企業が抱える労働者の失職が目に見えているから、急速に水ぶくれした組織であって学習・研究蓄積がないからである。したがって、プライドが生命線のサラリーマンともなれば、なおさら拒絶意識が強くなっていくのである。

所詮キャリア、すなわち、これを整理・準備したところで
【第1の特徴】
そういったキャリア人物は実際の事業には投入出来るわけがない。その意味で、厚生労働省が現在行っている政策(キャリア関連)は、民間個別企業では使い物にならないのである。一種の資格制度でステイタスは保障されるかもしれないが、民間事業現場での物品価値増殖には資することはあり得ない。国家資格その他で、ステイタスを基に、資格者団体が形成されているが、「潜在的失業者集団&旧式ギルド」の様相を帯びるばかりで、知的熟練的貧困者層を形成している。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/240
社会全体からみれば、「依頼者に対する仕事の拒否権」というものがポイントで、この権利を持たない資格者業務は、巷にあふれる出来高制労働者としか概念規定のしようがないのである。労働省シンクタンクもその考えで施策しているし、例えば「顧問」といった社会通念は崩れ去っている。

【第2の特徴】
「人をケアcareするサービス」は、サービスを受ける年代によって事業に特徴があるから、サービス提供者は同年代若しくは極めて良き理解者でもって、その年代に合わせた、「お金には代えられないほど大切な提供サービス」を必要とするのである。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
商品提供の内容が整わなければ、如何なる商品も交換される率が低下する。だから、総需要を増加するには固有価値を帯びざるを得ない。が、表面的に固有価値を帯びたような仕草だけでは、固有価値商品にはならない。どういうことかと言うと、固有価値の要素である、「意欲・感動・希望」のうち、生産者の都合で希望が欠落している状態が、表面的に固有価値を帯びたような仕草ということである。

【第3の特徴】
現在、ハローワークや民間職業紹介会社の行っていることは、離職前の前個別企業において培われたキャリアなるものを整理・準備しているにすぎない。すなわち過去のキャリアは、新しく就職する個別企業で通用する確率は微々たるものといった、何十年も前から明確な転職前提条件が生かされていないのだ。それは、一つの企業の社歴が長いほど、そのキャリアは転換が難しい。業務改善を進めている企業からすれば、同業他社の悪性キャリアは排除しなければ、初歩的日常の業務に悪影響を及ぼすことは、成長企業なら末端社員でも自覚していることだ。百歩譲っても、多種多様なキャリアをもつ場合のみ、ここでいう構想力または創造力に刺激が加えられるだけのことである。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/244
肝心なことは、少ないながらも構想力または創造力があり、新たに就職した個別事業のキャリアが伸ばせるかどうかということなのだ。

「同じ賃金を支払うなら、より有能な人物を確保する」の原則
個別事業を行う側からすれば、この意思は正当なのである。これは、現憲法にも保障された権利であり、公共の福祉に適うことはもちろんである。官僚その他に意味不明な理屈でもって、今までのように基本的な権利を抑圧される必要もないのである。日本では明治維新の初期を除けば、官僚による統制経済(戦後は社会主義経済理論を密かに採用)の連続であった。ことに、基本的人権とは、誰もが文化的な生活を確保されることから始まることを忘れてはいけない。多数決でも家族の要望でもボランティアと称するものでも、基本的人権は抑圧してはならないのである。経営者の「文化的生活&活躍による豊かな生活」は、世界の近代国家が保障している権利であるが、この日本においては江戸幕府や統制経済により、およそ200年の間にわたり抑圧されてきたのである。


§いじめ嫌がらせ事件の急増は、何を意味するか?
都道府県労働局に寄せられる、個人単位の労働紛争(個別労働紛争)は、平成24年度は、それまでの解雇事件に代わり、相談件数のトップが「いじめ嫌がらせ」になった。数値情報は厚生労働省の公表通りであるが、今回はこの動きについて解説する。
相談件数は、そのほとんどが労働基準監督署に訪問した相談、すなわち監督署に「何とかしてほしい」といった労働者の行動を、労働局に書類を回してカウントした集計である。確かに厚生労働省は、裁判所や法曹界が労働事件処理を裁判所で済ませようとする動きに対抗して、監督署の人的動員力をかけて、行政指導や紛争調整委員会のあっせん作業で解決を図ろうとしており、その相談件数稼ぎは否めない。だがそれ以上に、いじめ嫌がらせ件数の数値の急増は、解雇事件を追い抜いてしまった事態なのである。
また、裁判所の労働審判では、いじめ嫌がらせの解決が制度的には難しいことも事実である。加えて、労働審判の裁判官は、頭ごなしに金銭の「示談」を迫り「裁判上の和解」を強引に進めて裁判件数を減らそうとしている。
しかし、筆者の30年以上に及ぶ現場の経験からすれば、労働基準監督署に駆け込む行為は、直属上司に対するレジスタンスの意味合いが強い。経営者に対する戦いを決意する労働者は、必ず労働組合に駆け込むのである。

【件数増加の理由には】
結論的に筆者が考える背景は、ICT機器の使用によって、
 A.中途半端な技能では効率的な仕事が不能であること、
 B.中途半端な技能ならばICT機器が仕事の代替をしそうな雰囲気であること、
 C.定形繰り返し業務がICT機器に取って代られ技能者が内にだぶついていること
 D.そして、人件費や予算に対する効率的な業務ができていないこと、
などが考えられる。ある面では、うつ病などの精神疾患の増加と理由が共通しているかもしれない。
根本的な解決の視点は、ICT機器あるいはICT機器を使って事業運営する体制の根本となる教育訓練が不十分なところに置くとするのが妥当である。解決の道筋を示さず、現象面や問題点を論っていても、事態は収まらない。そのほとんどの現象面は、上司や部下や同僚同士のグチの言い合いにすぎない。グチしか思考しない程度の職業教育しか出てこなかったのである。
したがって、いじめ嫌がらせを行う者は、
  One 技能力の低い上司、
  Two 技能力の低い女性の「お局」、
  Three 先輩風を吹かせる無能力者
に集中している。すなわち、無能力者が、能力のある者に自分の立場や席を取られないために、正当な根拠もなく力ずくで排除しようとする動きなのである。事実、いじめ嫌がらせが横行する事業所は、経営課題に4ポイント(収益性・生産性・労働意欲・効率性)の低下を招いて、経営破たんの道を歩んで来た。筆者はそれを、まのあたり目前で見ており、いじめ嫌がらせが経営者の気持ちに反したとしても、いじめ嫌がらせの横行する実態に、具体的政策メスを入れなければ、経営破たんに至ったものばかりであった。もちろん、つぶれた企業の経営者の話なんか誰も聴かないから、原因分析が困難になるのは仕方がないことではあるが…。

【創造的解決を選択すること、打たれようとする社会的解決策】
あまりにも急激な、「いじめ嫌がらせ」事件の駆け込みに対しては、個別企業各々が根本基盤から解決するしかない。それが、場当たり的・事後処理的対策もとれば、経営破たんを招く。それを既に如実に示しているのはヨーロッパである。各国の研究成果の紹介はこの際省略するけれど、ヨーロッパの先進主要各国の国家的課題となっているのだ。アメリカの場合は事情が異なり、「早めに経営破たん実行する」の経済文化であるから、チームワークが保たれない事業組織は自動的に解散(廃業)させているので、あくまで表面に出ていないだけのことである。(ICT機器から取り残された労働者の社会問題としては現われている)。
ところが、日本企業の場合は、アメリカのような、「早めに経営破たん実行」の経営管理方式をとれば、労働者が集まらないから、ヨーロッパ系企業に似ているように思える雰囲気が、実際は素人目には安定雇用に似ていると見えるだけなのだが。
典型的なヨーロッパ事例はフランスにあるから少し紹介する。フランスの文化を日本人が理解するのは極めて困難ではあるが、いじめ嫌がらせを、労働法典、刑法典、公務員規定に、「モラルハラスメント」との概念で解決を図ろうとしている。
その労働法典の定義は、
「いかなる労働者も、その権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、または職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為を受けてはならない」
となっている。そして経営側に対して、
「ハラスメントとは関係ない客観的な要素によって正当化される行為であったこと」
を証明するよう義務づけているのである。(労働省シンクタンクのBusiness Laber Trend 6/2013)
おそらく筆者の研究と経験から予測すると、厚生労働省が、今後は紆余曲折があるだろうが、このフランスの方向を着地点として法律整備(社会的解決策)を打つことが考えられる。そのような労働行政を行い改善されない企業は切り捨てるであろう。法曹界も、法律的定義と社会正義(=原則は自由平等)を掲げている以上、その方向に流れることも間違いない。日本国の政府自体も、派手にはPRしていないが、「いじめ嫌がらせ」の防止は、既に表明している。さて肝心の経済界となると、“大手企業の人事担当者は、厚生労働省になびく”から、いじめ嫌がらせの「防止の雰囲気」をかもし出すであろう。すなわち、「いじめ嫌がらせ」の対応策は、社会現象として考えているのではなく、経済問題・労働力政策として位置付けているということなのだ。

☆=個別企業の推奨対策=☆
個別企業は、資金というよりも、より有能な人物を集め、ICT機器を扱える資質である創造力・構想力を養う教育を実施し、1.労働意欲、2.効率、3.収益性、4.生産性の順序でもって、経営管理の水準を向上すること、その具体策をとることが戦略・戦術の要となるのである。この場合大手企業組織は、組織自体が戦略・戦術の足を引っ張り、組織自体が具体策を実施出来なくなる要因となっている、それはある意味、自然であり自明の理である。


§携帯やスマホと、所定外労働時間
ICT産業革命が進行している中、携帯やスマホそしてタブレット(ICT機器)が開発され、何処にいても仕事ができるようになってきた。ところが、この使用時間帯について時間外労働(賃金支払い)などの問題がクローズアップされつつある。労働基準法や労働契約法その他の経済法令を入念に検討すれば次のようになる。
【労働契約法や労働基準法の解釈】
(1)所定労働時間内に、ICT機器を使用して業務にあたることは問題がない。
(2)むしろ、ICT機器を利用して時間短縮を図り、単調な繰り返し定形作業の削減につながる。
(3)問題になるのは所定労働時間外でのICT機器使用であり、時間外手当を必要とする。
(4)作業場所に関わらず指示または作業した時間に限定して、時間外労働となる。
(5)部下から上司に電話をかけようと、時間外であれば、その通話時間の割増手当が必要となる。
(6)勝手に部下が時間外に仕事をして、上司が黙認すれば、作業時間も割増手当が必要となる。
(7)時間外を禁止するには、明確に告知や書面通達をする必要がある、その通達で割増手当の支払拒絶ができる。
(8)もちろん、部下が大量の時間外労働、居残り作業、自宅作業をしたとしても、同様に支払を拒否できる。
(9)時間外に、ICT機器への応対をするかどうかは、個々人との労働契約、すなわち、より良い条件に因ることとなる。
(10)「常時持ち歩き対応するように」とのICT機器の応対を指示すれば、持ち歩きの全間が労働時間となる。
(11)まさか、「1回の通話もなかったではないか」との言い分は法律上通用しない。
(12)すなわち、法律では、それを待機時間・手間時間と定め、賃金支払いを義務づけている。
(13)仮にそういったICT機器の活用方法を合法化すべきだと主張しても、100年後でも実現不能だ。

【個人のICT機器そのものの使用料やレンタル条件】
会社がICT機器を支給せずに、個人の携帯やスマホそしてタブレットで業務を進めているケースが多く見られる。ところが、こういった場合は、所定労働時間内であっても、使用者の指揮命令の範囲内(難しく言えば個別企業の統治権)には含まれない。すなわち、そのことで大損害を会社が被っても会社は賠償請求することが出来ないのである。日常茶飯事の良くあるケースで、例えば取引先に有利な契約を部下が内密に行ったとしても、追求することが困難になるのだ。追求が出来なければ、労働契約法によって懲戒や解雇処分は無効である。法律にいう無効という意味は賃金も賞与も減らせられないという意味だ。数年前に公務員がパソコン情報を漏らしたとして問題となったが、当時は個人のパソコンを役所が持ち込ませていたため、大事件になったけれども一切の処分を役所は出来なかった。これが個人のICT機器を無料で仕事に使おうとする時のリスクである。フォーマルには生産性や効率を求め、インフォーマルには利益の氾濫・洪水を放置する、経営管理の未熟さである。
その現実的打開策は、個別企業とICT個人機器を持つ労働者の間でレンタル契約を締結することしかない。それは、1ヵ月につきレンタル料1,000円程度でも十分なのである。そのようにしてICT機器の使用権を、個別企業が持つことしかないのである。通信料金の負担が増えつつあるから、トラブルも増加傾向にある。すなわち、経営管理のインフォーマル側面に、保水ダム建設をすることだ。

【トラブル回避のアプリ(通話機能)の存在】
例えば、個人のICT機器でも、個人用と会社用を区別して、会社用の明細と請求を個別企業に振り分けてくれるアプリ(通話機能)がある。それは、河川に堤防を築き&川底を深くする治水作業である。次のようなアプリは、通話料金も他社より低価格のようである。
(参考紹介)http://www.fusioncom.co.jp/houjin/keitai_use/
こういった場合でも、個人とのICT機器のレンタル契約は前提かつ必要である。ただし、NTTのように法人切り替えアプリ料金をとっている場合は、レンタル料にアプリ料金を加算する義務が個別企業にはある。
何十年も前から、上司は部下に対して、「電話代ぐらい、たいしたことない」と気軽に話すケースが多いが、他の目的・目論みでもない限り、労働者は悪印象を持っている。それは、通話料の金銭額の問題と受け取らずに、上司や経営者の人間性に対する嫌悪の問題なのである。こういった日頃の嫌悪が労使トラブルの先入観となって現れるのだ。筆者は労使紛争のあっせん代理人でもあるが、先入観の修復の困難さをつくづく感じる。それは、「細かい約束を守らない人物は信用がない」とのことわざの通りである。加えて、これが中小零細企業に横行し、労働者の協力を得られないがために企業発展しない要因ともなっているのだ。
話は余談だが、この「法人通話切り替え機能」をフュージョンは、約10年前から開発し機能提供しているそうだが、筆者からすればマーケティングの弱さを感じる。もとより通信事業と言うのは、国家や経済活動の根幹を支えるものであるから、物理的機能とともに法令をはじめとする社会的機能をマーケティングの柱に考える必要があるのだ。インドや中南米でノキアは数億台の携帯を出荷しているが、スマホの不要な地域ではダントツであることは間違いなく、それは次に紹介するようなマーケティングの基本と水準の高さによるものなのだ。
(参考)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159

§事例紹介:「ソメスサドル」
未来へと良い品物を提供:固有価値商品を創る会社


その会社の名前は「ソメスサドル」、日本で唯一の馬具メーカーである。その技術と技能によって牛皮の鞄や小物も製造し、それが長く利用できるようにと専門修理部門も持っている。ここまでの案内だけでも、日本では珍しい会社であることが分かる。
http://www.somes.co.jp/about/concept/index.html
この会社は北海道砂川市に拠点がある。ちょうど札幌と旭川の中間地点とのことだ。その創業は昭和39年なのだが、この地域の石炭採掘産業が突然終焉したことがあって、地元の雇用確保の目的も持って設立された。北海道では多くの農耕馬が使われていたが、その馬具職人を集め、創業当初より、「世界に売って出よう」との意気込みがあったとのことである。現在およそ60人の従業員のうち6人がパート、あとは正社員である。また家庭内職と称する地元に部分的に仕事を出しているとのことだ。とはいっても、3~4名のチームが仕掛りから完成までの一貫過程にわたって作業をしている。とにかく日本唯一の馬具メーカーであるから職人の引き抜きもヘッドハンティングもないとのこと、むしろ地元の高校生を採用して育てている、育てるしかないとの話であった。印象に残ったのは、社長いわく、どうしても仕事ばかりだと社員の視野が狭くなるので、「社会の話をし、社会の接点を持つよう」にしているといった点だ。
北海道の馬具メーカーといっても、資材の仕入れはすべて東京で行っているとのことで、「ものづくり」に徹している姿勢である。その技術・技能のポイントは馬に乗るサドル(鞍)づくりにある。革製品用ミシンなど主要な工作機械はドイツやイタリア製とのことだ。乗馬用のサドル(鞍)は主に日本人向け、競馬用のサドル(鞍)は国内70%のシエア、そして品質の良さでイタリアやフランスにも出荷している。
とりわけヨーロッパならば、「馬」に対する文化が異なり、何百年もの地元の馬具職人のヨーロッパ市場にも関わらず、そこに食い込む能力を持っているということだ。その日本文化というか、ヨーロッパ市場に食い込む能力というか、その点をたずねてみると、社長の語る趣旨はこうであった。近頃は熟年層が乗馬をするけれど、馬の動きは微妙であるから振り落とされる場合が多く、落馬で鎖骨を折る事故が多い。そこで落馬防止用に乗馬用サドル(鞍)を開発したというのだ。サドル(鞍)にまたがったとき、「ひざより下を安定させること」で、不意の馬の動きに対処できるらしいのだ。こういった発想は「馬の文化」であるヨーロッパにはないと、これが社長の話であった。そこで、「日本文化を目に見え触れるように見せないといけないのですね」と私が念を押し、社長はその通りと答えた。また、洞爺湖サミットのときに、内側を漆加工した牛革鞄(アイヌの紋様を生かした加工)を各国首脳夫妻のお土産用に納品、好評を得たそうだが、こういった発想も然りと社長は話す。そういった仕事への意欲が、ヨーロッパ馬具職人のステイタスをも突き崩すポイントだろうと私は感じた。ヨーロッパの職人たちがICTを大いに活用している点について感ずるところを聞いたところ、社長は一言、「ユーザーとの距離感」と答えた、実に物事の本質を社長はついている。とにかく社長が冒頭に発した言葉、「(馬具メーカー)他社がどのような仕事のやり方をしているのか知らない」と言い放つところにも現われているのだ。
この会社では、馬具を製造する技術で、牛皮カバーに合わせたパソコン(価格は70万円ほど)を作ったそうだ。木材エキスで牛皮のなめしもすることから相性の良い木製家具のシート部分の革張りも行っている。これらの作業は、サドル(鞍)の丸みを帯びた綺麗なライン形状を作る技術技能の転用とのこと。もちろん、宮内庁の馬車を引く馬の馬具も一手に引受納品しているそうだ。そしてここ数年にわたり鞄の修理を引き受けることを業務に加え、その専任者も複数配置して、親子代々にわたる鞄利用の需要に応えている。社長の話をまとめると、「いつも使うこと」が長持ちであり、生きている皮革の重要な保湿やケアを行なえる」との趣旨である。新しい鞄に買い換えてくれとは言わないのである。
この土日も地元で、皮革製品のワークショップを400人規模で行ったらしい。社員が、「にわかインストラクター」になるそうだ。年に何回か「馬の日」といったイベントも地元の人といっしょに行っている。「具体的なことをしてネットワークができることが一番」と、社長は数多くの試練を踏み超えた雰囲気で語りかけた。インタビューで私は圧倒されてばかりだったから、何か社長の役に立つことはないかなと…、「よい商品には固有価値というのがあり、これを今流行の経済学者は否定したから、よい商品が出来ず、日本は没落したのです」と言うしかなかった。
すなわち、北海道の寒冷地で、突然産業が亡くなり、「なにも無いところから労働で世界に打って出る」、ここに込められた「意欲・感動・希望」に優る産業基盤は世界有数のものに間違いないということである。
(2013年6月13日:講演&インタビュー むらおか)