2014/07/08

第147号

<いくつかのインテリジェンスの視点>
(取材不足なのでラフの内容です、悪しからず。)
(1)NYダウ平均が7月3日、ダウ17,000ドルの最高値を付けた。同時に金地金取引も価格が上昇している。これは世界的に、産業一般への投資が滞って、いわゆる「カネ余り」状況にあることを物語っている。経済に関する世界情勢を見れば、世界各地で紛争めいた動きが続出し、経済・産業構造の変化の起こっていることがうかがえる。その証として、投機筋に流れた資金の動き=「カネ余り」が現われているものだ。決して景気が良くなった訳ではない。
世界の経済情勢を重要度合を無視して身近なところから説明すれば、日中経済の停滞、中東での米英仏の経済権益異変、ウクライナでのロシアとEUの関係異変、中国経済の頭打ちなど、そのすべてが絡んでいる。世界動向を無視して海外進出を目論むのは、個別企業としては無意味だ。今や日本の経済力や軍事力などをカウントする国などあり得ない。

(2)政府の経済政策(巷ではアべノミクス第3の矢)の空振りがはっきりして来た。空振りの上に消費税8%増は、日本経済好転に欠かせない内需を一気に後退させてしまった。貿易収支は連続赤字、内需低迷、経済成長率は実質も名目も1%以下の期待外れである。あえてマスコミは経済報道を避けているようだ。
ここには、誰しもが見誤った判断があった。それは、日本経済のメジャー若しくはメジャーに関係する人材の劣悪さの誤算といわれる。すなわち、日本政府の官僚は今や二流ばかり、大手企業のサラリーマン経営者は仕事ができない(金融・資金ぐりには強い)者が台頭しているからだ。もう少し、「笛を吹けばおどる!」とでも、実にアべノミクス関係者は錯覚をしていたきらいがある。何もこれは、「現代の潮流」などというマスコミ流の無頓着な論説に原因があるのではない。実業に携わっていた者なら錯覚などするわけがない、要するに、「実業のモーメント」を見たこともないのである。
官僚機構においては「仕事よりも出世」のためなら何でもする人物を登用してきたからの結果である。大手企業の場合でも、実業の立役者をバブルの時期以降に子会社への出向やリストラを進めたために、実業のプロデューサーやディレクターが社内や関係者にいなくなっているからだ。もとよりプロデュースといったものは創業や新商品開発とは異なるものであり、プロデュースがなければ新産業や新商品が育成することはあり得ないのである。中国の兵法書に「呉子」がある。そこには、「気・地・事・機」と記された組織運営の基本がある。気とは気力のこと、地とは現在いう条件、事とは作戦を指し、機とは物量モーメントのことである。「呉子」の兵法の特徴は組織がための方法を説いている。欧米・中東では、「心を尽くし、精神(気持ち)を尽くし、思い(思索)を尽くし、力(物理力)を尽くし」といった、物事を行う際の心構えが宗教教育として幼少の頃から教えられている。現代日本の特徴は、これらの気力・心・気持ち等について、あまりにも無頓着であり、勢い拝金主義の論理を行政も民間も学者もが、ぶちまけてしまうところにある。
ベンチャー資金さえ投入すれば、新事業が成功するとの愚かな考え方を力説する人たち(官僚やマスコミの素人その他)もいるが、ベンチャーとは「経済興隆(こうりゅう)」という日本語にある概念で、戦前・終戦直後でも法律条文にも現われ、「経済興隆」(ベンチャー)によって日本経済は、終戦直後の傾斜生産然り、安保体制での高度経済成長然り、東西冷戦後のハイテク産業然り、といった経済変遷を続けて来たのである。
殆どの有能な人材が、今現在は「下野(げや)」しているのが現状だと思われる。現代にいう下野とは、イニシアティブのある有能人材が排除され一般人の中に仮に埋もれる状況を指す。さらに、有能な人材の弟子も、社会で芽が出る前に「下野」しているのが実状であろう。先ほど述べたプロデューサーとは、有能な人物を組織して経済実態あるもの(経済ステージ)に創り上げる人材であるが、このプロデューサー自体も「下野」してしまっているのである。何十年たっても巷のニュースには、(バブルから)類似の創業や新商品開発ばかりの、繰り返しの様相である。経済の視点から長いスパンで取材できないマスコミの経済記者からすれば、それが次々と目新しいものに映るのであろう。それが新聞記事となり、二流官僚たちは新聞を読み、世間を知ったフリをするのである。

(3)話は飛躍するが、消費者一般のゆとり(豊かさでも経済成長でもない)とは、おおむね現金決済によってもたらされる。何に使っても誰にも分からないといった現金決済にこそ、「ゆとり」といった主観が生まれるのである。世界各国の経済は現金決済縮小の方向に向かっている。すべてが記録に残り、プライベートのない電子マネーだとすれば、隷属的消費者だとしても画一さに対する不満は解消しない。日本でのマイナンバー制も財務省の仕組んだ統制経済の一環であることは間違いない。私の試算(他に誰も計算しない不可思議)では、年間約6兆円の所得税・法人税の増収である。ただし統制経済が進んだところで、電子決済による投機マネーがなくなるわけではない。もうひとつは紙幣が誕生する前の主流であった金地金取引もなくなるわけではない。皮肉な話、消費者金融から現金が受け取れなくなった場合、消費者の多くは、何をもって「ゆとり?」を実感するのであろうか。
そもそも、商品というものには固有価値が存在するから、大ヒットし永続商品群と成り得るのである。経済豊かさとは、こういった「ゆとり」が充実し社会制度が自由を縛らない実態に存在し得るのである。仮に、経済成長一辺倒の経済政策だとしても、息抜きや不満解消には「ゆとり」が必要であり、ある意味経済の成長力となる場合がある、それは高度経済成長と言われた「社会主義計画経済」時代においてでも、である。