2021/03/09

第227号:芸術性のない商品や事業は廃れる

<コンテンツ>
コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
芸術性のない商品や事業は廃れる=法則とは
 [コラム1]明治政府は維新直後から外貨を…
コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
 [コラム2]音楽の世界では、音声や弦楽器の…
現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
    ★それら人物の仕事とか職業とは、
    ★戦後日本の経営者(被害者)たちは、
人をケアするサービス 八策
      =Art域労働版に改訂(2021年3月9日)

 [コラム3]油絵具とキャンバスの発明…
アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
 [コラム4]芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激…
 [コラム5]20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術…
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】


§コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
そこで、倒産を招きかねない事態を回避する王道が重要なのだ。
王道の思考すらなければ、犠牲者として世間に翻弄され倒産や廃業の道を選ぶこととなるのだ。あなたに犠牲を強いて、利権や保身に走る輩は、その選択を「あんたの自由」と、嘯く(うそぶく)。
だが、「奴隷は解放を思い立つだけで、もう奴隷ではなくなる」
との趣旨の帝王学は世界に数多くある。要は、「王道を知り歩み始めれば、もう翻弄はされず、廃れない」わけだ。

直面する最重要課題=コロナ恐慌に係る、公式発表された調査やデータでは、
感染第1位は 家庭内感染(児童が運込む) 50~60%
 (保育園や幼稚園から持ち帰るウイルスに両親が感染)
感染第2位は 高齢者施設や事業場や病院 30~40%
感染第3位が 20時までと制限される飲食店  5%
 (家族連れの20時までの駆け込み利用は常態化)
感染第4位に マスコミ話題とされるなっている接客飲食店  1%未満
といったことが、その結果の主な内容である。

だとすると、これに応じた対策は取られるべきところ、ほぼ故意に成されていない。その怠慢は、何を示唆するのだろうか。最も重要な感染対策は、家庭内にウイルスを持ち込まない具体的手法の徹底だというのに。
(例示)http://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post.html
ちなみに、「飲食店の営業許可」は、「手洗い器」および「手洗い器」の設置を義務としている。飲食店を感染源ターゲットにするであれば、ここでの手洗い消毒を入店者に徹底させることは重要だ。手に付着しているウイルス除去が「三密」よりもはるかに重要具体手法のであるにもかかわらずだ。その効果は、店舗入口のアルコール消毒の比にならない。
加えて、少なくとも、団塊の世代より高齢の人たちは、幼少の頃から飲食店等での食事前手洗いを徹底されていたことを経験している世代だ。そこまで昔の保健所は感染や伝染の徹底抑え込みをしていた。また、多くの家では入口や便所近くに簡易な「水手水(ちょうず)」器機を備えていた。

すなわち、極めて身近で効果的な感染対策を呼びかけない姿勢は、
今となれば疑念が持たれ、国民を翻弄させていると言わざるを得ない。
ウイルスは若年層無症状者がバラまいていると認めながらも、もう1年間も指摘されていたにもかかわらず、やっと話題にのせようとしている。国は、東京世田谷区とか広島県や栃木県が独自で行ってから、モニタリング調査(無症状者の感染検査)に手をつけようという有り様だ。どうして幅広く意見と知恵を拒絶し続け、挙げ句はコロナウイルス感染対策を怠ったのか。市中がコロナ感染し切ってからで、国は遅きに失した。使い果たした国の資金は、インフレ政策という大衆課税や財産税(ある時点の保有財産により課税)でもって納税者からコロナ禍の後に回収するのは必至である。

感染を食い止めている主体は、住民個々の民間防衛に因ることは間違いない。
コロナ禍でも翻弄されず、成長軌道に乗る個別企業や個人は存在している。
今月のメルマガでは、実際に「100年ぶりに変わる」、経済構造を切り開く柱とヒントを、読者のあなたに建議する。


§芸術性のない商品や事業は廃れる。
これがはっきりと科学的にも学問的にも証明された。その芸術性とは、“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるのである。
科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
希望とは、受け止める:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景に現れるもの。
偽の芸術家は、ひたすら言葉遊びや権威を駆使して芸術だとアピールし、芸術とは技巧だと言い換えているのである。まるで、伝統的家元とか世襲や師事こそが芸術の源だと言わんばかりである。もちろん、芸術家とは自覚の有無は別として科学的であり、新技術もアイディアもさっさと取り入れる。

このような“製品やサービス”を提供される側に向けて、それを提供する側からすると、“意欲・感動・希望”を、プロデュースする個人には留まらずに、組織的にネットワーク的に、固有文化価値として“製品やサービス”に組み込んでいるわけである。
【“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるためには】
①“製品やサービス”の具現化過程において、必ず“意欲・感動・希望”
が伝わるように様々な技術(Art域労働)でもって、
②“製品やサービス”を受け止めた個々人それぞれが、
        表象を脳内だけでの模倣Mimesisを行い、
③“製品やサービス”に組み込まれた様々な“意欲・感動・希望”
        に共感Empathyするのである。
④“製品やサービス”の完成や完結に至るまでの原材料や半製品その他、
 次のURLに示すイノベーション5分野についても、“希望が呼び込まれて”いるための芸術的プロデュースと具現化の過程が組まれていなければならないのである。新自由主義者が持ち込んだ、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
 https://soumubu1.blogspot.com/2016/10/blog-post.html#174-04
(注意点)
・“意欲・感動・希望”の3つで1セットである。
 いずれか1つが欠ければ芸術性は成り立たない。2つ欠ければ市場流通しない。
・サービスや身体表現の表象を脳内だけで模倣Mimesisするからこそ、
 意思疎通し、意思共有(Share)をするのだ。
・脳内だけの模倣Mimesisでもって共有(Share)をするからこそ、
 相対して共感Empathyするに至る。(ミラーニューロン Mirror neuron)
・ここで使用される、共感Empathyは、1904年に発明された学術用語で、
 sympathyの(共に苦しむ)概念とは異なる。
・最新の科学発展の用語概念は、個々人で異なる、人それぞれの考えではない。
(次のURLを参照のこと)。
 https://soumubu1.blogspot.com/2020/10/#222-10

[コラム1]

明治政府は維新直後から外貨を獲得するために、陶器などの工芸品の輸出政策に力を入れた。いわゆる工芸産業に、維新で廃業となった刀職人や鎧職人を投入したのである。それらの製品は欧米の貴族に一躍人気となった美術品に成長した。
ところが、イギリスなどの工芸品を美術品の範囲から除外する当時の政策を日本も取り入れてしまったところ、一気に日本の美術工芸産業は廃れてしまったのである。
そういった背景を無視し、工芸品を民芸品とまで言い換えるとか、芸術や美術の概念から除外する動きとなった。職人たちはもっぱら技巧ばかりに走ることで、日本の工芸品が芸術性のない商品として劣化し廃れ現代に至るとの、美術に関わる有力な学説がある。例示=ビジネス教養としてのアート:岡田温司 京大名誉教監修 KADOKAWA

§コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
新型コロナウイルスの感染によって、原材料などを仕入れるサプライチェーンばかりか、“製品やサービス”を提供し売買を完結する流通(経済学説により交通ともいう)までが止まってしまった。

2008年リーマンショック以後の金融危機の始まりから、その危機の頂点を迎えようとした矢先からのコロナ恐慌開始である。もとより多額の“金融資本の投資と回収”は採算割れを既に起こしており、累積赤字→不良債権→企業合併→国家財政の投入を続けてきた経済である。新自由主義者は“金融資本の投資と回収”だけに目を向け、経済活動を通じての価値増殖などは行なってこなかったのだ。

にもかかわらず、2020年4月頃からの国家財政投入(QE)は、コロナ禍の収まりとともに通貨切り下げのインフレ政策、民間からの財産税徴収へと、道は目に見えているのだ。

【すなわち、要約すれば】
コロナ禍の以前から、“金融資本の投資と回収”だけを話題にした経済は、流通コスト・販売コスト・無益な流通販売組織への投資と運営費用や関係報酬・その制度維持費用といったもので、あらゆる場面での採算割れを起こしていたのである。採算割れ収支に加え金融機関への返済が上乗せされるのである。新自由主義者の経営というものは、こういった無益な実情を覆い隠して→その社内外にわたる枠組みを持ちこたえさせるための組織体制と、その策士たちの人員配置を行うばかりなのである。だから繰り返すが、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
経営や経営管理を行う人物からすれば、新自由主義者の経営の本質は見えている。だから、この3月末に向けての人員削減やリストラに、加速して至るのである。

だとしても、よく見てみれば
衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるものに限り伸びているのである。広い意味の芸術性を持つ“製品やサービス”は伸びている。
これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神:人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになるのである。
なかなか天才(=カントの定義では“感性的構想力で輝く”)は出てこない。けれども、筆者が研究者の成果を調べたところ、
☆日本が諸外国と比べた優位性とは、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力があり、これらは中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)のである。なぜ、筆者が中国を引き合いに出すかと言えば、既に日本経済は中国傘下、日本の製造業は東南アジアの下請けへと完璧に組み込まれようとしている政策に至っているからだ。

[コラム2]

音楽の世界では、音声や弦楽器の音階&和音(純正律)と、ピアノやアコーディオンなどの音階&和音(平均律)には差異があって、日本の幕末ごろヨーロッパでは大論争となっていた。
レコードなどの録音技術が発明されるや、曲を端折って録音時間内に納め、長い期間にわたり高音収録しか出来なかった技術の歴史もあって、世間一般では、そういった録音によるものが音楽だと受け止められ、とりわけ日本では歌唱音声は録音発声を真似られ、それがのど自慢だと勘違いされるに至っている。ところが世界中のICT動画配信によって、特殊ではない歌の発声法の存在の認知と広まり、楽器演奏コンサート録画での「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」体験練習とかが可能になってきた。

近年の“音楽自体は聴くもの”
といった傾向への傾きがあったものの、
a.スタジオで作り上げるデジタル等音楽
b.歌手自身や演奏者講演のArt域労働
c.電気的な音響拡声の
 編集をPA装置でし直したもの
d.聞かせるのではなく
 素人参加する歌と楽器
 のおよそ商業利権を無視した4パターンに発展しつつある。

§現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
新自由主義者が国家や自治体の行政機関あるいは民間企業の経営を牛耳るためには、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ。その人物は、前向きに捉え政治的な立ち回りをするポーズだけれど、何らかの行政機関や企業の本来業務にプラスになる物事には携わっているだろうとの見方が強いのだけれど。
実態をよく見てみれば、比較的他人より有利な地位で以って、露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけに、彼らは配置されているに過ぎないのだ。この“まったく無意味な仕事”に携わる人物の配置は、官民を問わず事業規模を問わず、新自由主義の経営に走り突き進むことで急増してきた。当初は一見、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられたけれども、実のところ経済や個別企業経営の成長率は低下した。まずは、
それら人物の仕事とか職業とは、
 ①新自由主義者の取り巻き役=何らかの管理職的肩書きの専従職
 ②他人を恫喝し抑圧をかける役=代理人の仕事(但し法が禁じる利益相反のプロ)
 ③トラブルや不祥事の尻拭い役=国家資格とは裏腹に事件屋や示談屋のスタイル
 ④架空証拠の捏造役=エビデンス作成学者とか捏造ライター
 ⑤幻影プロデューサー役=いかなるプランも幻想あるいは相対仮説で誤魔化す
そんなプロパガンダや幻想の専門業者(いまや電通が有名)

戦後は、生産性と労働者の収入は伸びてきたところ、この40年ほどの間に生産性は飛躍的に上昇するけれど、労働者の収入は平行線ないしは、この10年は減ってしまった。
すなわち、経営者が呼びかけるなどして労働者たちは機械を改良するなどして生産性を上昇させ収益が増加した。1970年代までは、増加した利潤の一部は賃金として労働者に再分配をされた。
ところが1980年代中ごろ(昭和55年オイルショック)からは労働者への再配分率は低下することとなった。
その増加した利潤の行き先は、大半が“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちに流れていくようになった。

経済や経営の成長とか豊かさのための資金が、金融投資とか資金繰りとの美名のもとに官民から個人家計に至るまで、“金利とか利ザヤを獲得”に流され、経済的価値増殖とか人的資本投資に向けられなくなったのである。日本の金融機関はこぞって、地元企業への投資ではなく米国債などに走り、「足しげく貸付営業に回るよりも、金利収入の方が低コストで収益が多い」と大合唱したのである。
そのために、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちが配置され、事業閉鎖され、事業移転され、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちは養われたのであった。それ以前によく在った、従前の従業員たちが労働者に呼びかけて事業再生を成し遂げているところはまれである。

新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれで、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実によく知っている。
新自由主義者とか新自由主義は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけ”であった。
あながち、岩波書店邦訳の著者=デヴィッド・グレーバー(昨年逝去した大学教授=:アナキスト)のネオリベラリズム分析だけは的を射ている。

戦後日本の経営者(被害者)たちは、
アメリカなどからの多額投資が行われ、その経済政策に乗れた人たちだった。日本はアメリカ経済の生産工場となり、それが日本全国に産業や工場が展開されるとともに、そのインフラとか労働力供給のために“商工中金”などが地方の中小業者に資金融資を行い、その結果に全国の都市と地方の経済産業基盤を渡らしたのである。
1985年(昭和55年オイルショック)の少し前あたりから、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられはじめ、それは、資金繰りに苦労する中堅企業の経営者に対して、「会社の金庫の中を現金でいっぱい!にしてあげますよ」といった、Just in systemその他の経営手法を紹介するといった演技での誘惑から開始された。
当時の私:筆者も、まさか経済や個別企業経営の成長率の低下に道を開くとは思わなかった。経営の資金繰りが、会社の金庫に現金が貯まるとか銀行預金通帳に残高が増えるといった現象が生まれ、そこに拝金主義と金融投資の誘惑につけこまれるとは予想だにしなかったのである。
1986年(昭和61年)12月からのバブル景気にあたる時期、昭和54年から準備された労働者派遣法の施行により結婚後の女性職域が拡大され、同年の男女雇用機会均等法の施行で女性労働条件が改善される基盤が形成された時期でもある。(いわゆる格差拡大は、1997年の職安法改正、1999年の労働者派遣法解改悪に端を発するわけだから、念のため)。


§人をケアするサービス 八策=Art域労働版に改訂(2021年3月9日)
「人をケアcareする」(サービス業の飛躍的イノベーション)といった固有価値商品を完成させる、世界各地で成功している実例である。
それは,次の通りだ。
“芸術性のない商品や事業は廃れる。との学説は、広い分野の研究者の成果により科学的に証明された。今から8年弱前に筆者は芸術性の重要性をWebで公表し、その後学術論文などで、その商品価格決定論、Art域労働の理念、Art域労働などの労働等契約論に至ったのである。海外の経済学者の評価は高いが、日本では、博士号もない奴は相手にされない、18世紀級のアカデミックだ。
そこで今般、コロナ克服&コロナ後に当たって、日本の地域経済の飛躍的発展のために不可欠な、“人をケアcareする”ことに関係する業態や業務を、具体的方法について考察をした。ICT産業革命の本旨が裏打ちされれば、効果はさらに充実する。

【質の高い多くのArt域労働業務の集中集積に不可欠な飛躍には】
Art域労働においての労働契約方式は次のとおり。
委託料とかギャラといった曖昧さを残せば産業成長しない。
Art域労働成果物の一分野や一部に存在する
著作権等では、契約安定に至らない。
 ①取引には成果物に造形物理的要素や解釈要素を含み、
 ②「労働全般能力(労働力を切り売りではなく)発揮によって形成する、
 ③有形無形財産の貸与を約する契約(契約)」となる。
  この取引3要件で初めて、相互に契約が安定する。
  若しくは、Art域労働の結果物を約する場合に限れば
 ④「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約(請負)」である。

イ)___
ケアcareされる側の悩み解決の手助けならば、
その解決方法の選択をArt域労働は非常にうまく導いていくこと。悩みを解決することでケアする仕事の、一番最初の作業は、その悩みに応じた解決方法をいくつか組み合わせるとか、いくつかの解決要素を選択することである。Art域労働にあっては解決方法の組み合わせと解決要素の選択=ケアcareされる側自らが選択する行為を導くこととなる。そうすると意欲・感動・希望といった固有価値を認識するに至り、ケアcareされる側の価値の実現にも協力する。解決の答えを提示することでは間違いであり、その仕事を相手は望んでいない。

ロ)___
新たに固有価値商品を楽しむことを阻んで来たあらゆる障害を、
Art域労働にあっては細かいところまで見つけて取り除くことだ。その障害が、どこにどのような形で阻んでいるかが、買い手にも売り手にも分からないのが現実である。だから、ケアcareされる側の買い手にも、楽しむことすらが分からない。売り手は的外れにも機能や数量をアピールしがちであるが、これがArt域労働にあっては大きな間違いとなる。この間違いによる無駄な労働力消耗の繰り返しは、極めて低質で多量に繰り返されている。無駄な労働力の発揮を重ねて、あげく疲れ果てて消耗し、仕事をこなした気分になっている人も多い。が、そういった業態と業務は廃れていく。障害を取り除く過程で、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現にArt域労働は協力するスタイル形成することである。

ハ)___
ケアcareされる側の買い手となるクライアントの恐れる要因を、
Art域労働で以って一般的な多数順に排除あるいは軽減することである。
スキルやフォーマンスに偏った売り手では、買い手が興味を持つ段階での「恐れる要因」が全く解らない。この「恐れる要因」をArt域労働で外していけば、ケアcareされる側の買い手が次々と試してくれることになる。
だが、試そうとするきっかけは買い手にも分からない。だから、従来の労働力スキル発想に頼るマーケティングよりも、Art域労働の形成に含まれる独特のサンプルインタビューこそが重要となる。「恐れる要因」がなくなりつつあるからこそ、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現に協力する。

ニ)___
例えば、医者(専門家)は治療するのではなく、
ケアcareされる側の病気を治そうとする人を、Art域労働で以って援助・手当(悪化予防・治療へのサポート)するといった方向に変えることである。
未開人や子供を納得させるには、医者や魔術師の奇跡や神話が手っ取り早い。だが無理に奇跡や神話で納得させて病気を直そうとすれば、ケアcareされる側のどんな大人も抵抗をする。病気の悪化予防や治療への、固有文化価値商品=意欲・感動・希望であればこそ、病人の大人は価値を認め、価値の実現に協力する。神話や呪いの類は科学的学問的ではなかった。科学的とは、“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”のことである。
傷病(Illness)と疾病(概念としてはDisease)の中で、疾病については、極めて文化や文明の絡む価値観で票か判断される。因みに、花粉症はシーズン疾病(disease)だが、PM2.5は通年傷病(illness)である。

ホ)___
ケアcareされる側の買い手は自分の好みを知っている、
Art域労働にあっては、ケアcareされる側の「好みに合う品と使い道」ならば知っていると割切ること。それは、ケアcareされる側が固有価値商品の意欲・感動・希望といったArt域労働の価値を認め、ケアcareされる側の買い手もArt域労働の価値の実現に協力する、そしてなによりも、代金支払いまで完結させるのは買い手のケアcareされる側の納得だからである。代金支払いよりも、商品交換が先に為されることは、経済学の常識だ、これが職業経験の無いインテリには解らない。

ヘ)___
ケアcareされる側の買い手は、常に沢山を学びたい。
が、「教えられるのは嫌いだ」と、Art域労働にあっては割り切って接することだ。学びたいとは、意欲・感動・希望のArt域労働が産みだす固有文化価値を繰り返し実感するからである。学び手の意欲(やる気)が残っていても、ケアcareされる側の感動や希望が失せてしまえば「学び」に文化価値を見出せない。意欲と感動だけではケアcareされる側の心身消耗を招くだけである。だから労働力スキルでは、AI人工知能の機械や装置に取って代わられるのが自然の成り行きである。まして、その「学び」である固有文化価値商品の商品交換を完成させるのは買い手のケアcareされる側の納得である。

ト)___
Art域労働にあってはケアcareされる側に知識を押し付けるのではなく、重要ポイントをケアcareされる側と一緒に発見するスタイルに徹することだ。
「知識を得たい」とは、学び手の頭脳の中にある真理に向けての、意欲・感動・希望を伴って、ケアcareされる側の知識の蓄積を重ねる行為である。知識とは、=自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること。ちなみに、“「私」とは知の主体である場だ”となる。
真理に向けて智識を重ねるためには重要ポイントの、少なくとも“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業が不可欠なのである。でなければケアcareされる側の頭脳の中に蓄積され応用に至ることはない。蓄積され応用に至ることがなければ生産的ではなくなるから、ケアcareされる側から望まれる商品として購入される量やチャンスは逓減する。無理やりスキルやフォーマンスに偏った売り方での知識を押し付けようとするから経済外的な行為(圧力、脅迫、詐欺など)となり、無駄な労働とか違法犯罪行為の発揮を重ね、非効率非生産的だから経営破たんを招くのである。

チ)___
芸事を教える場合、Art域労働といった作業のコツを伝える場合、
相手の技能習得の焦りには、Art域労働にあっては相手に、「ゆっくり出ても大丈夫です、手元は遅くで」
と、ケアcareされる側の焦りを取り除くことに集中することだ。
そして、Art域労働にあってはゆっくり確実に技能を説明する。ここでも技能説明に限っては、「言ってみて、やってみせて、やらせて見せて、ほめること」が大事である。

すなわち、“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業に加えて“直に面談しながらの体験学習”の、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、ケアcareされる側との一緒一体の作業行動が不可欠なのである。Elaborately‐Movement(複雑かつ速い動きの如く)といった意味のない曲芸は押し付けないことである。
有効な細かい配慮を要する芸術性(=モーツアルトの弁)は、ケアcareされる側が思いもつかない手元の複雑かつ速い動きその他への配慮だということを、ケアcareされる側が自らで発見するように、Art域労働の側から働きかけることなのである。その細かい芸術性をケアcareする過程を秘密にすること(秘伝扱い)は禁物である。ケアcareされる側がArt域労働からの働きかけで初めて気付き、固有文化価値を意欲・感動・希望を持ってArt域労働でもって習得することが可能となる。結果に至るプロセスを知ることが欠かせず、これが教養有無の決め手となり、教養や知の応用が出来る可否となる。
その後はケアcareされる側が自らが固有文化価値を実現あるいは増殖した上で、再び芸事を他へ伝え相互に共有(Share)し、固有文化価値を盛り上げることとなる。Communicateの各国いずれも言葉の原義は“他人と共有する”である、知っていることを共有(Share)するのである。
Art域労働=芸術性を持った芸事は、“狭い美術・音楽・文学”といった“Elaborately(日本語の概念が無い)なパフォーマンス”よりも宇宙規模で広大な経済=産業価値を産むこととなり、そこでは教える側と学ぶ側が、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、一緒一体の作業行動を行う体験となり、たとえ“個人レッスン風景”であったとしても、無限の広がりを持つ広い社会的作業であることは否定されない。

[コラム3]

油絵具とキャンバスの発明は、鏡などの透明な物とか、人肌の特徴を表現できる技術を実らせた。鏡の中に映る人影を描くことなど以前は考えられなかった。ところが、そういった写実に重点を置いた絵画も、写真の発明で写実表現から離れることができたのである。写実を伴わずに、脳内の模倣Mimesisでもって共有するからこそ、相対して共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、当時は科学的なことは解明されなかったけれども、イギリスの画家ターナーはパトロンを持たずに絵画とかエッチングで工房を営み生計を維持するに至ったのである。(人々の人気となる絵画等の構図の研究はイギリスから開始確立され、その後の大量販売の道も開かれた)。
音楽の楽譜を印刷して流通させたことは、音楽家や関係者の携わる産業を形成し、更には音楽への多数参加を促した。機械印刷楽譜が作られ残されることで音楽技術が進展し、芸術性発展に寄与することが出来るようになった。兎に角、楽譜の無い時代のメロディーは、ほぼ分からないものだから、真似すら出来ず=芸術的発展も望めなかったのである。
バッハは教会付きなので、お葬式が無いと生活苦しいと嘆いた。ベートーベンは機械印刷屋の楽譜販売で生計を維持できた。リストは最新開発ピアノを各地へ運び込むことで演奏活動に忙しかった。そのピアノを最新開発したセバスチャン・エラールは、旧来ピアノ製造業者から命を狙われ、パリからイギリスへ亡命した。

以上の「人をケアcareする」サービス業の事柄は、昔から良く語られた商業における要領とかコツ(近江商人の地域の伝承)に類似している。ところが、旧来の要領とかコツでは、科学的学問的ではなかったから広がりが弱かったのである。科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
だから拝金主義者とか新自由主義者からの誘惑とか横槍が入れば、ひとたまりもなく各々の個別企業でも崩壊していったのである。日本の文化は、中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)。
日本の文化優位性として、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力について、これらは中国や東南アジアその他の文化圏から日本への“製品やサービス”に対する需要についても、例えそれが日本への投資であっても、その意味では巨大な産業育成への可能性を秘めていると言うわけなのだ。「美しい日本」如きの幼児性では、挙句に空腹と防寒ためには媚びへつらう未文明Uncivilized体質では太刀打ちは出来ない。


§アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
すなわち、それを形成する芸術的要素は(従前のメルマガを加筆修正:2021年3月9日)
①美しく良いもの且つ、受ける側に希望を呼び込むもの、
②併せて、より共感Empathy性の高い疑似的再現を実行する
 といった法則性を使うことである。
③まさしくこれがパフォーマンスPerformance職人技とは異なる部分となる。
 技巧を凝らすElaborately Produce といった分野とArt域労働は別物である。
④その美しい良いものとは、人類の進化発展を通して安全安心の結果概念を
 感覚的に表しているものといえる。現代の善悪の善は“進化”に資するか否かである。
⑤Art域労働の分野は絵画や映像、メロディーラインを中心とした音楽、
 時系列の思考パターンを含む言語による詩Poemのといった文化を反映の3つが主である。
⑥そのうちの希望とは、美しいもの良いものを通して開ける方向性を指す感覚現象である。
:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景が鏡に写し出される訳だ。
⑦意欲とは、事物に対して行動を起こす前のイメージであり、
 感動は行動を起こした結果に得られる感覚(意識の一部)に過ぎない。だから、発生する時間的経緯プロセスに注意が必要である。希望とは鏡に写し出された後だ。
⑧「意欲・感動・希望」の3つがセットになった「労働力全般能力」の発揮と、それにより産み出された固有文化価値が、Art域労働には重要なのである。

[コラム4]

◎芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激による反応としての、模倣Mimesisや共感Empathyによって生み出された内面の心象風景が、鏡に写し出されるというわけだ。
右の画家=奈良美智の有名な画風は、見る人の内面の心象風景が、鏡に写り、
★子供の様な鋭さや狂気か、
☆優しさかを模倣共感させる、
といった心理テストさながらに感覚(意識の一部)に現れてくる。
よって、「アートの解釈に正解は無い、人によって人ごとに様々であり、その人の自由だ」といった曖昧模糊な会話が、いかに非科学的であり、学者が用いれば、表現が如何に人を煙に巻くためのトリックに過ぎないことがよくわかる。

◎江戸時代の日本人は、日本画のように世界を見ていたとのことだ。日本画には影がない、影が描かれることはない。とはいっても、日本の印刷技術の活用は世界の最高峰であった。三越の前身である越後屋は、「現金掛け値なし」「店前売り」という新販売方法の手段として、18世紀初め、大坂に40万枚の石版印刷チラシを配布した。その町人・庶民目当て大量印刷の挿絵付きチラシの配布は、店内から「あまりにも下品な商法である」との批判に晒されたが、チラシ配布が三越のブランド信用力につながったのである。1837年、越後屋は大塩平八郎の乱での店舗襲撃直後に、70万枚の石版印刷チラシを大坂と大坂発全国向け船便でもって配布した。大坂には挿絵画師、作詩師、石販印刷の技術が揃っていたのである。

したがって、金銭や物質そして権利といったものは、
社会や経済が安定した上での物事であり、
金銭・物質・権利から得られる物的価値は文化価値で醸成される性質の代物ではなく
=経済外的要因(権力、武力、レトリックなど)によって強いられやすく、
その程度の単なる物的価値交換の結果にすぎない。
20世紀に最高潮に達した「労働力」の取引一辺倒の影響受けて芸術分野やArt域労働は、
スキルSkill(技能)パフォーマンスperformance(職人技巧)に制限をされ、
固有文化価値は貶められてしまっている。
日本における家元制度とか学術団体制度あるいは資格者団体システムなどが、
「無能と怠惰」に柱を置かざるを得なくなり、
結果、保身に走るのは自然に後退する成り行き
かもしれない。もしくは、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちの配置によって
成り立っているのかもしれない。
土地を所有し&当主を世襲と法定すれば、
封建制度に行きつくことは当然の自然の成り行きである、人間の意識に因るモノではない。

⑨次の表は、3つの労働分野を比較思考しやすいようにだけ、並べたものである。
幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
Art域労働 スキルSkill(技能) パフォーマンス
創造構想する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
&労使関係システム
特許権、著作権、版権等
発明・時系列変化・組合せ
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係を含む希望)
生命維持性、人間阻害
(意欲・感動の2つ)
技巧を凝らす希少性
(意欲・希少性や複雑技巧)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用(使用)価値の
企画法則性に限る
発明・曲芸の領域の技巧性
審美追求主義の希少性
BigDataでの予定調和情報
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元 X・Y
もしくは 3次元 X・Y・Z
3次元 X・Y・Z
偶に 4次元 X・Y・Z+time
広義の芸術性=Art
有形無形の完成品
スキルSkill(技能)
企画による組織労働
Performance(職人技巧)
単独で労働される
幸せを得る 伸びる志向 厚生に限られ廃れる指向 技巧で廃れ殻に閉じ籠る
幸せの、厚生との差異
美と善はどこかで
つながっている
挙句、清算とかリストラ
その対処><抵抗運動>
技巧を凝らす
[ひと目で凄いを追求する]
=希少価値でもない
絵画
(美術)
絵画は色彩=鏡・面の表象
彫刻には:たなごころ
固有文化価値の滅失
Intrinsicが無い
Elaborately Picture
Intrinsicが無い
音楽 音楽は空間把握 Background Music Elaborately Produce
詩Poem 時系列の思考パターン 感情移入が出来ない Elaborately Ceremony
感情移入 感情移入の末に、見終わり聴き終わると心温まる心象が受け手に残存する
<感情移入のプロセス>
①登場人物と自分
②リアルとバーチャル
感情移入は、芸術や道徳・理性力トレーニング
感情移入の思考はない

むしろ感情移入は
非科学だと排除

他人や現実との関係は
そのほぼすべてを無視
感情移入ではなく、
[ひと目で凄い]技巧優先

技巧を凝らす程に刹那感
残虐悲惨な記録に留まる
人物自身 その人の生き方がArts 個を滅する⇒人間疎外 アイドル(偶像崇拝)
分業 社会的な分業の成熟の素にArt域労働全般が開花 精神科学や心理学を無視して量的分離を強行 子方や弟子は設けても、親方は分業はしない
企画と作業の分離 新技術・空間把握・アイディアの、3つを一体に 質的な分離を無視し、
空間把握も構想しない
空間把握は親方が行うが
新技術やアイディア拒絶
注=Elaborately(日本語の概念が無い)
⑩Art域労働=芸術労働の要件要素、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
Art域労働の、定義、特徴、その現象 Art域 スキル パフォーマンス
無意識におけるパターンの認知作用により、
そして、Art域労働の行為は、目的意識的に計画的である。がしかし、無意識におけるドラスティックな進化でなく革命的な行為であって、他人に対し、それも個々人ひとり一人毎に、影響を与える。 ×計画的
 でない
その創造力、発明発見、創作とは、他人に対しその所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を生じさせるところの、共感Empathy→共鳴を与える。(by神経科学) ×秘匿
5次元思考~X・Y・Z+Time+Connect結合~で以て、脳科学や神経科学で解明されている共感=共感作用&共感精度であって × ×非共感
「音」による空間表現、「絵」などによる色彩等表現、「詩」などの時系列表現を、論理学では解明できない分野の構想方法を用いて
細かな物質的モノゴトの配慮を用い、形態とは意識され難い作用(共感や希望)をも、もっぱら多数の受け手個々人に対し多様に与える行為、その存在を認識しながら。 × ×専ら
 希少性
このArt域労働が、旧来は明瞭行為ではなかったし、この労働価値は貨幣に限られた交換には値しないとされてきた。
Art域労働は労働全般能力でり存在である。
労働力は
労働の
一部分
×自慢
 と金銭目的
世界経済の再生には、Art域労働が重要なカギを持つ。個別企業でも、先ずは幅広く薄く進めるだけでも事業業績が伸びる。
それは、スキームSchematicに最も作為されない中高年女性労働がカギになる。
× ×隠匿性
既に、人手不足解消とか、素早いフィードバックでの早期利益を確保する、そのノウハウは、行動の前に完璧な知識を求めず、新規商品開発に向かうこと。 × ×専ら
 希少性へ
10 市場主義・資本主義の要とは、次の3要件。
①自由平等思想、その手段の民主主義
②自由の基盤は、自由市場、基本的人権
③自由に移動や販売横行できる、
(個人番号で)捕捉されない貨幣制度が要
×非市場
11 遊休使用価値商品に、貨幣価値を超える交換価値を蘇らせる。交換価値の無い建造物にも、使用価値の蘇りを可能とする。 ×自慢
 と金銭目的
「―」は労働過程での考慮がない。「×」は、その該当する労働過程では否定をする。


[コラム5]

20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術の発展は、1枚物からが大量に扱えるようになった。そして現在ではインターネットの“検索の窓”に至った。
CG、VR、AIといった技術進歩は著しい。例えば、画家ゴッホの画風をAI機器に記せば、デジタル写真をゴッホ画風の写真に、瞬時転換させることも容易となった。歌い方も演奏も瞬時に転換。死んだ詩も造れる。
しかしながら人間の意欲・感動・希望に関わる部分を、Art域労働で最初のオリジナルを感覚的閃きで構想し、新技術・空間把握・アイディアの3つを一体に仕上げることを、機械にさせるメドは全く立っていない。

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。だが、この3月本号メルマガで紹介できるものは見つからなかった。
巷では、昨年から多様な“コロナ後”についての書籍が大量に出版されている。しかしながらそれらは、旧態依然に繰り広げられた学説とか経営知識といった代物を、上の目線から「皆さんよくご存知でしょ」と言わんばかりに繰り返し、少し組み替えて新説めいた面持ちで、「だから頑張ろう!」との精神論を展開するばかりだ。
そこには出版社の販売促進の思惑や目論みが背景にあり、受験戦争の落とし子にこそ、そういった書籍の購買能力を持つ個人が多いことから、“読者のすでに知っている情報や知識を羅列”すれば、そんな購買能力者は安心を求め過去の自らを再確認するために購入する消費、といった編集戦略というわけだ。そんな編集書籍の執筆者は、そこまで深く熟考する人は稀なので、出版社からすれば“著作者とその予備群”は腐るほど存在する。そして片や、書籍を購入する、そういった本の購買能力者たちは、職業経験のないインテリだから、貴重な新しい情報よりも、過去の自らを再確認させてくれ、安心安堵できるという、空しい需要者層なのである。
こういった人たちは、今月のメルマガで特集しているような、生き方から仕事そして作品に至るまでArt域労働を行い人生に余裕を持った層とは異なる。角度を変え説明すれば、せいぜい執筆者層はパフォーマンスの能力、需要者層はスキル程度の能力に過ぎないのである。肝心なのは、Art域労働とか労働力全般を磨こうとしないのだ。退職金や年金(賃金理論では“手切れ金”と見做す)生活の後に、余命生活に入る人が多い、例え読書家であっても。
《以下の段落は毎月同じ》
筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで毎月号と同じ)

2021/02/09

第226号:
春に向け、感染と恐慌の地獄絵巻の始まり

<コンテンツ>
2021年の2月~3月にかけ始まる“地獄絵巻”
  ・ワクチンへの根拠のない期待、これを煽る
  ・戦(いくさ)や争いを好むリーダー傘下では
  ・縦組織だからこそ“口コミ情報”の真実性が目立つ

先ず、事件(=感染実態)の注目実態。①~⑤

事件影響の波及から予見できる感染と恐慌“地獄絵巻”
  ◆敵と戦う神=権力が欲しい!=分野の地獄
  ◆拝金生活の神=厚生(物)と満足が欲しい=分野の地獄
  ◆嫉み生活の神=名誉が欲しい=分野の地獄
  【共感性&文化差異を、巡り廻り移ろう行動基準】
  ・権力欲のしい全体主義者は、スキに付け入る
  ・そうであっても、“地獄絵巻”の後に生き残る人達
  ・スターリン式全体主義から独立を果たした東欧諸国の人たちは
  ・現在の文明の起源、=17世紀:自由平等のための市民革命前夜からは
  ★幻想「崩壊と地獄を経て後に、希望が生まれ勇気に立ち上がる」
  ・現代社会では、とにかく自由に生きる
  ・そして、“人類の進化に資する行為”が善
  ◎パンデミック体験、コロナも完治して、筆者個人の感覚

コロナ感染地獄と、次代を切り開く、働き方と労災保障
  =空回りし無視され続ける“働き方改革”とは全く異質

  ・具体策はこれだ、①~⑩

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210209】
  ①根拠のように、あたかも示される統計?数値の嘘を見破る


§2021年の2月~3月にかけ始まる“地獄絵巻”
事件(感染実態)は始まりに過ぎない。
歴史は受験勉強とは違う。
表向きの数値が少なくなっても、事件の波及結果でもって、コロナ恐慌と重なる地獄絵巻が描かれることとなる。第二次世界大戦後の危機は、太平洋戦争の終戦後に、経済混乱も食糧危機もが起こった。戦争中ではなかった。歴史上の危機とは、そういうものだ。

経済破綻や流通停止ばかりか、エネルギー危機も食糧危機も覚悟が必要だ。そして超インフレと増税、通貨切り下げ、最後には財産税の実施、歴史からの予見だ。

巷では、延命治療の美名に隠れる親殺し、親族内の遺産取り合い、闇では子殺しも繰り広げられる。それは、歴史上の何時ものことである。その犠牲者は知らないうちに自覚もなく消されていく。

【歴史に残る、複数記録】
紀元前のこと、戦乱のガレキに座る母親は、乳飲み子を抱える。もう母乳は出なくなっていた。「この子だけは何とか」と話していたが翌日、母は赤ん坊を茹でて食べていた。中世日本では、鴨長明は、「流浪の民は優しい人から死んでいく」と方丈記に記す。優しいから食料を分け合うのだと。そして現代、中国大陸の文化でも、母と子の何れを助けるかとなったとき、返答は即座に「母」となる。母親は話した、「子供はまた造ればいい」と、子供はまた産めるのだと。


ワクチンへの根拠のない期待、これを煽る
だが、現状では、何とも論評のしようが無い。
個人の接種可否判断情報が無いのだ。
現在のワクチン情報は唯一、製薬会社の説明書内容に限られている。世界の科学者が研究できる基礎となる情報は公開されていない状況だ。併せて殊に、厚労省の国立感染研は、現在までの感染情報やPCR検査情報を公開せず、世界各国とは真反対の隠蔽体質なのだ。

副反応の情報だけは届きつつある。が、肝心なのは副作用の情報だ。医療関係者や製薬会社があえて言い方を分けているだけでは済まない薬害訴訟や事件の争点や論点がある。
ちなみに、このワクチンは初の遺伝子組み換えワクチンである。
遺伝子組み換えは農産物食品で話題になっているが、未だよく分かっていない。加えて、virusを吸着しようと誘引するのは人間の側、人間はvirusと共にそうやって進化してきたのだ。人の進化に資する遺伝子への影響は解明されているのか? 過去には白血病の誘引事例もあった。
ヒトの遺伝子の中には今でも、母系遺伝で40過ぎで寿命を迎える疾病(ヒトの絶滅危惧種の存在)を発症させるものもある。遺伝子組み換えの長期にわたる影響は分からない。治療法の分からない難病は多い。
そして、とどの詰まりの話は、
接種しても感染をどの程度防げるかは分からないのが現状、家庭内の接触感染予防等は引き続き必要で、それは今の必要性も現状と変わらない。
ワクチンが効いても無症状でもウイルスをばらまく状況は残る。殆どの人がワクチン接種しても集団免疫のゴールは見通せておらず、この夏の感染第4波や年末の感染第5波に間に合いそうな状況では無い。


戦(いくさ)や争いを好むリーダー傘下では
それは国や政党から個別企業の代表までを問わず、傘下が“地獄の如く”に至ろうとも、多くの人の中で孤立しようが、身近の者同士とか家族内での、足の引っ張り合い、互いの裏切りと、事実上泥沼の暗黒死闘が傘下で繰り返されようが、そんなリーダーは途中で止めようとはしない。
そういった手法や、その見本は日本海の向いの諸国にも現存している。

全体主義者にとっては、国民や反対勢力を統制さえ出来ればよいのであるから、戦争中の実例でいけば、大日本帝国の旧商工省や軍部はスターリン全体主義を見習ったし、ナチスドイツもスターリン全体主義を高評価し見習い取り入れたのである。
すなわち、いずれの全体主義者の集団は、与野党の二極に対立しようが、体制維持のために野合しようが、宗教団体であろうが然り、衰退の道をたどる民間個別企業であろうが同じなのである。
★「知」が、最も安全を保障する、無ければ、最も危険だ。


縦組織だからこそ“口コミ情報”の真実性が目立つ
思いもかけない口コミ情報とか、YouTubeでの身分氏名映像で明かした情報が、各地から、入ってくる。まるでそれは言論統制を敷いていたソ連や、今も統制を続ける中国といった全体主義社会においての、“口コミ情報”こそが正確であった体制を連想させる。
その“口コミ情報”を耳にするのは、一般民衆はもちろんのこと、縦社会の各級党幹部も各級政府機関役職者にまで浸透していた。そして、日本の個別企業も縦社会であれば、同様に企業内“口コミ情報”が浸透し、これを重視し経営トップにも報告される。このシステムこそが縦社会運営の要であり、それを司るのは日本ならば総務人事部門である。日本ではそういうシステムを認識している人はごく少数だから、筆者も若い頃にアメリカから「インフォーマル」と教わったくらいだ。
すなわち、横型組織の運営では個別企業Member(構成員であり部品Partsではない)の全員が情報を共有するから主体性が生まれる仕組みであり、縦社会の運営は、縦組織の各所で流れる“口コミ情報”を知らされない人は、部品Partsもしくは動物や社畜として(カウンセリングやコーチングの対象といえども)扱われる。縦社会や縦組織は横型組織に比べ、組織概念が薄く、個人プレイや独善・独裁の運営が多い。


§先ず、事件(=感染実態)の注目すべき実態。①~⑤
①コロナ罹患重傷者(人工呼吸器装着以上など)の入院受容力(キャパシティー)を、国が限っているから直ちに医療崩壊は起こる。この様相は他国では見られない。東大病院などの大学系病院はコロナ患者をほとんど受け入れておらず、こんな事は欧米やスウェーデンでは起きていない。その東大病院エリート医師950人の存在は有名である。政府分科会の会長尾身茂氏が理事長を務める地域医療機構(旧:社会保険や厚生年金病院など病床数百の約60病院)は、法律が求める業務運営目標で、「公衆衛生の向上・増進や住民福祉の増進に寄与」と厚労大臣が定めている。にもかかわらず新型コロナ感染罹患重傷者を1人も受け入れていないとのことである。

②現状で!手指の正確な消毒方法の周知徹底、家庭内感染の徹底対策といった、全員の参加できる根本策が抜けているのだ。国営:NHKラジオの雪かき作業の注意情報や交通情報は頻繁ではあるが、コロナ感染は「三密を避ける」と抽象的呼びかけだ。
加えて、現在保健所に指示している、濃厚接触者の定義は、改訂後も未だに非現実的である。「顕著な症状を持つ発症者の1メートル以内で、マスク?を装着せずに、15分以上の会話を伴った者」というわけだ。まして、保健所職員は医師ではなく、なので医療上の判断ではなく、この定義で以って振り分けているに過ぎないのである。極めて杓子定規である。なので休業とか自粛を迫られないように、「マスクはしていた!」との嘘の強弁しさえすれば除外されることは、もはや常識だ。
満員電車は車中で会話をしていないから対象外(医学的意味の空気感染では発症しない)だ。
あげく、15分以上の会話といった定義から、狙い撃ちされたのが飲食店であることは否めない、それは、同様の接触感染をはるかに超える家族内感染の具体策を示さない現状との整合性もないのである。
なお、コロナ罹患発症した場合に、37.5℃以上の発熱者は3割に過ぎないと言われている。にもかかわらず、電話で37.5℃未満の発熱を訴えれば、それだけで保健所は、その訴えを相手にはしない。新型コロナ感染の知識を与えられていない者は必死であるから、あえてコロナ隠蔽を図って救急搬送に希望をつないでいる無惨な姿である。

③さらに、濃厚接触者の(クラスター:ぶどうなどの房のこと)追跡調査方式は、人員・手間・予算がかかるとの理由で省略し始めている。
もとより多くの医師が昨年来、地域や職場の集団検査を求めていたにもかかわらず、iコールセンターとか家電製品工場の周辺や沿線では蔓延したのである。
今や、蔓延して家庭内感染とか市中感染がハッキリ数字に表れても厚労省は手を打っていない。そこへ、濃厚接触者の追跡調査省略である。「新たな感染者」の発表数は、もう判断材料に値しない。

この事態を容易に招来させているのが、厚労省管轄:国立感染研が、全国保健所の調査データを公表していないことにある。もちろん医学研究者に対しても秘密である。厚生や公衆衛生行政は、保健所の末端で勝手にしろと言わんばかりである。憲法25条の公衆衛生の崩壊だ。これは全くの刑事犯罪(未必の故意)そのものであることは否めない。

④欧米各国と比べて、日本は国土全体に感染が広がっている唯一の国とのことだ。この新型コロナウイルスの感染は都市に集中するというのが世界の定説である。GoToキャンペーンが疑われているのは当然だ。
けれども、最も重要な事はキャンペーン疑惑にはとどまらない。無症状者の中に、1人で60人程度の他人へと感染させる無症状者の存在がハッキリしている。ところが、保健所は、先ほど述べたような定義の濃厚接触者を追跡調査する、いわゆる感染クラスター(感染の房)分析を、省略しながらも尚も終始している。とにかく無症状者は、PCR検査から全て除外している。他人に感染させている無症状者の捜索発見は一切行っていない。中国はじめ世界各国と比べ、日本は、感染クラスター(感染の房)のみだから、全く追跡効果が低いのだ。多くの医師がPCR検査数の拡大が必要と言っているのは、他国水準の追跡方法が必要と言っているのであって、「全員検査」などとは、誰一人の医師も言っていない訳なのに。

病気治療ための臨床医学からの見解(感染研や公衆衛生ではない)
【上昌広医師「東京五輪、第4波・緊急事態宣言下での開催になりかねない」】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#60
【ダイジェスト】郷原信郎氏:日本がまともなコロナ対策ができないわけ - YouTube

⑤この昨年末、大阪市の保健所に37.5℃以上の発熱を経過して、電話連絡した人物がいる。その人は、YouTubeで自らの身分氏名を映像で明かしている。保健所に連絡をして、PCR検査を頼んだところ、(手作業もあって)「ただいま混み合っていますから、10日間待ってください」とのことだった。さらに、自宅では待機とか療養はできないと訴えたところ、「入院待ちにしますか? ホテル隔離にしますか? どちらかを1つを選んで下さい」とのことだった。ホテルに滞在してその後入院するということは出来ないそうだ。
ホテルに滞在した間、医師が診察するわけでもない。熱などを訴えたけれどホテルでは薬の処方はできないとのことで、「薬は、ご自宅から持ってこられなかったのですか?」とのことだった。食事は弁当などが与えられるわけだが、1食1,500円の予算らしい。ところが、ある朝は菓子パンと牛乳1個ずつで、どう見ても合わせて200円程度としか考えられなかったそうだ。

ここから分かることは、毎日発表される感染者数は、感染状況を示す数値ではないということだ。これでは保健所の、“PCR検査の毎日作業報告”に過ぎないのである。確かに曜日の検査体制によって新たな感染者数が異なる報道はしている。けれど、これでは感染の状況を把握するのは無理だ。
毎日15時過ぎには発表される“今日の新たな感染者数”とは保健所作業の裏付けにはなっても、“新型コロナウイルスの感染状況の裏付けにはならない。さらにこれは、“通常の風邪と同じく季節変動を起こす”あるいは「この分なら2月にピークを迎えるだろう」といった、一般臨床医の経験則の裏付けにもなりはしない。

毎日何のために発表しているのか意味不明である。
すなわち、「感染者は減ってきている」との話が非科学的な見通しであることは否めない。重症者数や死亡者数が増えていることからすると、発表される新たな感染者数とは裏腹に、実際に感染者数は増加しているとの疑念を持たざるを得ない。
★表向きの数字を並べたてて、さも科学的な風に仕立てている、
そればかりか「一般人は小数点以下のコンマ○○の数字記載で、より正確であるかも知れないと錯覚を起こす癖の存在」を、あえて駆使して強弁しているのである。
人間は、自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること、そして根拠が形成されているからこそ恐怖から脱出するのである。自分の目で確かめることができない物事ならば、科学的に分析されていれば、おおむね根拠として信頼するのである。その科学的とは、自然・人文(精神)・社会の各分野と通じ結合し、≪何時でも何処でも誰でもが応用できる法則性を持った論理展開≫をすることだ。宗教観には、科学でいう「誰でも」が無い、なので「信じる者は救われる」との宗教観の論理構成になるのだ。

昨年のパンデミック当初は、何でもかんでも新型コロナ感染の死亡としてしまい。今は施設内のコロナ発症での感染クラスター分析を避ける意図から、コロナ外の死因とする「誤診」や疑惑さえ散在するようになった。病名はともかく、新型コロナの正確な死因は、免疫暴走による間質性肺炎、血液中ウイルス感染による免疫作用での微小血栓による全身に及ぶ多臓器不全だと言われている。腸や下気道(声帯の奥)でのVirus増殖場所が特徴との新発見が相次いでいる。
★科学的でもなく、宗教観の論理構成すらない話、だからこそ詐欺的なのである。


§事件影響の波及から予見できる感染と恐慌“地獄絵巻”
“地獄絵巻”は、「風が吹けば桶屋が儲かる」とのイメージのカオス理論(2008年証明済み)的な着想をすれば、その状況を科学的に予見できるのである。
ただそれは、現在の法律制度が三段論法や古典的力学とかの因果関係に、執拗に固執するものだから、容易に裁判所などの法制度では扱い切れない。けれど社会科学系の学問では次々と予見方法の開拓を済ませており、様々な共同体や行政機関では、そういった“地獄絵巻”を予見することが可能なのである。それは人々の日ごろから愛用している、(後述の)=移ろう行動基準あるいは思考パターンに基づいて整理され得る。

=移ろう行動基準あるいは思考パターンは、科学的であり・宗教観的であるところの、意識&意識の一部でもある感覚”に依る。
次に示す3分野ごとに、とりあえずは分類表記はするが、悲惨な行為の各々は密接に絡み合っている。だからこそ、あえて3分野ごとに表記することによって密接な絡み合いも、頭脳でイメージ把握できるようになるのである。それは、個別企業の企業経営においては元々が、各部門やセクションの横のつながりが複雑に絡み合っているからこそ、意識的に各部門やセクションに分別し各々促進させているといった=科学技術や社会運営技術と同様の方法なのだ。ちなみに、この科学技術や社会運営技術をイメージで以って把握する能力がない場合に陥る観念がセクショナリズムなのである、念のため。
ただし注意、→恐怖にさいなまれている場合は、この3分野を次々と移ろい、堂々巡りを繰り返す。その堂々巡りによって神経症となり、さらに恐怖が増し喰われるというわけだ。


敵と戦う神=権力が欲しい!=分野の地獄
戦(いくさ)のためには、自らの意に添わない他人の行動は許せず、自粛警察とかマスク警察を繰り広げる。注意や恫喝される方はたまったものではない。優生思想丸出しで病弱者、足手まといとなれば昨日の同志でも処分を図る。両親にしても老いを迎えれば処分を図る。処分ともなれば、美辞麗句としての意味合いを持つ安楽死、不要な延命治療拒絶、「早く楽にさせてあげたい(病弱者本人は苦痛を感じていないのが真実)」等との美辞麗句だ。新型コロナの事例で言えば、重症に至ったときに、「親の人工呼吸は不要です」と、本人に代わり書面にサインをする保護義務者が増えているが、医師に手渡す場合の、この“無情”も地獄の一つである。こういった地獄は全体主義者やその信奉者の周囲で多発する。


拝金生活の神=厚生(物)と満足が欲しい=分野の地獄
コロナ感染の最前線で活躍する医師や看護師その他医療関係者を、同じく社会インフラを支える人たちに危険を押し付け、最低賃金で働かせても、なんとも思わないから地獄を巻きおこす。彼らの手段は、常に他人へは誘惑をかけ=希望を呼びかける意思表示はしない。
言うことを聞かない相手には、パワハラやセクハラその他でさらに追い詰め、その上で再び誘惑にかけるという悪魔のような地獄を繰り返す。
身内に対して親切であったり溺愛をしていたとしても、いざとなれば隔離・監禁を行う。金を段取りして精神病院や老人施設に親兄弟を追い込むことは、大袈裟な理窟とともに、冷静に行なえる。


嫉み生活の神=名誉が欲しい=分野の地獄
今年3月末のリストラの嵐、狙い撃ちされるのは、この分野の行動基準の人たちである。首切りや出向追い出し専門のコンサルティング会社のPRが活発になってきている。その中身を見てみれば、彼らコンサルティングやその手足要員の思考パターンは、このネタミ分野に固まっており、首切り役と被解雇者の思考パターンがマッチングすれば、“名誉を一見満たす形”を大量に整えることが可能なのである。貧乏人は貧乏人が作る。女性差別を日々行うのは女性だ。
この仕組みの範囲内ならば、政党であれば支持者は減らない、宗教団体であれば信徒は減らない、むしろ諸団体ごとに親睦や親密さが増し加わるのである。雇用調整助成金の制度的毒饅頭は、ここのこのネタミ分野に猛毒がある。雇用保険の在籍失業給付の制度ならば、一気に社会保障の社会問題になる。
“嫉み”にさえ=惑わされていれば、生活が低迷しても、今年3月末のリストラの嵐に巻き込まれても、“他人への妬み”を煽られさえすれば、自らを反省することもなく、他へのウップン晴らしをする程度で、解決の一歩は踏み出せない。だから、他人から“嫉み”をかきたてられ、→今度は言いなりになりそうな人に対して、→“嫉み”をかきたてることとなる。その“嫉み”の繰り返しと連鎖の地獄である。
加えて格差社会とか貧富分離社会といった、実に異質人物の共存する共同体?で、犠牲を強いられていれば、→錯覚でもいいから、「同僚よりも立派だ」と思いがちな肩書き・名誉・実態を伴わない地位といったものを授けられた途端に、→この上ない安堵感を得るのである。それは、格差や貧富分離の犠牲者にとっては、“無秩序の中に水を得たり”の如く、根拠のないプライドが膨張拡大し、この上ない現世に実現可能な御利益(天国や極楽)なのである。

旧ソ連の指導者スターリンはキリスト教:ロシア正教の神学校出身、帝政ロシア正教の悪質利用を全体主義の中で行った。専門教育のない者&教養のない者+職業経験の少ないインテリ、クリスチャンを組織や担当の口先ばかりの行動の任務者(専従党幹部)に仕立て上げた。
戦前日本でも、新たな国家神道を練り上げて、昭和15年の段階でも各地方の神道伝承諸説を徹底抑圧して、旧ソ連の方式を真似た。(旧ソ連と大日本帝国の統治政策や経済政策が酷似していることはペレストロイカ後の近年の研究で判明した)。

残念なことに、今挙げたような方式で以って成功を収めた団体は様々ある。日本人にとっては初めての、団体運営に係る教育訓練が全体主義であったから、その中身を戦後に引き継ぎ成功体験を持つ人物が運営する団体は少なくない。そんなことでの“日本人の頑強さ?”を賛美するといった程度の文化が残存することは否めない(もしかすれば、これが“恥の文化”の実態なのかもしれない)。


【共感性&文化差異を、巡り廻り移ろう行動基準】
下記のURLをクリックすると、拡大図が開きます。
http://www.soumubu.jp/intelligence/20210103_koudoukijun.jpg
この図表は最新学説に基づく、誰もが持つ宗教観を含む学問的整理解明の道具である。
☆そうすれば、ニヒリズム(虚無)に陥ることはない。
科学者、インテリ、マネージャーは、ニヒリズム(虚無)に陥る前に、出される意見の真相を、その人の移ろう心の姿を分析しながら、探ってほしいのだ。
この図表の大半は、科学的な視点での整理だ。
その科学とは、自然・人文(精神)・社会の各分野と通じ結合し、≪何時でも何処でも誰でもが応用できる法則性を持った論理展開≫をすることだ。宗教観には、科学でいう「誰でも」が無い。けれど宗教観には、人類の経験的示唆を含んでいる(宗教観と宗教団体の教義とは異質のものである)。啓蒙思想始め、ニュートンやアインシュタインまでも、宗教観をヒントに業績を納めたことは有名である。
移ろう行動基準あるいは思考パターン、これらはICT機器で、出版物とIntelligenceの多種大量集積が可能となった時代だから整理づけられた。単なるInformationのDataのビッグデータ収集と解析では知識偏重になるばかりで、プロセス不在となり法則性がつかめない。


権力欲のしい全体主義者は、スキに付け入る
人々は、恐怖を煽られ過ぎると、反論批判を繰り返すが、虚無感に陥る。
論理や理屈で理想を追い求めるから、全体主義者の罠と「オトボケ」に消耗してしまい、挫折しやすくなり、自由よりも安心を求めるようになる。いくら学んだところで、学ぶだけでは、道は開かれない。あげく、ニヒリズム(虚無主義)が世間に漂う。


そうであっても、“地獄絵巻”の後に生き残る人達
すなわち“教養ある文化水準の高い者&その仲間たち”だけは、「希望へと、闘い開拓し、リッチ(豊かさ)と幸せ」を目指すことである。
ここでいう闘うとは=家族を始め、共同体や個別企業そして社会などの制度やシステムに及ぶ変化を目指すことなのである。
歴史を紐解いてみると、約60世紀にわたる様々な文献には、その滅亡せず現在に至る民族とか集団のことが記されている。これが社会科学系の研究で明らかになってきた。

“地獄絵巻”の彼らの狙いは、(この項目内の以降は前月号の写し)あと3~4年は続く。
経済後退政策、個人収入の剥ぎ取りだ。経済全体は個人消費が鍵となるから技術後退してダンピング輸出企業だけが好調となっても全体経済はますます落ち込む。
★現状の円安誘導でダンピング輸出が続けられ、そこに利権のカラクリが密着している。
華々しくマスコミ受けするような演出に走る、=その姑息な口先は綺麗事を持ち出すが、肝心の日本の経済政策は東南アジア製造業諸国の下請化へと、明確な舵を切った。中国については?もう日本は下請の立場となっており、日本の優秀な人材も中国へ引き抜かれるに任せる事態に陥ろうとしている。
「コロナ対策か、それとも経済対策か」といった風に、故意に二者選択を叫んで子供だましを図ろうとしている。そのように筆者がそう断言できる所以は、これだけ日本は学術分野が進展しているにもかかわらず、各分野の科学者の意見を無視して、単独独善の政策を押し切ろうとするからだ。彼らの狙いは、世界の歴史(古いものも含めれば6,000年余りの記録)を紐解けば一目瞭然。今頃になって日本学術会議の人選に対して、突如嫌がらせを行うのは意味があるから行っているに過ぎない、彼らの代表は、そんな策を弄して這い上がってきた人物だから。
☆「聴く耳(気持ち)のあるものは聞け」のことわざの通りである。


スターリン式全体主義から独立を果たした東欧諸国の人たちは
およそ4年前にもこのメルマガ181号でも書いたが、
(独立当時の研究によると)西側諸国の支援もなく幸せと権利の主張を行い、
自由と創造性の人的資源でもって、現実に具体的な企業経営や労働を行い、
新たな権利のチャンスの形を読み、単なる批判や不平不満にとどまらず、
そのことで幸せと権利、実利利益も確保し、経済と生活の余裕も確保し、
自由の相互承認・行使の相互保障を柱に→民主主主義を広げたのだ。
  「幸せの権利と、利益満足」との区別を付けて、(著作:民主主義の発明)
  全体主義者の「未来幻想の夢物語」の誘惑に、抵抗して成し遂げたのだ。
  そう古今東西、全体主義者は次のような言葉で、うそぶきタカをくくる。
  『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は、
   常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞=不景気に陥れることである。
    腹のへった者は、パンを約束する者の言うことを聞くのだから』。
        (民間防衛:スイス政府p.224)そして下記はメルマガ181号
   総務部メルマガ:全体主義の検索結果 (soumubu1.blogspot.com)


現在の文明の起源、=17世紀:自由平等のための市民革命前夜からは
中世暗黒時代のニヒリズム(虚無)を超えて、文明Civilizationが一気に進展した。百科全書派や啓蒙思想がきっかけだ。
そう、今につながる文明Civilization進展のキッカケとなった行動パターンは、文明Civilizationの語源が示す通り、“礼儀正しさCivility”であった。それまでの個人の徳や“人徳”といった、物質の追求での挫折(希望は実現せず我慢ばかり)から、自由平等の希望と精神的理念(理性)の許に、社会の運営技術に民主主義を取り入れた時代(英国:名誉革命や仏国:フランス市民革命)の如くであった。
現代グローバル世界での“野蛮化”しているとの表象概念とは、この“自由平等のための社会”を破壊する行為を指している。そして近年の科学全般の発展自体も文明Civilizationが一気に進展したことによって支えられた。
第二次世界大戦後、各国での反ファシズム制度の充実は、劇的な科学技術進展を招来し、その主なものは、抗生物質、プラスチック、食料価格の半減にまつわるものであった。ここでも、社会運営技術の柱は、自由平等のための民主主義(一定程度の社会主義)であったし、第二次世界大戦後に基本的人権が加わったことによる。日本国憲法25条の生存権は、GHQではなく日本側の独自提案だった。
こういった文明Civilizationの充実とともに経済活動は、貨幣を道具として“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とに広く交換をする方法に至ったのである。さらに、戦後は貨幣蓄積増進の重要手段として「通貨」が用いられ、その「通貨」とはそれ自身は“経済価値のない紙幣にコインや電信や通帳・電子マネーなどの器材”を用いることであったが、これも何千年と人類が用いてきた社会運営技術の方法や手段には変わりは無いのである。新自由主義者は世界を、封建時代や古代に堕落・転落させるに至ってしまった。
☆「戦争や災害で消滅した都市は無い」
事実、5,000年の商業都市ベイルートは、7回の戦争で破壊され都度復活している。


幻想「崩壊と地獄を経て後に、希望が生まれ勇気に立ち上がる」
といった経過は、古今東西、約60世紀に渡る人類の記録には無い。いつも叫ばれたが、幻想にすぎなかった。

むしろそれは、まずは敵を作り戦って、自らの権力を満たしたい(極左や極右の)全体主義者たちが作り上げた幻想。
もしくは全体主義者が集団的に人々を““嫉み”生活”に閉じこもらせる“作為的教義”に他ならない。
歴史や書物を紐解けば、「恐怖におののく集団の中に、根拠のないプライドを個々人に肥大化させる」といった手段は、数え切れず幾らでもある。


現代社会では、とにかく自由に生きる
ところで、公務員・官僚や自治体職員ならば、本来は、その職業柄、住民全体のコンセンサスをとることが基本となる。しかし個人は、現代社会制度(憲法など)では、“とにかくまずは生きるといった基本的人権”があって、社会とは自由平等を追求し実らせるために維持している制度(その重要な武器が民主主義)である。あくまで個人には、個々人間ないしは他人との摩擦を防ごうとするためのルール(義務)が存在する。もちろん自由平等を追求するために、民主主義に基づく決議を経ての自由の制限や罰則が用いられるのである。今ここに示した概念は、グローバル世界の中でも保守思想の典型的なものであり、左派勢力のものでもなければ王政復古や封建性とか世間体を克服するところの、社会形成概念なのである。
その際、常に話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。
そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明を達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。


そして、“人類の進化に資する行為”が善
との思考が定着しつつある。
人類は、進化に資する生き方をする人間や家族ならびに民族が残ったのである。
今や、“人類の進化に資する行為が善”と認識されるようになり、進化の過程で有益であることがはっきりした価値を、善悪の判断基準とするようになった。
それは、宗教や統治制度ではなく、生存に役立つものが善だとの解釈なのだ。その一例として、
=何等かの立場に立つ男女比率を見比べたとしても、その理由を人間の身体に求めるのは馬鹿げた話だとも解ってきた。精神分析の発達に因り人文科学(精神科学)においては、男か女かの特定自体が、良心的自由の拡大を阻害する明確な要因だと結論付けられた。
☆そこには、文明Civilization進展の新発見が必要で、新時代を支える文化が要る。


パンデミックを体験、コロナも完治して、筆者個人の感覚
実に、筆者が様々幼少期から聞き及んだ太平洋戦争中の体験話に同類のものがあった。「まず生きて、抵抗して、仕事をして事業を行えば、悲惨な戦争体験は避けて暮らせた」と言う。筆者は、幸なのか不思議なのか、私の親族・姻族には戦死者・被災者はおらず、富裕とまでは行かなかったが、悲惨な戦争体験を回避して生きた行動の持ち主ばかりであった、たぶん先祖代々から。
私が調べた限り、最も悲惨な犠牲者の事実は、「無教養で貧しい生活環境にあって、全体主義者に騙され、彼ら官僚主義者の卑屈な昇進に利用された人たち」であった。そう古今東西、全体主義者は次のような言葉で、うそぶきタカをくくっている。『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は、常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞=不景気に陥れることである。腹のへった者は、パンを約束するものの言うことを聞くのだから』(民間防衛:スイス政府p.224)。
☆よって、教養の有無や貧窮に関わらず、
①公言せずとも全体主義の反対者であれば、個人も企業も活きられる!という結論なのである。
②最も大切なことは、自由・独立・民主主義でもって、全体主義者には歯が立たないように、今から予め豊かな地域を造っておく、で、幸せや暮らしを崩壊させられることがない。
③そして地域を基礎に、豊かで地に足のついた地産地消の事業は、その商品がグローバル展開をするように、新しい社会制度が組み立てられることに。それが大きく開花するまでには10年の見通し。


§コロナ感染地獄と、次代を切り開く、働き方と労災保障
 =空回りし無視され続ける“働き方改革”とは全く異質

全体主義者とその厚生官僚が繰り広げる事実上の“コロナウイルス蔓延策”が激化する。
そこでの、この2月から3月末にかけての、コロナ感染地獄の予見詳細は先ほど述べたとおりだ。
このままでは、社員食堂や無規律な会合やミーティングを繰り返す労働集約型事業での発症は蔓延する。
もちろん、そういった感染の危険を覚悟して労働する職業、すなわち医療機関・感染防止関連事業、スーパーその他小売業、個別消費者への配送業、などでは、ウイルス感染の労災が続出せざるを得ない。
ところが、
全体主義者と厚生官僚は、とんでもなく大きな間違いをしている。
それは多くの感染者が一通り発生すれば=いわゆる集団免疫ができ、それでコロナ感染は、終了すると思っていることだ。加えてよく注意しておかなければならないことは、この集団免疫解決説を、事業所内から自治体や町内会までに存在している“全体主義者や官僚主義者”とその信奉者が支えているといったことを、見逃してはならないのである。自らは一層の感染防止を考える立場にないと言い聞かせているから、ただおののくだけである。なお、中堅・中小企業にあっては“全体主義者や官僚主義者”の従業員に占める割合が少ないから、個別企業や家庭内でのコロナ感染地獄を防ぎやすい(=それは有利かつラッキーな条件)のである。


具体策はこれだ、①~⑩
①日本の産業利潤の源泉となる人的資源:創造性(経営や技術技能の集まり)と物的原資が柱だ。コロナ感染が収束するにつれ、激烈なインフレと通貨切り下げがやってくるから、資産は通貨ではなく、人的資源:創造性(経営や技術技能の集まり)と物的原資として、確保していくことが重要である。

②リモートワークやテレワークは、その利益源泉である創造性を破壊する。

③中国や東南アジア製造業の下請けとして生きる大企業なら、このリモートワークやテレワークは有効かもしれない。

④所詮、リモートワークやテレワークは、従来の科学的管理法(テーラーシステム)の業態に今後も固執する、取締役やその周辺の管理的職業には打って付けの働き方に過ぎない。それは約30年間の“失われた日本”よりも前の復古着想に過ぎない。また、多くの人が気がつかず、当時も政府もひた隠しにしたところの、2018年(平成30年)7月6日に施行の“働き方一括法”での旧雇用対策法改正において、★労働行政の雇用を「職務給」制度に視野狭窄(しやきょうさく)させてしまった論理構成とも関連している。要するに、「職務給」だから紆余曲折する創造性は期待してないし、創造性に係る労働は無報酬という考え方だ。(年功序列型賃金の原型は電算型賃金、経験給の中に創造性を大いに加味していた)。

⑤“工場制”の事業構造に、新型コロナ恐慌の本質が在る
“工場制”(一ヵ所に集める)がICT産業革命とともに、“不採算・投資損”を引き起こした。そのコロナ感染前の経済構造には戻り得ない。もう一度繰り返すと、新型コロナ恐慌の本質は“工場制”に固執し、未だ無理無謀な投資の不具合に目をつむり、それでも貨幣価値を通貨の操縦で膨張縮小利ザヤを産もう(金融工学?)と試み、あげくコロナ感染の引き金で無理がたたっていたところの、少しぐらいは予知できた失敗である。事実、無理のたたっていない商品開発に事業経営はコロナ恐慌でも安定成長だ。
コロナ感染によって、ありとあらゆる流通(交通)体系が崩壊しまった訳で、その崩壊はサプライチェーンに限られたことではない。ところが、人間のみが成し得る労働(その一部分の労働力ではない)は、何らかの形で共同体を組まなければ成果(労働全体の産む価値)を上げられず、労働全体の一部分である労働力でさえも、どこかの共同体(末端とか枝葉にでも)に組み込んでおかなければ(~人間疎外だとの指摘を受けても)、価値の一部を構成することすらできないのである。金融その他の投機による利益を出すとしても、それも労働全体が産む価値である。

⑥個別企業における、コロナ感染の場所と場合は、食堂とトイレが元凶
だから、もっぱら“工場制”の事業構造に所以を持つ社員食堂を止めて、唾液や飛沫の集積飛散を止めることだ。あえて食堂施設に、飛沫で汚れきった手指の集団を招き集めることはない。
併せて、トイレの構造と水回りを変更して、水道水での手洗いを徹底する。トイレに向かう途中の飛沫汚染された手で生殖器や尿道付近や下着を触らない。要するに「三密」といった概念ではない。飛沫さえ飛ばなければ、満員電車でもエレベーターやエスカレーターの混雑でも感染しない、いわゆる医学で言う空気感染であれば、億単位のウイルス数量に至らないから感染しない。(医学的には、PCR検査陽性=感染ではない)。

⑦非効率な集団での行動や行事といった仕事は避ける。
集団行動の前準備を自宅やリモート(離れて)で予め行う。→→要するに、会社施設内で食事をする機会をなくす。出先や就労先で昼食などを取れば問題は無い。
それに関連するのだが、集団行動での“気づき”はあっても、創造的労働のアウトプットはありえない。職業教育で重要な“OJT教育(仕事中その都度の上司からの教育)”は、集団教育では行なえない。コーチングの手法でもってOJT教育の代替えを行う際も個別教育である。ちなみに、「みんなが集まり知恵を出す?」とは、それは社員教育でもなく、ただの初歩的知恵着想の訓練に過ぎない。参加者からすれば、「あなた方は未熟だから、初歩的な知恵着想の訓練をする」と言ってしまわれると不愉快だから、単純に持ち上げているだけの詭弁なのであるから。もちろん、創造的労働のインプットも先ず期待できない。

⑧不要な出社&密に屯(たむろ)をさせない就業基盤
昼の休憩時間を90分~120分へと延長することで、一日当たりの労働時間を減らし週休は法定休日のみとすること等で、作業の質的向上と密集作業を防止する就業基盤の整備もできる。
フレックスタイムとか、みなし労働、あるいは裁量労働といった働き方のプラス面を充実させる。遅出や早帰りではなく、就業基盤の整備があれば、リモートワークやテレワークは利潤につながる。とにかく、事業所に出社出勤しさえすれば、他人の仕事の邪魔をしようが、サボっていようが、“立派に働いている”といった風潮や就業記録を止める。
はっきり言えば、毎週1回の法定休日さえ十分に取らせて、出勤は在宅でもリモートでも良いのである。
労働法の底流は、労働者が取引相手である経営者との、「労働力」の取引において、「その労働力の所有権を、使用者に譲渡する契約」を行っている、としている。具体的には次の3項目のすべてをクリアする必要がある。
1.労働の内容が、予め既に概ね、決められている。
2.仕事を実施する場所が、予め定められている。
3.予め、そういった内容を労働者は了解したうえで仕事をする。
この論理の上に現代労働法は形成されているから、労働契約でもってこの3項目を明白にさせれば、現行労働処方を改定する必要はない。あえて個人請負とか個人外注による品質低下や流通トラブルを招来して、品質低下やダンピングを蔓延させることもない。労働に関する社会インフラを整備して、品質向上や量産を可能にすることが出来、次代のICT産業革命を、戦前復古の制度へと逆戻りさせても、経済の成長や豊かさは実現しない。
【不毛な密を、→有効なリモートや意思疎通に切り替えるには】
都市部のオフィススペースを激減。
不毛な密の数字が表れる費用、その見直し項目の例=賃料、交際費、車両リース、旅費交通費、出張費などに。

⑨たとえ医療にしても保健衛生事業にしても、風俗または水商売にしても、あらゆる日本の産業では、古風な人海戦術(中国武漢式?)は行わないことだ。
ほぼその辺りは、新型コロナウイルスの集中的感染源になっている。とにかく予見と未然策を科学でもって備えることだ。
感染研や旧日本軍式の精神論や自己責任論は、2020年2月の横浜港クルーズ船ウイルス汚染の如く、不衛生を温存しウイルス汚染の拡大を招き、世界最大の悲惨な船舶の汚染結果しか招かなかった。そのクルーズ船での精神論は「マスクさえしていれば濃厚接触ではなく安全」といった厚労省の観念的方針(現在も変更なし)に現れ、それは怖ろしく生々しかった。自衛隊に見られた科学的学問的優位性に見られる対処は感染の集中を抑え込みに極めて有効であった。
要するに、利権を背景に集団の利益を第一に考える馬賊&軍閥のような事業は、日本ではさっさと止めた方が良いのである、どの大企業も。仮に、中堅・中小企業にあっては、明日から止められる。横型運営事業&働き手の“意欲・感動・希望”に、一歩組み込めば、いわゆる「3日で城は建つ」のである、心配はいらない。
古風な人海戦術(中国武漢式?)は、顧客接触や顧客の心理や感情から遊離するのが必然的だ。さらに妄想に走り、馬賊&軍閥の如き組織を作りたがり、その集団利益の利権を追い求める。その姿は、現在日本政府各省庁ごとの(画像も含めての)姿と、それに抱き着き延命&保身を図る大手企業の姿を見ればいい。

⑩コロナウイルス感染の放置と、そこでの就労指示は、労働災害を産む。
過失(通常やるべきだとされる行為をしないこと)や、重過失(わずかの注意…)刑事事件の構成要件の如くに、労働災害での業務起因性と業務遂行性を立証すれば、労災の構成要件も整う。もちろん同時に、民事法の契約違反や不法行為の要件事実も整うことになる。

#1 新型コロナウイルス感染の労災認定基準=厚労省通達より引用
「感染拡大のリスクがあるという特性に鑑みて、当分の間調査により感染経路が特定されなくても、業務により感染した蓋然性が高く、業務に起因したものと認められる場合は労災保険給付の対象とすること」
#2 感染症リスクが相対的に高いと考えられる業務とは、同じく厚労省通達より引用
「①複数の感染者が確認された労働環境下、②顧客等との近接や接触の機会が多い労働環境下。例示として小売販売業務、バスタクシーなどの運転、育児サービス業務など」
#3 労災保険はパートやアルバイトを含め名称の如何を問わず労働者を1人でも雇用していれば業種や規模にかかわらず加入する義務がある。これに該当する事業主が労働基準監督署への労災保険の届け出を怠っていたとしても、労災被災となった労働者は治療費や傷病手当を受給することができる。労災保険の申請は、個々の労働者が管轄する労働基準監督署長に行うものだ。会社は、あくまでその便宜を図っているに過ぎない。労災申請用紙の中にある事業主の証明欄が空白であっても、労働基準監督署は申請を受理する。


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210209】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。この2月号で紹介できるものは1冊だけ。
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)

根拠のように、あたかも示される統計?数値の嘘を見破る
今日、巷に流れる情報は、この本に紹介されている“4項目チェック”を成されずに流れている場合が多い。

“3つの問い”
 a.この統計を作り上げたのは誰か?
 b.なぜこの統計は作られたのか?
 c.どうやって、この統計は作られたのか
 → 嘘を見破る:4項目チェック
 
 “嘘を見破る:4項目チェック”
 (1)関心を引こうとして、当てずっぽうで大きな数字を持ち出している。
  (2)細かく限定的な物事でも、拡張してさも広く影響する課題だと定義する。
   (3)アンケートなどをする際、希望通りの回答をするような言い回しで質問する。
    (4)調査サンプル等が少なかったり偏っていて、不適切な統計の分母を作る。

情報を紹介するとか報道する立場にありながら、いい加減な“4項目をチェック”をして、その弁解のつもりなのか、「記者発表された資料を、そのまま提供しています」と、端から断りを入れているマスコミも少なくはない。その道の研究者やプロのジャーナリストでもなければ、世間の常識的な判断をしてしまうにもかかわらずだ。常識とは、みんながやっている事という意味である。だから常識というものは、正しいのか間違いなのか、まして論理構成が正当かどうかまでには無頓着なのだ。
例えば、今話題の「コロナ感染者」とは、PCR検査陽性者のことであり、ウイルス死骸片まで必要以上に培養し養成しているといった間違った内実を含むことも平気である。感染者数の量は、保健所にその日集まった実施分のごった返し数に過ぎない。先月の年末年始の保健所では、37.5℃を超える発熱その他で発症が疑わしくとも、都市部では混み合っているからといって、PCR検査を10日間も受けさせなかった事例が続発している。
こういった厚労省感染研への、右へならえの報道ではジャーナリストとしての価値は無い。統計を見る側の“3つの問い”ならびに、調査を行う側の“4項目チェック”は、あなただけではなく情報や報道を共有する人には共通して極めて重要なのだ。もっぱら受け身の側から考えたとしても、“知や知識”は、知を共有する私がいるからこそ=多くの人が同じことを知り得ると思考展開する概念である。

【紹介書籍】
『統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門』
ジョエル・ベスト(Joel Best)著、林 大 訳 2002年11月10日発行 白楊社

2021/01/05

第225号:恐怖は小さく希望を拓く、知の力

<コンテンツ>
新型コロナウイルス感染 とコロナ恐慌
人間は、恐怖にさらされれば、昨日と同じことをしかしない
コロナ終息後は、財産税・新円切替え・デフレ政策
2021年 ダボス会議は、シンガポール開催
 ・課題提起の書籍を紹介(日本国内向けに、経済経営の視点から)
   A.ポストコロナ時代の経済について
   B.パンデミックは社会階層によって大きな格差
   C.“新自由主義の市場崇拝”を非難する人が急増
   D.ロックダウンを実行してみて明らかになった事
   E.接触確認&接触追跡に伴う監視は、販売数量が激減
   F.この本の出版元が紹介する部分も(引用)掲載する
なぜ人間は挫折するのか、その前ぶれ現象と整理解明道具
その挫折の直前に現れるもの
そこで敢えて【共感性&文化差異を、巡り廻り、移ろう行動基準】
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み】
 ①デジタルに成熟している組織には、次のような特徴があるとしている
 ②見逃せない、P・F・ドラッガーのシュウペンターからの影響
 ③コロナ禍にあっても飛躍的に業績を伸ばす アイリスオーヤマ
 ④ブロックチエーン、それは


§新型コロナウイルス感染 とコロナ恐慌
この調子で野放しされれば、
もしや、あと3~4年は続く。
①言われもない経済後退政策、個人収入の剥ぎ取りだ。経済全体は個人消費が鍵となるから技術後退してダンピング輸出企業だけが好調となっても全体経済はますます落ち込む。★現状の円安誘導でダンピング輸出が続けられ、そこに利権のカラクリが密着している。
②PCR検査は、ウイルスの死骸だけで陽性反応示す。その結果~陽性⇒休業⇒収入カットの罰が控えている。★問診やCTスキャンを行わずしてPCR検査を行うのは日本ぐらいだ。それも世界は自動化をしているにもかかわらず日本は厚労省:感染研の御指導よろしく手作業である。PCR検査陽性と感染者は同一ではない。感染者が全て発症者ではない。“無症状感染者”といった誤魔化しの理屈を織り込むが、新型コロナウイルスで発症するには1億個程度のウイルスを要するとされており、ウイルスを1億倍に培養するPCR検査陽性者との混同を招くような発表は、指摘後から半年たっても改善訂正されることがない。

③華々しくマスコミ受けするような演出に走る、=その姑息な口先は綺麗事を持ち出すが、肝心の日本の経済政策は東南アジア製造業諸国の下請化へと、明確な舵を切った。中国については?、もう日本は下請の立場となっており、日本の優秀な人材も中国へ引き抜かれるに任せる事態に陥ろうとしている。

④「コロナ対策か、それとも経済対策か」といった風に、故意に二者選択を叫んで子供だましを図ろうとしている。そのように筆者がそう断言できる所以は、これだけ日本は学術分野が進展しているにもかかわらず、各分野の科学者の意見を無視して、単独独善の政策を押し切ろうとするからだ。そんなものは世界の歴史(古いものも含めれば6,000年余りの記録)を紐解けば一目瞭然なのだ。今頃になって日本学術会議の人選に対して、突如嫌がらせを行うのは意味があるから行っているに過ぎない、そんな策をろうして這い上がってきた人物だから。

⑤ウイルス感染の政府マスコミ報道には、飽き飽きする人が急増してきた。
★厚労省は未だに、コロナ関連Dataも治療指針も公表しない。
★PCR検査の詳細Dataを何故か厚労省は公表しない。
 ことに、厚労省:感染研は保健所などのデータを漏らしもしない。
 なので、多くの著名研究者にも資料を提供しない状況が続いている。
★感染者の数は、事実上の水増し:それも恣意的作為的姿は露に。
 死亡者数は明らかに水増、死亡時にPCR検陽性なら死因はコロナだ。
★医療崩壊の話も公立病院などに限った話でしかない。
 医師や看護師その他資格者や周辺専門家が協力できない訳がある。
(次の紹介動画ではこういった状況を、治療実績のある研究者が話す)
 https://youtu.be/6KISg7eYehg


§人間は、恐怖にさらされれば、昨日と同じことをしかしない
策すれば、新しい事をしないパターンに陥る、
これが現在科学的学問的に到達している内容だ。
百年前と同じく=マスクしかしないといった行動パターンは、はっきり言えば、予防方法としては後退しているわけだ。他の有効な予防具体策を常に考え提示しないのは、恐怖を煽るあるいは恐怖に陥った姿といえる。その恐怖の裏返しで、「コロナ否認」も生じる訳で、科学者ならば“拒否”の行動パターンも予想できるわけだ。
ことに職業経験の少ないインテリ(単なる物知りも)が、偏重した知識が多い分だけ恐怖に陥る傾向がある。学者といえども、よほど科学的思考(何時でも何処でも誰でもそうなる法則性)が無ければ陥ってしまう。ジャーナリストは極めて注意しなければならないことだ。職業経験の少ない場合は、持ち味の職人芸でつぶしを利かせている人も多い。
さて、そう陥る共通パターンは、
行動心理学や行動経済学者のダニエルカーンの言うところでは、
①物事の内容に係ることと、
②具体的に実行する方法、
この二つを混同して、思考や論議を繰り返しているとのことだ。
そう、この二つの混同は国の官僚に多い。比較的、都道府県や市町村の自治体の公務員には少なく、それは現場に直面した職業経験に晒されているからだろう。
☆テレワーク・リモートワークそしてデジタル化よりも先に、
 労働時間の組み直しである。雇用調整助成金の対象にもなる。
☆予算と人を集めても無理な話である。
 予算限度額として具体策を予算内とすれば失策となる。
☆このパンデミック前の経営環境で学んだ知や情報は役立たない。
 全て考え直し、部下や取引先に人気な物事は、今や失敗を招く。


○煩わしい仕事のうち可視化されるものは、
貨幣価値となって商品交換の対象となる。

◎これとは別に他人の希望となれば、芸術価値となり、
Art域労働は賃貸契約の対象となることで開花する、
これは科学的学問的には解明された、ただし野蛮化しなければ。

◇最終消費者に使い勝手の良い商品は売れ、
消費者の希望が消費に含まれれば、粗利は高くなる。


§コロナ終息後は、財産税・新円切替え・デフレ政策
まず戦後の如く財産税。当時の財産税とは、
財産税の対象財産は、生活必需品や年金や保険金を除く全財産。
その税率は、全財産評価額の25%~90%の14段階。
申告期限後1ヵ月以内に現金納付か物納させ。
密告制度も設け、追徴できた額の25%以下の範囲(10万円が限度)で報奨金が支給された。
昭和23年(1948年)第三者通報制度のチラシ|戦後税制のスタート|税務大学校|国税庁(nta.go.jp)
___その前に、1946年2月27日に預金封鎖。
3月3日に従来紙幣を無効 にしていたところに。11月11日に財産税法が成立。
全財産評価時点は1946年3月3日。その額を翌1947年2月15日までに申告させた。
__その当時の日本経済は、戦後の生産体制の崩壊などで深刻な物資不足、そのためインフレが進行していた。そこで政府は傾斜生産方式で限られた資材や労働力を、石炭や鉄鋼などの重要産業の復興に注ぎ、その資金を復興金融金庫(その原資は殆どが日銀引き受けの債権)でまかなった。まるで現在のコロナ名目の財政出動は、この当時の真似事の様だ。その為、通貨発行量が増え(現在は国債の日銀買いだめ)、自ずとインフレが加速していた。そう当時の如く、現在の政府財政政策は酷似している。
_そして、1949年に、その戦後インフレドッジライン(強力なデフレ政策=超均衡予算、政府債務返済の優先、為替レートの変更、戦時統制の緩和等)でもって、最終的には止めた。これによって日本経済は急激な不況になった。
戦争の付けは、湯水のごとくの戦費も国民に被せられたのだ。

財産税とはどんな税金だったのか(前編)|閑古鳥ブログ(kankodori-blog.com)

国税庁Web「戦後税制のスタート」より
『昭和21年、戦後処理のために戦時補償特別税と財産税が創設されました。戦時補償特別税は、戦後の財政再建を図るため、戦時補償請求権に100%課税することで戦時補償の支払いを打ち切るための措置でした。また財産税は、10万円以上の財産を所有する個人に課税されました。

戦後の本格的な税制改正は昭和22年に実施され、所得税・法人税などに申告納税制度が導入されました。しかし深刻な財政危機のもと、納税者数の激増、新制度への不慣れや職員の大量補充、各地の軍政部の徴税への関与など、終戦直後の税務行政には多くの混乱が生じました』。

戦後税制のスタート|国税庁(nta.go.jp)から引用


§2021年 ダボス会議は、シンガポール開催
2021年の年次特別総会は、5月13~16日にシンガポールで開催する発表をした。従来地のダボスでの年次総会は2022年からを予定している。次回のシンガポールでの年次特別総会は、新型コロナウイルス感染拡大からの復興を議論する初めての会合だ。
世界の経済界、政府、市民団体のリーダーが対面で議論することにより、世界が直面する最大の課題の解決策を議論することが狙いだ。
今や、この世界経済フォーラムは、世界のリーダーたちが連携する国際機関。スイスの保養地ダボスで開催される年次総会(通称=ダボス会議)には、著名な政治家や実業家、学者らが招かれ、意見を交わす恒例だ。

課題提起の書籍を紹介(日本国内向けに、経済経営の視点から)
『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』
著者の一人、クラウス・シュワブ氏はダボス会議の主宰団体創設者で現在も会長である。
この書籍は、5月のダボス会議のテーマとなる「グレート・リセット」を余すところなく解説している。

因みにネット検索で、
書評めいたカスタマーレビュー等を見ると、
余りにも経済学その他に基本無知な人物らの、この書籍の深部や趣旨を読み取れない初歩的なミスの有様が、極めて多く散在しており、そういった異様な関心が高そうである。
それはおそらく、知識偏重主義(主知主義)に陥っていることに原因があり、読めていないから誤解しているのだ。

ただし、知識偏重主義自体の認識が無い大学教授や学者も少なくない時代だ。
これこそが、この書籍が指摘する「失敗したアイデア、制度、手続きやルールを、現在やこれからのニーズに合わせて早急に刷新しなければならない」に、通じる課題だろう。
そこで先ずは、このメルマガで、日本国内向けに、現場の経済経営の視点から、幾つかの問題提起を紹介する。

A.ポストコロナ時代の経済について
環境にやさしい経済は、グリーンエネルギーへの移行や循環経済の構築など、様々な方法で実現可能だ。生産と消費を従来の資本投入→生産→廃棄といったモデルから、復元可能とか再生可能に設計する方式への切り替え。さらには耐用年数に達した製品を再び使えるようにすれば資源を節約でき廃棄物を最小限に抑えることができる。加えてイノベーションが進み新しい雇用を産み経済成長にもつながる。
(むらおかコメント=従来モデルの販売管理費は、売り手と買い手が出会ってそして決済するまでに時間がかかり、次に両者はその出会いから立ち去る。これでは販売経費は、宣伝費、マーケティング費、保管費用その他の間接的にもかかりすぎる)。

B.パンデミックは社会階層によって大きな格差
その格差の存在を浮き彫りにした。感染者を看病し経済を動かし続けた人たちは最も賃金の低い職種であった。それは看護師、清掃業者、配達員、介護施設の労働者などだ。上流や中流階級の人々は自宅でテレワークをし自宅で教育を受ける。ところが、経済を動かし続けていた人は外出を控えることもできず、人々の命を救い、経済を動かすために第一線で働いた。コロナ禍を乗り越えた後には、富裕層のみが優遇されるという不公平に対して社会の反発が起こるかもしれない。
(むらおかコメント=日本では女性とか正規労働者に、それが顕著に現れているから、その人達の社会進出や労働現場からの引退の危険がある。引退すればさらに経済の落ち込みや個人消費の落ち込みが加速する)。

C.“新自由主義の市場崇拝”を非難する人が急増
ここ数年の急増は、その新自由主義自体が生み出す腐敗退廃がきっかけだ。そこにコロナ感染が、その非難に力を与えた。新自由主義的な政策を“熱烈に信奉”してきたアメリカとイギリスの二ヵ国は、死者数が最も多くなったのは偶然ではない。「大規模な富の再分配」および「新自由主義との決別」が同時に起これば、政府の役割とか社会契約の再定義に至るまで体的な影響を生じる。
(むらおかコメント=日本でもコロナ禍後の、財産税のような大増税と通貨政策は予見されており、富裕層の一部は絵画とか1000万円以上の腕時計などの購入といった資産隠しを始めている)。

D.ロックダウンを実行してみて明らかになった事
それは、炭素排出量は発電所とか産業の排出量は依然として大きかったことである。個人の行動変化(消費の抑制、移動方法の変化など)の貢献は小さい様子だ。二酸化炭素排出では、電子機器やデータ通信に消費される電力から出る炭素量は、全世界航空業界の出す炭素量とほぼ同じとの報告が出ている。

E.接触確認&接触追跡に伴う監視は、販売数量が激減
「デジタル監視を徹底させなければ、新規感染リスクのないビジネスを展開することできない」として、安全を盾にして監視強化をするだろう。すると、商品流通(交通)は監視されることにより販売数量が減る事は明らかである。
(むらおかコメント=商品流通の秘匿性というのは貨幣や通貨とともに、人類の生活の中で、人間が自由を確保するためには不可欠な制度であり、経済拡大の原動力なのである。生産性が向上しても商品と通貨が交換されなければ、経済や経営の意味がなくなる。計画経済や社会主義国の配給では経済活動は成り立たない)。

F.この本の出版元が紹介する部分も(引用)掲載する
(引用転載1)
理論物理学者だった国家元首(アルメニアの大統領、アルメン・サルキシャン)は「量子政治」という造語でそれを明らかにした。ポストニュートン力学の古典的な(線形で予測可能であり、ある程度決定論的ですらある)世界は、量子力学的な世界に取って代わられたというのである。その世界は網の目のように互いにつながっており、不確実で気が遠くなるほど複雑であり、かつ観察者の立ち位置によって姿を刻々と変える。(むらおかコメント=古典的物理学の論理構成は、非常に多くの経済学その他で用いられてきた。量子力学のみならずカオス理論も論理構成の考え方として導入されつつある)。
(引用転載2)
昔のやり方に戻ろうとする企業は失敗することになり、迅速性と想像力を持って順応する企業が最終的にコロナ危機を飛躍のチャンスとすることができるだろう」と著者は助言します。
(引用転載3)
この強制的ともいえる集団的反省期間はきっと、人々の行動を変え、それがやがて主義や信条を根本から見直すきっかけとなるだろう。もしかしたらそれが、何を優先するかの順番を変え、日々の生活のさまざまな場面で人々の行動を変えるかもしれない。社会人としてのあり方、家族や友人とのつき合い方、エクササイズ、健康管理、買い物、子どもの教育、それに、世間的な自分の立ち位置も考え直すことになるだろう。
(引用転載4)
「コロナ危機によって私たちの失敗があらわになり、断層の存在も明らかになった。私たちは否応なく、失敗したアイデア、制度、手続きやルールを、現在やこれからのニーズに合わせて早急に刷新しなければならない。これが、グレート・リセットの大原則だ」
(引用転載5)
「パンデミックというグローバルな体験を共有したことで、危機と共に見えてきた諸問題に少しでも歯止めをかけられるだろうか? ロックダウン後に、よりよい社会が姿を現すだろうか?」

ダボス会議が問うコロナ後 未来に向けたリセットとは|NIKKEI STYLE

§なぜ人間は挫折するのか、その前ぶれ現象と整理解明道具
 挫折の原因を解明した哲学者(自称:精神科学者 マルクス・ガブリエル)が現れた。

★それは、5年ほど前に発表されていた。その要旨を簡単に述べると
「ただ単に機能や理屈のみを学んでしまうと、それを広く澄み切っていると感じとってしまい、その延長線上に自由になれると錯覚する。考えることなくそう感じると挫折の憂き目にあう。更には、人間の道具として作った運営技術に溺れてしまった精神的制度的な野蛮化、あるいは無法者と化すのである。(文責=村岡)」
といったように、わかりやすく解説して差し支えはない。
★ついでに、“理性を失う野蛮化”について、同じく安易な解説をすると
「本質というものを追い求めてばかりいると、本質を決め込んだと意識した途端に、“安心の感覚と自由の感覚と勘違い”するといった錯覚に陥ってしまう。(文責=村岡)」
といった具合である。厚生(他人との比較)と幸せ(本人内の絶対比較)も、よく勘違いされている。ところで、キリスト教系の似非宗教団体聖職者の猥褻性癖、その加害者の内心での極度勘違いすらを理解できるというわけだ。
★人間の性格は条件次第ですぐさま変化してしまう。
これは学術研究定説となった。よく“遺伝子”と言った用語が話されるけれど、後天的遺伝子の変化でさえ700年を要するのである。そう、700年前といえば日本では室町時代。当時の日本でも商品経済が芽生えはじめ、お正月のおせち料理のイメージは、この頃の京都で生まれた文化なのである。要するに、人間の精神に、そぐわないような物事では弊害が生じるばかりと言えるのである。

人間の精神(気持)的変化の根幹底流と言われるものが文化である。
そのツカミどころを理解しようと試みる目的で、人々は表面的には思考を分割し分野別の学問な蓄積の形態を用いている訳だ。それは決して科学的なもの(法則性、何時・何処・誰でも同一性)ばかりとは言えない、自然・人文(精神)・社会の3分野に分けられている科学概念も、相互横断的に習得する必要がある。そうだからこそ、専門的研究といった煩わしい仕事や事業の価値こそ必要とされるのだ。
・煩わしい仕事のうち可視化されるものは、貨幣価値となって商品交換の対象となる。
・同様にこれとは別に他人の希望となれば、芸術価値となり、Art域労働は賃貸契約の対象となることで開花すると、科学的学問的には解明された、ただし野蛮化しなければ。
・そして次に上げるような大義名分も、その時代や時節柄のマニュアルなどである。
 (そう、だから解釈とか中身、押して使い道は次々と変遷する)。
 愛、愛情、慈悲。 義、正義、義理人情。
 教育の有無による格差、学歴とか学習環境。
 「世間よし、買い手よし、売り手よし」=近江商人の経営マニュアルでさえも
  ~奉公人訓練に用いる場合は「売り手よし→買い手よし→世間よし」と順序変更。

__その挫折等に関するマルクス・ガブリエル著作を紹介____
「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学(講談社選書メチエ)|マルクス・ガブリエル、姫田 多佳子|本|通販|Amazon


§その挫折の直前に現れるもの
それは、目の前に繰り返される情報
(intelligence & Information)の混乱である。
それは、論理構成を超えた精神科学(感覚にまつわる人文科学)での、幅広い意味での宗教感覚も含む思考の混乱とも言える。ここでの宗教感覚とは、未だ科学では立証できない、人間の進化にあたっての知恵や文化概念であって、明らかに既存の宗教団体概念とは異なるところの、個々人の内心での宗教感覚(それも私個人の意識のひとつ)そのもののようだ。

ひとたび宗教団体が関わると、いわゆる偶像とかシキタリとか幼稚な論理構成は、一気に持ち込まれることとなる。いわゆる“宗教的奇跡”は、子供を納得させるための便法と言い切る宗教家は少なくない。よく日本で話題となる、「西欧は一神教、日本は○○」と語る人も多いが、それはキリスト教その他の宗教オーガナイザー(組織者)のデタラメに乗せられているに過ぎない。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教その他で、いわゆる旧約聖書は用いられているけれど、この紀元前4,000年の記録・改ざんの繰り返しで成り立っている書物には、紀元前4~5世紀までは多神教であったことが示されている。むしろ、ユダヤ教自体が、紀元前4~5世紀までは小数派であった一神教が、それ以降に続く一神教として、あるユダヤ民族がユダヤ教を選択していったと物語っているである。
それは、物事を記録する文化自体が旧約聖書周辺にのみ存在していたからだ。他の古代エジプトや中国では文字はあっても記録にまで進化しなかっただけのことなのである。社会科学や人文科学の専門学者の弁だと、日本を含め神話に出てくるような話は旧約聖書の中には幾つもあるとのことで、旧約聖書から持ち込まれた神話も少なくないとのことである。筆者も、物部一族の末裔の方から、「物部氏の会合は今も開かれ、西の彼方で偉人(キリスト)が生まれたと、西暦200年ごろに伝わってきた」との話を聞いたこともある。


§そこで敢えて【共感性&文化差異を、巡り廻り、移ろう行動基準】
についての関連表を作成してみた。文字では長文だ。
(整理解明道具)
それに、コロナ禍によって、予定調和自体が崩壊してしまって、コロナ前には戻らないことになったからだ。これは、あくまでも試案であるから問題提起をしたに過ぎない。

今のパンデミック、そのコロナ感染恐怖の瞬間、
多くの人々の落胆と挫折。
それに引き続く社会のリーダーや家庭内の野蛮化を防ぐための、文明の進展は必携不可欠だ。

個々人向けの、先ほど述べた様な感覚については、
その行動指針とバランスの取り方を考える上での整理解明道具が必要と考えた。小田原評定はYouTube動画では人気だが、実に時間の無駄である。まして、そんな小田原評定は、実のところ、感染予防はじめ、文明の進展には役立ってはいない。どれを見ても底が見えている。
~このように、様々述べたことは、今まで整理解明道具が無かったからでもある。
今日までは、単なる批判の繰り返し、問題提起の繰り返し、課題や問題の観念的拡張、保身のための解決先送り、といったことが繰り返され、人類の進歩的整理方法にまでは、従来型集団のリーダーでは、故意に行き着かなかったのである。

この整理解明の道具で、解消の第一歩
が踏み出せる訳で、それは文明Civilization進展に引き続く進展の新発見になるかもしれない。そう、今の文明Civilization進展のキッカケは、文明Civilizationの語源が示す通り、“礼儀正しさCivility”であり、個人の徳や“人徳”といった物の追求の挫折(希望は実現せず我慢ばかり)から、自由平等の希望と精神的理念の許に、民主主義を社会の運営技術に取り入れた時代(英国:名誉革命や仏国:フランス市民革命)の如くに、
☆「人間が、生存や進化をする現場と、学問との結合」となるだろう。
学問の成功とは、普通の人が、「なんだそんな事は知っている」と吐き捨てることだと、経済学者の森島教授は話していた。同じ趣旨は、今から28世紀ほど遡る旧約聖書の一つにも記載があり、同様にニュートンやアインシュタインも、この成功のコツをわきまえていた様だ。

国家の単位から家族の単位まで、社会としての各々の共同体にあっては、住み分けることなると、そこには、それぞれに理念が必要となってくる。理念が欠けてしまえば、その部分から野蛮化してしまう。すなわちその方向のベクトルは崩壊し、共同して物事に強力対応するといった意識が萎えてしまうのである。哲学と言われる学問が、その理念を支えるためのシステムを研究しており、そのシステムの上に先ほど述べたような大義名分が乗っかっているわけだ。愛、愛情、慈悲、義、正義、義理人情、頭の良さ、創造性の良さや記憶力の良さといった大義名分もだ。
人間は3人以上が寄って共同体を形成した途端に、この哲学(哲学めいたもの)を必要としている、それはカップルの間に赤ちゃんが生まれた瞬間からでも始まる。

ここに示す図表は、洪水のように入って来る情報や学術論文の、真偽に係る取捨選択にも、も大いに役立つ。個々人の行動基準は、しょっちゅう移ろうけれども、その情報発信の論理構成の背景から取捨選択をする方法とれば、幅広く正確な情報が瞬時に察知できて、それが、あなたの“知”に資することになる。主知主義とか知識偏重主義(この人たちの論理構成には実際のプロセスがないから、他人が応用出来ない)に、その都度振り回されれば、人間は幾ら時間があっても疲れ実りも無いこととなる。

☆この整理水準は、ICT産業革命時代の倫理やマナーになるかもしれない。
実のところ、“閃きをきっかけ”に論理構成を組み立てる人たちはすでに体得している。
“閃きをきっかけ”としない人らの主流は、“傾向と対策”といったレトリックに陥っている。
「科学的管理法から科学的マナー」へと手法は進化する。
歴史的視点からすれば、そういった人たちだけが生き残るであろう。
下記のURLをクリックすると、拡大図が開きます。
http://www.soumubu.jp/intelligence/20210103_koudoukijun.jpg

【共感性&文化差異を、巡り廻り、移ろう行動基準】
2021/01/05
 活字原稿のみ
希望へと闘う神=リッチ(豊かさ)と幸せ
開拓、大志を抱く、そして闘う=自由の権利秩序
対話ではなく、共話を好み、現実対応と開拓の道
悩み事があればよく寝る。
困り事があれば10日間ほっておく(世阿弥など)

地産地消へと、ICT産業革命を活用
日本文化の進展とそのクリエイティブを売る
拝金生活の神=厚生と満足にひたりたい
拝金そして、拝金システム隷属、拝金の人に隷属
内容が無理解でも、行動と伝達に長ける
“傾向と対策”の教育により大量生産されたAI頭脳

アジア工業国諸国の、その企業下請けの道
中小企業は排除、事業主は危機隷属労働へ
人件費や労働投入量=削減のための
テレワーク、リモートワーク、
安かろう悪かろうならデジタル化も問わない

精神的制度的に野蛮化、あるいは無法者
あげく、疲れて嫌気がさしてしまえば、
あらゆる投資はマネーゲームに注ぎ込む
敵と戦う神=権力を満たしたい!!
ファイト、破壊そして優生=統制と画一的倫理
まず敵を作り、批判のネタをかき集める
時節に流され極右や極左に偏りやすく
ロスチャイルド、ロックフェラー、
ディープ ステート、中共などの
仮想敵を批判する事で存在。
企業内や地域共同体では
資本家や地主などが仮想敵とされたり

ことに優生思想
=究極は切り捨てるしかない 弱者は足手まとい
「基礎疾患は仕方ない」とか「害でしかない」
と判断=その人の死期を早めるだけである
ねたみ生活の神=名誉を満たしたい!
恐怖による無秩序に“水を得たり”と魚の如く
根拠のないプライドが、その個人に肥大する
恐怖にとどまることで、“理性を失う野蛮化”

似非:宗教団体の指導者
スターリン主義集中制の党員とか公務員
いわゆる左右を問わず、全体主義の活動家


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。

筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。

なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。
それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。

一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。

①デジタルに成熟している組織には、次のような特徴があるとしている
(1)リーダーシップは階層的ではなく、分散型の傾向がある。
(2)コラボレーションと部門の枠を超えた協力が盛んである。
 コラボレーションは組織の枠を超え、顧客、パートナーそして競争相手とも試みる。
(3)実験と学習を奨励する。企業がどのように挫折に対処するかは、
 企業の生存能力を高めるかもしれないと思っている。
(4)リスク許容度が高く、大胆で探求的傾向がある。
(5)アジャイル手法で迅速な行動が見られる。
 アジャイルとは、テストと学習という反復アプローチを行い、
 チームはソフトウェアを開発すれば、
 ユーザーはその長所や短所などを見つけ出す。
 そして次の段階へのフィードバックとなる。

…~デジタルに成熟している企業は、
実験を次の段階に進め、自分たちの取り組みを単独の経験にとどめず、実験すればそれを社会に公表する。
(むらおかコメント=紹介した特徴の背景には、闇雲に翻弄されるのではなく、科学的物理論である:“カオス理論《2008年に物理学的証明》”に基づく能力開発が行われてこそ経済経営の効果を生み出しているようだ)。

【紹介書籍】
「DX(デジタルトランスフォーメーション)経営戦略」 2020/10/31 NTT出版
https://www.amazon.co.jp/dp/4757123787/ref=cm_sw_r_li_dp_Xqc9Fb5VXP359

②見逃せない、P・F・ドラッガーのシュウペンターからの影響
「勝てないところで勝負してはならない」
「強みを明らかにし、強みに集中せよ」
「その強さをさらに伸ばせ」
「弱みを改善することに時間を使うな」
ドラッガーは、イノベーションを初めて経済学理論に成したシュウペンターに学んだ事は意外と知られていない。マネジメントの発明者ドラッガーは青年期に来て、シュンペーターの影響を強く受けている一人と言われている。
日本国内では、従来からドラッガーは経済学者では無いとする評価が高かった。シュウペンターも経済学者では無いと言い切る経済学者も存在する。これらのドラッガーやシュウペンターの評価については根拠がない。加えてこともあろうに、当時の通産省はイノベーションの事を「技術刷新」とまで誤訳をしてしまい、その偏った翻訳ないしは日本への紹介は今日まで(経産省にのみ)修正されていない。
なお、むらおかは研究中ではあるが、ジンメル、アドラー、シュウペンターの三者が経済大転換前夜の時代の落し子として、自由市場経済(=マルクスは資本主義と名乗った)の期間の中での、この20世紀冒頭からの“大量の金融資本で以って先行投資を行う方式”の科学的学問理論根拠を用意したのでは無いかと思われる。およそ100年前にはスペイン風邪が流行した。そして現在のICT産業革命を迎えるにあたって新型コロナウイルス感染が出現した。ここにはどのような関連性があるのかは、なにか混沌とした中にも、客観的合理的な底流が存在しているようで、それは現在整理中である。
(画像)

③コロナ禍にあっても飛躍的に業績を伸ばす アイリスオーヤマ
大山健太郎著作から引用(アイリスオーヤマ会長1945年生まれ)
「顧客に求められる製品やサービスを継続的に送り出すことが、いかなる時代環境でも利益を出すための第一歩である。そして利益を出し続けるには、顧客を中心に経営を組み立てる必要がある」。
「黒字企業は、顧客のニーズに合わせてものづくりをしていたのだ」。
「環境変化に翻弄されない会社を作るなら、エンドユーザー(使う人)の働きをしっかりつかんだ“ user in型の経営”ということになる。使う人がこれは役立つと満足するか否かを考えるのが俺有罪の思想である」。
「この価値ならいくら払うか。それだけで購買の決断をする」。

【紹介書籍】
大山健太郎著「いかなる時代環境でも利益を出す仕組み」 2020/09/23 日経BP社
https://www.amazon.co.jp/dp/B08J2CLXSD/ref=cm_sw_r_li_dp_zGc9FbAH9WFPG




④ブロックチエーン、それは
(構造的変化に苦しむ自動車業界復活のカギかも=ブロックチエーン)
「取引データを多くのコンピューターが共有し、検証しあって正しい記録を蓄積する技術である。解読するのが極めて難しい暗号技術を利用している。
データが集まったブロックは、チエーンのようにつながっているので、ブロックチェーンと名付けられた。
このような形でデータの記録を蓄積していると、あるデータが書き換えられた場合、そのデータを含むブロックが後からつながる全ブロックに影響を及ぼす。その影響を排除するには、膨大なコストをかけて難解な暗号解く必要がある。そうならないよう改善ができないような方法でブロックチェーンは作られている。事実上、改善は不可能というのがこの技術の重要な特徴だ。また、管理者がいない分散型ネットワークとして機能する、という特徴もある。

【紹介書籍】
「モビリティ・エコノミックス」 2020/10/15 日本経済新聞出版
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/32365