2023/05/09

第253号:
誘惑されても 翻弄されない&騙されない

<コンテンツ>
今この瞬間を、歴史上どう判断すればいいのか
  ・Art域労働の成果や品物の販路は何処
  ・この瞬間!コロナ明けで経済が戻る、表面現象
“だまし”のターゲットにされない技術の柱=特集
  ・相手方が、共感するまでに至る、その意思表示に努める。
  ・個々人の自律を、阻害するに至った日本の経済政策
  ・相手方の思考パターン その見当をつける技術
  ・相手の論理思考は多種多様性=概念表
       (概念表の注釈:多種多様性に係る要素)
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230509】
     『頑張り屋さんのための心が晴れる本』



§今この瞬間を、歴史上どう判断すればいいのか
Art域労働が、およそ150年に渡る、世界的経済構造の崩壊後に、世界経済を救う。これには間違いは無い。それは、様々な表現でもって進みつつあるが、表面現象の概ねは、“機械論的世界観から生命論的世界観へ”との概念を伴い、過去への回帰ではない。
新時代を切り開く、歴史的チャンスだ。
Art
域の労働&仕事は、すべての産業と職種・職業で通用する


¶Art域労働の成果や品物の販路は何処
①例えて言えば、「外へ飛び出し、道(路)に出る、次に世界にSNS配信することからだ。」ここに例示するバイオリニストは、ウクライナから来た少女だ。ロシア音楽の教育を受けた(今ウクライナではロシア音楽は禁止だ)。ウクライナのリズムではなさそうだが、音楽は世界を超えて新しい演奏世界を開いている。
https://www.youtube.com/@KarolinaProtsenkoViolin
②作品を例示して、世界に直に売り込む。さらに企業にも売り込むことだ。Art域労働は、あらゆる産業・業種・職種で活躍が可能だ。(人事教育用語の改善、生きがい、系列、忍者とか、英語圏で通じる日本語といった】文化の違いこそ、最大の商品利潤が見込まれる事は、フランス市民革命の時代から指摘されている(スタール夫人1776年生)。日本の“留袖”の黒染めは、東欧のキリスト教修道院の女性に人気だ、本物の黒の生地がないから。
日本料理に使う、“本物の料理器具”は、その使い勝手とともに人気だ。(日本料理の人気は、ヘルシー、煮込むなどの手間が少ない、盛り付けが綺麗、片付けは簡単といった項目)。家庭でも料理したいとの人気は欧米に多い。技術革新にもArt域労働は欠かせず、先端産業を促進する動機付け要素でもあるからだ。そういったシナリオも大事だが、衣食住や生きがいの根本に係る商品は根強い。
③独立起業にしろ非正規・正規は問わず、Art域契約方式をとることだ。労働者なのか、自由業なのか、自営業なのか、そういった事は後ほど労働法一般で決めれば良い。まずは、旧来の経済構造に合わせたシステムに、成ろうとしてはいけない。それは、日本には、あなたをまだまだ“羊飼いの群れ”に組み込もうとする“縦社会派”が多いからだ。
④大樹の陰となると、“過去の金融投資型企業”では経営採算が取れないから、あなたは、とどのつまり、“使い捨て”をされる。今月号の特集「ダマされない技術」で以ってしても、未熟であれば、“あなたが乗せられるにはひとたまりもない。”と思った方が間違いない。それは、詐欺的マルチ商法の如く、組織的に、あなたに襲いかかるから、同調圧力に弱い人ほど悲劇が待っている。加えて、心身ともに“手負いの狼”と言った詐欺師は、「腹に一物、背中に荷物」の状態だ。だから、ことに家族(親子)・親戚といった、過去旧来文化の人間関係には気を付ける必要がある。その悲劇とは、「単なる悲惨ではなく、社会構造から起因している“同一パターン悲惨”の形象。」である。
⑤“Art域契約方式”を優先し、少なくとも、昔の旧来の契約方式は避けることである。国内の学校教育方式とか、いわゆる“家元制度とその習い事教室”方式で、いくら優秀で褒められていても、“あなたの腕前”に対しては、買う側からすれば魅力は無い。気分が良くても単に褒められ育てられただけの井の中の蛙だ。その彼彼女らの動機は=単に団体組織の収益と&組織への奉仕協力に過ぎない。やがて旧来の方式は崩壊するに至る。それは偏に、顧客や望む人たちに、とにかく、“心の希望を与える成果品”を供給していないからだ。
Art域労働とか芸術労働と言われる強みは、こうかどうかである。パフォーマンスに、その類の希望はない。スキルやマニュアル、機械やIT機器にも、それはない。そして希望が込められているもの広がる。戦前の、「李香蘭(リ・シャンラン)」は、個人レッスンでロシア音楽の教育を受けた。そのロシアの発声(歌い方)にもかかわらず、日本国内では大ヒット(当時中国で知る人は少ない)した。そういったリズムや歌い方が日本にはなかった、それは未だ日本でも少ない、だが今も人気はある。
https://youtu.be/iqtpH41rw0g

⑥起業する資金は、金融機関や“縦社会派”といった人物からの誘いや誘惑を受けないことである。今日まで、数多くの“志ある方”が、乗せられ騙され悲劇に落とされてしまった。資金を貸す側の狙いは、連帯対保証人の、あなたの代理人からの返済だ。「独立するには開業資金が必要。」といった、とても納得しやすい“嘘話“なのだ。「開業資金は退職金では不足すれば融資を受ける。」これも幻想なのだ。それでもって実際に成功した人は数少ない。これらは、戦後一貫した貸金原則だ。すなわち、あなたの起業には、“身の丈にあった”起業が重要なのである。「商店を経営するなら、住む場所は店の一角」である。「製造や工房ならば、工場の片隅」|だ。あるいは、外へ飛び出し、「「道(路)に出る、次に世界にSNS配信」なのである。これが、商品経済が支配的になる時代からの、数百年に渡る世界中の原則なのである。ここで間違い、あなたは“感覚と欲望と“で以て、物事を行なうから、金融機関や“縦社会派”といった人物から詐欺られるのである。正直者は、詐欺師に狙われないし、詐欺師は正直者を避ける。
⑦その、“Art域契約方式”はこれだ。決して、羊に飼育されてはいけない。
(URL)アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
https://soumubu1.blogspot.com/2021/03/blog-post.html#227-11
Art域労働の積算単価方式(現状では、“謝礼や委託”といった名目でごまかされ、国の公共事業“技術者”積算単価にも及ばない報酬を強いられるままだ。)


¶この瞬間!コロナ明けで経済が戻る、表面現象
今、広告宣伝などへの新規投資や、新規事業に投資注入するのは、事業経営者としては“大変な愚か者”である。もう数ヶ月先に世界経済体制に異変が起こり、結末の予想できない崩壊が始まろうとしているからだ。その崩壊は一気に日本経済に降りかかり、むしろ日本が崩壊のしわ寄せをひとえに被ることになりかねないからだ。
中堅企業だとしても、根拠や科学的分析もなく、つい先日まで売れていた商品の類を、再び、“額に汗をかけば売れるのだ”との錯覚に陥って、販売努力の強化に走る企業は少なくない。それは、筆者周辺の動きにとどまらず、TVのコマーシャルにも表れている。銀行などからの融資が出来たとして上昇機運が高まっても、旧来経験での気運上昇は、事業の墜落を迎える。融資成功は銀行マンの成績が上がるから、会社も銀行から接待してもらって嬉しいだろうが このご時世では、“その融資は銀行の命を縮める”ことにもなっているのだ。TVでは、立派な広告をと期待して金をかけている姿もよくわかる。そこには広告代理店だけが喜んでいる姿が存在しているだけだ。確かに、昔のイメージで以て販売強化の立派な広告を打てば、昔ながらの教育や勉強しかしてこなかった、“羊飼いの群れ”の社員らは、その瞬間は喜ぶだろう。経営者の空元気も、そんな社員にとっては喜びの瞬間ではある。
とはいっても根底的に、日本社会全般に、“焦りの色彩”は繰り返す波のようにはびこって行きつつある。それは、先ほど述べた「社員の瞬間的喜び」があったとしても、ただちにそれが、“焦りの色彩”に転換するといった、“売り上げが伸びない&在庫が急増する”といった現実を吹き飛ばすことになる訳もない。“空回りと空笑”は現実に、さらに露(あらわ)となるからだ。とにかく、現場の最先端で働く人たちの表情は、どんどん“暗く神経質な顔立ちと歩き方”に至っている。
残念ながら、眺めるほどに、服装もやつれており、たとえ生活が苦しいながらも毅然とした身なり!ではないのである。筆者自身が物心つき、半世紀以上に渡り、経済ショックを洞察してきたが、それらに比べは全くもってひどい。今まで洞察してきた状況と現在とは、“比較に及ばない”のである。また地方は各戸毎に資産があるからスピードは微妙に遅い。が、筆者が毎日見る大阪中心部は劇的陥落の様相である。
昭和大恐慌とか、敗戦直後(流通や金融の断絶)といった、過去の“激突的不況での現象”から学ぶ中での重要な注意点は、次のごとくである。
①誘惑に翻弄されては、たとえ防げたとしても時間と信用の無駄だ。
②“感覚と欲望と“でもって、誘惑してくる詐欺師を遮断する。
③自己責任と喚起した上で誘引して来る、ならず者排除だ。
投資FXそしてNISAとiDeCoは危険だ。


§“だまし”のターゲットにされない技術の柱=特集
そこで今回のメルマガでは、誘惑されても→翻弄されない&騙されない。そして、そういった人たちからターゲットにされない技術と技能の柱を特集することとした。そういった人たちは、もっぱら社外にいる訳でもなく、社内にも存在する。加えて経済危機となると、平気で家族や身内そして親族にも表れる。そこでは悪徳金融業者などが、“連帯保証人”の制度を利用して狙いをかけるから、決して連帯保証人に、今は成ってはけない。あなた自身でなければ、“あなたの印鑑証明”を直ちに廃止すればよいのだ。ちなみに筆者は、ことがあれば印鑑証明を1通だけもらい、交付と同時にその場で”その印鑑証明”の廃止手続きを完了させる。


相手方が、共感するまでに至る、その意思表示に努める。

①語れるのであれば、気持ちを語る。それは、根拠や裏付けをまとめるといった代物ではない。
②“感覚と欲望と”で以て、物事を行なおうとすれば、いとも簡単に必然的に“恐怖と狡知(=こうち:悪賢い知恵)”を駆使する行為が始まってしまう。
③さらに“不注意による軽率さ”が益々、語り手と受け手双方の気持ちを曇らせる。
④こういった一連の流れが、世に悪徳と迷信を蔓延(=はびこらせること)となる。
⑤例えそれは、(その小さな)社会内の一体性を保ち、強制し服従させるに適するかもしれないが、その行った物事の効果が、厚生(物資付与)あるいは現世的幸福に直接貢献を超えるまで、至るなり及び叶うといった訳はないのだ、妄想錯覚してはいけない。

★肝心な事は、5つの上記注意ポイントを、社会共同体として行政機関が個々人に向けて、重要視する思考文化を発信し、またシステムとして維持温存させていく行為が、とても重要不可欠になっているとの事柄なのだ(要するに不作為、場合によっては逆を産む犯罪を行っているようだ。)。
こういった理念は、1688年のイギリス名誉革命の理念から始まる。“社会という制度”を、“自由平等”を充実させるため、造り貫いているのである。そして、そこでの民主主義とは、“権力も金も悪知恵も無い弱い者集団”の、“自由平等”の理念とも矛盾をしない、社会を造り充実するための“民主主義とは単なる武器“に過ぎないとの位置づけである。日本の如く、刑法でもって犯罪の構成要件を立証して取り締まるとの方法だけでは、マルチなどの犯罪者や全体主義者(宗教団体を含む)の政治家からは、社会も個々人を守ることはできない。(余談:こういった“自然法と理性が重視”される思考文化の温存が、イギリスには未だ“憲法”と称するものを必要としない理由の解明が出来るヒントなのかもしれない)。~ということだ。
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以上までは、1688年:イギリス名誉革命の実務理論の構成柱を築いたジョン・ロックの、晩年にまで至る著作などに現れている彼なりの論理構成を、筆者の私が現代風に翻訳編集したものである。
そこでの基盤ともいえる文化的道徳は、今から250年ぐらい前の、経済学の父と言われる、“アダム・スミスの「国富論(1776年)」”や(その国富論の基盤である)倫理学書『道徳感情論』へと引き継がれている。
1775年のアメリカ独立戦争にも多少なりとも引き継がれている。
1789年のフランス革命には、正直なところ、1688年イギリス名誉革命でのジョン・ロックの論理構成が、どのように引き継がれたかまでは、どうも確認しづらい。(ちなみにジョン・ロックは、イギリス国教会系の神学校教授であった)。
このジョン・ロックのカトリックは、当時のローマカトリックとは別派の教義(当時はそんなものといった時代)を用いて、農民への虐待統制を図っていた。そのことから、革命期に農民の反撃抗争での虐殺惨事を招いたとされる。このフランスの惨事から、イギリスの“保守”が生まれ(エドマンド・バークらの立憲主義?)、これを日本では、「本来の保守」だと言われるものになっている。

いわゆる“モラハラ”の本質は、飼育と調教である。

> “モラハラ”は、パワハラやセクハラよりも一段と知能犯である。ハラスメント(=継続的なイジメ嫌がらせ行為)は、教育訓練とか仕付(しつけ)とは異なり、その特徴は、教育訓練とか仕付であった事を、『動機や根拠を裏付けたる証拠を立て、ことごとく加害者は、証明できない。といった特徴がある。

よって、“モラハラ”の唯一の目的は、“飼育と調教”へ向けられた権利侵害なのだ。その意思表示を行っているのだ。したがって、刑法に定める緊急避難と正当防衛でもって、(憲法に定める基本的人権として)被害者は自らの心身を守る権利を持っている。家庭とか職場において“モラハラ”が行われた場合は、(自力救済には非ず)警察の介入する刑事事件であり、更に民法による加害者の賠償責任が生じる。ことに職場であれば事業主の監督責任や職場環境整備責任が問われ、加害者同様に賠償責任が生じる。

すなわち、自由平等の社会以前の、古代や封建時代の不法行為だ。


個々人の自律を、阻害するに至った日本の経済政策

(それらは、個人と社会制度との直結を促さず~自律や自己規律を阻害。
そして、同調圧力や権力の介入機会を、排除しないからである。)
イ)雇用調整助成金の企業への給付、企業ごとの職業訓練制度(過去のように、失業給付や職業訓練を、職業安定機関は個人に向け直に実施する体制を要するのだ)。では、(ここからは後に示すURLから引用)『どんな目論見で、雇用調整助成金の制度は作られたのか!それは、時の電機労連などの大手労働組合が、オイルショックなどによる急激な組合員減少(実は社員現象)のショックを和らげるために、当時の労働省と交渉取引をした産物の制度なのである。社員=労働組合員だから組合費は会社が集め、その労働組合員の現象を防ぐことで、労組幹部の利益と安定を図り、ひいては企業の安定に資するというわけだ。』~このコロナ禍&経済危機の中、大手労働組合は、まったく静かである。続きは、このURL(2020/12/08号へ)。【雇用調整助成金】は毒まんじゅう!
https://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post_8.html#224-14
ロ)育児休暇や介護休暇、それらにまつわる助成制度と運用。
ハ)セクハラやパワハラその他職場トラブルなどの、厚生労働行政機関での、“苦情受付から事案防止のための介入”といったものでは、根底からの解決が上滑りとなる。それは、行政政策の柱を、“個人の自律育成”に置いていないからである。依存させ→妥協でなく示談を図る。裁判や紛争解決機関での国家資格:代理人の介入を避けたがる実態は少なくない。
ニ)住宅ローンによって、個人に自己責任の箍(たが)をハメてしまうる制度。
(ロ、ハ、ニは、紙面の関係で解説を省略。)


¶相手方の思考パターン その見当をつける技術
語りかける相手の論理思考パターンは多種多様である。 そのパターンはどんなものであるかを察知して、相手方のパターンに合わせて語りかけるとか、相手のパターンにより受け止める内容には差異があることを、よく踏まえて話をする。これが、限られた脳容量や時間であっても、あなたの脳も気力も疲れないようにする手法である。
  • あくまでも後に示す概念表は、おおよその羅針盤的なものであり、あくまでも相手方が表した“身振りや言語その他”を、受け止める側の“感覚や行為・体験”の範囲(下の図のど説く模倣)で読み取ろうとするのであって、且つ、受け止める側の認知が可能となる範囲内といった代物に過ぎないとの技能力の制限がある。

  • まして、相手方は外に表現した“身振りや言語その他”の範囲内で以て制限されているのだから、その限られた範囲内での“感覚や行為・体験”に、そもそも過ぎないといった前提並びに注意が必要なのだ。相手方が隠していたとか、ある種演技をしていたともなれば、受け止める側に、極めて高度な“正確に見抜く能力”でもなければ、見当をつけること自体が極めて困難になるわけだ。その能力が“共感Empathy力(共感作用・共感精度)なのである。例えば、言語能力が長けていても、共感Empathy力が欠けている発達障害(自閉症スペクトラムASD…社会性の発達の遅れなど)があれば、先ほど来述べる「見当をつける!」こと自体が不能な行為である。{参考資料}大人と子どもの発達障害と脳検査
    https://www.nonogakko.com/hir/

  • この概念表に基づいて相手方の思考パターンの見当がつけば、時折り休憩その他一息入れたところで、相手方の気持ちを話してもらう。その気持ちと、あなたが共感Empathyするものでもって、あなたの見当とを即座に照らし合わせて診れば、その相手方の論理構成を、あなたは的を外さずに認識することができること(数々の啓発本に記されている結論のみどおり)となる。そのことで、あなたが決定的に相手方に近づく“要素やヒント”が収集できることとにもなる。なお勘違いしてはいけない事は、要素は法律法令などで示す要件とは異なる。要件とは、あくまで法律法令等システムの“柱”に過ぎない(又は行政システムの“柱”などにしか使われない)からだ。(民事訴訟とかの要件事実とは=戦後になって裁判官の“判断マニュアル”として導入されたもの。刑法とか労働基準法などの取締法では、構成要件と言っている。)

  • したがって、巷の啓発本に見受けられるような、『そういった行動を見ればソレ。ああいった行動を見るとアレ。』といった具合に判断をすること自体が、とても危険な行為であることは、肝に銘じるべきある。そんな様々な危険な行為とか不能な行為を、見分け避ける手法として、
     ①直面談と併せて相互に書面を作成し交換する行為。(準備書面)
     ②相手方に対し、複数の人物がインタビューする行為。
     ③相手方に対し(実質的に)何度もインタビューするとか
      角度を変えてインタビューをする行為。
     ④意思表示の裏付けとなる証拠・証人を相互に確認する行為。
    等々、を人類は発見発明してきたである。それは端的に言えば、「相手方にしても、受け止める側にしろ、頭脳に意識されていない項目や本質が無数に存在する。」といった事情からなのだ。

  • (補足ではあるが)、こういった危険な行為とか不能な行為を、見分け解消するための手法が、まだまだICT機器とか、AI人工知能(チャットボットなど)にあっては欠落している。だから、錯覚錯誤、基礎知識の不認識による瑕疵、欺罔(ぎもう)して詐欺(サギ)犯罪に使うなどといった事に至り、=⇒人類の進化を後退させることとなる。要するに、基本的人権の破壊とか自由の侵害(=自由な判断を阻害・欠落させる)に至る訳だ。それは、個人情報の流出とか、良心(善の心とは異なる)の毀損といった程度、そして流行語類の事件程度のものではない=個々人の無思考とか無認知といった、“究極の奴隷状態”に個人を人類を陥れる道具に成り得るのだ。

¶相手の論理思考は多種多様性=概念表
水準 概 念 おおまかな説明 その注意点
動物とか野獣
ではないだけ
相対比較
による
損得判断
何事も、同じもしくは類似のモノと比較して、「メリット><デメリット」でもって、それを金銭はじめ何らかの目の前の価値量で判断する。
1次元の、点的思考(X軸のみ)

目標とか方針に関係なく判断する。よって、
将来計画崩壊を招来している。
古代とか封建時代に
蔓延していた唯一の論理
感情的な
三段論法
とか
恣意的
三段論法
でもあり、

“感覚と欲望“に翻弄される。
感情的とは理性が無い、又は失って、理性的根拠も裏付けもない状況。
これを3段=AはB、BはC。だとすればAはCに違いない=とする思考。
日本の裁判官は訓練された、“合理的三段論法”の思考で養成されて、
事件の要件を整理して法律条文に当てはめるといった具合である。
“感覚と欲望と”での三段論法ともなれば、いとも簡単に必然的に“恐怖と狡知(=こうち:悪賢い知恵)”を駆使する行為が始まる。
2次元の平面思考(X軸・Y軸)

感情的だと、
理性無く、その時点の(理屈や証拠の伴うなりし)、自分の好みや思いつきとかを示す。
無意識のうちに、“恐怖と狡知(こうち)”を駆使する行為に至る。
官民共に官僚主義者にも蔓延している。
市民革命や、
文明と共に柱に。
客観的
合理的
な論理構成
・客観的とは、第三者から観れば当事者の説明が無くとも解る物事の様。
・合理的とは、筋道が道理に叶うとか無駄なく能率的に物事を進める様。
の思考を貫いている論理構成のこと。
注釈Ⅵのカントの指摘を参照)
3次元の思考(X・Y・Z)の範囲内だ。

社会(共同体)とか思考(現代哲学)において、法や法令の論理を構成する思考パターン。
自由平等|の社会形成と共に
人間の理性思考と論理構成
弁証法的
論理構成

ヘーゲルの整理発見した弁証法。
以降~
(現世は神の予定調和から造られた概念=から離れ、
近代文明や機械化等の世界へと進化。
思考方法の重要な契機の弁証法。

~観念思考とその反対思考との対立・その矛盾を通して、
~時間変化と共に、より高い段階のアイディア認識や思考に至る思考方法。

~それぞれの優位な部分を取り入れ発展させ合わせる。だが発展すれば、新たな反対思考が産まれ矛盾を産む。して、更に高い段階の認識や思考に至る過程を踏む思考の連続系だ。
【“中庸”、“中正の道”、“正しい中間”ではない】“中立”には両人の間に立つとの物理的な法的概念が在る。
4次元の思考(X・Y・Z+time)

目標や方針に基づき、将来に向けて運営するとか規律を立てながら発展成功を成すといった場合に、大いに役立つ思考方法。

好いとこ取りや“折衷案“とは異なる。
①相対する矛盾を通じ更なる高い段階へ進む。②時間変化と共に発展するとの差異がある。
物理、数学が、
科学だとの偏狭思考
物理や
数学的な

抽象思考に依存しやすい思考。
形骸的な学歴が弊害
かといっても、物理は≒古典力学に留まる程度の人物が圧倒的に多い。
カオス理論(2008年立証)とか量子力学(2012年立証)を鑑み及ぶまでに至る思考パターンは滅多にない。
アイザック・ニュートンは、「神の被造物の法則を探る」ことを科学とした。客観的合理的論理構成の走りだ。
質量的機械機能的思考枠

・カオス理論とは:「風が吹けば桶屋が儲かる」
の例え概念。
・量子力学とは:「光は波であり粒である」の概念。
未来や、想定外、に
備える人間的な労働
Art域労働
芸術労働

スキルや
パフォーマンスでは治まらない。
生命論的思考に併せ希望を産む
その法則や、製品サービスは、明確になりつつある。参考URLを参照=
ルネサンスが巨匠を産み出せなかった根拠&原因は、科学的法則性思考の欠如であったとされる。
はっきり言える事は、5次元の思考
(X・Y・Z+time+結合Connect)だ。

パフォーマンス
では、
[ひと目で凄い]技巧が優先。
その技巧を凝らす程に刹那感と孤独が増し加わる性格がある。

参考URL
アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=Art%E5%9F%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D#227-11
天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
https://soumubu1.blogspot.com/2021/09/after.html#233-08
3つの労働分野=労働分野 Art域 スキル技能 パフォーマンス職人技
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=%EF%BC%95%E6%AC%A1%E5%85%83#208-08
Art域労働=芸術労働の要件要素には、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=%EF%BC%95%E6%AC%A1%E5%85%83#208-20
頭脳労働のメカニズムの解明
https://soumubu1.blogspot.com/2013/12/blog-post.html#09

(概念表の注釈:多種多様性に係る要素)
それぞれの思考パターンは、その人に典型的な姿で現れるのではない。それは、マダラのように入り混じって象徴的に表現される。さらに水準の高い段階の思考パターンに進むほどに、知っていても名称だけとか、使っていても使い慣れていないとかで、中身や内実が受け止める側に伝わらないこととなる。流暢に言語の会話を交わしていても、全く中身のない内実もある訳だ。裁判官の判決文だとしても、司法研修所では「高校生に判る文章書け」と教育訓練されているにもかかわらず、明解に論述できていないことも多々あるのである。

Ⅰ.この概念表では、思考パターンの各段階が下のほうに行くに従っておおむね水準が高くなる。その高くなるという意味は、複雑に絡み合っているところの“思考の対象”となる物事を、上手に整理することができるというものだ。したがって、この概念表を念頭に置くことで、複雑な絡み合いを煩わしく感じるほど頭脳を酷使しなくなる。よって、限られた脳容量とか期限時刻が在っても、“脳や気力も疲れにくくなる”
のである。
Ⅱ.物事の視野を広げて別世界を観ていく準備をすることは重要だ。細かな情景でも、「達人は一手間かけている。」と言われるが、それが何なのか。そして、洞察力の真髄は、“素人とは異なる場所を観ている”とのことだ。が、それは何れの部分か。~そこで、脳神経作用を酷使すれば、セロトニンが不足するのは当然なのだ

★1.感覚と行為(体験)で知る、外部状況

★2.脳内の知覚による、内部(高度思考パターンによる整理)状況
この、2つを区別することによって、“血圧や体温”を一定に保つようになっていることが脳科学で解明されている。そのことによって、進化や人類の英知の基盤作用となる自己(個人)が、形成されているという訳だ。

★3.情報量は多いが、整理整頓されていない。
相手の細かい表情、声の様子、仕草などといったものを、受け取る側が脳内で各々に模倣して理解を尽くす、といった共感(共感作用+共感精度)。これが成されていない場合、情報量は多いが、要素がつかめない。もちろん聞いた話の要件すらも、ツマミ食いをするだけで把握が出来ていない。

先ずは全体像の要素をつかむ。~そのためには、
証拠や根拠では無くて。気持ちを話してもらうことである。
だが、証拠、証拠と、証拠ばかりを追い求めれば知が収斂(しゅうれん)する。
それでは視野を広げることにはならない。別世界を見る準備にもならない。

成長する知の樹木 次々と知識を習得する 「器」の作り方の例示
Ⅲ.Art域の創造とか芸術的作業ともなれば、自律・自由のもとに個性が宿り、自己が形成され、それが、受け手側に希望が湧くにいたることにつながり。互いの共感とともに希望をもたらす行為が、“物事”にて搬入されることとなるといった作用だ。
Ⅳ.そこで、“自由”とは、(幸せ、満足、厚生との関連も含め)『“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」とされ、そして、「“満足”とは=様々な集団の内部での、他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明を達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。』
         引用元=総務部メルマガ224号 2020/12/08発行
https://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post_8.html#224-04
 これが、現在最新の社会学や哲学において解明された内容である。もちろん論理構成は、社会科学とか精神科学(=昔で言う人文科学)であるから理性的なものである。これらは、“感覚と欲望“であるとか感情論といったものをも整理したうえでの、人類英知の成果なのだ。
Ⅴ.人間にとって、文化を経ることで形成された概念が、意欲や活力を産むのである。ただし、“活力”とはいっても、アインシュタインが“活力”自体を解明し、それは単なる「エネルギー交換」だとの文明的科学技術的な発見をするまでの幻想概念に過ぎなかった。したがって、“活力”の用語も、次第に使われなくなる運命にあった概念の一つには変わりはなかった。

Ⅵ.注釈Ⅵカントの指摘 哲学者カント(1724年~1804年)は、たとえ良かれと思ってものレトリックや詭弁について批判をしている。レトリックとは、日本では“修辞”と訳され、要するに、「言葉を適切に用い飾り立てることで、人を説得あるいは誤魔化す術として使われている。日本で有名なレトリックは、「漢字での“人(ジン)”とは、支え合う二人といった構成で出来ているから、人間は支え合うものだ。」と言った“縦社会を誤魔化す説句だ”。もとより、この“人(ジン)”の漢字は象形文字での、“歩く姿”である。こういった解り易いがために、主観的に物事を言い換えるためレトリックを使っている。詭弁とはレトリックの一部で、一般辞書にあるとおりだ(省略)。そこでカントは、「いくら分かりやすいといっても、キリスト教の聖書の内容を誤解させている。」と、当時のドイツ:カトリックの神父らを徹底して批判した。カントは、ドイツ:カトリック団体のから攻撃を受けたが、これを貫いた(これだけで、「カント」は反キリストだと決めつけた)。すなわち、レトリック=“修辞”は、客観的合理的論理構成とは真逆に用いられる中世の文化そのものなのだ。
1789年のフランス革命では、「迷信を聞くな!」が革命民衆の合言葉であった。イギリスではカトリック教会の神父が、旧約聖書の“膨大なStories”から、都合の良い部分だけツマミ食いして他人を抑え込む、“縦の人間関係”を、物語集『デカメロン』(Decameron)を用い批判している。日本でも、「嘘も方便」とのことでの、“嘘Stories”も、ここ数十年は滅多と聞かなくなった


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230509】
①『頑張り屋さんのための心が晴れる本』
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので、記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで毎月の掲載号と同じ)
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(むらおかコメント)
この本はHSP(HighlySensitivePerson)日本語では「とても繊細な人」と訳されているようだ。未だ精神科では病気とは考えられず、性格の異種と考えられている。だが、著者の私からすれば、これから日本を再興させるArt域労働に、実はとても適した人物性格かと推察される。ではなぜ、今になって注目視されているのかといえば、『私からすれば、ここ10数年で著しくなった(政治や宗教団体らの)全体主義によって、“日本の縦社会”の縛りが強化された結果だと考える。
職場や家庭における瓦解的摩擦の人間関係への癒しとかが、社会問題化するぐらい少なくなり、典型的なことになると、HSP「とても繊細な人」がパワハラの対象にされていると考えられるからだ。この本でも示すように、職場での人間関係が注目される。それは、職場や労使の紛争事案の政府統計を見ても納得する。
このHSPが病気と認定されないことから、具体的な病状況に対応してくれる体制はほとんどない。これに対して、この本の著者は医師の立場から、“現場受け入れ手法を極めて具体的に”書籍にまとめたのだ。すなわち、HSP「=とても繊細な人」からすれば、医師の代わりに、病院に通わずとも解決の一歩に資する具体策だとも考えられる。
日本再興の鍵となる“Art域労働”にとって、HSP「とても繊細な人」は、とても有能な人物に間違いはない。労働契約は、正規・非正規を問わず、パートタイマーでも良いし、1週3日の出勤でもよいし、とにかく仕事の質量そして顧客要望に応える能力がある人物たちなのだ。上司の言うことを聞かない、同僚などに歯向かうからといっても、彼彼女らは発達障害とは全く違うのだ。(診断も無く、発達障害者と決めつけ切り捨てする人物は、インテリだとしても極めて多い様相だ。
(出版社コメント)
大丈夫!あなたもう十分頑張っている。あとは癒されるだけ。
精一杯努力しているのに、何故かいつも空回りしてしまう。いつも自分だけが責任の重い仕事を押し付けられてしまう気がしている。他人の感情の起伏に人一倍敏感でいつも気を遣ってしまう。人に仕事を振るのが苦手で最後は自分で対応してしまう。本当はヘトヘトでギリギリな状態なのに、周りに気づいてもらえない……。など、仕事にプライベートに頑張りすぎてしまい、実は心の中が疲れ切ってしまっている人に向けて。心に沁みる言葉やもっと楽に生きるためのヒントやワークを紹介。イライラもモヤモヤも心地よいほどに溶けてゆく、読むだけで心が軽くなる頑張り屋さんのための究極の一冊(画像を含む)

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