2024/07/09

第267号:円安($1=¥300)と物価高に備える

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
“1ドル300円!”の円安為替相場に向く
貨幣は、如何なる人々にも自由をもたらしてくれる
量子物理学って、意外に簡単、もうやってたりして
 原理を知り、便利に応用するヒント(巷の話はムダと暴利の誘因)

(再掲載)新しい世界観(哲学)が求められる、と言われ、それ確かだ。
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240709】

§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
手元の預金は、Netバンキングの瞬時出し入れ可能なドル預金にする。
政府・日銀は、1ドル300円への成り行き任せ始め、インフレ政策に突入。
原油不足は早速インバウンド旅客減少に影響はじめ、
その他の輸入食材とか金属の、輸入制限動向。
Appleのジョブズは、イノベーションを、「同じモノ(物)の“新しい使い道”の提示だ」と示している。その影には、新しい=財貨、その造り方、市場開拓、半製品、ネットワークに至る“細かな思考”をめぐらす訳である。そこは経営者層と一般人の差異だ。
 金地金とか株式は突然価格暴落するから危ない。確かに新NISA経由の約15兆円が米国株購入(年初来150%に近い上昇銘柄)は、今のアメリカ株高&円安の一因とのことだが。新NISAとか確定拠出年金では、日本のインフレ(国内:通貨供給量の水増)政策に因って、諸物価は急に跳ね上がり、事業主と個人の将来収入は帳消しとなるのである。
 大手企業はじめ機関投資家は“一気にドル買い円売り”を目論んでいる。現在の購買力平価の均衡値は“$1=¥100”前後だ。ここで円の価値が下落($1=¥300)ともなれば、日本の国民生活水準は急降下、それは途上国並みに落ち込む。賃金&物価の好循環も吹き飛ぶ。国民の実質所得が減少し続け貧困化が進む。一部の輸出企業は潤うが、イノベーションの投資資金が回らない。個別企業も個人も傍観していては、終戦直後来の困難に陥る。残念なことは、与野党政治家も、人気評論家や学者も、現状メディアも、これらが理解できない水準である。今や国家官僚は“我が身の保身”だけだ。


§“1ドル300円!”の円安為替相場に向く
いよいよ本格的に動きだした。とにかく、
個別企業も個人も、手元預金を、“ドル預金”に回す事が
緊急得策だ。政府や財務省は、インフレ(促進)政策を一段と進め、
物価高2倍とか食料・物資不足など、
何のその成り行きに任せる政策にしたいようだ。
インフレ政策の意味と実態
A)昔から経済学の定義では、インフレーションとは、国内に出回り流通する通貨量を増やす政策のことで、故意にインフレを起こすことだ。物価が上がるからインフレだと説明するのも本末転倒の嘘。よく観れば経済学者でもなければ、無知な無責任な人物の話だ。政府は国債を発行して、銀行その他に持たせ、その分の通貨(紙幣やコイン)を印刷などして、政府からの代金支払いとか国民への給付金に当てれば、難なく流通通貨は増える。
B)反対に、デフレーションとは、国内に出まわり流通する通貨量を減らす政策である。デフレの場合は、その反対をすればいいという考え方だ。が、戦後に流通する通貨量削減の実行をした事は無い。
C)すなわち、物価が上がる理由は、国内の商品やサービス量は、さほど一気に増減はしないから、その時の“価値量”に対する通貨供給量(=より詳しく知りたい検索は、マネーサプライ)を増やし→通貨価値を目減りさせるわけだから、単位当たりの商品を買う際には、価値の低くなった通貨だから量が多くなるのだ。昔は、年末に国債を放出したから、必ず年末に物価が上がった。それが「師走の物価高」と言われた現象の原因だった。
D)インフレを起こせば“景気が良くなる”とのことはない。高度経済成長とかバブル経済政策に併せて、インフレを起こした事はあるが、それを→「インフレになったから物価高になり景気が良くなくなった。」と、嘘を並べ立てた輩(御用学者など)たちが居たからだ。その思惑は、“インフレ”とは“大衆課税”(高校の教科書に載っている)であるから、“国民への課税”を誤魔化すために言い出したのだろうか?
E)“大衆課税(インフレを起こす)”とは、消費税の引き上げ前には、もっぱら行っていた増税だ。今は消費税とダブルだ。そこには、税金も貨幣たる財も国は集めることなく、(貨幣ではなく)通貨を発行し、税金を集めたかのように、或いは貨幣価値の裏付けがあるかのように見せて、政府の支払い給付に充てることから、通貨価値の目減り分の税収が生じた分の価値(=国民の持つ財産や賃金が目減り)が、課税されたこととなり、それを政府が税収のごとく使うから=大衆課税なのだ。日本では、税金を払ったことが無いという人も子供でも、この大衆課税と消費税は、法律上は払ってないが、実態は負担をさせられているのだ。
F)「インフレが起こっても景気が悪い、物価も下がっている。(=51年前から生じたスタグフレーション)」という現象は、政府が済政策で足を引っ張るからであって、デフレでもなんでもない。国・都道府県・市町村自治体のそれぞれで、“経済を回すこと”で自由平等な経済成長に資するとしているシステムが、現在の社会制度である。そのためには、様々な産業育成政策、商品流通(交通)等のインフラ制度と整備政策、職業能力や労働力人口の育成保護、労働力需給政策その他あらゆる方策で、自由市場経済(資本主義)や自由平等を下支えする社会制度を進めることになっている。
G)だが、そこの部分で、実は、隠れて政府その他が、政策の足を引っ張ってきたからに過ぎない。物価高にあって売れなければ値下げ販売をするのだから、下支えも無く今一つ劣等品が売れないのは当然の成り行き、配給物資じゃぁないのだから消費者が何でも買うって訳ではない。それなりの合意形成もなされず、新自由主義を名乗り(刑事事件が必ず潜む特徴を含め)、“全体主義&封建的密室縦社会”による不正や隠蔽(いんぺい)が、目白押しとなり、あげく嘘にゴマカシに至るというわけだ。
今の日本政府には、
何らかの経済対策を打つ“余力も資金”も無くなってしまった。
アメリカを始めとして、多額の貸付(米国債買い付け)ばかりで、つかの間の“円高誘導”へ向かう手元資金すら無さそうである。もとより、経済対策の英知さえ編み出す意思もない。加えて野党といえば、経済対策や“金を使わない政策”といった知恵は元から無く、議席と得票と組織維持に気をつかうに過ぎない。
すなわち、経済政策のリーダーたるべき人物や組織が、事実上崩壊してしまっているのが今の日本の姿なのだ。それは、縦型組織の強権力を振り回していた企業や団体こそが、「世界金融資本→金の切れ目→縁の切れ目」とばかりに、
衰退し事実上の崩壊をしている様相の多い事での現れなのだ。

そこへ2週間余り前、「アメリカ連銀が、“裏で帳簿外の資金を作って金融相場に注入している”との情報Intelligence」が信頼できる筋から入ってきた。だとすると、今のアメリカの株高・債券高は今後かなり続く、かつ帳簿外で見えないのだから、少なくともこの不正は、アメリカの新しい大統領就任までは続く。非米側(BRICSなど)の独自経済圏が、そんなに早く成長することもないことから。
だから悠々と、1ドル300円の為替相場に向かうとの方向が見える訳だ。

話は、歴史に飛んで。
第二次世界大戦の開始(勃発ではない)前夜まで、国際金融システムの発展していった、ドイツとフランス、その国境付近(アルザス=ロレーヌ)では、全財産を持ち、家財道具も荷車に積み、マルク(ドイツ通貨)とフラン(フランス通貨)の為替変動に合わせて、国境間を移動移住する家族たちが多くいた。安定した職業が無いばかりか、通貨の為替差益での生活防衛こそが、この国境付近では重要視をされていた。今の日本では、インフレ(大衆課税)政策の被害を受けるも、企業(経営者の団結権)に個々人では、金融や通貨政策における自律は認められてはおらず犠牲を強いられるばかりだから、唯一の、“他人や家族に迷惑がかからない”かつ正当な自己防衛は、為替差損取引程度しかないのである。
自ら自律して、自ら情報収集からNetバンキング作業にまで携わり、基本的な(社会科学)経済学(社会科学)を頼りに、自己防衛することが最も重要な柱である。証券取引とか、NISA(節税?)、FX(Foreign Exchange外国為替)にあっては、営利優先の手数料企業?を通してでは、それが始まった明治時代以降を通して、顧客の“身を守る”こと自体が成し遂げられたとは、そんな知識も経験も私にはない。

基本的な(社会科学)経済学に頼れば、
私も含め、一昨年の為替差益は、
春~秋の間、30%(放置)~+40%(細目な投資)
そして今年の1~6月で+10%(放置のままで)増益
~こういった“利益確定&入金済”体験者のアドバイスか否か
それとは違う輩は、手数料稼ぎとその手下だ。
政府のインフレ政策で、通貨価値を今から半分程度に落とす(物価は平均2倍)ことに対して、事業や生活の防衛には、焼け石に水かもしれない。成人の誰もが“通貨発行権”はあっても、誰も相手にしてくれないだろうから……。

§貨幣は、如何なる人々にも自由をもたらしてくれる
A)それは、大人から子供(子は親の所有物ではない)に至るまで関係なく平等に、それなりに与えてくれる。この場合の、それなりにとは、与えられるチャンスの多さ、与えられる貨幣数量、そして、その人の価値観や技術による合理的効率的な使い道である。
B)また、よく会話に使用される“自由”の言語(共に英語)は、開放Liberty、もしくは自由Freedom(何れの束縛も規制も受けない身近な概念)の、2つの意味を使い分けている。ところが日本では、この2つの言語を、日本の縦型封建制度を明治維新以後も引き継ぐために、「自由」と合わせて誤訳(福沢諭吉)たに過ぎない。いつも話す、“IntelligenceとInformation”も区別せずに、「情報」と誤訳(森鴎外=全くの無知無能とは考えられず)などと、曖昧で似通った誤訳(言語)なのだ。すなわち、こういった、“貨幣に係る自由平等”が重視され、その自由をも保つためにも“社会”といった制度を形成して、現代の文明Civilizationとされている訳だ。ちなみに、日本の今の法律概念では、「社会正義」と言えば「自由平等」を指すのである。
C)さて、デジタル通貨とか、そのマイナンバー関連となれば、この自由平等が果たせない物事に制度転換する。まず、“通貨”と名が付き、“体”となれば、それは、“通貨(紙幣、電子マネー、コイン、手形その他金券など)”は、
その使用方法を、“悪徳や怠惰”の可能性に敢えて晒すことで、
自由に係る枠をはめ、自由や幸せのチャンスや空間を破壊し、
社会制度下にあっても、
他人の支配や身分(ステータス)での区分けの道具と化す
“カラクリ(特例制度)”を意味しているのだ。
D)そういった社会制度下の特例だから、貨幣ではなく、“通貨”に関わる制度や契約は、必ず法律で、「その人の任意」あるいは、「担保された、“その人の自由意思”」といった枠組みと成っているのだ。★★要するに、“カラクリ制度側”は、相手の人の自由を制限するわけだから、誘引手段の“はした金銭”とか、同調圧力で以て、本人の自由(任意希望)であることを、十二分に“明言&周知”せずに、(今の日本政府の如く)“誘引行為”をするに至るわけだ。
E)そんな人たちは、明治維新以後も続く「縦型封建制」ばかりが頭から離れないわけだから、学問や学術界を敵にする。彼らは、明確に語る学者は、大学教授を始め、教育・育成界でも、チャンスがあれば排除をしようとする。さらに、津々浦々:町内会(日本の法令では、希望者のみが集まるサークル)に至るまで、明解な人物は、とにかく「縦型封建制」は排除しようとする。1789年からのフランス市民革命では、「迷信は聞くな」との呼びかけが、市民や農民ら向けになされた。
政府のマイナンバー関連ともなれば、
物品配給回数券とか、政府の配給切符の統制だ。
統制だから、便利ではない。開放Libertyが無いのだ。
表面はデジタル風でも、中身は配給切符並みだ。
開放Libertyがない状態は、他人が決めた道筋を走るだけだから、便利にも観えやすい。だが、実のところは目に見えない檻(おり)に囲われている。「“気がね”も慣れれば気にならず」、他人の決めたパターンでも、自らに向けて→、自己欺瞞(じこぎまん)をすれば、心底便利だと感じるように飼育された者に陥ってしまうのだ。ロボットは開発経費に多額の費用を要するが、人間の飼育や洗脳は、同調圧力や恐怖感で自己欺瞞(じこぎまん)を、最初の一歩にさせれば、極めて安価に“人間をおとしめること”が出来るのである。
檻(おり)に囲われていては、イノベーションは生まれない。
まして、人類の進歩など起きるわけがない。
そして、現代最先端の哲学では、「善悪の判断は、
「人類進歩に資するか否か。」だとされている。」


§量子物理学って、意外に簡単、もうやってたりして
 原理を知り、便利に応用するヒント(巷の話はムダと暴利の誘因)

イ)様々に成功を収める人物の着想は、当人の自覚なく、量子物理学に似た方法を繰り返している。「量子力学、量子論、量子物理学その他」類似名称が数多いのは、今もなお論争の真っ只中にあり、論争するために、特徴の異質性を強調したいがための、(当人は真剣だからしても)、ラベルとかレッテルの違い程度なのである。量子コンピューターの“御名前”も然り。更には、高額商品に仕立て上げて売りつけようとしたい動機から、崇高な物理論だとか、一般人には無用の長物の“難解な数式”等を、を引っ張り出すわけだ。(例えば)「同じ統計数値でも、小数点以下2桁を示す。」と、その手法で、勉強嫌いの人物を誤魔化せるとか、より正確に計測した幻想を持たせられるといった狙いと同じく、言語使用レトリック(ごまかし)に過ぎない。ちなみに“AI”との名称も、新商品概念として名付けたと、開発者本人が話している。
ロ)ところが、量子物理学の理論構築では、ほとんどの受賞者や学者の着想や認知は、実に、社会学とか社会習慣に社会動向、政治動向などの学術概念をヒントにしているとのことだ。けっして、その分野の物理学の中で閉鎖的に着想されたものではない。その理由は簡単で、全くの別世界に近い話を、学者も含め社会一般的に理解されるとか通じることが不可欠であるから、「認知方法は人間の心的生活における意味の世界」につなげて論議し話を進めたとの“手法・方法”に他ならないからだ。アインシュタインやノーバート・ウイナー(サイバネティックスCybernetics)は、そういった有名ところの人物だ。
【参考書籍:世界は関係で出来ている美しくも過激な量子論=NHK出版】
ハ)量子物理学は科学的(=何時でも、何処でも、誰にでも通用する法則)である。その着想の視点と方法は、現実・現場を観て気付くものであり、それに気付くのは人間の体験・共振・発見、或いは“アプリオリ”が伴っている。それは、相互依存関係なのか、それとも偶発的な出来事なのか、それら何れにしても、ここで初めての“存在確認”が成され、こういった情報とか思考が、他人と共にやり取りされ=共有(分けっこShare)することから、→文化として定着したわけだ。これらは、自然界の物事ではあるが、人間の心的生活における意味の世界とつながっている。その理由はここにある。そして、ここでは、
“事実”と“事実関係”の各々の区別とか、
IntelligenceとInformationの区別を、
ハッキリ付けた思考方法を人類は用いてきた訳だ。
(日本では“事実や情報”と誤訳が大弊害をもたらした。)
イノベーションも、政府の技術刷新の誤訳:大弊害だった。
ニ)「知識は経験と観察に基づくべきである。」と言う思考方法は、ジョン・ロックやニュートン以後の古典的物理学の柱である。だが古典力学における必然というのは、単なる確率の範囲であることが明らかになった。古い物理学が提供した世界像は、決して明瞭で確固としたものではなく、実は幻(まぼろし=観念)だったのだ。要するに、言語と論議といった観念では、物事を解すことが出来ない(知識偏重主義とかスマホ認知症など)のである。=これが最新の物理学の到達点である。例を挙げれば、量子物理学では、「光は粒であり波である。」となるのだが、これとて、その量子物理学の認識方法は、人間の目には見えないが、認知方法は人間の心的生活における意味の世界とつながっているもので解明できたのだ。
「粒であり波」とは、有能な人材の活用(粒)と、明確な理念と方向(波)こそが、事業経営ばかりか地方自治に町づくりといった、人間の動きの重要ポイントなのだ。
ホ)世界という物を、「関係論的な属性とか関係が織りなすもの(量子物理学的視点)」といった観点から観ると、古典的物理学と現実・現場で起こっている物事との隔たりも、それほど深刻な課題とは見えなくなる。無理矢理に「物質と運動」といった古典的観念に収めなくとも、相互作用が織りなす複雑構造から生じる“自然現象”と見て研究すれば良いというわけだ。
ヘ)そして、人間の脳は、大量の情報処理に関しても極めて有能であることが、神経科学の研究で発見された。それは、一般的な“思い込みや予測”とは大きく反していた(人間の洞察力の源)人間の視覚機能は、目前の光を受けて様々な色とか陰影の区切りの情報認識をし、→物体を認識すると思われていたが、そうではなかった。実際には、目の前に見えそうな物を脳が予測し、目に映るはずのモノを予測して、実はその予測(ある意味の幻覚)と違っていたモノだけが、脳に知らされる機能(現実・現場の職の技術技能…AI化は出来ない)になっていたのだ。実はこの方法こそが最も効果的効率的な方式であり、脳が既に知っている情報をいちいち送る(再送する)のは無駄ということが解っているのだ。(現AIの画像ファイル圧縮技術は既に、この神経科学の発見よりも以前に導入をしていた)すなわち、人間の“あたりを見回す”といった行動は、初動の“観察との方法”ではなかった。人間の予測や脳の幻覚の“修正の為”であるとのことだった。こういった脳の機能は量子物理学と極めてマッチし、そのものだった訳だ。~という事は、今流のAIによる“ビッグデータ収集”とか、“AIチャット”その他、“今風の様々なデジタル化”を煽る商品やシステムとか、“(似非)量子コンピューター名目”での、【現在の一般的概念水準】も、それは、飛んでもなく極めて非効率かつ幼稚で人間の脳を劣化させる代物という訳だ。そういった、マイナンバーなど日本政府が始めとする「デジタル化だ!」という【現在の一般的概念水準】であるか、らこそ、非効率&無駄システム(これは実にDX=Digital Transformationにも非ず)、【“旧来システム集積”&“そのムダ金見積り水増し”】だ、との真相への指摘は否めない。
ちなみに、雇用保険番号は、全国統一の過去7年に渡る就業事業所の記録が整っている。~それは、警察の指名手配での出社会社職場の特定に用いられている。
医療情報は、既に医療情報として病院や医師間で活用され、マイナンバーの紐づけは不要だ。診療報酬も健保番号で集計されている。
まして、マイナンバーは、希望者に限る任意(自由)の届け出・提出の法律の建付けだから、「不自由な檻(おり)に囲われたい」希望者だけのシステムだから、先ほど述べた“ビッグデータ収集”にも至らない、無駄なシステム事業費(誰が儲かる)でもあるのだ。

§(再掲載)新しい世界観(哲学)が求められる、と言われ、それ確かだ。
所詮、現在広く流布し用いられている世界観(=哲学)の多くは、日本の義務教育の開始、1686年(明治19年)の138年前の物事や経験内容を、今もなお引きずって(坂本龍馬の話の好きな人が多いように)いるのである。イギリス(1891年)とかフランス(1881年)の義務教育開始と肩を並べるものの、世界金融資本経済に基づき、かつ戦後日本も“富国強兵”の柱を残存させているから、「(殊に英米社会ルールに重きを置く)一般的科学的労働の担い手を育てる制度」としては不備・異質で、世界の時代動静動向に合わないのである。
戦後の教育改革といえども(GHQが軍国思想者は排除しても、具体的な術(すべ)や方式を導入せず、むしろ戦前慣習を温存し)、実際の義務教育現場では、(一部に今もなお)陸海軍方式や術が残って(これが、イジメやハラスメントを温存して)いる。この、教育現場の温存に目が向かなかった(隠された教育現場を知らない)限りは、左派革新野党であろうが右翼右派であろうが、“福祉や国家の“論”を説き、“教育の問題だ”との逃げ口上に走る。”ことにしかならないのである。
だが、それでは実際の経済や経営の現場に携わる、経営者や管理者にとっては、そんなことでは、実務教育としては役立たないし、済まされない。そこで、~
★★哲学を踏まえての、私なりに整理した“新しい世界観(哲学)の例示”を示すこととした。その及ぶ範囲は、経済経営、事業組織(経営者の団結権)、生産・流通(交通)、地方自治(住民サービス)、自由平等のための自律や社会制度、そして家庭内(子供は親の所有物ではない)にまで至る。この部分から、「チャンスを手につかむヒント」の“閃き”になるであろう。
★★まずは、試しに以下の、“新しい世界観(哲学)の例示”を読んでいただき、現在の最先端科学【自然科学・精神(人文)科学、社会科学】に触れて、過去の因縁に基づく思考や具体策から、或いは読者の心の中からの、→あなた個人・独自の“新しい哲学(例示)”を思考していただきたいと考える。
“新しい世界観(哲学)例示”20240604記
  貨幣(お金)、少なくとも細やかながらも自由を手に入れられる。
世間体や周囲からの不自由とかからの、自由な立場での自律(解放)を、さらに拡張し広げられる。
  幸せとは、好きな人と一緒に暮らすとか、一緒に仕事をできているとか、一緒に遊んで快楽を愉快に楽しむといった、様々な人間関係を、束の間であれ創っている事と言える。
  その基盤には、共感Empathyを基に、計画を立てて、自由平等のための社会制度を築き守るといったようなものが、現在の人権と到達点である。
だが、通貨は貨幣の融通や濫用を引き起こすための道具である。
  “通貨(紙幣、電子マネー、コイン、手形その他金券)”は、その使用方法を“悪徳や怠惰”に晒すことで、自由に係る枠をはめ、幸せのチャンスや空間を破壊し、社会制度が他人の支配や身分(ステータス)での区分けの道具と化す。
  そうなると、共感Empathyではなく、“同調”を互いに強いられることに陥る。それは、家庭内から自治体(住民サービス)、企業や職場、宗教団体その他、ありとあらゆる人間関係にまでに“同調”を互いに強いられ暗闇に及ぶ。
  “一神教(キリスト教、イスラム教、明治以後の浄土真宗など)”にあっても、何人であっても同様に平等であるから、貨幣が普及して→その通貨がモノを言い始めることに因って生まれ成長している宗教に他ならない。要するに、“貨幣支配(=物神)”が立ち遅れた状況の地域では、多神教は長らく生き残る。これらも経済学や商品論理を知る研究者にとっては周知のことである。
  そもそも人間は、二人だけの関係であれば、哲学は無い。赤ちゃんが生まれることを始めとして家族が三人以上となれば、そこに初めて哲学が持ち込まれることとなる。しかるに、“同調を強いたり”とか“親の子供所有権”を社会制度で防止しなければ、自由・平等・解放・幸せなどが崩壊することとなり、全てにおいて同調(家父長制化)を相互に、細かく求められる事態に陥る。
  「子供は親の所有物ではない。」とは、文明社会の先駆け名誉革命の際の国家の法の支配(自由平等のこと)を説いた、ジョン・ロック(英国)の、名言である。
(注)哲学とは、個人の気分感情を、各々が気ままに示すこととは違う。
その基本姿勢は、古代からの考え方を歴史的に並べ覚える事(受験勉強)なんかでもない。“自由平等&精神的解放”といったものを、科学的(何時でも・何処でも・誰でもが・使える法則=宗教とは異なる)に整理し、考え直す学問である。ちなみに“善悪”とは、古代ヘブライ人が発明した判断基準である。そして現代では、「人類進歩に資するか否か」が重要な柱として発展している。哲学や憲法で用いられる“良心Conscience(英仏語同じ)”とは、善悪(又は孟子の言う良心)とは関係ない。そもそもは、「(旧来からの宗教観としての)神に対する正直な心のあり方」を、自由平等のために“社会”という制度の活用した際に、文明Civilizationの精神的柱として用いたとの歴史を知れば理解しやすい。そして驚くことにCivilizationの語源はCivility(礼儀正しさ)であり先行使用(フランスでは迷信を聴くなの合言葉と共に)をされたのだ。なお、科学を「物理学と数学で解釈することだ。」と解するのはドイツ流の(戦時中のナチスらの)偏見であった。

「AIは、経営管理と人材活用を重点に、個々に導入」
目先で効果的なAI導入(前月号)に飛びます。
https://soumubu1.blogspot.com/2024/06/blog-post.html#266-08


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240709】
今月も、お勧めできる書籍は有りません。YouTube動画も然り。大阪市立図書館の新蔵書情報とか、出版物要約情報など流し見をしていますが、いわゆる、物事への批判とか、知識の羅列といった、ある意味“惰性的出版物”が、ここ最近目立つように感じます。なかなか、創造的かつ開拓的な出版物が減ってきているのでしょうか。