2024/09/03

第269号:新経済に迷信は邪魔だ

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
心理学の最先端科学で、タテ型組織に横行する迷信を排除
  ・嗜好(しこう)癖(くせ)嗜(たしな)みの心理
  ・マズローの欲求段階説とは
  ・発達障害とか自閉症など
  ・パーソナリティ【personality】とは
  ・カスタマーハラスメントにしても
  ・熟練者の“暗黙知”や“結果予期コントロール”の形成
猛暑温暖へ、衣食住の対応は、緊急の地産地消の柱
  【緊急の地産地消の柱】 イ)~ホ)の、5つの事例
世界一安い賃金で働く(日本?の)家畜者(学問随筆)


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
危険危機は、注意するのではなく、予見予期してコントロールをする。
  情報とは、出所の異なる3つが一致すれば信じてよいもの。
    円ドル相場の、相場かけ引きに、振り回されないこと。
政治や選挙で、経営や生活が良くなったことは無い。新制度の実行だ


§心理学の最先端科学で、タテ型組織に横行する迷信を排除
¶嗜好(しこう)癖(くせ)嗜(たしな)みの心理
世界の心理学を整理してみた。そこには、一般的に様々な思考や文化的要素が語られるのであるが、実際には身も蓋もない、「結果予期(結果に望む物)」なのであった。
ギャンブル行動
金銭的な利益を得ることや報酬、依存症の柱でもある。
喫煙に関して
感情コントロール。手持ち無沙汰の解消。(若者は)自分をより魅力的に、より社会的に認められるよう。
飲酒に関して
周囲の人と親密になる。緊張緩和。自らの魅力向上(血中アルコール濃度)。一時的な不安定。性的な興奮その他社会的関係のコントロール。
カフェイン/コーヒーや入れ立て茶
集中力の向上。身体機能の向上。社交性の向上。飲食の抑制。(医薬系の興奮剤や鎮静剤を除く)。

¶マズローの欲求段階説とは、
前にも述べたが、この説で以て彼がノーベル賞を受賞した訳ではない。それが日本政府の扱いは、科学や学術界とは異なり、事実上の迷信である。それは、介護士の国家試験に、未だ出題されているのだ。事業の経営管理や人事部門でも、今もなお不勉強な講師が、この迷信を解説しているのである。
心理学術界の最新評価は次のとおりだ。
マズローの欲求段階説の問題点としては、実証的な検証が困難な点が挙げられます。この理論を支持する客観的なデータはまだ得られていません。しかし、この理論は心理学以外の分野でも欲求に関する研究の基礎として応用されています。
食欲は基本的で生理的なものであると捉えられています。食欲によって引き起こされる「食べる」という行動は、本能的行動あるいは生物的行動であると考えられていたため、…略…しかしながら、近年では、様々な分野からのアプローチよって、食行動が単なる本能的行動ではないことが明らかになってきています。
(『心理学概論アップデート』p.82から引用-ミネルヴァ書房:2024年4月30日発行)

¶発達障害とか自閉症など、
これらは近頃話題となっている。が、これら精神医学的病名とは、あくまで表面に現れた現象の分類をしただけである。まして、医学は学術界では科学(何時でも、何処でも、誰でも用いれ可能な法則)としては、扱われていない。
そういった事情や状況を無視して、全体主義者や「思想信条が一致しないと気に食わない」者らが、グループや人間関係から排除する為とか、差別を他人に誘引する為とかで、発達障害とか自閉症その他を乱用する、その要因には、とかく筆者の経験からからすれば、(紛争における、単なる権利や自由の主張にもかかわらず)、少なくない精神科医は様々な“病名”で判断したがる傾向(これは18世紀のフランス市民革命以前には“患者強制隔離推進”が存在した)が強いと思われる。

¶パーソナリティ【personality】とは、
ラテン語の仮面Personaから、精神科医のユング(哲学)が、要するに、「仮面をつけ演出する」概念のイメージとして導入した後に流行語として成している程度の現状だ。したがって百人百様のイメージで以て会話がなされているに過ぎない。だから、共通概念があるわけでもなく、相互に共感Empathy(ミラーニューロン)を生むものでもない。厳しく言えば、よく解析できないから誤魔化すために用いられる言語である。もちろん科学(何時でも・何処でも・誰でも)には至らないから、心理学上の定義も未だにない、と言うか“在り得ない”のだ。とにかく、事実一致性&合理一貫性が脆弱で、裏付けに足る統計とか実証研究が揃わないのである。

¶カスタマーハラスメントにしても、
その原因の多くが、接客教育訓練の不備による状況がほとんどだ。そういった現場で安易に、顧客や社員の発達障害とか自閉症などが原因といった、根拠のない思考や迷信が渦巻いている。とにかく販売営業の分野でも、全体主義者や「思想信条が一致しないと気に食わない」者(お局を含む)らがのさばっている訳だ。この真底を観ないで、教育訓練を受験勉強の如く表層実施するものだから、いわゆる長期記憶が形成されず、熟練が培われる訳がないのだ。カスタマーハラスメントも、鏡に映し出された経営者の姿であり未熟経営なのである。

心理学における語句の説明は、次のとおりだ。
 性格
性格とパーソナリティは同義に扱われがちだが、厳密には、これらは異なる概念である。性格は生まれつきの気質に様々な経験が加わって形成されるもので、日常この性格とほぼ同義である。パーソナリティは、正確にさらに知能といった知的能力に関する個人差が加わったより広い概念である。パーソナリティ研究において、性格とパーソナリティは同義に扱われるものである。
 気質
パーソナリティの基盤となる、情動反応に関する生まれつきの個人差を指す。遺伝的・生物学的・神経学的な基盤を有し、生化学的変化や新陳代謝に関係するものである。後天的に変化しない
(『心理学概論アップデート』p.118から引用-ミネルヴァ書房:2024年4月30日発行)

¶熟練者の“暗黙知”や“結果予期コントロール”の形成
これは、偏に“長期記憶の蓄積”と“結果予期コントロール”なの(注意をすることに非ず)である。試験のための学習では記憶に残らない。“発達障害だ”と差別される成人には、私筆者の経験でも、記憶に残らないことによる無知で以て、知識の連合どころか長期記憶が残っていないケースが目立つ。なお、脳内記憶の伝達部位に有効なアミノ酸とは、グルタミン酸ナトリウム(味の素=過剰毒性は1.5g/日)とのことだ。
(短期記憶から長期記憶に移行する)記憶の過程
短期記憶から長期記憶への移行に際しては、
イ)特定の刺激に注意を向けることが必要です。
ロ)これに加え、繰り返し唱えること(リハーサル:rehearsal)
ハ)いくつかの事柄にまとまりを見出すこと(体制化:organization)
ニ)より詳しく知ること(精微化:elaboration)
ホ)などの情報処理が積極的に行われ既存の知識と連合すると、
ヘ)情報が長期記憶として定着することに有効にはたらきます。
ト)また視覚的なイメージを利用することも記憶の定着に有効です。
(『心理学概論アップデート』p.35から引用-ミネルヴァ書房:2024年4月30日発行)


§猛暑温暖へ、衣食住の対応は、緊急の地産地消の柱
今年も来年も夏は暑い、それは少なくとも30年、そして50年はそれが続くとのことだ。その理由は、「大気中の“二酸化炭素CO2”の増加」とのことだ。ちなみにカオス(混沌とか無秩序)の言葉は、気象関係の解析から用いられ、今やコンピュータやSNSの世界に広がっている。それはともかく、このメルマガ筆者の私は、気象の専門家ではないので、この動画は極めて解りやすい(推薦)から、これを見て、前提となる知識を得て欲しい。①超大型コンピューター計算で、裏付けが取れたとのことである。②“CO2温室効果”であり、CO2は徐々にしか減らないとのことで、猛暑と水害が長引くとのことだ。なお気象専門家だから細かく具体的な話はない。
https://youtu.be/xzbUItBTwSw?si=7iJ5cnCIRXZDVaKB&t=87

緊急の地産地消の柱
イ)住居の断熱処置は、電気水道代より安い。住居の東西と南側に、先ずは遮光ネットを数メートルに渡り取り付けること(数千円)だ。壁とか屋根は、根本から断絶リフォームをするしか方法はない。そして費用がかかりすぎる。地方であれば、築70年超の瓦と土や土壁の“涼しさ重視の家屋”も空き家として残っており、転居した方が早い。或いは、手のひらサイズの葉が茂る成長の早い樹木(赤芽槲アカメガシワ)とか、急成長樹木(栴檀センダン)を南側に植えることだ。風通しをして概ねエアコン不要だ。










ロ)新しい温暖に合わせた、新しい農作物(品種改良では間に合わない)の供給が始まる。新しい料理方法も生まれ、それこそ地産地消ある。大量の農産物を一気に栽培し運び込む“配給方式”では、益々採算が合わなくなるのだ。

ハ)温暖に合わせた衣類も開発される。様々な天然繊維素材が見直される。この分野でも大量生産ではなく、再発見されることとなり、気候に合わせた衣類工夫が地産地消で現れる。長持ちする原材料はネットで取り寄せる方式も地産地消だ。何よりも、お金の流れは同調圧力ではなく、創造・クリエイティブと自由・平等と流れるからである。様々な絹織とか麻は、とても涼しい。

ニ)“猛暑と水害”は、地震対策等と同じだ。地震の場合でも、避難よりも先ず先に、(能登半島地震の教訓から=)違法建築の見極め、手抜き土木工事の洗い出しが先決なのである。今後長期にわたり、不動産中古物件は値下がり続け、優良高級な空き家も残り続ける、実はここにもチャンスがある。

ホ)ところで、カオスの世界に対応するには、「風が吹けば桶屋が儲かる」といった概念だから、古典的物理学(確率のみ)とか量子物理学(現実対応式)への経験だけの対応は難しい。ところが、過去に経験した失敗を蓄積し、ことに「やはりあの時、そうしとけばよかったのに~。」といった反省の蓄積による“成功確率の向上”が決め手だと言われている。今回は紹介しないが、現に経済学の一部では成功し、経済政策手法として用いられているものもあるのだ。


§世界一安い賃金で働く(日本?の)家畜者(学問随筆)
そういった家畜者の労働や労働力を柱にした自由市場経済は、そもそも成り立たない。自由市場の商品経済が芽吹きだしてからの、おおよそ500年を観れば、経済学の解明を待たずとも、一目瞭然であったから、経験知として一貫して避けたのである。日本でも江戸幕府は早々に、“奉公人制度”を実行し、(各大名の“奴隷所有に因る力量”を削ぐためとはいえ)、奴隷制度や奴隷輸出を禁止したのであった。そもそも、ヨーロッパでは自由平等の社会形成(文明Civilization)と共に、奴隷制ではなく、労働力の売買(賃労働)が定着したのである。そこでは、農奴や封建的下層職人の人達は、土地等に縛られた状態から解放(とはいっても当時は乱暴)され、(細やかながらも)都市の自由市場&自由を求めたのである。=このことは、様々な激動と重なったために評価は様々ではあるが、それなりの自由を求め都市に集まり、少なくとも土地などから解放され、少なくとも労働力を取引するとして、微々たるも自由を得たことには間違いは無い。
~近年では、奴隷とか“家畜者”の復活を目論見たのは、ナチス:ドイツの、「ポーランドの農民を拉致しドイツへ連行し、ドイツの農家で働かせる。」との選挙政策でヒトラーが政権を握ったことか、ユダヤ人らを拉致収容して(「労働すれば自由になる」と看板に掲げて)強制労働させるとか、そして日本軍が南方諸島に攻め入って農地等を占領し、経営者を本土から親戚を送り込んで利益を巻き上げた……といった“愚かの悪徳の極”の経済政策でしかない。
くどいようだが、くれぐれも、「仕事に携わる人達にも自由がなければ、人間関係の市場にあって、自由市場は成り立たない。」という歴史の事実だ。~だから、自由市場主義(現代はマルクスが名づけた“資本主義”が有名)の発展は、常に最先端現場や末端の自由さが、人事管理や組織統制の底流には、“大きくも繊細に流れる”わけだ。ことに、その繊細さを失えば、自ずと旧ソ連のレーニンやスターリン、あるいは満州国産業部次長:岸信介(行政運営は日本の商工省が)といった、統制?の失策に至るのだ。
https://youtu.be/FjskP6C9BY0?si=hglAsEr6-2jOxJmw&t=155
そのような“家畜者”の増加に、依拠しようとする経済政策が、
(ア)とんでもなく間違いなのである。巷のマスコミでは迷信がはびこり、今もなお「非正規社員とか労働者派遣法(1986年)が低賃金を招いた。」と言った論理不明な“間違い迷信”を流している。
(イ)だが、派遣法施行当初からの女性派遣労働者の賃金は、当時の“パートタイマーの2倍以上の相場”であり、あの時代に結婚やセクハラ退職に追いやられた女性の、“失業雇用対策”として機能し、男女雇用機会均等法と相まって、一気に女性の社会進出のきっかけに成った。『労働省と全国労組の対峙の末(その時に筆者は巻き込まれていたからよく知っている)』なのである。
(ウ)正解は、巷マスコミの言う在りもしない現象(迷信)というのは、1999年の、派遣業種の原則自由化=改正(改悪)に端を発している。労働省は、異様にも、「新しい派遣法」と称して、それまでの派遣法のイメージを消すための大PRを行った。その折は、当の派遣業界とか、“1986年施行”の際に派遣法制定に貢献した、政府側も含め、ほぼ全ての関与学者その他関係当事者の反対を押しきって、派遣業務自由化へ改悪をしたのだ。その時も、当時の社会・共産といった野党は改悪に反対する運動を繰り広げることはなく、無視をして、派遣法制定(1986年)のときの静観すらもしなかった。その時、筆者の私は、労働者派遣業界の依頼を受け、関連論文を執筆(全国主な工場などに、2万冊を2回に渡りに業界が配布)した。そのことで、1999年まで改悪法案を約2年間の先延ばしにはさせたが。

日本では主だった資源は、未だ開発されてない。
a.室町時代あたりから、惣(惣村)とか郷(惣郷)と言った、自治権を確保した村落を中心に、“いわゆる商品”の生産流通が活発になったと思われる。いろいろな仕事をする職人の数が増えるに連れて手工業の技術も進歩してきた。室町時代の京都には、琵琶湖周辺や播磨地方から、多くの衣食住に係る手工業商品が運び込まれるようになった。同時に、各地に手工業の中心地が出来、地方ごとに特産品がつくられるように成って行った。特産品は、その後、だんだん数が増え、「どこの国の名物は何。」と評判になるようになっていった。

b.この傾向の過程は、日本だけではなく欧州その他でも同様のようだ。それらは様々な経済学でも研究されてきた。自由市場経済が大々的に導入出来た、フランス市民革命とその後において、スタール夫人(1766年~1817年)=ルイ16世の財務大臣の娘で、ナポレオンの相談相手でもあった(Madamede Staël:百科全書派)が、ドイツの経済学者との論争で、「商品における利潤の高さは、言語や言語の違い。」だとはっきりと述べ、フランスやドイツの経済や政治に大きな影響を与えた。

c.そこではっきりと分かっているものは、単位経済圏を超えて流通する商品は、基本的に地方ごとの“少なくとも特産品”であった。その特産品との認識がなければ、「商品として(貨幣を基盤とした)通貨を用いての交換にまでは至らなかった。経済学の研究では、特産品だと認識されるような、固有の文化価値が含まれなければ成り立たないとされる。その固有文化価値がなければ、単なる品物であって、そうでなければ、単なる物資とか配給物資とか軍事物資であり、自由市場に持ち込まれることは無い。自由市場に出回る商品、ことに利潤率の高い商品ともなれば、原材料などの仕入れはともかく、その地域で培われた労働による生産や加工によって、総じて抽象的に言えば、「その地域の固有文化価値が込められて」、やっと商品となり特産品にも数えられるもなるのである。ここに、単なる物資とか配給品物だけでは、自由を伴う日常生活は出来ないといった、人類の発明開発した“商品生産”や“商品経済”といった科学技術や社会運営技術とともに、社会体制を経ているのである。

d.ここに挙げた、単位経済圏の固有文化の影響は、商品にまつわる事柄にとどまらず、今もなお地域社会全般の、子どもの基礎教育にも影響を与えている。最も重要な再生産は子どもであり子育てであり、その地域の方言に該当する言語の成り立ちや言葉遣いは、幼少や児童期に形成される世界観とか立ち居振る舞いを形成していることは否めない。いわゆる近江商人が、同郷の人物しか採用しなかったことは、戦後しばらく高度経済成長以前までは当たり前のことであって、その理由としては「話の調子(テンポ)や把握の広さ深さが合わない。」というものである。教育は共同体的なものであり、その一部は学校にゆだねられるが、人間は商品ではないけれども、その地域に育てば、その固有文化を体得して、近江商人などは出身地を離れ活躍するのである。(なお、西武グループ、平和堂は、近江商人ではない。日本通運は近江商人の専属運送業者であった。滋賀だからと言っても近江商人ではない。本来、武・農・商の一体である。)

e.筆者の私自信が大阪弁の源流の地(司馬遼太郎:説)出身、大坂も彦根もない時代の地の出身(近江商人)であるから如実に感じるわけだ。先ほどの「話の調子(テンポ)や把握の広さ深さが合わない。」で言えば、早くて情報通に、どの子も育つのである。とにかく、中世から惣(惣村)とか郷(惣郷)といった自治権を確保して、その基に寺子屋教育に何百年も熱心であり、日本中の商業を扱った関係の基に、引き継ぐ子孫の子育てをするわけであるから、家畜者には決して育っていないのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E6%9D%91


大金融資本投資とは、
第一節  世界的な動きとしての『安い賃金で働く“家畜者”の増加』を、表面だけを真似て、経済学の真髄を無視して、サプライチェーンとかグローバル展開を行った輩のモノだった。もとより経済活動の発展とは、最終消費者が、“貨幣を基盤とした通貨”の使用でもって、「平等であるからこそ、より広く自由を得たい。」との動機に支えられているところに真髄がある。ところが、邪心や悪徳が、企業運営の隠れた亀裂に入り込むこととなり、『最終消費者の欲望を煽ればこそ、“隠匿し易い金銭その他利益”が、濡れ手でツカめると、実のところで誤算をしただけなのだ。よって、大量消費を煽り大量生産を促進する“幻想の欲望”に踊ってしまい、破綻を重ねる不幸の綻を招く、=すなわち(事業専念に非ず)企業存続のために、企業合併(法的に対等合併は無い)を繰り返し延命&不採算事業・不良債権を山積し、あげく“不払い&帳消し&踏み倒し”に持ち込んできた歴史なのである。要は簡単なカラクリであって、=これだけのことだ。これが彼らの常識であるのだ。そのためには教養とか文化レベルの高い社員や労働者は、邪魔ということなのだ。
第二節  なお、当該カラクリを、“資本論”を著したマルクスは指摘してはいない。その時代に当該カラクリは無かった。マルクスの本業はジャーナリストだった。(とりあえず“資本論第3巻”を最終整理したしたのは“ジンメル(後の縁のないドイツの社会学者)”である。“エンゲルス”および“スターリン”がマルクスの学説の改ざんをしたことは、現在世界の経済学では定説となっている。なお、やっと数年前に日本共産党もこれを認めた。当該カラクリをマルクスは指摘しているかのように、或いは、当該カラクリがマルクスの理念に存在すると力説するのは、その研究者とか学者にとって都合の良い幻想に過ぎないから念のため。
第三節  加えて、安い賃金で働く“家畜者”の増加」を促すと、個人下請けとか、フリーターその他、名称の如何を問わず、“お独り自営業者”《日本で言えば労働基準法の適用を受けない。ただし労働契約法の適用はある》が、賃金ではなく、激烈に単価の安い外注業者として使用されるという訳だ。(だが、その闇は、戦前戦後の日本ばかりか、日本が海外進出した東南アジアとか中国でも全く同様なのだ。)その場合、経済や取引の原則として、成果品の内容は、「安かろう・悪かろうの仕事」が徹底して追求される訳だ。この点は、“お独り自営業者”を指図する正規社員も、これに巻き込まれている。「いわゆる“検査ミス”と称する事件とその起因」の経済学的な本質はここにある。=よって、東南アジアとかの海外であろうが日本国内であろうが、いわゆる“イノベーション”とかはされないこととなり、相まって、そればかりか、全く以って不都合な意識傾向の類ではなく、意識的に温存していることが大量生産&商品単位利潤の激減、さらに加えて、先に述べた最終消費者の購入意欲(貨幣で自由を得られる)を無くしてしまうばかりか、金融資本投資の隠れたカラクリに乗せられた企業・事業の不採算を、ここでも結果として招来して来たのである。こういった傾向は、第二次世界大戦の全体主義者(岸信介)とか軍国主義者(闇商人を含む)、そしてそれらに靡(ナビ)いたサラリーマンによって、今も続いているのだ。
第四節  こういった背景から、自由市場経済再生のためには、大手企業の枠内に“シガミツク家畜者”の集団も、縦型組織であろうが個々人のメンバーであろうが、使い道がないのである。加えて、いわゆる左や右だと揶揄される政治団体とか、宗教団体(≠宗教観とは別)らが、政治の世界で、“全体主義”を用いるに至ると、自ずと「戦争と軍事産業繁栄」といった、末路を招来することは、今日までの世界各地の歴史と事件が物語っている。“シガミツク家畜者”を、いとも簡単に、“軍事兵員という人間商品”に、祭りあげることも、生産や商業活動の裏で、闇の金銭のために正規社員が行う悪徳作業なのである。
第五節  そもそも、人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。狩猟・牧畜・農耕のいずれかひとつを選択して集団や民族が形成されたといった歴史の事実は無い。大まかには略奪経済、封建領地経済、自由市場(資本主義)経済といった社会体制を経てはいるが、科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される文明Civilization進展とともに変化を繰り返してきた。その変化の根幹底流と言われるものが文化であり、そのツカミどころを理解しようと試みる目的で、人々は表面的には思考を分割し分野別学問蓄積の形態を用いている。当時の日本は、壬申の乱までは「倭」との国であった、その後に「日本」との対外名称となり、日本列島で550万人の人口だったと推測され、北海道や九州は日本人ばかりで統治してきた訳ではなかった。太平洋戦争敗戦直後はアメリカ軍を主力としたGHQに完全占領されていた。(この、第五節の段落は、過去のメルマガ第200号から引用)
https://www.soumubu.jp/alliance/index2.html

______くどいようだが、繰り返せば______
大金融資本投資とは、世界的な動きとしての『安い賃金で働く“家畜者”の増加』を、表面だけを真似て、経済学の真髄を無視して、サプライチェーンとかグローバル展開を行った輩のモノだった。もとより経済活動の発展とは、最終消費者が、“貨幣を基盤とした通貨”の使用でもって、「平等であるからこそ、より広く自由を得たい。」との動機に支えられているところに真髄がある。ところが、邪心や悪徳が、企業運営の隠れた亀裂に入り込むこととなり、『最終消費者の欲望を煽ればこそ、“隠匿し易い金銭その他利益”が、濡れ手でツカめると、実のところで誤算をしただけなのだ。よって、大量消費を煽り大量生産を促進する“幻想の欲望”に踊ってしまい、→破綻を重ねる不幸の綻を招く、=すなわち(事業専念に非ず)企業存続のために、企業合併(法的に対等合併は無い)を繰り返し延命&不採算事業・不良債権を山積し、あげく“不払い&帳消し&踏み倒し”に持ち込んできた歴史なのである。要は簡単なカラクリであって、=これだけのことだ。これが彼らの常識だ。そのためには教養とか文化レベルの高い社員や労働者は、邪魔なのだ。


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20240903】
今月は、お勧めできる書籍は有りません。